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― 序 ―

 その日は昼から霧のような雨が降り続いていた。


 JRの上野駅から一歩外へ出ると、湿気を含んだ重たい空気がべったりと準の肌に張り付いてきた。街中を歩く人と人の隙間。そこに、目に見えない異質な何かが漂っているような感じがして、息を吸う度に不快な気持ちにさせられた。


 ここ数日、零係に配属されてから、奇妙な事件に関わり過ぎたことが原因だろうか。ふと、自分の感覚が以前にも増して鋭敏になっていることに対し、そんな理由づけを考えてもみた。


 印藤律の話では、準自身にも霊能力の片鱗があるとのことである。未だ零係の面々に匹敵する凄まじい能力としては開花していないが、心霊事件に関わり続けたことで、少しずつだが自分の中でも、何らかの変化が生まれているのだろうか。


 そんなことを考えながら歩いていると、目的の場所が準の目に留まった。どこにでもある、何の変哲もない喫茶店。そこが、キャバクラ『Pinky・Dream』で出会ったヘルプのキャバ嬢、あさみとの待ち合わせ場所だった。


「……ちょっと、早く着き過ぎたかな?」


 周りにそれらしい人影が見えなかったことで、準は自分に言い聞かせるようにして呟いた。捜査の一環とはいえ、成り行きからキャバ嬢とオフで待ち合わせをすることになったのだ。そのまま店に向かうのだとすれば、これは立派な同伴出勤ということになる。


 夜の店で遊んだ経験の少ない準は、不覚にも今の状況に緊張してしまっていた。もしかすると、これもあさみの作戦なのかもしれない。今までの流れが、全て彼女が自分の指名客を増やすための作戦なのだとすれば、自分が遊ばれているだけなのかもしれない。そんな不安が一瞬だけ頭を掠めたところで、準は後ろから自分の名前を呼ぶ声に気がついて振り返った。


「あの……お、お待たせ、しました……」


 そこにいたのは、あさみだった。店で着ていたものとは異なり、随分と落ち着いた格好をしていたので、最初は本人だと気付かなかった。


「ああ、別に構わないよ。僕も、今しがた着いたばかりだし」


 当たり障りのない挨拶を交わし、準は直ぐにあさみを誘って近くの喫茶店へと足を運んだ。がっついている男と思われたかもしれないが、そもそも今回の件は、あさみから相談を持ち掛けてきたのだと思い、忘れることにした。


 店の中に入ると、隅の方にあった席へと二人で向かい合わせに腰かける。他の席から上手い具合に離れており、人の目に付くこともない。周囲に観葉植物が置かれているのも幸いし、影になり易い場所だ。


「それじゃ、とりあえず君の友達って人について話を聞かせてもらえるかな?」


 水を運んで来たウェイトレスに簡単な注文だけを済ませ、準はあさみに尋ねた。自分でも白々しいと思ったが、それを顔に出すことは極力控えた。


 あさみが探して欲しいという人間が、いったい誰なのか。それが判らない以上、迂闊なことを言う訳にもいかない。仮に、捜査に関係のない話だったとしても、その時はその時だ。金周美と同じ店に勤めていた、同じ国籍の人間ということしか接点はないが、それでも何らかの手掛かりを掴むきっかけになれば幸いだと思っていた。


「はい……。その……前に、友達を探して欲しいって、言いましたよね?」


 出方を探るように、あさみが視線を向けてきた。準のことを完全に信じ切っていないのか、それとも話を切り出し難い事情があるのだろうか。


「その子、ちょっと前に、亡くなったはずなんです。でも……私、どうしても、彼女が亡くなったって思えないんです……」


「なるほどね。まあ、気持ちは解るよ。だけど、その人は既に亡くなられたんだよね? だとしたら、いくら僕が探偵でも、探し出すのは難しいと思うよ」


 死人を探して欲しい。にわかに話の内容がキナ臭くなってきたが、それでも準は、やはり感情を出すことを堪えつつ、当たり障りのない言葉をあさみに返した。


 零係の立場で話を聞くなら、心霊事件の可能性も考慮せねばなるまい。だが、今の自分とあさみの関係は、あくまで客とキャバ嬢の関係でしかない。それも、こちらは立場を偽っているというオマケ付きの。


「えっと……そういう意味じゃないんです。上手く……上手く、言えないですけど……ごめんなさい」


 決して饒舌ではない日本語で、あさみは取り乱す自分を抑えるようにして謝り始めた。日本語の語彙力の不足から、自分の伝えたい内容を伝え切れていないようだった。


「私の友達……名前、周美って言います。一緒にお店で働いていたんですけど、少し前に、お店を辞めてしまって……」


 そこから先は、自分も彼女の足取りは知らない。だが、大学では顔を合わせていたし、連絡も取り合っていたとあさみは告げた。


「私にお店のお仕事、紹介してくれたのも周美なんです。私達……学費、払えるだけのお金ないですから。だから……こうやって稼ぐしかないんです」


 少しだけ視線を背けながら、あさみは俯いたまま準に語った。なるほど、確かに学生の中には、経済的な理由から水商売に手を出す者もいるだろう。ましてや、遠い異国の地で身寄りもないとなれば、そう簡単に金を借りることもできない。


「私達の国では、頭が良くないと生きて行けないんです。私の住んでいた田舎の方だと、女の人、あまり偉くないですし……」


 自分の知っている限りの日本語で、あさみは懸命に身の上を伝えようとしているようだった。確かに、韓国の田舎となれば、そういった話もないわけではない。女性に対する差別的な扱いが、未だに根強く残っているところもあるのだろう。


 しかし、それ以上に準が何も言えなかったのは、あさみの口から出た金周美の名前に他ならなかった。


(なんてことだ……。この子が、変死した留学生の知り合いだったなんて……)


 途端に核心へ近づけたような気がして、準は自分の鼓動が高まるのを感じずにはいられなかった。それでも、辛うじて水を口に流し込んで頭を冷やすと、何食わぬ顔で話を続けた。


「へぇ……。君も君で、色々と大変だったんだね」


「はい。……あ、すみません! こんな話、探偵さんには関係ないですよね。今は、周美のこと、探してもらわないといけないのに……」


 共感してもらえると思わなかったのか、あさみが慌てて口元を押さえた。この辺り、キャバクラ嬢として、公私の区別が付いていないのだろうか。素人っぽさを好む客もいるのかもしれないが、しかし高いプロ意識を持って接客を行っている者も多い夜の世界では、生き残れるタイプの人間ではないのかもしれない。


 互いの間に流れる気まずい空気。どちらも、自分の目的のために、本当の自分を偽っているということに変わりはない。そんな虚構と虚構の狭間に潜む何かが、二人の間に微妙な結界として漂っていた。


「と、とりあえず、今はその周美さんって人について教えてくれないかな?」


 適当に話の流れを戻し、準があさみに尋ねた。あさみは無言で頷くと、自分の鞄から携帯電話を取り出して見せる。キャバ嬢らしく表面がデコレートされていたが、機種そのものは古い型だった。


「これ、私と周美の写真です。それから……これが、街で見かけた周美の写真……」


 携帯電話のカメラで撮影したものだろう。最初にあさみが見せたのは、自分と金周美が二人で写っているもの。何の変哲もない、学生同士のおふざけのワンシーンだが、続けて見せたものは違っていた。


 場所はホテル街の一角だろうか。ネオンの輝くビルが立ち並ぶ大通りにて、雑踏の中を歩く一人の女性が映し出されている。後ろ姿なので細かい表情は分からないが、それでも彼女は撮影者の視線に気づいていたのだろうか。


 こちらに少しだけ顔を傾け、女性は怒りとも悲しみともつかない視線を向けていた。背格好と髪型から判断する限り、彼女はあさみが見せてくれた写真の金周美に似ていなくもない。が、しかし、正面から撮影されているわけでもなく、これ以上の判断は難しかった。


(この写真だけじゃ、なんとも言えないんだよな……。確かに、似ていると言われれば、そうだけど……)


 いつになく難しい表情を浮かべつつ、気づけば準は腕を組んで、そのまま椅子の背もたれに寄りかかっていた。


 仮に、これが金周美だったとした場合、鶯谷のラブホテルで死んだ女性は誰なのだろう。他人の空似と思いたいところだが、そう割り切るには情報が足りない。そしてなにより、零係に所属する者の考え方からすれば、この女性が実際に生きている存在だと思う必要もない。


 金周美の幽霊。そんな荒唐無稽な言葉が、今の準の頭には普通に浮かんでいた。ここ数日、零係の濃い面々と捜査をして、自分の中の常識が崩れつつあるのだろうか。ふと、そんなことを考えてもみたが、これ以上は考えても良い案が出そうになかった。


「悪いけど、この写真……二枚とも、僕の携帯に転送してくれないか? 今はなんとも言えないけど、少しでも手がかりが欲しいから」


「本当ですか! ありがとうございます! 周美は……きっと生きていますよね?」


 今までの様子はどこへやら。突然、明るい表情になって、あさみが両手を叩いて喜んだ。


 もしや、自分はまんまとやり手のキャバ嬢に嵌められ、良いカモにされてしまったのではないか。一瞬、そんな不安が準の頭の中をよぎったが、それでも情報は情報だ。


 死んだと思われた人間が生きていた。その証拠写真を手に入れられたのだとすれば、これから同伴出勤してキャバクラで飲むだけの費用など易いものだ。


 もっとも、香取と一緒に訪れたときとは違い、今回は真っ黒なカードなどない。財布の中身が軽くなることに一抹の不安を覚えたが、ここまで来たら、背に腹を変えることはできそうになかった。


(領収書は……さすがに、もらうわけにはいかないよな)


 自分で勝手に捜査を進めて自腹を切ることになった浅はかさを呪いながら、準は改めて溜息を吐く。だが、そんな彼が干渉に浸る暇もなく、無情にもポケットに入れていた携帯電話が鳴り響いた。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 飾り気のない殺風景な仕事部屋で、律は大きく伸びをして、先程まで睨んでいた競馬新聞を放り投げた。


「行儀が悪いですよ、印藤さん。せめて、捨てるならゴミ箱に捨てて下さい」


 パソコンのキーを叩きつつ、氷川が言った。画面を凝視しているのか、背中は律に向けたままだ。


「相変わらず固いな~。そういう氷川クンこそ、さっきからなにしとるん? なんや、おもろい動画でも探しとるんか?」


 悪戯っぽい笑みを浮かべ、席を立った律が氷川の使っているパソコンの画面を覗き込んできた。もっとも、そこには律の期待するようなものは何もなく、所轄の警察署の些細な事件記録が映っているだけだったが。


「どうです? なかなか、興味深い資料ですよね?」


 眼鏡の位置を直しつつ氷川が同意を求めて来たが、律には何がなんだかさっぱり分からなかった。見たところ、事件の概要は上野公園の外れでホームレスが3人ほど死んでいるのが見つかったという事件。纏まって死んでいるのが不審死の可能性を微かに臭わせるものの、それ以外には、特に見るべきところもないと。初めは、そう思っていた。


「興味深いって……こんな事件、今、ウチらが追っかけてる事件と、何か関係あるんかいな?」


 訝しげな顔をしながら、律は氷川に尋ねた。実際、彼女の地元である大阪だけでも、年間で三百人近いホームレスが亡くなっている。その原因の大半は、凍死か餓死。広義の意味での孤独死でもあり、彼らを取り巻く環境を考えれば、決して珍しいことではない。


「ええ、そうですね。確かに、ホームレスが死んだことに限ってみれば、そこまで珍しいことではないのかもしれませんが……」


 それでも、と氷川は言葉を付け加え、パソコンの画面を切り替えた。そこに映し出されたものを見た瞬間、さすがの律も、しばし言葉を失ったまま動けなかった。


「……なんや、これ。完全に干からびとるやん。死後、何カ月放置されとったんや……」


「およそ、三ヶ月といったところではないでしょうか? 無論、これが自然な形でのミイラ化であれば、の話ですが」


「自然な形……まさか!? 氷川クン、もしかして、このミイラ……」


「ええ、印藤さんの考えている通りです。彼らは発見される数日前まで、公園の反対側に住んでいるホームレス達と交流していたようですね。もっとも、所轄の人間達は、単なる浮浪者の戯言として片付けてしまったようですけどね」


 だが、仮にこれが事実だとすれば、途端に心霊事件の様相を帯びてくる。人間が短期間でミイラ化するなど、そんな奇妙なことが、そう頻繁に起こるはずもない。そしてなにより、場所は最初にミイラ化死体が発見された場所に程近い上野。二体目のミイラが発見された、西日暮里とも近い。


 この短期間で、特定の地域で相次いで発見されるミイラ化死体。幸い、事件こそ公になってはいないものの、このままでは抑えきれなくなるのも時間の問題だ。


 人間を、こうも容易くミイラ化させる方法。霊的な存在の力を借りるのだとすれば、律はそれに少しばかり思い当たる節があった。人間の中に存在する魂の力。精気とも呼ばれる生への活力を吸い出されてしまえば、後に残るのは干からびた脱け殻だけになる。


(そやけど、そんな力を持っとるんは、鬼か悪魔級の存在やで。唐突に降って湧けるほど、どこにでもおるっちゅうわけやなし……)


 霊的な存在が世界の影に追いやられて久しい現代。鬼や悪魔といった存在もまた、そう身近に溢れているわけでもない。それこそ、何処の高僧が作った封印の塚でも破壊するか、もしくは外国から流れて来るかでもしなければ、お目に掛かることのない相手なのだ。


 律自身、この零係に配属されてから、鬼や悪魔に匹敵する存在と戦ったことは数える程しかなかった。それも、大半が違法な工事で塚を壊して祟られただの、外国から禁忌の品を持ち込んでしまっただのといった話であり、大都会のど真ん中に、いきなり悪鬼が出現したなどという話は聞いたこともなかった。


「何か……物凄いヤバいやつが、ウチらの知らんところで動いてるっちゅうことかいな?」


「その可能性は、否定できませんね。とりあえず、今は上野公園で変死したホームレスについて、同じ公園近辺で生活しているホームレスの人達に聞き込みをするべきでしょう」


「うへぇ……。仕事やってことは解っとっても、あんま気が進まんわ……」


 できることなら、ホームレスに聞き込みなど遠慮願いたい。そう、律が言おうとしたところで、部屋の電話が唐突に鳴った。


「はい……」


 受話器を取るなり、氷川の顔から普段の温厚そうな空気が消える。電話越しの相手は、恐らくは香取だろう。彼が仕事で険しい表情をするのは、香取から何か拙い知らせが入った時のことが多い。


「……了解しました。それでは、自分も印藤さんと一緒に、大至急現場へ向かいます」


 受話器を置いて、氷川は重たい表情のまま、律へ鋭い視線を向けた。眼鏡の奥で光る二つの瞳が、爽やかな好青年を思わせるものから、猛禽類のようなそれに変わっていた。


「どないしたん、氷川クン? また、雄作ちゃんから呼び出しかいな?」


「ええ、そうです。とりあえず、印藤さんも一緒に来てください。正直、事態はかなり拙いところまで進んでしまったようですね……」


 詳しいことは、現場に到着するまでに話す。それだけ言って、氷川は自分の上着を羽織ると、足早に鉄扉を開いて部屋を出た。

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