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― 壱 ―

 街の雑踏を掻き分けながら、寺沢準てらさわじゅんは、その日の聞き込みを一通り終えて自分の署へと向かっていた。


 準は、所轄の生活安全課に務める刑事である。刑事課と違いあまり目立つ部署ではないが、地域住民の生活を守っているのは、むしろ彼らの方だった。


 例えば、少年係。これは未成年者が起こした犯罪について捜査する他、深夜の補導などの仕事も行っている。その他、刑法以外の対象となるストーカーやハイテク犯罪、ゴミの不法投棄や風俗関連の犯罪は、事件係という部署を設けて対応している。


 その一方で、一般の防犯を担う係や、警察署に寄せられる各種の相談を受け付ける係も存在する。また、許認可係と呼ばれる部署は、猟銃の所持やパチンコ店、風俗店なとの営業許可を申請する窓口と、それらを違法に行っていないかどうかを調査する業務の双方を兼ねている。


 交番のお巡りさんの業務を、更に細分化して強化したようなもの。そう言えば聞こえはいいが、実際は単なる何でも屋だ。凶悪犯を相手に奮闘するようなドラマはないが、代わりになかなか撲滅できない、それでいて地域に密着した犯罪を担当している部署である。


 準自身、自分の仕事が何でも屋であることは、なんとなくだが承知していた。彼は少年係に所属していたが、確かに色々と雑多な仕事が多い。おまけに相手が未成年ともなると、なかなか扱いも難しくなって来る。


 少年犯罪に手を染めるような者は、最初から世の中の大人に対して反抗的な態度を取る者が多いのだ。それらを取り締まるとなれば、単に力でねじ伏せたところで意味はない。真の意味で彼らに心を開いてもらわねば、更生などあり得ないのだから。


 時折、人の流れに肩がぶつかるのを感じながら、準はふと、同じ部署にいる先輩刑事の顔を思い浮かべて空を仰いだ。


(はぁ……。僕も漫画やドラマにあるみたいに、連中と腹を割って話せたら苦労しないんだけどなぁ……)


 そう、心の中で呟いて、再び雑踏の中を歩き出す。テレビや漫画の世界とは違い、現実はそうそう甘くない。不良だが、しかし根は良い人間などというのは極々稀で、今までに出会ってきた少年少女達は、既に性根の芯まで歪みきってしまった者の方が多かったから。


 それでも、自分もいつか、フィクションの世界にいるような刑事になりたい。どれだけ馬鹿にされようとも、その想いは変わらない。現に、今もこうして宵の闇が迫る夕暮れ時の街を、非行防止のために見回っている。


 道端の自販機でコーヒーを買い、軽く喉を潤して溜息を吐いた。空を見上げると、時刻は既に六時を回っているというのに未だ明るい。いつの間にか、日が落ちる時間が変わっていた。普段、あまり気にしていないことに気が付いて、なんだか妙な気分になってくる。


「ねぇ、そこのおじさん♪」


 突然、横から声がした。慌てて振り向くと、そこには満面の笑みを浮かべた、一人の少女が立っていた。


 一瞬、自分の勘違いではないのかと思い、怪訝そうな顔をして周囲を見回す。だが、雑踏の中で立ち止まる者はおらず、少女の目線が自分に注がれていることを、準は再確認させられた。


「おじさん……って、僕のことかい?」


 多少、複雑な気持ちになりながらも、準はしばしの間を置いて少女に話しかけた。


 少女の年齢は、高校生くらいだろうか。茶色く染まった髪を毛先まで撒いて、やたら目ばかり大きく見える。香水ではなく、何かのスプレーだろうか。密着しているわけでもないというのに、髪から漂う甘い香りが、コーヒーの香りを打ち消すほどに強く漂ってくる。


 こんな子から見れば、自分もおじさんに見えるのかもしれない。だが、それでもまだ二十代であるという事実が、準のプライドを多少なりとも傷つけた。


「おいおい、随分な言い方だなぁ……。こう見えても、僕はまだ二十代……って、そんなこと言ってる場合じゃなかったか。君、こんな時間に、こんなところで何してるの?」


 怒りたい気持ちを奥に押し殺して、準は少女に淡々と告げる。日没まで多少の時間はあったが、それでも、こんな時間に都心の繁華街で男に声を掛けるなど、まともな理由ではないと思ったから。


「うわ、やだぁ! もしかして、私ってばちょーしつれーなこと言っちゃったって感じ~? あ、でも、確かによく見ると、ちょっとイケメンかな~?」


 もっとも、少女の方は何ら気にしていないのか、準の顔を覗き込んで、まじまじと観察を始める始末だ。マイペースというか、単に人の話を聞いていないだけというか、どうにも調子を狂わされる。


「いい加減にしてくれないか、君。言っておくが、僕は刑事だぞ。援助交際か何かをやろうとしてるなら、今すぐ補導しても構わないんだけどね」


 こういう手合いを前にした場合、相手のペースに飲まれては駄目だ。あくまで毅然とした態度で、準は釘を刺すような言い方をした。それでも、遊びなれた子どもは警察程度では動じないのだろうか。むしろ、ますます両目を輝かせ、準に身体を近づけてきた。


「え? 嘘! もしかして、本当に本物の刑事さんなの? もしかして、私ってちょーラッキーってやつ?」


 唐突にこちらの手を取り、黄色い声を上げて少女が叫ぶ。目の前で小さく飛び跳ねて、左右に結ばれた髪が反動で揺れている。


 いったい、なんなんだこの少女は。刑事を前にして舞い上がるとは、違法行為の類をしていたというわけではないのか。


 いや、それでも油断はできない。最近の未成年者は、こちらが思った以上に狡猾だ。今も、こうやって準真無垢な姿を装いながら、こちらを出し抜く機会を窺っているのかもしれない。


「確かに、僕は正真正銘の刑事だ。なんだったら、警察手帳も見せようか?」


「マジで? 警察手帳なんて、ドラマでしか見たことないし……もしかしなくても、それって凄くない?」


「いや、別にそこまで凄いことじゃないんだけど……。とにかく、いったい何で、こんな時間に僕みたいな大人の男に声を掛けたんだ? 事と次第によっては、君の両親に連絡するぞ」


 援助交際でないのなら、少女は家出をしたのではないかと準は思った。


 最近の子ども達は、実に簡単に家出をしてしまう者がいる。昔ならいざ知らず、今は寝泊りするだけなら、近くの漫画喫茶で夜を明かすこともできる。24時間営業のコンビニも各所にあれば、これは少々危険を伴うが、街でナンパして来た男の家に、一晩だけ転がり込むということもできる。


 一つ一つは小さなことかもしれないが、それらがいくつも重なることで、実に簡単に家出という選択肢を選べる時代になってしまった。もっとも、家出をする少女達は家庭に問題を抱えていることも多く、故に一方的な糾弾はできないのだが。


「君が家に帰らなかったら、両親だって心配するんじゃないのか?」


 とりあえず、お約束の台詞を言って鎌を掛けてみた。これで怒ったり、不貞腐れた態度を取ったりするようならば、彼女の家庭に何か問題があるということになる。そうなると、もう自分の力だけでは手に負えない。しかるべき機関の力を借りて、家庭内の問題に介入してもらう必要も出てくるだろう。


 だが、そんな準の期待に反して、少女はそれらしい反応をまったく見せなかった。むしろ、何かを思い出したように頭を軽く叩き、少しだけ距離を取ってカバンから携帯電話を取り出した。


「あ、そういえば、まだ私が刑事さんに声をかけた理由を言ってなかったね。私ってば、ちょーうっかり!」


 いつの間にか、呼び方がおじさんから刑事さんに変わっていた。喜ぶべきか、それとも、ここは呆れるべきなのだろうか。あまりにマイペース過ぎる少女の振る舞いに、先程から準は完全に調子を狂わされてしまっていた。


「実は、ちょっといなくなった友達を探しててさ。この子なんだけど……見たことない?」


 携帯の画面を押し付けるように、少女は準の目の前に差し出した。なるほど、確かに彼女の友人なのだろう。画面には目の前の少女と一緒に、これまた良く似た髪型と格好をした、別の少女が映っていた。


「君の友達かい? そういう話だったら、署の方で詳しく聞かせてもらった方がいいかな。それに、本気で探すんだったら、君みたいな女の子が探偵の真似事やってるのも関心しないぞ」


 いなくなった友達を探す。その言葉にどこか引っ掛かるものを覚えつつも、準は言葉には出さなかった。


 家出をした遊び友達を探しているのだとすれば、彼女一人で何ができるだろう。大方、街を行く人々に手当たり次第声を掛けて探そうと考えていたのだろうが、それで見つかれば苦労はしない。なにより、世の中の人間が全て善意を持って他人に接してくれるわけではない以上、少女に探偵のような真似をさせるのは、それだけでも危険なことに思われた。


 とりあえず、まずは彼女の身元を聞いて、その上で詳しい話を聞かせてもらわねばなるまい。そう思い、改めて署への同行を願うと伝えた準だったが、果たして少女はあまり良い顔をしなかった。


「え~、なんで私が刑事さんと一緒に刑務所まで行かなきゃならないの~? 私、別になんにも悪いことしてないし~」


「いや、刑務所じゃなくて、警察署なんだけど……。それに、これは逮捕とかそういうのじゃなくて、単に話を聞かせてもらいたいっていう……」


「だったら、別にその辺の喫茶店でもどこでもいーじゃん! どーせ、話聞くだけなんだからさ~」


 先程の様子とは打って変わって、少女は頬を膨らませてそっぽを向いてしまった。


 駄目だ。このままでは埒が明かない。刑務所と警察署の違いも解っていない辺り、この子の頭の程度はかなり低そうだ。そんな相手に、任意同行だの何だのといった話をして、果たして理解してもらえるものだろうか。


 こうなれば、補導と称して警察署まで強制的に連れて行ってしまおうか。そんなことも考えたが、それはそれで問題が大きい。なにより、彼女の信頼を壊すようなことをしてしまえば、情報が手に入らなくなってしまう。たとえ、それがガセだったとしても、最初から相手にせずに後で事件が起きては遅いのだ。


 警察は、事件が起きてからでないと動かない。世間一般でよく言われる負の評価を、準は殊更嫌っていた。上の人間の考えはどうだか知らないが、自分はそんな風に思われたくない。怠慢な警察官ばかりではないと、きちんと理解して欲しい。そんな想いが、いつの間にか少女の言葉を無条件で信じることに繋がっていたのかもしれない。


「解ったよ。それじゃ、とりあえずは近くの喫茶店で話を聞かせてもらうからね。でも、あまり遅くまでは駄目だぞ。7時を回ったら、真っ直ぐ家に帰ること」


「は~い、わっかりましたぁ~!」


「やれやれ、本当に解ってるのかな? それと……まだ、君の名前を聞いてなかったね。できれば、住所と一緒に教えて欲しいところだけど……」


「私の名前? 水織奈々みずおりなな。私立立花学園高校二年。現在、現役バリバリの17歳女子高生で~す♪」


 聞かれてもいないのに学校名まで答え、奈々と名乗った少女はピースをしてにやりと笑って言った。まあ、これで最低限の身元も解ったことだし、準としては助かった。できることなら、住所や電話番号まで言ってくれれば更に幸いだったのだが。


「あ、そうそう! 私のアドレス教えるから、刑事さんもメアド教えてよね。これに入れてくれたら、直ぐにアドレス入れて送るからさ!」


 どうやら、心配は杞憂だったようである。だが、そもそも、こうも簡単に自分の携帯電話を他人に触らせていいものかと、それはそれで疑問に思う。


 最近の女子高生は、本当に無防備というか、何というか……。そう、心の中で呟いたところで、準の動きがピタリと止まった。


「あ、あのさ……」


「ん? どしたの、刑事さん?」


「いや、これってスマホだろ? 僕、こういうのは、あまり詳しくなくってさ……」


「えぇっ、マジで!? っていうか、刑事さん、もしかしてまだガラケーなの!? うわ、やだ、おっくれてるぅ~」


 まるで、希少な天然記念物を目の前にしたかのように、大袈裟に驚いて叫ぶ奈々。


頼むから、それ以上はやめてくれ。いや、もしかすると、こんなことだから自分は奈々におじさん扱いされてしまったのかもしれない。


 何やら悶々とした気持ちになりながら、準は奈々を連れて、足早に近くの店に駆け込んだ。途中、奈々が告げた学校の名前に聞き覚えがありそうな気がしたが、その時は直ぐに思い出すことができなかった。

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