― 拾 ―
「そんな……。こんな子どもが、今までの事件の首謀者だったなんて……」
目の前に現れた白い肌の少年の姿に、準は驚きを隠せなかった。
完全に黒い色素を失った瞳と髪の色。しかし、それを除けば、『R』と名乗った少年の姿は決して珍しいものではない。ともすれば、虚弱な引き籠りを連想させる外観であり、少なくとも暴走族を束ねられるような雰囲気は持ち合わせていない。
だが、それでも、準は少年の中に渦巻いている、ただならぬ何かを感じ取ってはいた。自分の中にあるとされる、霊感の類が危険を告げているのだろうか。少年の揺れる髪の先、吐き出す息、そして全身に纏っている空気そのものに、生理的嫌悪感を抱かせる不気味さを覚えて仕方がなかった。
「……なるほど。ガキんちょにしちゃ、随分な力を持っとるみたいやね」
袖口から縄鏢の先端を覗かせ、律が油断なく少年と対峙して言った。彼女程の力を持った者が身構えるということは、やはり目の前の少年もまた、霊能力の類を持った存在ということだろうか。
「もう一度聞くぞ。貴様、何の目的で今回の騒ぎを引き起こした。ここまで事を大きくしておいて、まさか遊びだとは言わせんぞ」
「嫌だなぁ。あんた達、僕のサイトを見たんだろう? だったら、僕が何を目的として行動しているのかだって、とっくに知っているんじゃないのかな?」
再び凄む香取だったが、それでも少年は脅える素振りさえ見せなかった。そればかりか、ともすれば不敵な笑みを浮かべ、こちらを挑発するような仕草で質問を返して来た。
「サイトの中身、ですか? そういえば、あなたは最初、『差別と戦う』といったような題目を掲げて、色々と人を煽っていたようですね」
香取に代わり、氷川が答えた。だが、掲げている題目と実際の行動があまりにズレていることから、どうにも納得のいかない様子ではあったが。
工場の中に、再び静寂が訪れる。無言のまま少年を見据える零係の者達とは反対に、少年は身体を小刻みに揺らし、声を殺して笑っていた。
「その通りだよ。今も昔も、人間っていうのは差別が大好きみたいだからね。現に僕も、この肌の色や目の色……それに、死んだ生き物の魂が見えるって力のせいで、随分と迫害されて来たんだよ」
「なるほど。ならば、貴様の目的は復讐か?」
「復讐? 確かに、それもあるかもね。でも、僕の目的は、そんな小さなことじゃない。今の世の中で差別に苦しんでいる全ての存在……それに救済を与えるために、改革を起こすことなんだからさぁ!」
そう、少年が叫ぶと同時に、彼の周囲を青白い火の玉が回り始めた。煌々と燃える燐の様な輝きは、あの少年達の瞳に宿っていたものと同じものだ。明らかに常軌を逸した事態に一瞬だけ怯む準だったが、香取や氷川には見えていないようだった。
「話が見えんな。それと、不良を使って警察官を襲わせたのと、何の関係がある? それとも……貴様も所詮は、改革などといった戯言を掲げ、罪もない人間を傷つける過激派と同じということか?」
少年の周りを不気味な炎が周回し始めてもなお、香取は態度を崩さない。やはり、準や律とは違い、彼や氷川は霊的な存在を視認する力が弱いらしい。
「心外だね、それは。言っておくけど、僕は彼らも立派な仲間だと思っているよ。そうでなければ、最初から力なんて与えてやらないさ」
苦笑する少年。だが、ともすれば手駒の不良達を格下に見ているとも受け取れる口調に、今度は律が反論した。
「それは詭弁や。本当に仲間やと思っとるんやったら、何で二度と元に戻れなくなる可能性のある方法で、犬っころの魂をガキどもに植え付けよったんや!」
「何故? 決まってるじゃないか。彼らが超人的な力を持って国家権力に歯向かう様を見せつければ、それだけで全国にいる『不良』と呼ばれた者たちを鼓舞し、決起させるためのきっかけを作ることができるんだよ!」
だんだんと、少年の瞳に歪んだ正義の色が浮かんで来た。そればかりか、彼の感情の高ぶりに呼応するようにして、周りには更なる火の玉が現れ始めている。
「な、なんだ、こいつ……。さっきから、言ってることが滅茶苦茶だ……」
全てが異常。あまりに常識から外れ過ぎた言動と現象の二つを垣間見て、思わず準が息を飲んだ。
この少年は、確かに力を持っている。だが、彼がこうまで支離滅裂な理論を振りかざすのは、果たして彼本来の持っていた素養によるものなのか。それとも、彼の不幸な生い立ちが、その得意な能力と相俟って、ここまで人格を破綻させてしまったのだろうか。
「さあ、お喋りはここまでだよ。あんた達が何者であっても、僕の邪魔をすることは許されない」
だんだんと、少年の周りを漂う火の玉が明確な形を持ち始めた。薄闇の中で光る二つの目玉。そして、剥き出しになった鋭い牙。
「ふふふ……凄いだろう? 僕は、ただ幽霊が見えたり、幽霊と話せたりするだけの能力者じゃない。僕は生まれつき動物と……犬の魂と語り合い、それを使役することができるのさ!」
群狼を思わせる炎を従え、少年は勝ち誇ったように笑っていた。彼の言葉通り、目の前の炎は狼ではなく犬なのだろう。もっとも、激しい怒りと敵意を持った獰猛な獣であれば、犬でも狼でも大差はなかったが。
「こいつらは全部、僕が拾って来た魂だよ。毎年、全国の保健所では、数万頭の犬が殺処分されているからね。彼らもまた、野良犬というだけで不当に差別され、殺されて来た被害者さ。だから、僕が彼らに計画のことを話したら、喜んで協力してくれたよ」
そういえば、この少年の開設していたサイトには、動物愛護に関する話も掲載されていたことを、準は今になって思い出した。だが、それでも愛の伝道師を語るにしては、この少年の行いはあまりに過激だ。
「いったい、何がしたいんだ、君は! 人間のエゴで殺された動物達の仇を討ちたいのか?」
あまりに脈絡のない話の連続に、とうとう準が堪らず叫んだ。納得できる答えなど、最初から期待などしていない。ただ、少年の語っていることがあまりに突飛な話過ぎて、頭の整理が追い付かなかっただけだ。
「へぇ……やっぱり、君達は頭の固い大人なんだね。まあ、所詮は警察なんて、国家の下僕みたいなものだからね。何も考えないで命令に従ってるだけの方が、楽と言えば楽なんだろうけど」
軽蔑した口調で、少年が準の言葉に鼻で笑って返した。どれだけ数が集まっても、警察など取るに足らない相手だ。ここまで何人もの命を間接的に奪ってきただけあり、その言動にはどこか年齢に不相応な不敵さがあった。
自分と同じく、生まれながらにして差別されるしかなかった存在。そういった者達は、やがて社会への不信感から転落の道を辿って行く。その結果、彼らは不良と呼ばれる存在となり、しかし社会から偏見の眼差しを向けられ続けることには変わりない。
なぜ、そのような道しか選べなかったのか。なぜ、転落してしまったのか。そんな理由を尋ねる者さえおらず、ただ不良というだけで、まるでゴキブリでも見たかのように社会から締め出そうとする。
そんな者が許せない。だから、自分は不良達に、決起するための機会と力を与えてやったのだと少年は語った。
「大阪、福岡、広島、そして四国……。僕達の行動は、日本全国で不良と呼ばれて蔑まれている人達へ、決起するための勇気を与えるんだ。そして、それはいずれ、かつて部落と呼ばれる場所で生まれ、不当な差別を受けて来た人達をも立ち上がらせることに繋がるんだよ。なぜなら……そういう場所で生まれたからこそ、不良になるしかなかった人だっているんだからさ!」
人間は、親や生まれる場所、生まれる国は選べない。髪の色や肌の色、そして目の色や性別でさえも選ぶことができない。そんな残酷な運命に従う義理はないと叫ぶ少年だったが、果たして話を聞いている零係の面々は、特に香取に至っては、どこか哀れみの籠った目で少年のことを見据えていた。
「ふん……。どのような大層な御託が飛び出してくるかと思ったら、とんだ茶番だったようだな。貴様の言っていることは、所詮はガキの妄想に過ぎん。生まれる場所がどうであれ、肌や髪の色がどうであれ、真っ当に生きている者もいる」
部落で生まれたから不良になる。それが、そのまま盛大なブーメランとなって、差別を助長する発言となっている。そんなことにも気付かないとは、これを哀れと言わずして何と言おうか。それだけ言って、香取は帽子を少しだけ深く被り直すと、少年の方を指差して告げた。
「こういうのを、お前達、ガキの言葉で何といったか? 確か……『厨二病』とかいうんだったか? 否、この場合は、馬鹿に刃物とでも言った方が正しいのか? どちらにせよ、誇大妄想に憑かれるのも大概にしろ」
「……なっ! ぼ、僕の崇高な思想が、よりにもよって厨二病だって!?」
少年の眉間に皺が寄り、明らかな感情の乱れが見えた。それに呼応するようにして周りの炎も激しく燃え出したが、それでも香取は語ることを止めなかった。
「俺も以前、貴様のような姿と力を持ったやつに会ったことがあるんだよ。もっとも、そいつは自分の姿や力を卑下することもなく、立派に己の使命を自覚して、巨悪に立ち向かうだけの信念を持っていたがな。それに比べて、貴様はなんだ? 屁理屈に等しい理屈をこねて、自分の手は汚さずに人を殺すのが正義だと思っているのなら、貴様のやっていることは犬畜生以下だ」
「き、貴様ぁっ! それ以上、言ってみろ! まずは貴様から、僕の犬達の餌食にしてやる!」
その言葉が、少年の感情を決壊させる決定打だった。
少年の怒りを代弁するようにして、炎の犬が一斉に香取へと襲い掛かる。だが、それでも香取は微動だにせず、代わりに犬を払ったのは律だった。
「甘いで! そっちが散々御託を並べとる間に、こっちはしっかり準備させてもろたわ!」
空を切る縄鏢の切っ先。不良少年達を縛った際に見せたのと同様に、いつの間にか彼女の袖口から伸びた縄が、渦巻く銀河のような螺旋を描いている。
「く、くそっ!」
頼みの綱の霊魂がいとも容易く払われたことで、少年は廃工場の奥へと駆け出した。直ぐに後を追う零係の面々だったが、追い付くのにそう苦労はしなかった。
「そこまでですよ。さあ、もう遊びは終わりにしたらどうです?」
巨大な鉄扉の前に追い詰めた少年に、氷川が尋ねた。しかし、それでも少年は首を縦には振らず、ともすれば未だ不気味な自信を二つの瞳に湛えていた。
「ふふふ……。まさか、こんなところで僕の切り札を見せることになるとはね。でも、これは君達が悪いんだよ。僕を本気にさせたことを、今から後悔させてあげるよ……」
巨大な鎖と南京錠で封じられた扉に手を掛け、少年がにやりと笑う。ポケットから取り出した鉤で南京錠を外すと、鎖が鈍い音を立てて床へ落ちた。
「うっ……! な、なんだ、この感じ……」
一瞬、扉の隙間からおぞましい何かが流れ出しているのを感じ、準が思わず両手で口元を塞いだ。
「新人クンも感じよるか……。こりゃ、ちょいとヤバいやつが出てきよったなぁ……」
油断なく武器を構えつつ、律もまた鉄扉の奥を見つめている。瞬間、錆びついた扉が軋むような音を立てて強引に開かれると同時に、その中から巨大な何かが姿を現した。
「……な、なんだ、あれは!?」
空間を引き裂くようにして扉をこじ開け、現れた存在。そのあまりに場違いな異形さに、準は今度こそ完全に自分の目を疑った。
人間の倍ほどもある巨大な体躯。破れたズボンの一部が腰に残っている以外は、およそ衣服のような物も纏っていない。肥大化した頭部は犬か狼のそれ、そのものであり、しかも肩や胸にまで顔がある。背中からはもう一本の腕が生え、それらを含めた三本の腕の先には、鋼鉄をも貫きそうな鋭い爪を備えていた。
「ば、化け物……」
それ以外に言葉が見当たらず、準は拳銃を取り出すのも忘れ、ただ固まっていることしかできなかった。
「ったく、最後の最後で要らん悪足掻きしよって! しかも……こいつ、一つの身体に四つ近い魂を持っとる。……さては! さっきの不良共と違って、嫌がるやつの身体に無理やり魂を捻じ込んだんとちゃうか!?」
「ああ、そうさ。でも、それがどうしたんだい? 僕はただ、僕達の理想に賛同してくれない人に、ちょっと役に立ってもらおうと思っただけだよ」
だから犠牲にした、文句はあるか。そう言ってのける少年の顔には、後悔の色など微塵もない。
狂っている。何もかもが狂っている。狭量な視野しか持たない子どもが分不相応な力を持てば、こうまで狂えるというのだろうか。
「ヴゥ……オォォォッ!!」
異形の姿と成り果てた魔獣の叫びが、廃工場の中に響き渡る。封印を解かれ、目の前に獲物を見つけたことで、魔獣は本能を剥き出しにして、香取や準達に襲い掛かって来た。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
状況は一瞬にして一変した。
目の前に現れた異形の存在。あまりに現実離れした相手を前に、準はまったく動くことができなかった。
以前、魔女の憑依した女と対峙したこともあったが、これはその時の比ではない。あの女も恐ろしい念力のような力を持っていたが、しかしそれでも人間の姿形は保っていた。
だが、それに比べて、目の前の怪物はどうだ。全身を毛に覆われ、犬とも狼とも見分けのつかない頭部が三つ。同じく腕も三本あり、下半身に比べて上半身が異様に巨大だ。
地獄の番犬ケルベロス。幼い頃に読んだ外国の神話に登場する怪物の姿が、一瞬だけ準の脳裏を掠めた。目の前の化け物は、正にケルベロスそのもの。否、姿形だけで言えば、それさえも凌駕した異様な何かだ。いったい、何をどうしたら、あんな怪物を作り出すことができるのか。
これは夢だ。あまりに非現実的過ぎる光景を信じられず、準が目を伏せようとしたときだった。
「やつを追え、印藤!」
怪物に気を取られた隙に少年が逃げ出したのを見て、香取が叫んだ。すかさず駆け出した律の行く手を塞ごうと犬の化け物もまた床を蹴ったが、それは鋭い銃声によって遮られた。
「……こいつは俺が仕留める。形のある化け物なら、まだ俺にも戦いようがあるからな」
硝煙の立ち昇る銃口を怪物へ向けたまま、香取が言った。拳銃など、あの手の輩には役に立たない。そう言ったのは他でもない香取自身のはずだったのだが、しかし決して気休めを言っている風には見えなかった。
「よっしゃ、任せたで! ただ、やつの力は今までのガキともの比やないで! ヒグマかシロクマなみのパワー持っとるから、雄作ちゃんも気ぃつけや!」
縄鏢を構え、律もまた少年を追って行く。開け放たれたシャッターの向こう側、工場の裏手へと続く場所へ、彼女の影が消えて行く。
「さて……これで気兼ねなく戦うことができるな。氷川、寺沢、悪いが支援を頼む」
それだけ言って、香取は再び拳銃を構え、怪物に銃弾をお見舞いした。
この世の者ではない存在であれ、肉体がある以上は痛みも感じるのだろうか。身体に鉛玉を撃ち込まれて異形の巨犬が吠え、その瞳に怒りの色を滲ませて、香取へと狙いを定めて飛び掛かった。
「か、香取さん!」
慌てて拳銃を取り出し、構える準。しかし、頭では香取を助けねばならないと解っているのに、身体が思うように動かない。指先が震えて狙いが定まらないのは、無意識の内に、自分があの怪物を恐れているからだろうか。
「心配いりませんよ。あの程度の敵に殺されるほど、香取さんは柔な人じゃありませんから」
額に脂汗を浮かべている準の様子を見兼ねてか、氷川がさも当たり前のように言ってのけた。そんなことを言われても、あんな化け物にどうやって勝つのか。そう、準が抗議の言葉を述べようとしたところで、氷川は以前にも準に言ったことのある言葉を口にした。
「香取さんの異名、前にも教えましたよね? 彼は『よみがえりの香取』と呼ばれている男です」
「た、確かにそうですけど……でも、まさか本当に香取さんが、不死身だなんて言わないですよね? いくらなんでも、そんなの非常識過ぎますよ!」
「ええ、そうでしょうね。確かに、彼も肉体的には不死身ではありません。が、運よく……いえ、この場合は運悪くと言った方が正しいんでしょうか? とにかく、彼は死ぬような目に遭ったとしても、決して死ぬことがなかった人なんです」
より簡潔に述べるならば、彼は死なないのではなく『死ねなかった』のだ。そう言ってのける氷川だったが、準には彼の言っている意味が解らなかった。
人が死ぬのは当たり前のことだ。不死身というのも、存在するか否かは別として、言葉の定義としては解る。
では、死なないのではなく『死ねなかった』とはどういうことか。まさか、香取はその通り名の如く、死から見放された存在だとでも言うのだろうか。
「まだ、新人の君には教えていませんでしたね。ああ見えて、香取さんは昔、戦場で戦っていたことがあるそうですよ」
怪訝そうな顔をしている準に、氷川がさらりと流すようにして告げた。相変わらず、何の前置きもなく驚くべき事実を語る男である。もっとも、日常と非日常の狭間の世界を生きる彼にとっては、些細なことなのかもしれないが。
「せ、戦場って……。それじゃ、香取さんは自衛隊か何かに所属していたことが?」
「ええ、そうですね。ですが、あくまでフリーランスの軍事顧問です。それ以前にはどこかの外人部隊に所属していたようですし……その前は、湾岸戦争にも参加していたらしいですね。その頃は……確か、志願兵として米軍に所属していたみたいですけど」
そして、その時から何度も死ぬような目に遭った。だが、どれほど酷い爆発に巻き込まれようと、銃弾が身体を貫こうと、彼は決して楽に死ぬことを許されなかったと氷川は続けた。
生死の淵を幾度となく彷徨い、しかし必ず生きて帰ってくる。それがどれほど危険な戦場であったとしても。故に、傭兵時代の彼は『死神』の仇名で呼ばれていた。それほど多くの地獄を見て、数多の死を見て来た男なのだ。
よみがえりの香取。その異名の所以は、蘇った死者という意味ではない。どのような地獄に行こうとも、自らの魂が地獄に招かれそうになろうとも、黄泉平坂より舞い戻りし者。『黄泉帰りの香取』こそが、彼の異名。そして、それだけ多くの死線を彷徨うことで得た、圧倒的な戦闘の経験こそが彼の武器。
「なるほど……確かに恐ろしいスピードだ。が、動きは随分と単調だな」
唸りを上げて迫り来る敵の腕と爪。それらを容易く避けながら、香取は的確に銃弾を撃ち込んで行く。胸に、腹に、そして頭に。まともな生物であれば、全て急所となる場所に、寸分狂わぬ狙いを定め。
「す、凄い……。これが……香取さんの本気……」
以前、上野のキャバクラでチンピラ相手に見せたものとは違う戦い方に、準は思わず感嘆の声を漏らす。あの時は手加減をしていたが、今の香取は違う。一瞬でも気を抜けばやられると知って、本気で相手を殺しに行っている。
業を煮やした怪物が香取に飛びかかるが、それを香取は横跳びに避けた。怪物の巨体が古びた木箱に衝突し、腐った木片を撒き散らす。その隙に拳銃のマガジンを入れ替えると、香取は間髪入れずに新たな銃弾を敵の延髄付近に撃ち込んだ。
異形化しても、血管の位置は一部で共通しているのだろうか。首筋から大量の血を吹き出し、怪物がとうとう膝を突いた。
交番勤務の警察官が使っている小口径拳銃であれば耐えられたかもしれないが、香取の使用しているのは在日米軍でも使っている軍用弾。殺傷能力という点では、完全に日本の警察が使用するそれの規格を超えているのだ。
「行ける! これなら行けますよ!」
拳を握り締め、横を向く準。だが、彼が首を傾けたとき、そこに氷川の姿はなかった。
「あ、あれ……? 氷川さん、どこへ……」
先程まで一緒に話していたのに、彼はいったいどこへ消えたのか。神出鬼没なのは知っていたが、まるでキツネにつままれたようだ。
「さて……そろそろ仕留めんと、弾の残りが心許ないな」
慎重に残弾を数えつつ、香取が未だ闘志を消していない怪物へと狙いを定める。今までの戦いで、生き物の急所と思しき場所は全て貫いた。が、それでも敵は弱りこそすれ、決して倒れることはない。まともな生物の数倍の強さを持った魂が、肉体の限界を凌駕させているのだろうか。
「援護します、香取さん!」
自分も拳銃を取り出して、準は弱り切った怪物に発砲した。だが、悲しいことに練習以外で拳銃を撃ったことのない準の腕では、弾は怪物の身体を少し掠めただけだった。
「まったく……何をやっているんだ、寺沢」
呆れた様子で溜息を吐き、香取が最後の一発を放つ。今度の狙いは、敵の喉笛。心臓や腹と同じく、動物の急所とされる箇所の一つだ。
「ウ……ォォォォッ!!」
悲痛な叫びを上げて、とうとう地獄の番犬が地に倒れ伏した。全身の急所と思しき箇所を全て撃ち抜き、辛うじての勝利。しかし、決して苦戦と思わせない辺り、本気を出した香取の戦闘力もまた、怪物じみたものがあった。
何の仕掛けもない、ただ純粋な戦闘経験から来る強さ。それを使って、強引に霊的な力を持った怪物を始末する。氷川や律とは異なる方向で、やはり香取も常人を凌駕するものを持っていた。彼が零係に選ばれたのは、他でもない卓越した戦闘力と、数多の地獄を垣間見て培った不屈の心。
「終わったか……」
未だ銃口から煙を上げている拳銃をしまい、香取は改めて仕留めた怪物に目をやった。
血溜りの中に倒れている巨体。律の言葉から察するに、これもまた犬の魂を入れられた少年の一人だったのだろう。
動かなくなった怪物に、香取は無言のまま黙祷を捧げた。弱者の救済を謳いながら、その一方で自らの手駒として人の肉体と魂を弄ぶ。狂った少年の、狂った理論。それに魅入られてしまった不良達もまた、今回の事件の被害者であると知っていたから。