― 捌 ―
書類が山積みにされた机に脚を投げ出して、律は珍しく難しい顔をしながら紙資料の束に目を通していた。
「おや、どうしました? 印藤さんが、競馬新聞以外を読んでいるなんて……」
先程までパソコンと格闘していた氷川が、少しばかりの皮肉を込めて律に訊ねた。何時間も画面に向かい、キーボードを操作していたとは思えないほどに、疲れを感じさせることのない口調だった。
「雄作ちゃんから、例の現場で採取された毛のDNA鑑定結果をもろうたんや。まあ、予想の通りっちゃ予想の通りの結果やったけどね」
「それで、結果は?」
ともすれば愚痴に聞こえそうな言い方で告げる律とは反対に、氷川はどこまでも冷静だった。慣れていると言われれば、恐らくはそうなのだろう。
身体を丸めた姿勢のまま、律は椅子を回転させて氷川の方へと書類の束を突き出した。解る、解らないは関係なく、とりあえず目を通してみろといった様子で。
「結論から言うなら、『正体不明』や。ウチにも生物学の詳しいことは解らんけど……一見してヒトっぽい生き物に似とるっちゅう結果やけど、見ようによっては犬とも狼とも思えるっちゅう結果や」
要するに、地球上の生物に該当する存在はないということである。もっとも、相手が超常の存在であることを考えれば、これは何も珍しいことではないのだが。
日本全国に点在する河童や天狗といった妖怪のミイラ。あるいは、雪男のような未確認生物の腕や、得体の知れない海洋生物の死骸といった類のものと同じなのだろう。その大半はガセネタであり、何者かによって造られた紛い物か、もしくは何かの見間違いなのかもしれないが。
「なるほど……。さしずめ、現代に蘇った狼男といった感じですかね?」
「あるいは、新種のUMAって路線もありやろな。アメリカ辺りやったら、B級のタブロイド紙で紹介されそうなネタやで」
日本国内に限定するならば、売れない地方のスポーツ新聞が、ガセネタと判っていながら面白半分で取り上げそうな話といったところか。どちらにせよ、一般の警察組織であれば、証拠としては意味をなさないものとして処分してしまうような代物だ。
無論、それはあくまで一般の警察組織に限ってのこと。ここは零係。死霊を相手にする者たちにとっては、これでも十分に事件を紐解く鍵となる。
「こいつのおかげで、とりあえず犯人の正体に目星はついたで。あの映像にあった不良どもの馬鹿力も、ウチの仮説が正しければ簡単に説明できるわ」
「さすがですね、印藤さん。やはり、本物の力を持っている人の視点があるとないとでは、捜査の進め易さが違って来ますよ」
お世辞ではなく、これは氷川の本音だった。
同じ超常の存在を相手にする者として、氷川も向こう側の世界の存在に対しての知識がないわけではない。が、彼の仕事はあくまで情報の収集が主であり、本物の知識という点では律に一歩も二歩も劣る。
「それはそうと……氷川クンは、さっきからパソコンに張り付いてなにしとったん? ま~た、例の如く調べ物かいな?」
自分の言いたいことを先に言い尽くしてしまったからか、律は唐突に話を変えた。オンとオフの境目を曖昧にして働いている律からすれば、氷川のような仕事人間の方が、妖怪や幽霊などよりもよっぽど奇異な存在に映っていた。
「まあ、そんなところですね。とりあえず、例のサイトの書き込みから、書き込んだ者のIPアドレスを探ってみたんですよ。印藤さんなら判ると思いますけど……なかなか、興味深いデータが手に入りましたよ」
そう言って、今度は氷川がプリントアウトした書面を律に見せる番だった。コンピュータやインターネットに関する話など、自分が見ても解らない。そう言いたげな律だったが、手渡された紙に広がる文字の羅列を見た瞬間、急に重たい口調になって睨むような視線を氷川に向けた。
「……部落やね。間違いない」
いつもの律からは感じられない、影のある言い方だった。それ以上、彼女は何も言わなかったが、二つの瞳だけで氷川に言いたいことを伝えていた。
深夜、パトカーが襲われる際の動画を流し、あまつさえ人々を扇動するような書き込みを繰り返していた例の管理人が運営するサイト。そこに書き込んでいた者達もまた、奇妙な共通点が存在していたのだ。
「差別に関する内容を執拗に上げていたのも、これで説明がつきますね。そういった類の話に敏感な人達だからこそ、扇動しやすかったのかもしれません」
「そやけど、やっぱりどこか妙な感じもするけどな。そんなに差別と戦いたいんやったら、どこぞの人権団体にでも出入りすればいい話やで。それを、どう見ても不良みたいな連中集めて騒ぎ起こして……やっぱ、ウチにはネットに入り浸る連中の考えは解らんわ」
溜息と共に、律は受け取った紙面を氷川に付き返す。淡々と語る氷川とは反対に、未だ納得の行かない部分もあるようだ。
部落差別。戦前より続く日本の闇の一部を、律とて知らないわけではない。それこそ、主に西日本を中心に活動している彼女にしてみれば、それは常に社会の影の部分として、目を逸らしてはならない問題であった。
書き込みをしていた者達は、部落と呼ばれる場所の出身者である可能性が高い。もしくは、そういった街に住んでいる者ということだろう。それならば、彼らが差別のために立ち上がったという話も頷ける。
だが、実際にサイトに集まっているのは、書き込まれた文面から判断する限りは、決して崇高な目的を持って集まった者達ではなさそうだった。それこそ、あの映像で暴れていた不良達と寸分変わらないような、乱暴な言い回しでの書き込みが多かった。
言葉では差別の撤廃を謳いながら、その実態は不良を煽り、焚き付けるような行動を繰り返しているだけ。例の襲撃事件を取ってみても、その動機と行動があまりに合致しない。
用意周到な計画性と、安易な感情に任せた幼児性。そのどちらもが、同じ場所に混在しているような印象を受けた。探れば探るほど、真相に近づけたと思った矢先に新たな疑問が湧いて来る。幽霊の尻尾さえ掴めるはずの零係が、これだけ色々な側面から調べているにも関わらず、相手の目的が掴めない。
「まったく……人間っちゅうんは、ホンマに厄介なもんやね。こんなんやったら、狐か狸の霊でも相手にしてる方が、よっぽど気が楽やで」
事件の裏には、生きた人間の存在がある。その場合、普通に幽霊を相手に暴れるよりも、面倒な話になることの方が多い。
できることなら、満月を待たずに敵が動いてくれると助かるのだが。ふと、律がそんなことを考えた矢先に、部屋の電話がけたたましい音を立てて鳴り響いた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
夜の上野を彩るネオンサインは、今宵も変わらず鮮やかだった。
今、この瞬間にも、多くの人が街の裏で泣いているかもしれない。が、しかし、そんな影の部分を映し出すことは決してなく、夜の街は夢と快楽を届ける表の顔を、精一杯に演じている。
街中をすれ違う若者達の他愛ない話を横耳に、準は香取と共に艶やかなネオンの輝く店の前へとやって来ていた。
キャバクラ、『Pinky・Dream』。以前、二人が捜査の一環として潜入を試みたものの、ぼったくりに遭って揉め事を起こし、吹っ掛けて来たオーナーとチンピラを香取が叩きのめした店だ。
正直、準としては、あまり近づきたくない場所だった。あんな騒ぎを起こしてしまって、却って睨まれたりしないだろうか。そんな不安があったのだが、香取からは「心配ない」との話しか聞かされていなかった。
あの後、香取が店に何をしたのか、準は知る由もない。だが、以前は違法な客引きがいたにも関わらず、今夜に限ってその姿も見えない。恐る恐る店の入り口をくぐると、現れたのは以前に二人に吹っ掛けてきたのとは異なる男が顔を出した。
「いらっしゃいませ!」
開口一番、男は準と香取に深々と頭を下げて挨拶をした。髪を短く切り揃え、いかにも好青年といった雰囲気を纏っている。なんというか、以前に店を任されていた男とは、随分と印象が違う。それこそ、こんな店で働いているのが場違いなくらい、人当たりが良く気さくな感じの青年だった。
「なるほど。今度のやつは、よく教育されているようだな」
なにやら納得した様子で香取が呟いたが、準にはその意味が解らなかった。だが、そんな準の様子などお構いなしに、香取は続けて凄むような口調で青年に尋ねた。
「おい、お前がここの店の新しいオーナーか?」
「はい、そうですけど……」
「そうか……。それならば、後藤という男の知り合いだと言えば、少しは融通を利かせてくれるんだろうな?」
「ご、後藤さんの、お知り合いの方で!? こ、これは失礼しました!!」
突然、青年が先程よりも深く頭を下げると、妙に緊張した様子で二人を案内し始めた。いったい、これはどういうことか。呆気に取られる準だったが、しかし香取は何の説明をすることもなく、ぶっきらぼうな感じで準に告げた。
「行くぞ……」
それだけ言って、後は振り返ることさえしない。置いて行かれては拙いと、準はあわてて追い掛ける。やはりというか、自分はこういった店に出入りするのは、どうにも向いていないと痛感させられる。
客とキャバ嬢達の笑い声が飛び交う店内に足を踏み入れ、準は香取と共に、案内されるがままに席へと着いた。リラックスできるよう設けられたソファータイプの座席。しかし、今の準には零係の部屋に用意されているパイプ椅子の方が、よほど座り心地よく感じられた。
ふと、隣に座っている香取を見ると、萎縮する準とは反対に手慣れた様子で先の青年と言葉を交わしている。青年が去ってしばらくすると、二人の前には煌びやかな衣装を身に纏った女が姿を見せた。
「あ~! お兄さん達、また来てくれたんだ~♪」
作りものめいた営業スマイルと、幼さの残る甲高い笑い声。以前、この店を訪れたときに接客してもらった、ゆかりというキャバ嬢だった。
「あ、あの……。この度は、ご指名頂き、ありがとうございます……」
そんなゆかりの横で深々と頭を下げているのは、同じく以前にこの店で香取と準の接客をした、あさみという源氏名の女だった。
もっとも、あの時はあくまでヘルプとして入っただけであり、そこまで色々としてもらったわけではない。恐らく、あまり指名も貰えたことがないのだろう。こういった店のことに詳しくない準でさえも、あさみの緊張は手に取るようにして解った。
(きっと、失礼なことして、次に繋げられなくなると困るからなんだろうな……)
あさみの纏っている雰囲気から、準はなんとなく、そんなことを考えた。華やかに見える夜の世界の裏側は、しかし互いにしのぎを削る戦場でもある。ましてや、今夜は彼女だけでなく、他の嬢の手前でもあるのだ。下手なことをして、それこそゆかりにまで迷惑を掛けることになってしまったら、彼女は一気に店の中での居場所を失ってしまうのだろう。
「そういえば~、お兄さんってお酒弱かったんだよね~? 今日は、あんまり無理しないで、強くないの頼まなくちゃ駄目だよ~♪」
準の隣に着いたゆかりが、テーブルに置いてあったメニューを片手に言った。髪の毛と胸元から甘い香りが漂い鼻を刺激したが、準はあまり好きな臭いだと思えなかった。
「お前はシャンパンでも頼んでおけ。その分、金は俺の方からはずんでやる」
ゆかりに手招きし、香取は準が聞いたこともない銘柄の酒を頼んだ。なんだか知らないが、とても高そうだ。手を叩いて喜んでいるゆかりと、どうにも恐縮しているようなあさみの姿が対象的だった。
「それじゃ、お兄さん達とまた会えたことに、かんぱ~い!!」
完全に有頂天になったゆかりが、香取と共に何かを談笑している。その間、準はあさみの相手をすることになったが、どうにも話が進まない。
当たり障りのない会話を、虚実要り混ぜつつ話すので精一杯だ。だが、準とて遊びでこの店に来たのではないということぐらいは知っている。流れから仕方なくゆかりを指名したものの、香取の本命が他でもないあさみであるということも。
変死した韓国人留学生、金週美と繋がりのある人間は、このあさみを除いて他にいない。だからこそ、彼女との接点をより密にし、何かを掴まねばならないのだ。
こちらは警察なのだから、普通であれば無償で協力させるのが筋なのだろう。しかし、相手は存在そのものがグレーな世界の住人な上に、こちらも合法と非合法の狭間で仕事をするような影の警察。囮捜査や潜入捜査紛いの方法でなければ、超常現象の絡んだ事件を負うことなどできはしないといったところか。
「お客さん……もしかして、退屈ですか? わたし、あんまり面白いこと言えなくて、ごめんなさい」
ゆかりと比べて話がはずんでいないのを察し、あさみが申し訳なさそうな表情を浮かべて言った。色々と考え事をしていた矢先に声をかけられ、準は慌てて口に含んでいた酒を飲み干し……案の定、豪快にむせ返った。
「きゃぁっ! もう! お兄さん、粗相は駄目って言ったのに!!」
酒を吐き出しこそしなかったものの、最初に出会った際のことが頭に残っていたからだろう。ゆかりが本気で憤慨し、あさみが準の背中をさすっている。半ば呆れたような香取の視線が突き刺さるのが痛かったが、この場合は仕方がなかった。
「いや、ホント、すいません……。ちょっと、考え事してて……」
「考え事? やっぱり、わたしの話、面白くなかった、ですか?」
「そ、そうじゃないよ! ほら……その……あさみさん、綺麗だから、こっちも緊張しちゃって!!」
あまりに取ってつけたような嘘に、準自身、背中が寒くなるのを感じていた。
このままでは、潜入捜査そのものが失敗する。やはり、自分は着いて来るべきではなかったのではないか。ふと、そんな考えが準の頭をよぎったが、果たして彼がその答えを出すよりも先に、香取の携帯電話がけたたましく鳴り響いた。
「……ん? ああ、俺だ。……そうか、解った。今すぐそちらに向かう」
先程まで、ゆかりと話していた口調とは打って変わって、香取は仕事で見せる重々しいトーンの声で電話に答えた。話の内容までは解らなかったが、少なくとも何か拙いことが起きているのは雰囲気から察することができた。
「悪いが、急用が入った。俺は少し席を外すが、その間のことは頼んだぞ」
それだけ言って、香取は財布を準に押し付け立ち上がった。手に取ってみると、随分と思い、あの日と同じように、また札束でも大量に入れているのだろうか。
「えぇっ!? きゅ、急用って……」
手渡された財布と香取の顔を見比べながら、準は急に心細くなって助け舟を求めるような表情になった。
香取が一緒ならともかく、こんな場所に自分だけ残されて、本当に大丈夫なのだろうか。なにしろ、この店では一度、既にぼったくりの被害に遭い掛けたのだ。そんな場所に再び訪れようというのも酔狂なものだが、しかし今はそれどころではない。
「財布はお前に預けておく。どうしても足りなかったら、カードを使っても構わん」
「ちょっ……! ま、待ってくださいよ、香取さん!」
慌てて追い縋ろうとする準だったが、香取は素早く席を立つと、先程の青年を呼びつけて自分の分の支払いだけを済ませてしまった。どうやら、準に預けたのとは別に、また他の財布も持っていたらしい。
(ま、拙いぞ、これは……。香取さんがいないのに、僕だけで何を話したら……)
頼れる相手がいなくなり、準の背中に冷や汗が走った。だが、それは天の助けだったのだろうか。他の客から指名を受けて、ゆかりが早々に席を外したのだ。
「と、いうわけで~、ちょっと席を外させてもらいま~す♪ あさみちゃんは、お兄さんのことお願いね~♪」
指名料も、先に香取が払った分に含まれていたのだろう。自分を指名した客が帰り、別の客から指名を受けたとあれば、ゆかりにとって準と話を続ける義理もない。
金の切れ目が縁の切れ目。なんともドライな夜の世界の掟だが、今回ばかりはそれに救われたということだろうか。今、目の前には、あの金周美と繋がりのありそうな女が一人。ここで何らかのパイプを作っておかねば、この場を任された準としても香取に対して申し訳が立たない。
「えっと……。そ、それじゃ、改めて……」
邪魔者がいなくなったところで、準は気を取り直し、あさみとの会話を続けることにした。だが、いざ何かを話そうとすると、これといって思い付かないから困る。
「あの……お客さん、お仕事は何をされて……」
「えっ!? いや……それは……」
突然、あさみから尋ねられ、準は慌てて視線を逸らした。会話を香取に任せきりにしており、後は適当に休日の過ごし方くらいしか話していなかったのが災いした。
そういえば、初めてここに来た時には、普通のサラリーマンと答えた気がする。が、その時にあさみはいなかった。恐らく、ゆかりからも詳しい話など聞いていないに違いない。
(ここでサラリーマンって答えてもいいけど……そうすると、またボロが出そうだし……)
自分の仕事は幽霊を相手に捜査する警察官だ。そんなことは、口が裂けても言えはしない。サラリーマンを装うにしても、そもそも警察組織の中でしか働いたことのない準は、当然のことながらサラリーマンの仕事など知らない。せいぜい、漫画やテレビドラマで見たイメージが少しあるくらいで、やれ営業だ、何だと言った話になれば、確実に不自然さが隠し切れなくなるのは以前の経験から予測済みだった。
「じ、実は……」
周りの様子を窺うようにして、準は口元に小指を立てながら小声で言った。頭の中に浮かんだのは、少々突飛な作戦だったが、こうなれば仕方がない。
「前、この店に来た時はサラリーマンって言ったけど……こう見えても、僕と香取さんは探偵なんだ」
「た、探偵さん……ですか?」
「ああ、そうだよ。詳しくは離せないけど、浮気調査の関係で色々と動いていてね。あ、でも、安心して。このお店の子が誰かと浮気しているとか、そういった話じゃないから」
先程まで口にしていたシャンパンが、良い具合に回って来たからだろうか。自分でも信じられないくらい、準は実に饒舌に話を作り、あさみに語って聞かせていた。何らかの事件を捜査するという点では、警察も探偵も似たようなものだ。そんな考えも、彼の嘘を真実めいたものにさせるのに、一役買っていたのかもしれない。
「探偵さん……なんだか、凄いお仕事ですね。テレビとか映画だと、人殺しとか泥棒を追い掛けていますけど……」
準の話に、あさみが身を乗り出しながら返して来た。キャバ嬢特有の営業トークかとも思ったが、どうにも目の色が違う。憧れと期待。どことなく、それらが入り混じったものを感じさせる視線だった。
「いや、あれはテレビの話だからね。本当は迷子の犬とか猫とか、後は浮気の調査とか……そういう仕事が殆どなんだよ」
「そう、ですか……。それじゃ、犬や猫じゃなくて、人間を探すことはやってるんですか?」
「人間? まあ、迷子とか徘徊老人なんかは、たまに探すこともあるけど……」
自分が生活安全課にいた頃のことを思い出し、準は適当に付け加えた。我ながら、随分と上手い嘘を吐いたものだと感心する。少なくとも、人探しという点に限ってみれば、自分が以前にいた部署の仕事も私立探偵の仕事も、世間から見れば大差がないのが救いだった。
「一応、今はオフだからね。それでも……もし、よかったら、簡単な話だけでも聞かせてくれないかな? あ、相談だけなら、お金は取らないから安心して」
どこか切羽詰った様子をあさみから感じ取り、準は彼女へ優しく言い聞かせるようにして語り掛けた。この辺りも、前の部署の仕事で学んだことだ。市民の生活と結び付きの強い部署だっただけに、一般人への接し方というのも最低限は心得ていた。
「ありがとうごさいます。実は……」
瞬間、準の言葉を聞いたあさみの顔に光が射した。いったい、彼女は何を言い出すのだろう。気が付けば身構えていた準に向かい、あさみは一呼吸だけ置いて胸元に手を置くと、真剣な眼差しで準の方を向いて言った。
「友達を……探して欲しいんです……」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
深夜の住宅街は、一転して警察と野次馬が入り混じった、異様な空間と化していた。
赤色灯の光が周囲を照らし、血の様な色に染めている。地元警察が付近の野次馬を帰らせるのを横目に、律と氷川は目の前にある破壊された車両へと目をやった。
江戸川の河川敷で起きた警察官の殺害事件を発端とした襲撃事件。それと同じようなものが、再び起きてしまったのだ。捜査員から連絡を受け、現場に到着した律と氷川の二人が見たものは、無残にもフロントガラスを割られたミニパトだった。
「やれやれ……。前にパトカーブッ壊したばっかりやっちゅうのに、ま~た同じようにブッ壊しよって。国民の血税、なんやと思っとるねん!」
自分の勤務態度を棚に上げ、律が憤慨した様子で口にした。中に乗っていたのは婦警らしいが、無線を受けて応援の警察官が現れた時には、既に姿を消していたらしい。
「深夜のパトロール帰りに、襲われたということでしょうか? 詳しくは、車内の記録を見てみないと何とも言えませんけど……」
割れたフロントガラスの痛々しさに軽く顔を背け、氷川が車両の中を覗き込んだ。内部はそれほど荒らされてはいなかったが、婦警達が抵抗したであろう痕跡は微かに見受けることができた。また、フロント部だけでなくドアのガラスまでも破られており、そこから手を突っ込んでドアを中から強引に開けられた形跡もあった。
「現場に残ってたのは、この車と婦警の履いてたっぽい靴の片割れだけって話やね。警官殺人の次は、婦警の誘拐……。このままやと、日本警察の威信に関わるで、ホンマ」
「他人事のように言わないで下さい。そうなったら、事態は我々だけでどうにかできる話ではなくなります。それこそ、下手をすればこちらの存続さえ危うくなるんですよ」
普段から冷静な氷川にしては珍しく、その日に限っては少々厳しい口調で律を嗜めた。
零係の仕事は、超常現象の絡んだ事件を世間の目から隔離すること。だが、今回の騒ぎは既に大事になり過ぎた。公に向けては色々と情報操作をする余地は残っているものの、こう立て続けに警察を手玉に取るような事件が相次いでは、今度は身内を抑えることができなくなる。
例のサイトの管理人、Rと名乗る人物が予告した決起の日は明日。今回の襲撃で婦警を殺さず誘拐したのは、満月に合わせて彼らが何かを起こそうとしているのと関係があるのだろうか。
ふと、夜空を見上げてみても、月は雲に隠れて見えなかった。生暖かい風が通りを吹き抜ける中、なんともいえない嫌な感じが零係の者達の胸中に渦巻いていた。