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― 弐 ―

 無機的な白い光を放つ蛍光灯の下で、香取は氷川と共に、改めて金周美に関する調査の結果に目を通していた。


「こちらで調べたところ、金周美を始めとした複数名の留学生が、学費を稼ぐために水商売をしていたことが判っています。客の隣に着いて接待をするだけの、いわゆるキャバクラですね。ただ……最近になって、彼女は勤めていた店を辞めてしまったようですが」


 最後の方は少しだけ言葉を濁し、氷川が言った。学費の工面に四苦八苦して、夜の店で稼ぐことを選んだ周美。その選択を批判こそしないが、しかし、では彼女が店を辞めた理由はなんだろうか。


 仕事が辛かった。一般的に考えれば、そんな答えが思い浮かぶだろう。客に見せている華やかな姿とは違い、夜の世界は夜の世界で、皆が互いに鎬を削って争っている。どれだけ高級な店に勤めたところで、固定客が付かねば稼げない。そういう意味では、ホストやキャバクラ嬢といった者達も、決してボロ儲けをしているわけではないのだ。


 周美が店を辞めた本当の理由。それが、より稼げる仕事を探してのことだったら。その場にいた者達の間で、そんな想像が頭を掠めた。


 ホテルで死んでいたことからして、恐らくそれは間違いない。目先の金に目がくらみ、危険な世界に足を踏み入れてしまったのだろうか。だが、彼女の行動を容易に糾弾できるだけの何かがない以上、香取も氷川も複雑な気持ちだった。


 東京は、眠らない街と言われている。しかし、その名に反して、ネオンサインの輝く繁華街の影で蠢く闇は、時に夜の帳よりも深く、暗い。それは時に、人の願いも欲望も全て絡め取るように飲み込んで、理不尽な運命を強要する。


 言い表しようのない嫌悪感を抱きながら、それでも香取は軽く咳払いして話を続けた。感傷的になるのはプロではない。今まで多くの事件を扱ってきた彼の経験が、そういう考えに至らせていた。


「俺は、これから新しいミイラが発見された現場を再調査する。その後は、生前の金周美と関係があった者について、調べるつもりだが……」


 そこまで言って、香取は軽く準の方を見やった。鷹のように鋭い眼光を向けられて、準は思わず自分が何か失敗をしたのかと不安になり小さくなった。


「捜査には、こいつも連れて行く。俺と違って、向こう側の世界・・・・・・・の住人が見えるやつだ。何か、役に立つことがあるかもしれん」


「えぇっ! で、でも……それだったら、僕なんかよりも印藤さんの方が……」


 唐突に指名され、準が両目を丸くして叫んだ。


 確かに、自分は向こう側の世界・・・・・・・の住人……俗に幽霊と呼ばれる存在が見えることもある。だが、それがどうしたというのだ。アニメや漫画の主人公のように、何か特別な力があるわけでもないし、オカルト番組に出演している霊能力者のように、任意で霊の存在を感知できるわけでもない。


 普通に生きている者達よりも、ほんの少しだけ霊感がある。その程度の力だと、準は思っていた。もっとも、そんな微かな力であっても、人材不足の零係にとっては、決して手放せる存在ではないのも事実だったが。


「そう、固くなるな。それに、お前も新人として、零係の仕事について色々と知っておく方がいい」


 これはあくまで経験だ。それだけ言って、香取は直ぐに準から目を逸らし、再び氷川に向き直った。余計な問答をするつもりはない。ただ、今は黙ってついて来いと、無言のまま背中で語っていた。


「さて……それはそうと、今回はお前達にも働いてもらうぞ。丁度、別件で厄介な事案が飛び込んで来たからな」


 本題はこれからだと言わんばかりに、香取は氷川と、それから未だ競馬新聞から目を離さない律に向かって言った。特に、話半分で聞いていた律を戒めるように、『お前達』の部分を強調して。


「今朝、江戸川区の河川敷で、警察官と思しき人間の遺体が発見された。名前は秋元勝。昨晩、深夜の警邏に出てから行方不明になっていた男だ」


 一瞬、その場の空気が今まで以上に重たくなった。先程まで興味なさ気にしていた律でさえ、新聞のページをめくる指先を止めて顔を上げた。


「警邏に出てから行方不明って……勤務態度不良っちゅうわけでもなさそうやね」


「お前と一緒にするな。亡くなった秋元巡査は、模範的な交番勤務の警察官だ」


「へいへい、どーせウチは、今も昔も札付きのワルやからね」


 香取の言葉に、律が不貞腐れた様子で言った。まあ、昔はどうだか知らないが、今の彼女の勤務態度から考えて、決して否定できないのが悲しいが。


「そう、腐るな。お前には、その秋元巡査の遺体について、俺や寺沢とは別に調べてもらいたい。鑑識に派遣している捜査員からの話だと、普通の死に方ではなかったそうだからな」


 そちらの我儘に付き合っている暇はないと、香取はバッサリと切り捨てるように律へと告げる。だが、さすがにこれは、律も驚いたのだろうか。椅子の上で丸めていた身体を伸ばし、香取に食ってかかった。


「ちょぉ待ちぃや! そっちの新人君ならまだしも、なんでウチが死体の調査なんかせなあかんねん!」


 自分の仕事は、あくまで事件の大元を『検挙』し、封じること。通常の捜査など、末端の捜査員か新入りにでもやらせればいい。そう言って譲らない律だったが、しかし香取は取り合わない。


「これは命令だ。それに、発見された秋元巡査の遺体は、普通では考えられない状態だったようだからな」


 事もなさげに言いつつ、香取は律に二枚の写真を押し付けた。零係の捜査員を兼ねる、所轄の刑事や監察官から手に入れたものだろう。一枚目には首があらぬ方向へ曲がった男の姿が写っており、もう一枚には、これは警官が使う警棒だろうか。アルミ合金性のそれは酷く歪み、恐るべき力で強引に捻じ曲げられたことを物語っていた。


「遺体の発見現場から、数キロ離れた先にある橋の上で発見された物だ。近くには、秋元巡査の使っていた自転車も乗り捨てられていた」


 状況からして、この警棒が秋元巡査の物に間違いはない。そして、恐らく彼は、警棒を捻じ曲げた何者かによって殺されたのだろう。不自然に曲がった首元が、嫌でもそれを物語っていた。


 およそ、人間の仕業とは思えない。警棒の状態と写真から判る秋元の状態を考えれば、ヒグマかゴリラにでも襲われたと考えるのが妥当だろう。もっとも、この大都会で野生のヒグマやゴリラに襲われることがあれば、それはそれで十分に異常な事態なのだが。


「俺達にとって、事件性のありそうな不審死だ。調べない訳にもいかんだろう」


 拒否権はない。それだけ言って、香取は帽子を被り直し、それから氷川に数件の身元調査や身辺調査を頼んで部屋を出た。西日暮里で発見されたミイラの物と、それから先の秋元巡査の物と、両方だ。


「……ったく、雄作ちゃんも、ホンマ人使い荒いわ。そもそも、ウチがここに残っちょるん理由も、元々はミイラ事件の捜査に協力するためっちゅう話やったのに……」


 律がぼやく。だが、それでも仕事は仕事だ。自分の本領を発揮できないのは面白くないが、人手不足なのだから仕方がない。


 ジャケットを乱暴に羽織って、律は溜息交じりに部屋を出た。そんな彼女の背中を、準は独り、蚊帳の外にいるような気持ちで眺めていた。


 この部署にとっての常識が、未だ自分にとっては非常識であるという事実。そんな空気を、なんとなくだが肌で感じてしまっていた。


「さあ、俺達も行くぞ。資料を片付けたら、さっさと支度をしろ」


「……は、はいっ! た、ただいま……うわぁっ!?」


 突然、後ろから香取に言われて、準は一気に現実へと引き戻された。だが、それが災いしたのだろうか。側に置いてあった資料の山を崩してしまい、慌てて拾い集める羽目になってしまった。


「す、すみません! 直ぐに片付けて追い掛けますんで、香取さんは先に……」


 そこまで言って、顔を上げた準は言葉を続けることができなかった。


 香取がいない。どうやら、こちらを待つこともなく、先に出て行ってしまったらしい。


「やれやれ……。ここは片付けておきますから、早く追い掛けた方がいいですよ。香取さんの性格だと、本当に置いて行かれ兼ねませんから」


 再び慌てる準の後ろで、大きな溜息が聞こえた。まったくもって、見ていられない。そう言わんばかりの苦笑を浮かべ、氷川が部屋の隅に散った資料を拾い集めていた。


「それじゃ、お願いします! なんか、ちょっと申し訳ないですけど……」


 軽く頭を下げ、準もまた香取の後を追う。だが、重たい金属扉に手を掛けたところで、ふと思い立ったように足を止めて氷川に尋ねた。


「そういえば……香取さんって、なんで零係に所属しているんですか? 見たところ、印藤さんみたいな霊能力とか持ってなさそうですけど……」


「香取さんが、零係に所属している理由ですか? まあ、その内に解ると思いますよ。もっとも、できればそんな状況が訪れることが、ないように願いたいですけどね」


 眼鏡の位置を直しつつ、氷川が微笑を浮かべた。先の苦笑とは異なる、何やら随分と含みのある笑みだ。


「ああ、それとですね」


 付け加えるようにして、氷川が続ける。微笑はいつしか、悪戯好きの少年が、友人に謎掛けをするような時のそれに変わっている。


「香取さんは、上の人間からは『よみがえり・・・・・の香取』と呼ばれているんですよ」


「よ、よみがえり!? それって……まさか、香取さんが既に死んでいるってことじゃ……」


 一瞬、あまりに常軌を逸した考えが頭を過り、準は思わず大声を出してしまった。発せられた声が空気を震わせ、同時に準の背を冷たい何かが走って抜けた。


 あの香取にも、やはりというか通り名のようなものがあったのだ。が、それにしても、まさかそれが『よみがえり』とは。


 電影の氷川。呪縛師の律。二人とも、その名に違わぬ能力の持ち主である。己の気配を消すことに特化し、同時にコンピュータの知識と技術に長けた氷川の能力は、まさしく『電影』と呼ばれるに相応しい。律にしても、相手を『封じる』ということに特化した霊能力を持っており、彼女曰く、『浪速の呪縛師は伊達ではない』そうだ。


 では、それならば、香取の二つ名である『よみがえり』とは何だろう。まさか、本当に彼は地獄の底から蘇った不死者であり、その正体はゾンビか吸血鬼だとでも言うつもりだろうか。


 在り得ない話ではない。機械的に、淡々の任務をこなす非情プロ。そんな香取の姿と伝説の不死者の姿が、準の頭の中で重なった。もしかすると、彼は銃弾で身体をハチの巣にされても平気なのではないか。そんな荒唐無稽な考えが、頭の中で浮かんでは消えて行く。


「あ、あの……氷川さん? 香取さんって、ちゃんと生きた人間ですよね?」


 自分でも下らない、馬鹿馬鹿しい考えだとは思う。それでも準は、震える声を抑えて氷川に尋ねた。この零係において不死者など珍しくもない。そんな答えが返ってきたらどうしようかと、思わず身構えていたのだが。


「残念ですけど、これ以上は問答をしている時間もないと思いますよ? 早く行かないと……本当に、香取さんに置いて行かれても知りませんけど……」


 氷川の言葉に、準はハッとした様子で顔を上げた。


 そうだ。自分は香取に呼ばれ、西日暮里で起きたらしい、変死事件の調査に同行せねばならないのだった。


 余計なことを考えている場合ではない。氷川の言葉が冗談でなければ、今度こそ本当に置いて行かれる。


「あ、ありがとうございました、氷川さん! それじゃ……お話の続きは、またいずれ!!」


 扉を開け放ち、駆け出す準。だが……直ぐに靴紐が解け、それを片方の足で踏んだところで、螺旋階段を前にして豪快に転倒した。

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