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追憶のエスカトロジー

作者: 夏野陽炎

 僕の意識は、唐突にこの地に引き戻されたのだと、そう自覚できた。なぜそんなあり得ない事象を認識できたのか、その理由もまた不思議なことに認識できたのだ。意識はさっきまで見ていた夢を辿るように曖昧であったものの、しっかりとした記憶の一部という形を守っていた。

「僕がここに居るということは、君の意思によるものなんだね」

 『彼女』は然りと頷いた。

 この街の景色を見たのは初めてではない。ここは以前、遥か彼方の時代に存在していた土地だ。そして自分もまた、かつてこの地に訪れた時の自分の姿であるが、その中身である僕の意識は、これまでの全ての輪廻の記憶を持ち、ありとあらゆる過去の真実を把握していた。

 それはつまり、あの時の僕でありながら、それ以降の『僕』の記憶を引き継ぎ、時間を逆流して戻ってきたということである。

「ここは、あなたが以前に最期を迎えた地。そして、最期を迎えた日」

「ああ、知っているとも。ちゃんと覚えているんだ」

 生まれた時から闇と抗うための『力』を持ち、最期まで闇と戦ってきたことも、未知の惑星との戦争に身を投じていた記憶も、地球と偽られた月の最果てで過ごしてきた日々も、『僕』という存在にまつわる全ての輪廻の趣味を覚えている。そして、僕の存在の起源たるこの場所、この日にかつての『僕』が召喚されたのは、それらの運命を断ち切り、悲しみの連鎖を終わらせるためなのだろう。

 僕の正面には、腰まで伸びた綺麗な銀髪の少女が佇んでいる。彼女の艶やかな髪は、金色の黄昏空によく反射していた。彼女こそが僕をここまで導いた存在だ。彼女は月で過ごしていた時に出会った姿の、そのままの姿だった。僕が知る二つの彼女のうちの一つに間違いない。

「あなたがここにいるのは、全て私の意思だけによるものじゃないわ。私の召喚に応じたということは、あなたの願望も混じっているのだから」

「いや、その通りだろう。僕はきっと全てをやり直したかった。いや……書き換えたかったのかもしれない。輪廻の深淵で、ずっとそれを望んでいたんだろう。『無かったこと』にするために」

 そう言うと、彼女はふわりとほほ笑んだ。

 その笑顔は、月で出会った時と変わらないものだった。

 全ては『一度目の僕』の『力』が及ばず、人の心の闇が人類を飲み込んでしまったことが原因だった。人の心の具現化という、なぜそのような現象が起こるのか、それは不明であったものの、その時の僕は幼少期から闇に抗うための『力』を与えられていた。

だが、僕の『力』だけでは地球上にある全ての闇を祓い、人類を救済することは不可能で、人の心の闇の究極である黄昏を呼んでしまったのだ。僕自身も戦いに敗北し、その時に死んでしまった。

 その後世界を覆い尽くした心の闇は、人類と地球にとって壊滅的な被害を与えた。それは人類のほとんどを死滅に追い込むほどの脅威であり、残された人類は飢餓と困窮に瀕し、資源と食糧を求めてなけなしの資源をかすかな希望に投資した。人類は地球を離れ、新天地を目指したのだ。

 そして人類は長い旅の果てに、ようやく新たな惑星を発見した。地球によく似た惑星で酸素も水もある。緑も多い。移住だとて準備さえ整えば不可能ではなかった。人類は歓喜した。だが惑星には先住民がいたのだ。人類とよく似た姿を持っていながら、人類を凌駕する存在。それは『超人類』と呼ばれた者たちだった。超人類は普段の見た目こそ僕ら人類となんら変わりないが、もう一つの姿を持っている。姿を変化させることで体格が数倍にも巨大化し、それに伴った強靭な肉体を持っているのだ。それだけではない。超人類側の兵器は、本来超人類に向けて作られたものであった故、人類に対しては強力すぎる威力を持っていた。

 人類側は超人類側に助けを乞うたが交渉は決裂、これに対し人類側の強硬派は無謀にも超人類側に宣戦布告した。しかしもともと壊滅的被害に遭っていた人類側の敗北は、この時から約束されていたと言っても過言ではない。また超人類側の圧倒的な戦力、そして貧弱な人類の兵器は、彼らにとってあまり有効なものではなかった。

 『二度目の僕』はその戦争に人類側の兵士として従事していたが、よもや人類に余力など残されていなかったのを覚えている。

 僕は戦争の中で超人類側にいた『一度目の彼女』を助けたことが、仲間に反逆と受け取られてしまい、銃殺されてしまった。

 『三度目の僕』はもはや地球にはいなかった。僕はずっと自分のいた場所を地球だと思い込んでいたが、『二度目の彼女』がその常識を覆した。月の女神へと昇格した彼女から、人類が月に移住した真実を告げられたのだ。

 それは『二度目の僕』の時代に、災厄に見舞われ、超人類との戦争に敗北し、人類の住めなくなった環境になった地球から人類が離れ、月へと移住するしかなかった。それを知った僕の意識は同時に記憶を呼び起こされ、この地に溶けて召喚されたのだ。そして同時に、眠っていたままのこれまでの輪廻の記憶を取り戻した。

 そんな稀有な魂の呪縛に張り付けられたのも、あの日の敗北が招き起こした結果だ。そして月の女神たる彼女の力を借りて、『一度目の僕』として、今までの記憶を引き継ぎ、再びこの地に舞い戻った。

 黄昏の空広がる、終焉の大地に。

「正直に言って。勝算はあるの?」

「判らない。以前の『一度目の僕』は圧倒的な闇の前に負けたから。でも輪廻を繋いできたことで、僕の『力』は以前よりも上がっているだろう」

 ただそれは確証のないものだった。そういった実感があるだけで、もしかすると『力』が以前よりも劣っているのかもしれない。したがって再びこの黄昏、すなわち人の心の闇の究極に挑むというのは、蛮行に等しいものなのだ。

「闇に抗うのは何もあなた一人だけじゃないわ」

「まさか、君も戦うつもりで……?」

「ええ、当然。そのために私もまたこの時間、この場所に降りたんだから」

 彼女は空を見上げた。既に最後の時は近い。このまま時が進めば、終焉の鐘が鳴り始め、再び同じ出来事を繰り返すことになるだろう。

「訊きたいことがあるんだ」

「何かしら?」

「どうして君まで加担するんだい。こう言ってはなんだが、君にとって人類が終わることなんて関係ないことだろう」

「そうね、私は本来超人類側の者であるし、月の女神に昇格したからと言って、人類に加担する必要もないわ」

「だったらどうして、こんなリスクの高いことに……。それに、今ここで一度人類が滅びても、やがてサイクルが巡って再び人類が現れる。人類と言う概念そのものが滅びるわけじゃないんだ」

 ただし、いつか来る人類に今ここにある闇が、多少でも残されるのは確かだ。それでも、人類が完全に復興を失うと言うわけではない。星が歴史を紡ぎ続ける限り、真にあらゆる命が絶えるということはないのだ。

「あなたの魂を縛り付けるこの永遠の呪いから、解き放つためよ」

「――それは……」

 答えられなかった。彼女は見事に的を射ていたのだから。

 どれだけの月日が過ぎ、輪廻転生を繰り返しても、『僕』という存在に闇に勝てなかったと言う結果が、魂に記憶を刻み続ける。闇に飲まれた時に浴びた呪いが、僕は記憶を引き継いだまま永遠の輪廻を繰り返させる。だから、本当の意味で僕は死ぬことができない。新しい自分にはなれない。

 それこそが、僕に与えられた魂の呪縛だった。

「私はあなたに借りがあるの。瓦礫の中に埋もれていた私を、敵側だった私をあなたは助けてくれた。今でも覚えてる。絶対に……忘れるわけがない……。だって、あれがあなたとの出会いだったから……」

 それは『二度目の僕』と『一度目の彼女』が初めて出会った時のことだ。とある街での戦災に巻き込まれた幼かった彼女は、崩壊した建物の瓦礫の下敷きになっていた。異星人同士で互いに言葉も通じなかったが、僕はそれを見て見ぬふりをできなかった。そして彼女に重く圧し掛かっていた瓦礫を撤去したのが、僕らの出会いだったのだ。

「私を助けたばかりに、あなたは仲間に裏切り者として扱われ、殺されてしまった。あれは私のせいなんだから、今度は私があなたのために動く義務があるわ」

「あの時に君を助けたのは、僕の一方的な行為によるものだよ。仲間に撃たれたのだって、僕の行動が招いた結果だ。だから、義務だなんて言葉はおかしい」

 彼女を諭してみたものの、本人は納得がいっていないらしく、表情はどこか曇っていた。

「それでも、あなたをここに召喚した立場としては、共に戦うべきよ」

 僕がここに戻ってきたのは、きっと僕に運命を変えたい、もしくはこの輪廻から脱却したいという願望があったからだ。それはやはり僕が招いた結果であって、彼女はその助力をしたに過ぎない。だが、それを押し返して彼女を止めたとしても、彼女は僕と来ようとするだろう。一応、『二度目の彼女』の姿をしているということは、今の彼女は月の女神としての能力を持っているし、僕と同等か、それ以上の『力』を有しているかもしれない。闇に抗う僕と同じ『力』が使えると限らないにしても、足手まといになるということは無いだろうが……。

「あなたが拒むのなら、私一人だけでもこの闇に立ち向かうわ」

「判った。判ったからそんな無茶はやめてくれ」

 これで良かったのだろうか。

 彼女が闇との戦いに身を投じることではない。運命を変えようとする行いが正しいのか、それが疑問だった。

「迷っているのかしら」

「よく判るね」

「ここで私たちが闇を放置していても、この時間軸の人類は滅びるわ。やがて再び人類が興るとしても、文明が一度滅びるのは変わりないわ。それが人類に与えられ、約束された滅亡だから、いつの日か(きた)る日は変えられない。これは定命の者である人類にとって自然の摂理なの。でも、この現実を放置するということは――」

 永遠にあなたは輪廻に記憶を刻みつけたまま、生を繰り返す。

 彼女はそう続けた。

「これくらいの呪い、なんてことはないさ」

「それでも、魂は永遠に解放されない。たった一人の命しか救えなかったことを、あなたは死ぬ間際にひどく後悔した。そして死ぬ寸前に魂が闇に飲まれたことや、あなた自身が抱え込んだ後悔のせいもあって、魂は報われなかったの。その闇の呪縛に囚われたあなたは、何度も転生を繰り返してきた。『二度目のあなた』が自覚をすることは無かったにしろ、今のあなたにはそれが判るはず。だからあなたの『力』も以前より増大しているんじゃないの?」

 留まり続けた感情こそが『力』を増大させているということだろう。

「だとしたら、これは呪いを断ち切るための戦いだな」

 無意識のうちに自分を壊して、壊した分だけ自分の『力』を強くしていった。何のために『力』を増大させたのか。この後悔を断ち切ろうと、そして再び闇と抗おうとするためだったのか。

 いや、僕が戦うことに対して、僕が悩み迷う必要は無い。自分がここでの召喚に応じた時点で、覚悟は決まっていたはずだから。

 僕は黄昏の空を見上げた。あの時と何も変わらない、たった一人の少女だけしか助けられなかった、僕の起源の日。雲が渦巻くように僕らを囲んでいるような気分だった。

「本当に君はなんでも知っているね」

 冗談めかして言ってみる。

「だって、女神だもの」

 彼女もまた微笑んで、その冗談に応えた。

「そうか。女神だからね」

 やがて、空が呻くように鳴り始める。海鳴りのような轟音だ。いよいよ終焉が始まるという合図。これから起こる災厄を跳ね除けなければ、地球は、人類は、僕は、再び同じ運命を繰り返すだろう。

 だが、今度は決して負けない。そのための『力』を僕たちは持ち、幾月、幾年もの時間を超越してやってきたのだから。

 そして現れる無数の邪悪な漆黒の隕石たち。それは黄昏が招く終焉の証で、この大地を蹂躙するもの。災厄はこのように具現化して、破壊の限りを尽くしていく。

「今度は絶対に――」

 両腕を広げて意識を集中させる。血流を腕に集中させ、神経をこの両腕だけの二点に集中させると、ぼんやりとした光の紋章が浮かび上がる。それこそが僕が幼少の頃から鍛えられてきた、闇に抗うための証だった。

腕に帯びた紋章の光は、徐々にその光量と熱量を上げた。それはあるものを異空間より呼び出すための、必要な動作であった。しかしそれが完遂されるまではしばらくの時間を要する。

「すまない、少しばかり時間を稼いでくれないか」

「ええ、了解よ」

 彼女の手元から光と共に一つの弓が現れる。しかし反対の手に矢は無かった。

「心配しなくてもいいわ」

 彼女が弓を構えると、突然矢を持つ方の手から光の矢が現れた。それを空へと放つと、幾つもの光の矢が地上に降り注ぐ隕石に向かい、邪悪を払うようにして隕石を粉砕していった。

「なるほど……そうか、君のそれはアルテミスの矢か」

「神性を持つこの矢は普通の矢とは違うわ。それにこれは本来私の持っている弓と矢ではないけれど、月の女神となった今はその力を代わりに引き出すこともできるの」

 彼女が隕石を破壊してくれている間、僕は例の物を呼び出すことに集中できた。それは僕の有する『力』の一つであり、闇を祓う僕の唯一の武器であった。

 だが闇もそれを見過ごさない。僕の持つ武器の脅威を感じ取ったのか、次々と僕らの周りを囲む者が現れた。黒い影のように不安定な形で、素顔の隠れた鬼のような骨格をし、靄のようなものをまき散らしている。人の心の闇の具現であり、人の心に宿る闇の形そのものたち。人の形を持ちながらも人に非ざる彼らは、形こそは人間に似ているが、容姿も挙動も人間とはかけ離れていた。

「まだ準備は整わないのかしら?」

「いや、十分だよ。ありがとう」

 彼女が稼いでくれた時間は十分だった。

 僕は両腕の指と指を引っ付けて指をピンと伸ばし、仕上げの術式を完成させる。すると目の前の空間の一部が断裂を始め、一つの剣の持ち手が現れた。僕はそれを一気に引き上げると、目を覆わんばかりの眩しい閃光が周囲を照らした。

「クラウ・ソラス!」

 それは光の剣である。持ち手こそ普通の剣と相違ないが、この剣独特の大きな違いはその刀身にある。刃は青銅でも鉄でも鋼でも無ければ、黄金でもなく、光そのものなのだ。つまり、持ち手以外は実際の質量を持たないのだ。

 クラウ・ソラスの閃光は一撃で森羅万象のあらゆるものを切り裂く。それがたとえ実体を持たない闇であっても同様だ。概念である人の心の闇に、この剣の放つ光は天敵。故にこの剣を召喚しようとした時に、闇が過剰に反応したのは当然の結果と言える。

 両手で剣を構えて地を蹴る。僕の背後にもまた敵が襲い掛かってきているが、彼女はそれをアルテミスの弓と矢で次々と排除していく。

 剣を横に薙ぐ。疾風の如き一閃、それは獣のような闇の人形たちを刹那に塵へと変えた。剣の持つ光は、明らかに転生前の時よりも威力を増していた。太陽のような眩さは変わりないが、刀身の大きさが二周りほど違う。それもあってか、闇の人形たちは次々と消滅していく。圧倒的であった。

「でも、いつまでもこんな戯れをしているわけにはいかない」

「本丸を叩かなければ、キリが無いのね」

「そうだ。そしてその本丸こそが……」

 この黄昏を輝かせている元凶である、もう一つの太陽。人の心の闇の集合体である現象だった。やがてその全容は雲が晴れると明らかになった。

 渦巻く雲の中央、空の果てにもう一つの太陽が見える。本物の太陽とは異なって、鈍く黄金色の日光を放っている。光の強さこそ格段に劣るものの、大気圏内にはあるため、こちらの方が大きく見える。

 あれを破壊しない限り僕らの戦いは終わらない。あの黄金の太陽こそが全ての災厄を起こしているのだから。

「早いところ破壊しないと……いつまでこの調子でいられるか……。それに向こうの戦力は無限に等しい」

 襲い掛かる闇の人形たちを切り払いながら、背中を向けている彼女へ話しかける。

「でも、あんな高いところにあるものをどうやって破壊するの?」

「手段ならあるさ。なんたって僕は、そのために生まれた時から鍛えられてきたんだから」

 術式を唱えて地面に触れる。すると半透明な階段が現れて、螺旋状に空へと伸びていった。それは一見すると、ガラスの螺旋階段のようである。これもまた僕の『力』の一つだった。階段は同時に二、三人が上れる程度の大きさであるが、急造した上に、僕らだけで使う分には満足のいくものだった。

「これならとりあえず有効射程圏内には入るだろう」

「ええ、十分ね」

 それにこれなら僕の剣も届くはずだ。

 だが心の闇もこちらに抵抗しようと、必死に襲い掛かってくる。僕らが階段を上り始めると、ぞろぞろと闇の人形たちが後から追いかけ、また布の切れ端のような脚の浮遊する闇の人形たちが、僕らを阻んできた。

「しつこいぞ……!」

 僕が階段下から追ってくる方を光の刀身で切り払い、彼女が弓で撃ち落していく。彼女の弓は一度に放っただけで複数の弓矢となるので、同時に多くの闇の人形たちを消し去ることができた。クラウ・ソラスの閃光も、一撃で数体の闇の人形

 それでも時間はあまり残されていない。いくら僕らが抗っているとはいえ、相手の規模はあまりも大きく、完全にカバーをするのは不可能であった。僕らだけではカバーできない具現化した心の闇による災厄は、着実に僕らの周りを破壊していった。

 突然現れた黒い竜巻や激しい地震といった自然現象たちが、この世の穢れを穢れで蹂躙するかのように、ことごとく破壊していく。もちろん僕らの足場だっていつまで安定していられるかは判らない。この半透明の階段が保っていられるのは、地面が安定している時までだ。

「あと少し……もう少しで……届くのに!」

 呼吸が乱れ、脚が攣りそうになりながらも、階段を駆け上がるスピードは落ちないし、立ち止まらなかった。それでも鈍い光を放つ太陽に僕らが近づけば近づくたびに、それに比例して抵抗を強めてくる。後ろから付いてくる彼女の息を途切れがちになっていた。いくら女神の立場にいるとはいえ、肉体は人と変わらないのだろう。また彼女はロングスカートを履いているせいで、余計に階段を上りにくくしていた。体勢を崩さないために気を遣っているというのもあってか、疲労感を更に増させているだろう。

 また、もう一つの太陽に近づくたび、体が近づくことを本能的に拒んでいた。近づくにつれて、体が重くなり、ありとあらゆる内臓を強く握られているような感覚と共に、猛烈な吐き気に襲われていく。視界が歪み、物の輪郭が徐々に抽象的になっては、頭を叩き割らんかの如く頭痛が苛んで、これ以上黄昏の空に近づいてはいけないのだと警鐘を鳴らしているのだ。階段を上り始めた当初こそあまり気にならなかったが、空へ近づくにつれて痛みや苦痛が顕著になってきている。手早くあの太陽を破壊しなければ、こちらの体が持たない。

「君は……大丈夫か……?」

「何が?」

「そうか……その様子だと、大丈夫そうだ……」

 邪悪な存在の(もたら)すものは、神性のある彼女には影響が無いのだろうか。ともかく影響があるのは自分だけらしいので、彼女の心配はあまりしなくても大丈夫らしい。ただ、階段を上り続ける彼女の体力の方は、やはり気になった。

 集中力を取り戻すため、階段を駆け上がりながら深呼吸をした、その時だった。今までとは比にならないほどの頭痛が襲い掛かる。それだけではない。頭の中に直接介入し、流し込まれたかのような『感情』が脳を支配した。

 そのあまりにも濃厚で毒々しい『感情』に僕は耐えきれず、その場に倒れ込んでしまう。

「あなた……大丈夫なの?」

 僕は声も出せず、ただ頷くしかできなかった。

 『感情』の正体は、あの太陽に飲み込まれてきた『人類すべての心の闇』そのものだった。僕が何の緩衝もせずにその『感情』を受け止めるには、あまりに強力すぎるものだった。

 (おびただ)しいほどの悪意、憎悪、欲望、衝動、嘲笑、悲嘆……ありとあらゆる、全ての人類の心にある深淵の『感情』の一部が、僕の中に雪崩れ込んできたのだ。それはたった一人の人間が受け止められる情報量ではない。言語や概念を超越した情報は、人の脳の電気回路を焼切るほどに強すぎる毒だった。

 これが災禍を具現化させるものの正体であり、人々が抱え続けた闇そのものなのだ。人が人を、必然であった運命を、世界を憎み続けて蓄積し、それは人類がこの世に現れてからずっと溜まっていた。頭上にある太陽はその蓄積の象徴であり、ある意味で人が望んだ滅びの象徴。世界を憎んだ人々の心の集合体なのだ。だから世界を、人を消し去ろうと、『感情』は『力』へと変換されて崩壊を下す。

 世界を憎んだならば、破壊という現象を起こすことは間違ったことではない。

「こんなものがあれば……世界を壊すのは当たり前か……」

「どうしたの? どういうことなの? 何を……言っているの?」

「……月で出会った時の君はなんでも知っていたのに、今は判らないのかい……?」

「判らないわ。だって私はただ輪廻の記憶を継いでいただけだもの。だから、起こった後の事実しか知らない。女神と言っても未来を視ることも、誰かの心を覗くこともできないわ」

 彼女はそれを悔やむように言った。それは自分の無力さを卑下しているように見えた。

「君はそれで十分だよ……だから気にしなくていい……。行こう……」

 片手で頭を抱えながら、僕はクラウ・ソラスをもう片手に構え、二人同時に再び階段を駆け上がり始めた。上るたびに僕の痛みを増させたが、着実に太陽へ接近しているのだと考えて、ただひたすらに剣を振るい、果てへと目指した。

 ふと階段を上りながら、『一度目の僕』の時のことを思い出していた。たった一人しか救えなかったあの時のことだ。僕は世界の心の闇から人を救うべく、あらゆる『力』を使って戦い続けたが、結果的にそれは敗北だった。いくら幼少期から鍛え上げられていたからと言って、たった一人の人間がこの世の全ての闇と対峙し、打ち勝つことなどできないのだと確信し、ただ人の消え去った見知らぬ街をさまよい続けていた。自分もまた闇の中で朽ち果てるのだと、無自覚に決めつけて、腐るように、それでも半ば諦めきれずに、中途半端な立場で踏みとどまっていた僕は、誰かを探していた。

 そんな中でたった一人の生存者を見つけた。そして僕は救われた気分がしたのだ。僕が助かる見込みはないし、それは許されざる先祖への冒涜でもあったから、僕が数時間後、もしくは数分後に闇に飲まれて朽ちるから、僕は救われる立場であるはずがないのに、僕にできる最後の可能性を託せるのだと、そう思えたからだ。

 そうだ。あの時だった。

 だから僕は何度も何度も、この闇に立ち向かうために輪廻を繰り返し続けた。

 世界が終わっても転生した体は、再び立ち向かうために魂へ戒めを焼き付けていた。このままでは終われなかったのだ。たった一人の命を救えたことが、僕にとっての喜びだった。そして決めたのだ。今度こそはと。

 僕の正面には、既に黄金の輝きを放つ災禍の根源が待ち構えていた。神々しいほどの輝きを放つその太陽は、目の前にいる僕を厭うように多くの強力な苦痛を与えているが、それでも僕は怯むことなく、その太陽を見据えて、剣を構えた。

「僕が魂に記憶を刻み続けて、因縁を輪廻と共に継いできたのは、この膨大な闇に囚われていたからじゃない」

「でも、あなたの魂に呪縛を与えているのは、この巨大な心の闇そのものじゃないの?」

 違う。

 僕は首を横に振って、静かに答えた。

「後悔や呪縛なんかじゃない。戒めや覚悟なんだ。今度こそ皆を救うんだって、いつか遠くの過去である今日に決めたから、僕はその因縁を自ら作り上げて、輪廻を繰り返して『力』を増大させて、再び心の闇と戦う時を待っていたんだ。そして偶然にも――いや、これは運命論(フェイタリズム)な考え方だけど、僕は再びここに来るのだという宿命を背負っていたのかもしれない。だから君の時を操る『力』で今日という時間軸に召喚され、そして僕はあの日の本当の目的を果たすために召喚に応じたんだ」

 そんなとても大切な記憶だけを、僕は完全に失ってしまっていた。どうしてそれだけを輪廻を繰り返す中で忘れかけていたのか。

「闇に飲まれたからでも、深い後悔によるものでもない……。もしかすれば少しはそういった要素があるかもしれないけれど、でも僕が記憶を継ぎながらを待ちわび続けたのは、あの日たった一人でも救えた喜びこそが僕にとっての救いで、それが僕の諦観の念を葬って、戦う覚悟を魂ごと刻んでいたんだ」

 両手で剣を構え、その剣先を黄金色に煌めく太陽に向けた。

「クラウ・ソラスの光なら、この心の闇の集合体であるこの太陽を、一撃で消し去ることもできる。そうすればあらゆる災厄は止まり、まだこの世界に生きる人類を助けることができる」

 しかし、それは同時にあるものを失うということでもあった。彼女もまたそれに気付いたのか、一瞬息の詰まったような声を洩らした。僕はそれを見過ごすことはなかった。

「でもその太陽を破壊すれば、内側に充満している闇が溢れてくるんじゃないの? しかもこの中に溜まっているものは、現象を引き起こしているものより濃厚な闇よ……! 耐性のある私ならともかく、生身の人間がそんなものを直に受け止めてしまえば、闇に汚染されて今度こそ取り返しのつかないことになるわ!」

 土壇場で彼女が引き留めてくる。僕だってそんなことは判っている。この太陽に近づくたびに体は悲鳴を上げていたのだから。今だってそうだ、本当なら今すぐここで卒倒しそうなくらいの激痛が襲いかかっている。近づいているだけでこれだけの異常が発生しているのだから、この太陽の中身を浴びれば、肉体だけではなく、輪廻に彷徨っていた魂までも完全に闇に飲まれ、僕の存在は永遠に闇黒(あんこく)と共に消滅するだろう。

「――これでいいんだ。君の召喚に応えた時から、自分が消えることくらい覚悟していたんだから。それにこれを破壊できるのは僕だけだ。そのために僕は今まで生きてきた。何度も死を繰り返しても尚、この黄昏を終わらせて皆を救うために……」

 いくら神性のある彼女の矢でも、この太陽を完全に破壊することはできない。代わりは無い。最初から役目は一人だけだと決まっていたのだから。

「それに恐れることはないさ。『一度目の僕』も同じような境遇を経験しているんだ。これほど強い闇に飲まれたわけではないけどね」

「でもあの中に溜まった闇は、あなたの剣でも完全に斬れないのよ!」

 そうは言っても時間はもう残されていない。すぐにでも破壊しなければ。

「これから行うことは僕にとっての終わりになるだろう。でもそれは世界が本当の意味で目覚めるということだ。闇の無い世界、それがあるべき結果なんだから」

 僕は彼女に背を向けたまま、階段の端を蹴った。

 あの時と似ている。

 かつて、ただ一人救うことのできた、とある少女のことを思い出した。あの時も僕は彼女に背を向けたまま、黄昏の空と心の闇に挑んだ。彼女は――あの眠りについた彼女は今どうしているのだろうか。きっとまだ、この街のどこかにいるはずだ。

 僕に出会うこともなく心の闇の脅威から逃れ、この時間軸で天寿を全うできるだろう。歴史は既に変わったのだ。既にここは『四度目の僕』の未来に変わったのだから。

 空中に投げ出した体に意識を取り戻す。そして輝かしい光の剣を太陽に突き刺し、重力落下に任せて太陽を断裂させていく。断裂した箇所からは泥のような固体に変化した心の闇たちが溢れだし、破壊者である僕へと降りかかり、体を蝕んでいく。闇が肉体を、精神を蝕んで、僕の行為をやめさせようとするが、既に剣は真珠を叩き割るように黄金の球体を真っ二つに切り裂いていた。クラウ・ソラスもまた役目を終えたのだと自覚したのか、僕と同じように闇に飲み込まれて消えてしまった。

 これで未来は変わるだろう。僕がここで役目を果たすことで、人類が飢餓や貧困に苦しむこともなく、超人類との戦争を始めることもなく、彼女が戦火に巻き込まれることもない。これまで幾度と人類に課された苦難は書き換えられ、無かったことになる。そして地球は平穏を取り戻し、月に移住することなく、僕らが出会うことのなかった時間軸へ移行する。全ての歴史は書き換えられる。

 だから彼女の存在が薄れていく。輪郭を失い、肉体を失い、徐々に体が透けていく。闇に溺れていく中で振り返った視線の先には、既に体が消えかけている彼女がいたのだ。

 戦争が起こらなかった未来があるなら、彼女はただの超人類の一人として生き、月の女神に昇格するという道筋を絶たれる。月の女神でなくなった彼女は逸脱者として、この時間軸に存在することが矛盾して、世界の理から排除される。それは一見消滅のように思えるが、彼女はもとの時間軸に還るだけなのだ。

 あんな悲しみがあったからこそ、僕らは出会った。

 こんな悲しみを終わらせるからこそ、僕らは別れる。

 既に闇に浸食された体は、彼女に最後の言葉すら贈れない。ただ口角を吊り上げて、笑うフリをすることでしか、僕にできる感情表現は残されていなかった。彼女の方は必死になって何かを叫んでいた。それを聞き取ろうとしたが、もはや五感までも支配され、ろくに認識もできない。

 君が後悔する必要はない。僕は輪廻から解き放たれて、この世界から魂ごと闇と共に消えるだろう。それでも僕の目的は果たされたのだ。ただ一つの希望が与えてくれた勇気は、確かに目的を果たすための、最強の『力』になったのだから。この結果は必要なことなのだから、君は悲しまなくていい。君はあの星で静かに暮らす幸せが待っているのだから。

 失われていく軽薄な視界で、最後に彼女の顔が僕の瞳に焼付いた。既視感の覚える彼女のその表情は、『二度目の僕』が死んだ時に彼女が僕を見ていたあの顔を同じだったのだ。

 ただ違ったのは、今度は彼女が何を言っていたのかを理解できたということだ。それは彼女の最後の言葉となり、言い終えた後に存在を失って、彼女のいた場所から姿が消失し、あるべき場所へと還った。

 闇は周囲を照らしていた黄昏の光や渦巻いていた禍々しい雲諸共、僕の中に収束し凝縮されて、星の命が尽きた時のように爆発的な閃光を放つ。これこそが僕が持つ最初で最後、そして最大の『力』であった。自らを犠牲にすることで、この世界に溢れる心の闇の全てを僕が受け止めて、受け止めた自らの肉体ごと無に帰すという『力』。僕よりも何代も何十代も前の先祖が代々練り上げた、闇を世界から完全に消滅させるための、究極の奥義である。世界を支配していた全ての心の闇は、大地と天空を照らしながら、僕の肉体と魂を連れて消えた。

 最期の瞬間、僕は温かな日差しを取り戻し、風に揺れる草原を思い描いた。

 そして無へと溶けた僕は、いつか遠くの日と街に無言で別れを告げた。

短編オムニバスシリーズ第四弾、そして最終章。

ここまで全て読んでくださった方はいるのでしょうか……?

いたら嬉しいなあと思っている次第です。


この作品もモデル?になった曲があって、FictionJunctionの「ParallelHearts」という曲です。

曲に疾走感があるので、主人公たちが階段を駆け上げっているところは、特に曲調を考えながら書いた部分です。

また他にも曲を聴きながら意識して読むと、「もしかするとここは曲のこの部分に当てはまるんじゃないか?」という発見が出来るかもしれませんね。


オムニバスシリーズはここで終わりとなりますが、他にも作品がございます。

そちらも読んで頂けると幸いです。


また、感想などありましたらお待ちしております。

(普段はサイトで公開しているためか、なかなか感想を得る機会がないので、頂けると狂喜乱舞します)


それでは、最後まで読んで頂きありがとうございました!

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