【物語】~乙松と猫~
【物語】~乙松と猫~
昔々、着物とわら草履が当たり前だった頃の水郷。
その城下町には乙松というひとりの少年がいた。
彼はとある卸問屋の丁稚で、周りからは厳しくも可愛がられていた。
ある師走のことだ。
問屋の主は乙松に饅頭を買うように、と代金の入った財布を渡した。そして「お前の分も一個買ってええよ」と笑った。
丁稚は喜び勇んで店を出て、師走の準備で慌ただしい雑踏をすり抜け、菓子屋を目指した。
ふと、乙松が懐の違和感に立ち止まり、確認してみると。
財布は消えていた。
さあ困った。落としたか、スられたか。
しかし、無い物は無いのだ。
乙松は青ざめた。
旦那から見れば小金と言えど、丁稚にしたら大変な失態だ。
彼は道に這い蹲り財布を探す。しかし、無い。
道行く大人からは『邪魔だ、どけ』と言われる。乙松は顔も固く、その場に立ちすくむ。
そんな子供に声をかける者は、いなかった。
その内に日は暮れ、小雪も降りだした。
この時代、街灯はなく、店先から漏れる灯や行灯がぼんやりと道を照らすばかり。
乙松は店に帰って旦那に正直に言おうと思った。しかし怒られて、がっかりされて、嫌われたらどうしよう。
身寄りのない乙松にはもう、他に住むところも行く当てもない。彼は怖くなった。
寒さやらで身体が震える。
しばらく呆然と歩いていた乙松。気がつけば、彼は大きな川沿いの道に出ていた。
そこは陰鬱とした闇が広がり、川のせせらぎが聞こえるばかり。
ふと、足元でにゃあ、と声がした。
そこには大きな白い猫がいて、乙松を碧い眼で見上げている。暗がりでも不思議と、白猫だと解った。
その猫がまた、にゃあと呼ぶ。
乙松はたまらず猫を抱き上げた。
とても柔らかく温かな毛皮が、鞠のように彼を受け入れる。
白猫の体に、乙松は顔を埋めた。
『ああ、乙松はどこいった。帰って来んぞ。なんぞあったか』
白猫が、旦那の声で喋り出した。乙松は猫を抱いたまま声を失う。
『すぐに帰れる遣いにやったが、もしや子盗りにやられたか。おおい、みんなも捜しておくれ』
乙松は目を見開く。そして、後ろの気配に身の毛をよだたせた。
行灯も持たぬ、ひとりの誰かが彼の後ろに居る。
子盗りだ。
草鞋の音を乱暴に響かせ、乙松に迷いなく近づく。
子供でも解る殺気に、彼は居すくんだ。
『この子はだめだよ』
白猫が透き通る青年の声を発した。
乙松に近づく足音が一寸止まる。
「俺ん顔見たか」しゃがれ声が彼に飛び掛かる。
子供は白猫をきつく抱き、目を閉じた。
瞬間、乙松の周りをカアカア!とけたたましい烏の鳴き声と羽音が包む。
しゃがれ声の主が悲鳴をあげ慌てふためき去って行く、音がした。
あとには川のせせらぎが残るばかり。
「おお!乙松!そこに居ったか!」揺れる数個の行灯が、道にしゃがみ込む丁稚に駆け寄る。旦那と店の仲間たちだ。皆は乙松が無事な様子を確認すると、顔を柔らかくさせ小さな丁稚をを叱りつけた。
乙松も目を潤ませながら、頭を下げ、笑った。
彼の胸元から白猫は消え、代わりに饅頭の入った奇妙な柄の平箱を抱えていた。
【物語】明里と隼士のおとぎばなし~乙松と猫~
「隼士、お待たせ!」
冬の夜。満面の笑みの明里が、出店で買ったりんごあめを高らかに掲げ、電柱の横で待つ青年の隼士に駆け込む。
ふたりは竹灯り祭に来ている。
白壁の建物が残る城下町の道沿い、そこに数千と飾られる竹灯籠たちが、ふたりや他の観光客たちを優しく照らし出す。水郷を名のる大きな川沿いには彩り豊かな巨大灯籠も点在し、皆の目を楽しませてくれる。
「あれ?隼士。お土産のおまんじゅう!どうしたの?」
食いしん坊の明里が、隼士の手から消えた菓子箱を指摘した。
「迷子にあげた」隼士は肩をすくめる。
明里は眉をひそめ、周りを見渡しだす。「迷子は大丈夫?泣いてない?」
隼士は彼女の手を取り「家に帰ったよ」とりんごあめを囓る。あまずっぱい、おまつりのこどもあじ。それを聞いて明里はよかった、と顔を綻ばせた。
「みんなのお土産、また買うか」
「それもいいけど、クリスマスケーキ!いくつ焼いたらいいかなあ!?」
そんな会話を楽しむ若いふたりは、ゆったりと祭の雑踏に溶け込んでいった。
(了)
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