三人の笑顔
―三人の笑顔―
彼女がいない昼休みは何日続いただろうか。
未だに彼女と僕破局説を飽きもせず噂する奴等もいたが
いちいち反応を見せなかった。
心配してくれているのはありがたいが
放っておいてくれないのか…。
彼女は今日、
大学に退学届けを出すと言っていた。
その時の顔は見ていられないほど悲しかった。
「亮ちゃん、私学校辞めるね」
「え…何言ってるんですか!?」
「…ほら、私ってもう見えないでしょ・・
だから絵が描けない事になるよね?
そしたら今の大学いても進級できないんだもん。」
「でも…」
「ね、約束して?
私が行けない分、亮ちゃんが行って、卒業して。
私が見れない分、亮ちゃんがたくさん見て。
私が描けない分、亮ちゃんがたくさん描いて。
約束、ね?」
僕は彼女の強さに驚いた。
…いや、弱いのかもしれない。
弱さを隠し彼女は強がっているのか。
それは少しばかり悲しいのだが僕はあえて何も言わずに約束を交わした。
彼女はここまで来て届を出すのか?
それとも誰かが持ってくるのか。
それとも…電話か?
僕は昼休み、落ち着かなくなって
図書室に来ていた。
パソコンがいくつかおいてある
デスクに座ってインターネットを開ける。
検索の枠に『緑内障』と入力してみる。
―緑内障
緑内障とは
視神経が損傷を受ける病気で、
眼圧の上昇を伴うことが多く、
進行性で回復不能の視力喪失を起こすことがあります。―
ここまではお母さんの説明で聞いていたので知っている。
―緑内障は、
眼の中の液体である房水の産生量と排出量のバランスが崩れ、
眼圧が異常なレベルにまで上昇すると起こります。
眼に栄養を与えている房水は、
通常は毛様体によって虹彩の裏側にある毛様体(後房内)で
つくられ、眼の前方(前房)に流れていき、
虹彩と角膜の間の排出管(隅角)から排出されます。―
―緑内障の治療法
緑内障のレーザー手術で最もよくみられる合併症は、
一時的な眼圧の上昇です。
これは緑内障用の点眼薬で治療します。
まれに、レーザーにより
角膜にやけどが生じることがありますが、
通常はすみやかに治ります。
レーザー手術か他の方式かにかかわらず、
ろ過手術の術後には
眼の炎症と出血がみられることがありますが、
これらは一時的なものです。
まれに、ものが二重に見えたり(複視)、
白内障や感染症が生じることがあります。
緑内障手術の後は点眼薬が処方されます。
また、眼圧をチェックし
手術の効果を確認するため検査が行われます。―
そういえば彼女は既にレーザーによる手術をしたと言っていた。
お母さんの話だと前日は怖さで眠れていなかったと話された。
その時に傍にいれなかったのが
どんなに悔しかったか…
―主な治療薬
ベタキソロール
カルテオロール
レボベタキサロール
レボブノロール
メチプラノロール
チモロール
副作用
息切れ、心拍数の低下、頭のふらつき、
手足の指の冷え、不眠、疲労、うつ、
鮮明な夢をみる、幻覚、性機能不全、脱毛。―
僕は副作用の欄を読んで愕然とした。
お母さんが言っていた。受け入れたくないと。
確かにそうだ。全て苦しい現実だ…。
脱毛…薬の副作用でよくあると聞くが
女性にとって大事な髪が抜けていくのはどのくらい苦しいのだろうか。
彼女はそれに…たえられるのだろうか…。
「うす。
ここにいたのか」
後ろを振り向くと中尾がいた。
「今さ、教授に聞いたんだけど…。
瀬戸さんやめるって本当か」
「…ああ。
なあ中尾…。明日香に会いたい?」
「は?
そんなことよりどうして…ずっと休んでるし…
何かあるのかよ」
「会いたくないか会いたいかって聞いてるんだ!!!!!!」
僕が怒鳴る。
中尾は僕の怒りの原因がわからないため呆然とする。
周りの人は何事かと見る。
中には『静かにしろよ』という白い目…。
「…亮介、落ち着けよ。
とりあえず・・会うよ」
僕は頷くとそのまま図書館を後にする。
中尾が後ろから「今かよ?!」と聞いているが無視をした。
どうしてか僕の口から言えなかった。
―彼女失明したんだ―
言えなかった。
だから見てもらうしかないと思った。
病室に入ると彼女が嬉しそうに笑っていた。
僕の足音と扉を開ける音は特徴的らしいので
来るのがわかるようになったらしい。
「亮ちゃんッ
今日は誰かと一緒なの?」
足音が重なって聞こえたからか彼女は中尾が一緒なのを当てた。
「瀬戸さん、お久しぶりです。
入院・・してたんですかー。
また検査ですか?」
中尾がニヤっと笑う。
彼女は嬉しそうに『中尾君!』と言ったが
最後の質問の答えに困っている。
「…?どうかしました?」
「明日香、少し待ってて。」
僕は彼女に近寄り肩に毛布をかけてやる。
彼女は僕の手を掴んで泣きそうな顔で言った。
「…話して…ないの?」
「…はい」
「…話す…の?」
「嫌なら何も言いません。」
「…中尾君、また来てくれるのかな…」
「来ますよ。アイツは。
それに明日香の目が見えないくらいでどうして嫌いになるんですか?」
「わかんないけど…
怖いの・・・・どうしよう…ねぇ、どうしよう」
僕は手をギュっと握った。
彼女は今にも泣き出しそうだった。
「中尾、先に出てて?」
「え?」
「いいから、出ててくれるかな」
僕がまた突然怒鳴るといけないと思ったのか
中尾は二回言うと外へ出た。
「明日香。
大丈夫だよ。
中尾はそんなやつじゃないよ。
あいつの今の気持ち…わかってるよね?
僕が言ったときアイツ言ったんです。
最初はお前の事嫌いだったけど
今では明日香と同じくらい大事ってさ。
笑えますよねー。
アイツ絶対人生損だらけです。
そこまで俺らを思ってくれてる奴が
目が見えないが理由で離れるもんですか。
安心して待っててください。」
僕がそう言ってぎゅっとしてやると
彼女の震えが止まった。
そして僕のほうをゆっくりと見上げた。
「…呼んで。
中尾君を呼んで」
僕がキョトンとしていると
苦笑いだったが
「自分で話す。
もしもの時は助けてね」
と言った。
僕は彼女が前に進もうとしているのを応援しようと思い頷いた。
扉の向こうに中尾はいた。
中に入るよう頼んだら何も言わずに入ってくれた。
「中尾君、私ね…。」
彼女は一言、一言詰まらせながらも話した。
話の途中一瞬中尾の顔が変わったのだが
何も言わずに黙って聞いていた。
僕はいつでも助け舟を出せるようにしていたのだが
彼女はゆっくりとだが話せた。
「…それで大学を辞めると。」
「・・・・・うん。
描けないから…。
でもね、私の代わりに亮ちゃんが描いてくれる。
見てくれる・・・・だから大丈夫」
そう言ってなきそうな顔になるのを僕は見逃さない。
「明日香」
僕は彼女の手を握る。
汗ばんでいた。緊張していたのだろか…。
「明日香だって感じることはできるでしょう。
今あなたは音に敏感だ。
匂いや感覚…目が見えない分いろいろなところが僕等よりさえてる。
ね?悪いことばかりじゃないんですよ」
「瀬戸さん。
俺だって出来ることならなんだってするからさ。
なんならお風呂だっていれてあg・・・ッッッ」
中尾がしょうもないことを言おうとするので
一発殴っておく。
その雰囲気が理解できたのか彼女もやっと笑ってくれた。
「やっぱり笑った瀬戸さんが可愛いや」
「おい!それ僕の・・・」
「もうーまた喧嘩ぁ?」
その日僕らは久々に三人そろったのが嬉しかったためか
話は尽きずずっと話していた。
途中お母さんも加わり僕らの漫才(?)を見て二人は笑っていた。
―副作用はね、必ずあるわけじゃないみたい―
こんなに笑ってるんだ。
そうだよな。
こんな笑顔の持ち主にそんな悲しい現実を
神様は突きつけるわけないよ。
今はただそう祈りたかった。