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第九話


翌朝、職場で会った榊さんは、いつも通りに落ち着いていて、きびきびしていて、みんなに親切だった。

俺はそんな彼女を、自分の席からそっと様子をうかがっていた。

見ていないときには、いつの間にか、耳を澄ませていた。


姿が見えたり、声が聞こえたりすると、なんとなく安心した。

彼女が元気だと確認できたからだろうか。

それとも……?



残業している途中、近くを通りかかった俺を、榊さんが呼び止めた

「ちょっとちょっと。」と、小声でにこにこと手招きして。

その態度には、いつも通りの親しさがこめられていて、ふわっと胸が熱くなった。


「はい、これ。おすそ分け。」


差し出した手に乗せてくれたのは、きつね色の焼き菓子。

確か、マドレーヌというお菓子だ。

榊さんはにこっと笑ってから、顔を近付けて小声で言った。


「お客様からいただいたんだけど、経理課のほかの人の分はないの。こっちで食べて行って。」


来客の相手をすることが多い庶務係には、手土産のお菓子が置いてあることも多い。

俺が甘いものが好きだと知っている榊さんは、俺が異動してからも、こうやってときどき俺におすそ分けをくれるのだ。


「はい。ありがとうございます。」


今、庶務係で残っているのは榊さん一人。

久しぶりに彼女の隣の席(以前の俺の席)を借りて、いただくことにする。

彼女と座って話すのは、あの日以来初のことだ。


「あの…。」


経理課には聞こえないように、声をひそめる。


「ん?」

「同窓会のこと、槙瀬さんには話したんですね。」

「ああ、そうなの。まあ、成り行きでね。」


軽く肩をすくめて。

それからフッと軽く息を吐いて、淋しそうな顔をした。

でも、それはすぐに消えて、あらたまった様子でパソコンに向かう。


(榊さん……。)


なんだか急に切なくなって、心の中で呼びかけてみる。


辛いことは俺に話してください。

俺、ちゃんと秘密は守っています。

榊さんの役に立ちたいんです ――― 。


マドレーヌを食べながら心の中で言ってみても、声に出さない言葉は、彼女に届かないのは当然だ。


彼女の横顔を見ていたら、槙瀬さんとの話が次々と浮かんできた。

まだあまり時間が経っていないせいか、細かいところまではっきりと。


――― 俺が「結婚するか。」って言ったら……。


「昨日、槙瀬さんが……。」

「え? なに?」


振り向かれて、口に出しかけた話を慌てて引っ込める。


「槙瀬さんが、自分のことを “変わり者” だって言ってました。」

「ああ。」


俺の言葉に、分かったように榊さんが頷く。


「自覚があるのよね。ふふ。」


(あ……。)


その言葉と表情が、何故かひどくショックだった。


「 “変わり者” って言ったって、槙瀬さんはそれを楽しんでるんだもの。誰にも迷惑をかけてないし。何も問題ないよね?」

「え、ええ。」

「本人だって、今さら “普通” の仲間入りをするつもりはなさそうだものね。」

「ええ…、そうですね。」

「ふふっ、それに、 “普通” の槙瀬さんなんて想像できない。そんなの槙瀬さんじゃないよ。」

「確かに……。」


一言聞くごとに、心が沈んでいく。

胸の中にモヤモヤがたまっていく。


榊さんは、槙瀬さんのことを理解している。理解して、気に入っている。


“気に入っている。”


どのくらいだろう?


榊さんは、槙瀬さんを好きですか?

結婚してもいいくらい好きですか?


この質問も、やっぱり声には出せなかった。

俺が口出しをするような話ではないから……。




その週末は、なんとなくぼんやりと過ごした。


恋人と別れてから休日の自由を満喫していた俺だけど、この土日は何をやっても集中できない。

ふと気が付くと、榊さんと槙瀬さんのことを考えている。


(槙瀬さんは「いずれ」って言ってたけど……。)


いつごろを想定しているんだろう?

俺よりも4歳年上なんだから、結婚を考えたって当然の年齢だ。


(お似合いだけどさ……。)


だけど、どうにも落ち着かない。

お似合いだと認める一方で、やっぱりどこか納得できない

そして、俺に秘密を打ち明けてくれたときの榊さんを思い出す。


(あのときは、俺が一番近くにいるような気がしたんだけどな……。)


今まで見たことがない、弱気な、自信のない榊さん。

同窓会に行きたくなくて、ひたすら悪い想像ばかりして。


(俺が役に立てる場面なんて、無いのかな……。)


そのことが、とても淋しい気がした。




月曜日の朝。


駅の改札口で榊さんを見かけた。

茶色のジャケットに辛子色のスカート、白っぽいストール、茶色の靴。

大きめの黒いバッグを肩にかけて、颯爽と歩いて行く。

真っ直ぐに前を向き、歩くリズムで髪が揺れる。


「榊さん。おはようございます。」


駅前の信号で追い付いて声をかけた。

振り向いた彼女が俺を確認して笑顔になる……のがいつものことだったのに。


「ああ、紺野さん。おはようございます。」


声を掛けたのが俺だと気付いた榊さんは、いつものようには微笑まなかった。

微笑むことはしたけれど、それはどこか憂うつそうで……。


(これって……。)


一つの可能性が、心に小さな期待の火花を散らす。


俺に相談してくれるだろうか?

愚痴でもいいから、打ち明けてくれるだろうか?


「元気がないですね。何かあったんですか?」


気遣う態度を表に出しつつも、妙に嬉しくて胸が躍る。

浮かれている自分を叱ってみても効果がない。


榊さんが少し情けない顔で俺を見た。


「まあ、ちょっとね。」


一言だけ言って、軽くため息をつく。


「はは、月曜日から疲れていたら、一週間持ちませんよ?」


(「ちょっとね。」で終わりか……。)


がっかりした。

でも、仕方がない。


無理に聞き出すなんて失礼だし、やっぱり、榊さん自身が話そうと思ってくれないと嬉しくない。


「そうだよね……。」


榊さんは、もう一つため息。

そして。


「きのうの夜にね、北海道の友達から電話がかかってきて。」


(やった!)


こっそりガッツポーズをしながら、そんなことは考えもしなかった風を装って。


「ああ……、同窓会の話ですか?」

「うん、そう。」


またため息。


「なんかね、彼女はすごく楽しみにしてて、それを聞いていたら “もうすぐなんだー” って実感が湧いてきちゃって……。」

「ああ、それで憂うつなんですか。」

「そう。」


(気の毒だなあ……。)



なんとか力になってあげたい。

だけど、何ができる?


……今は、話すことくらいしかない。


「何か気晴らしでもしてきたらどうですか?」

「気晴らし?」

「いつだったか、スポーツジムに通うって話をしてましたよね?」

「ああ…、無料体験で行ったんだけどね……。」

「どうでした?」


俺の質問に、彼女がすすっと近付いてきた。

そして小声で。


「インストラクターが若い男の人で、びっくりしてやめちゃった。」

「え。」


思わず顔を見てしまった。

彼女は気まずそうに視線を逸らした。


「そういう人も…ダメなんですか?」


こっそりと尋ねると、彼女は頷いた。


「ダメ。無理だった。」


(ダメなのか……。)


そうなると、苦手な対象の年齢がどうのという話ではなくなる気がする。

それに、スポーツクラブのインストラクターがダメだとなると?


「もしかして、男の美容師とか……?」

「ああ、それもダメ。」

「でも、最近は多いですよね?」

「そうなんだよね。親しげに話しかけてくる人が多くて、ホントに困っちゃうの。」

「ああ……。」


美容師って、 “話すのも仕事のうち” みたいなところもあるからな。

でも、榊さんには苦痛の時間なんだ……。


「男の人に髪を触られるのも、なんとなく嫌なんだよね。」

「はあ。」

「あと、デパートの靴売り場の男の人とか。」

「え? 靴売り場ですか?」

「そう。履くのを手伝ってくれそうになるんだよ。」

「へえ……。」


結構ダメな場面が多いじゃないか。

それに、デパートの店員なんて、若い人だけじゃないと思うし……。


「じゃあ……、もしかしたら整体なんかは……?」

「そんなのあり得ないよ! 体を触られるとか、絶対に嫌。」

「そうですか……。」


俺の隣の席の女性は、疲れるとマッサージに行っている。

気持ちが良くて、いつも眠ってしまうと言っているけど、榊さんには「あり得ない」……。


「大変ですね……。」

「え? べつに行かなければいいだけのことだから。」


そう言って、榊さんはふふっと笑った。


(そりゃそうかもしれないけど……。)


隣を歩く榊さんをこっそりと見ながら考えてしまう。

恋人ができたらどうなのだろう、と。


(手をつないだり、腕を組んだりすることも嫌なのかな……?)


そんなことを考えたら、彼女の手が気になって、やたらと落ち着かない気分になってしまった。








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