第四話
榊さんが話し始めてくれたのは、お酒をもう一杯飲んでからだった。
飲みながら何度も迷うような表情をして、どう話そうかと考えているようだった。
ようやく決心した榊さんは、テーブルの上で手を組んで、ちょっとあらたまった様子で俺を見た。
それから、やっぱり言いにくそうに視線を何度も泳がせて、最後に一言言った。
「同窓会があるの。」
それだけだった。
そのまま気まずそうに自分の手を見つめているだけ。
「え、あの……?」
そこからどう話をつなげたらいいのか分からない。
とにかくもう少し情報をもらわないと。
「同窓会って、その……、いつなんですか?」
「11月の終わり。」
「ええと……、大学の?」
「違う。高校。」
「高校……。」
「そう。卒業10年目の。」
そして沈黙。
「あのう……、行きたくないんですか?」
「うん。」
「じゃあ、断ればいいのに……。」
そう言った途端、ものすごく恨めしそうな顔をされた。
「だって、断れなかったんだもん。」
「あ、そうなんですか……。」
簡単に「断れば」なんて言った自分が、とてもデリカシーがない男みたいに思えてしまった。
「すみません……。」
「べつに謝らなくてもいいけど。」
少し怒ったような、困ったような様子で、榊さんはため息をついた。
それから少し力を抜いて、今度はきちんと話してくれた。
「北海道にお嫁に行った友達が、このために帰って来るって張り切ってるの。で、あたしにも “絶対出席して” って言うから……。」
「ああ……。」
「 “別の日に会わない?” って言ったけど、家の都合で無理だって。」
「そうなんですか……。」
話しているうちに、榊さんの表情が変わった。
本当に困っていて、どうしていいのか分からない、という顔。
仕事中には絶対に見せない顔だ。
「そんなに嫌なんですか?」
「嫌。」
即答するほど嫌。
なのに断れない。
(うーん……、榊さんが悩んでいる原因は分かったけど……。)
なんで同窓会に出ることが、そんなに憂うつになるほど嫌なんだろう?
昔の友達が来るって分かっていれば、特に嫌がるほどのことなんてないのに。
「どうしてそんなに嫌なんですか?」
思い切って訊いてみた。
榊さんは一瞬息をつめて視線を逸らした。
まるで、「それは訊かれたくなかった。」というように。
「もしかして、会いたくない人がいるんですか?」
榊さんの表情が歪む。
「仲が悪かった人とか?」
今度は小さく首を横に振る。
「昔の彼氏とか。」
「いないって言ったじゃん!」
怒られてしまった。
でも、少し拗ねたようにグラスの水滴を指でなぞる様子は、心の中のことを話す準備をしているように見えて、俺はそのまま黙っていた。
「彼氏じゃないけど、ちょっと。」
何かそれらしいことがあった相手?
告られたのを断ったとか……。
高校生だったら、そういうことってあっても普通だと思うけど。
「だったら、その人だけを避けてればいいじゃないですか。同窓会って、クラスのなんですか?」
「学年全部。」
「それなら人数も多いんだから、問題ないですよね?」
「あるんだよ。ああ、もう……。」
ますます元気が無くなってしまった。
片肘をついて頭を支える姿がものすごく気の毒だ。
でも、その一方で、俺の心の中には不思議な充実した気分が広がっていた。
榊さんが俺に弱気な部分を見せてくれたことで。
今までもプライベートな話をしたことはあるけど、これほど弱気な彼女は記憶にない。
「何がそんなにダメなんですか?」
助けてあげたいという気持ちと、何でも話してほしいという気持ちでいっぱいになって尋ねる。
彼女の弱気な姿を見て、逆に俺が強気になっている気がする。
「うー………。」
両手で頬を押さえてちょっと面白い顔をした榊さんが、上目づかいに俺を見た。
それから手を膝に乗せると、少し身を乗り出して、小声で言った。
「笑わない?」
「笑いませんよ。」
俺も身を乗り出して答える。
友人の悩み事を聞いて笑うなんて、あり得ない。
「あのね……。」
「はい。」
「あたし、男の人が苦手なんだよね……。」
「……はい?」
冗談を言われているのかと思った。
だから、榊さんの様子をじっと見てみた。
目の前に座る榊さんは、気まずそうに目を逸らしたまま、なんとなくもじもじしている。
(本当なのか?)
簡単には信じられない。
今までの彼女は、誰に対しても気後れしているようには見えなかったんだから。
それに。
「ええと……、俺は……?」
“一応、男なんですけど?” という意味を込めて尋ねると、彼女はちらりと俺を見て答えた。
「年下だし。」
ガツン! と殴られた気がした。
(な、なんで!? 年下は男じゃないのか!?)
ものすごくショックだ。
べつに榊さんと恋人同士になりたいと思っていたわけじゃない。
だけど、 “男” の範囲に入っていないということは、男として認められていないということなんじゃないだろうか?
そりゃあ彼女は男に頼ったりしない人だから、相手が男でも女でも関係ないのかも知れない。
だけど……。
混乱した頭はいろいろな可能性を考える。
そしてすぐに、もう一人、俺と同じ立場の人物を思い付いた。
「あ、あの、槙瀬さんは……?」
すがる思いで尋ねる。
あの人も性別は男に間違いないけど……。
「槙瀬さんも平気。年上だから。」
( “年上だから” ……。)
彼女の言う意味がおぼろげながら理解できた。
彼女は “年下は男じゃない” と言ったわけではなかったのだ。
(年齢が、苦手かどうかに関係する、ってこと……?)
ほっとすると同時に、どっと疲れが襲ってくる。
脱力して椅子の背に寄り掛かった俺を見て、彼女は心から申し訳なさそうな顔をした。
「くだらない話でごめんなさい……。」
しょんぼりと謝る彼女を見たら、すうっと心が軽くなった。
「いいえ。」
自然に微笑みが浮かんだ。
彼女は今までこのことを隠してどれだけ苦労をしてきたのだろう?
3年間隣で仕事をしていた俺も気付かないほど上手に隠して ――― 。
そんなことを考えていたら、彼女が話し始めた。
一番大きなことを口に出してしまったことで気が楽になったのかも知れない。
「べつに、全部の男の人がダメっていうわけじゃないの。基本は同い年の人。まあ、タイプによっては1つ2つ上の人も。」
「ああ……。どうしてでしょうね?」
「分からない。高校に入学したときには、もう、そうだった。」
素直に話し始めた榊さんは、困ったようでもあり、悲しそうでもあった。
自分のその性格で、傷付いたこともあるのかも知れない。
「そうだったんですか。……怖いんですか?」
「怖い…っていうよりも、どうしたらいいのか分からない。恥ずかしいっていうのもあるし……。」
「じゃあ学校は……。」
「普段は女子の友達がいれば平気だったから。だけど、グループとかペアになったりすると、ちょっと……。」
その場面を思い出したのか、榊さんは苦しそうな顔をした。
確かにその通りだったんだろう。
調理実習とか修学旅行とか実験とか、学校では男女混合で何かをやる場面は結構ある。
それを嫌がる生徒がいることは知っていたつもりだけど、ここまで重荷に感じる人がいるとは思わなかった。
「友達にフォローしてもらったりとか、しなかったんですか?」
「そんなこと頼めないよ。」
彼女は “とんでもない!” という顔をした。
「どうして?」
「だって、 “純情ぶってる” って思われちゃうもん。」
「そんなこと……。」
「ううん、絶対に思われる。」
「そうですか……。」
「今だってそうだよ。28歳にもなって “男の人が苦手だ” なんて、言えないよ。」
困ったような、悲しそうな、そして、少し怒ったような顔で榊さんが言い切る。
「だから “なんでもない” って言ったんだよ……。」
「そうだったんですか……。」
確かにそうかも知れない。
それに、言ったとしても、仕事の上では “だから何?” ということだ。
「あの、仕事は……?」
「え?」
「辛くなかったんですか?」
「ああ、それは大丈夫。」
彼女が少し微笑んだ。
久しぶりに笑顔を見たような気がしてほっとした。
「ちゃんとした用事がある相手なら大丈夫なの。ダメなのは雑談。」
「そうなんですか。」
「それに、大学に入ってから分かったんだけど、年が離れてる人は平気なの。年下も。だから、職場ではそれほど多くないの。」
「……それならよかったです。」
隣で仕事をしていたのに、彼女が苦労していることに気付かなかったというのは嫌だった。
でも、それほど辛い思いをしたのではないのなら……。
「だから、誰にも言わないでね。」
榊さんが身を乗り出して、真剣な顔で言った。
少し元気が出たように見える。
「分かりました。」
俺も真剣に約束する。
そして、元気付けるつもりで話を戻した。
「同窓会なんて、たったの何時間かのことじゃないですか。そんなの、あっという間に終わっちゃいますよ。」
ところが、彼女は “同窓会” という言葉でまた固まってしまった。
それから。
「あ〜ん、やっぱりダメだ〜。」
と両手を頬にあてて、情けない声を出した。