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第三話


榊さんを誘ったのは、少し上品な居酒屋。

有機野菜の蒸し料理が人気の店で、女性客が多い。

隣の席とのしきりが壁になっていて気兼ねなく話ができるので、この店を選んだ。

榊さんとも何度か来たことがあるし。


……と言っても、二人だけで飲みに来たのは初めて。いつも槙瀬さんや里沢さんが一緒にいた。

それはたぶん、俺に気を使ってのことだったと思う。

雑談の中で、恋人がいる男が女性と二人で出かけるのはダメだ、みたいなことをちらりと言われたことがあるから。


榊さん自身は、槙瀬さんと二人で飲みに行くこともある。

恋人のいない者同士なら問題が無いということだ。

それに、社内で榊さんと槙瀬さんの仲を疑っている人はほとんどいない。

ということは、槙瀬さんと同じくらい榊さんと仲の良い俺なら、榊さんと二人で飲みに行くのもOKに決まってる。


誘うときには、俺が心配しているということは言わなかった。

廊下で「久しぶりに行きませんか?」と声をかけ、念のため、「仕事が一山越えたんです。」と付け加えた。

店の名前を出すと、榊さんは「いいね。」と笑顔でOKした。


彼女がほかにも誰かが一緒に行くのだと思っていることは分かっていたけれど、それは敢えて黙っていた。

だって、断られたら困る。

このままでは普通じゃない彼女のことが心配で、俺の方が体調を崩してしまう。

それに、俺にはもう恋人がいないんだから、榊さんが気を使う必要はないはずだ。

だから、出発間際に「あれ? 二人だけ?」と言われたときも、「そうなんですよ。」と返して終わりにした。




お酒も食事も会話も楽しく進む。

初めての二人だけの居酒屋だって、いつもと変わりはない。

社内のうわさ話や新しいシステムの話題、テレビドラマの批評など、とりとめもなく話は続いて行く。


テーブルをはさんで座っている榊さんも、いつもと変わらない。

薄いグレーのブラウスは襟とカフスの部分が白、胸元には水色の石が揺れる銀色のチェーン。

毛先が肩にかかる長さの髪を片方だけ耳に掛けて、化粧は控え目。

シンプルで、爽やか。

料理を楽しみ、お酒を楽しみ、会話を楽しみ……ずっと笑顔。


俺は飲む酒のペースを控え目にして、榊さんの様子をさり気なく観察していた。

そして料理が少し落ち着いたところで、問題の話を切り出してみた。


「榊さん。もしかしたら、どこか具合が悪いですか?」

「え?」


楽しそうなまま首を傾げた。

何も心配事なんか無いような無邪気な顔で。


「なんかその…、最近、元気がないみたいだから…。」

「そう? そんなこと無いけど?」


目をぱっちり開けて、「どうしてそんなことを聞くの?」みたいな顔をする。


(なんで……?)


その表情が、俺にはとてもショックだった。

まるで自分の存在を拒否されたみたいで。

役立たずだと言われたみたいで。


胸がつぶれるような重苦しさが襲って来た。


「……俺だから言わないんですか?」


気付いたら、つぶやくようにそう言っていた。

榊さんの顔から笑顔が消えて、戸惑いの表情が浮かぶ。

そんな顔をさせて申し訳ないと思うけど、胸が痛くて苦しくて、自分の気持ちを吐き出さずにはいられない。


「先月からずっと元気がないじゃないですか。憂うつそうな顔してるところを何度も見ました。ため息ついてるところも。どうして “なんでもない。” って言うんですか? なんでもないのに、どうして元気がないんですか? どうして話してくれないんですか? 俺は心配で具合が悪くなりそうなのに。そんなに俺は頼りになりませんか? それとも信用されてないんですか?」


一気にしゃべる俺を、彼女は戸惑いの表情を浮かべたまま見つめていた。

途中で何かを言おうと口を開いたけれど、そのまま何も言わなかった。


俺は口を閉じ、彼女の答えを聞こうと待った。

目が合うと、彼女は視線を泳がせて、気まずそうに通路の方に顔を向けてしまった。


(話してくれるまで諦めませんから。)


心の中で宣言する。


どのくらい経ったのか、榊さんがちらりと俺を見た。

俺が黙って彼女を見つめていると分かると、目を閉じて、諦めたように大きく息をついた。

それを見て、 “勝った!” と思った。


「具合が悪くなりそうって……本当?」


なんとなく恨めしそうな顔をされている気がする。

俺がウソをついて聞き出そうとしていると思っているのか?


「ウソじゃありませんよ! ここのところずっと胃のあたりが重くって。」


真実だと分かってもらうために、胃のあたりを押さえてみせる。

すると、今度は情けなさそうな顔をした。


「ああ……、ごめんなさい。でも、全然そんな重大なことじゃないんだよ。紺野さんに心配してもらうような話じゃないの。ただみっともないだけで。」


やっぱり言いたくないらしい。

困った顔をして、懸命に俺を説得しようとする。


「重大なことじゃないなら、話してくれてもいいじゃないですか。」


つい、恨みがましい言い方になってしまった。

だけど、こんなに心配してるんだから、それは許してほしい。


「いや、だけど、ちょっと……。」


苦しそうに、断ろうとする榊さん。

でも、ここまで来たら引き下がれない。


(最終手段だ。)


「俺の胃に穴が開いてもいいんですね?」


脅しだと分かっている。

だけど、まるっきりウソというわけじゃない。


「え?」


彼女は驚いた顔をした。


「教えてくれないと、気になって仕方がないんです。胃に穴が開かなくても、不眠症になるかも。」

「そんな……。」


俺を見つめる榊さんの表情には、たくさんの感情が混ざっている。

“信じられない!” “困った。” “どうしよう?” “ずるいよ。” etc ……。


しばらく俺を見つめていてから、最後にほっと息をついた。

そして、困った子どもに話しかける先生みたいな顔をして言った。


「紺野さん?」

「はい?」

「あのね、悩んでるあたしに、紺野さんがもう一つ悩みを増やしてるって分かってる?」


(あ、そうか。)……と思ったけど、ここで納得してはいけない。

自分の健康を守るために、ここで諦めるわけにはいかないんだ。


「でも、話してくれれば、一つは解決します。」

「う……。」

「それに、最初の悩みにだって、俺が相談に乗れるかも知れないじゃないですか。」


俺の言葉を聞いて、榊さんはがっくりとうなだれてしまった。

俺が話を聞くまで諦める気はないと分かったからだろう。

そして、


「誰かに話して解決するようなことじゃないんだけど……。」


とつぶやいた。

でも、俺にはこれで自分が目的を達成したことが分かった。

榊さんは、俺に悩みを話してくれる決心をしたのだ。








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