表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/31

第二十四話


倉庫で足音を聞いたときに榊さんが俺を頼りに思ってくれたのだと気付いたのは、彼女が電車を降りてからだった。

あの場合、ほかに選択肢がなかったし、普段の生活とはちょっとかけ離れた出来事ではあったけど。


それでも、俺はそれなりに役目を果たしたのではないかと思う。

そのこともエレベーターから降りたときの彼女の態度が違っていたことの原因の一つになったのではないかと。

だとしたら、やっぱり俺たちの関係は少しずつだけど進んでいるのだ。




その週末は、榊さんへのアプローチは控えることにした。

新人のフォローで忙しかったうえに、金曜日には怖い思いをして疲れているだろうと思ったから。

それに、倉庫でのことをきっかけにして、俺のことをじっくりと考えてもらえたら、とも思った。


榊さんの様子がおかしいことが気になって、俺が食事に誘ってからおよそ一か月半。

その間にいろいろな新しいことがあった。


榊さんの秘密を知った。

今までとは違う一面を見た。

二人で食事に行った。

休日に二人で会った。

感情的になって彼女を責めたこともあった。


そういうことを、考えてみてもらえないだろうか。

俺の行動を “どうして?” と思うだけでもいい。

もしも直接「どうして?」と訊いてくれるなら、俺はきちんと答える用意がある。




土曜日も日曜日も、何事もなく過ぎた。

けれど、カレンダーを見るたびに、次の日曜日に行われる榊さんの同窓会のことが頭をよぎった。

そして一緒に同窓会の風景も浮かんでくる。


(榊さん……。)


夜になると淋しくなってしまった。

風呂上りに缶ビールを開けて、ぼんやりとテーブルの上のスマートフォンを見つめる。


いつでも目に入るように、きのうも今日も、ずっとテーブルの上に置いておいた。

でも、そこに届くのはいらない情報ばかり。

彼女からのメッセージは来ない。


(用事がないんだから、来るわけないよな……。)


缶ビールを一口飲んで、自分で自分を嘲笑う。

榊さんが俺に興味を持ってくれるなんて、自意識過剰もいいところだ。


(そうだよな。)


仕事ができて、性格が良くて、みんなに頼りにされている榊さん。

でも、本当は男が苦手で、臆病で ――― 。


(臆病?)


ふと、高校時代の彼女の姿が頭に浮かぶ。

秘密を話してもらったあと、一人になってから思い描いた景色。

貸したノートを返してもらえなくて困っているのに、返してほしいと言うことができずに、その場を立ち去る榊さん。


(臆病……。)


ノート男の態度をどう受け止めたらいいのか分からずに、でも、誰にも相談しなかったと言った。

あの日、俺にも「どう思う?」とは訊かなかった。

それは、与えられる答が怖いから……?


(だとしたら。)


榊さんが俺に「どうして?」と尋ねることはないような気がする。

俺の行動にどんなに疑問を持ったとしても。

きっと一人で考えて、どこかから正当な理由をくっつけて、片付けてしまうだろう。

正当な理由 ――― 単なる同僚としての。


(榊さんは、ずっとそうやって来たんだ……。)


静かに霧が晴れて行くような気がした。


ノート男がきっかけだったのかも知れない。

いや。

高校に入学したころにはもう男が苦手だったと言っていたから、その前だろうか?

それはたぶん、彼女の自信のなさの現れ。


いつなのかは分からないけれど、彼女には好きな人がいた。

けれど、その恋は成就しなかった。

その苦しさや悲しみが辛くて、もう恋はしたくないと思ったんじゃないだろうか。

だから本能的に男を避けるようになった。

親しくなって、相手を好きになることが怖くて。

好きになっても、自分が相手に好かれることはないと思って。


彼女はただ男が苦手なんじゃない。

恋をすることが怖いんだ。

恋をして傷付くことが……。


(榊さん……。)


――― 「あたしはいいの」


恋人はいらないのかと尋ねられたときに、彼女がよく使う言葉。

その言葉を、彼女はどんな想いで口にしていたんだろう?


ノート男のことも、そう思いながら見ていたんだろう。

本当は「どうして?」と訊きたかっただろうに。


でも、榊さんはそれをしなかった。

そいつには彼女がいたから。

榊さんには、そいつを彼女から奪えるほどの自信がなかったから。

もしくは、その彼女を傷付けることを避けて。


(もしかしたら……。)


本当は、ノート男も榊さんのことが好きだったのかも知れない。

でも、自分には彼女がいた。

すでに心変わりしていたけれど、彼女に別れを言い出すことはできなかった。

自分を信じてくれている相手を傷つけたくなくて。


(ああ……、そうかも知れない。)


この方がすっきり説明がつく。

榊さんがノート男のことを忘れられずにいる理由が。


榊さんが好きになった相手だから、きっと真面目な男だったに違いない。

優しいところもあったんだろう。

だから、自分の彼女に別れ話をもちかけることができなかった。

自分の心が彼女を裏切っていることで、自分を責めていたかも知れない。

その苦しい状況の中で、榊さんと、クラスメイトとしてのギリギリの接点を求めた。


(きっとそうだ。)


そいつは何も言わなかったけれど、榊さんは感じていたんだ。

だから混乱した。

そして、忘れられないでいる……。


(高校生の恋か……。)


おとなと子どもの狭間の時代。

たった3年間しかない特別な時間。

管理されて息苦しいような気もするけれど、未来があって、自由で、純粋で……傷付きやすい。


「フフッ……。」


あまりにも美化しすぎている?

これも、自分が大人になったせいなのか。


もちろん、さっきのノート男の話は俺の勝手な想像に過ぎない。

感傷的な悲恋物語。

誰も幸せにならなかった。

それとも、ノート男は彼女とずっと仲良くしていけたのだろうか?


(でも、榊さんに大事なのは今、そして、これからだ。)


テーブルの上のスマートフォンに手を伸ばす。

探すのは榊さんの電話番号。

そして、迷わず発信。

コール音が1回……、2回……。


『はい…、榊です。』


探るような声。


「こんばんば、榊さん。」


警戒させないように、明るい声を出す。


『ええと、はい、こんばんは。』

「今、何してるんですか?」

『え?』


(そうそう。急に電話してそんな質問するなんて、変ですよね?)


『ええと、テレビを見ていたところ……。』

「そうですか。」


そのまま言葉を切ってみる。

榊さんは何て言う?


『あの……、紺野さんは何をしてるの?』


(残念。「どうして?」って訊いてくれなかった。)


「ビールを飲んでます。」


テーブルの上の缶ビールを軽く振ってみる。

まだ半分くらいは残っている。


『ああ。酔っ払ってるのね。』

「はは、そうかも知れません。」


(違いますよ、榊さん。俺はまだ酔ってません。)


けれど、彼女は安心したようだ。

俺が酔っ払って電話をかけたのだと思って。

納得できる答を見付けたから。


理由を尋ねてくれないのは悲しいけれど、せっかく酔っ払ったと思ってくれているなら、少し調子に乗ってもいいだろう。


「急に榊さんの声が聞きたくなって。」

『あらまあ、それは光栄です。そういえば、去年までは毎日、隣の席で話していたんだものね。』


(ああ、まただ。)


彼女は理由を自分で見付けてる。

理由を見付けて、安心して。

話題が核心に触れないように。


「そうですね。ちょっと禁断症状かも知れません。」

『何言ってるの、違うでしょ? 本当は、彼女と別れちゃって淋しいんじゃないの?』

「そうかな?」

『そうだよ、きっと。だから早く誰かを見付けたらいいのに。』


(俺が淋しくて榊さんに甘えてるから? 榊さんはそう思いたいんですね?)


その方が安心だから。

今までの関係が壊れないように。


「そんなに簡単じゃないですよ。」

『そんなことないよ。紺野さんなら、絶対に大丈夫。』

「あはは、ありがとうございます。」


(それは、相手が榊さんでも、ですか?)


とりとめのない話。

俺はときどき微妙な言い回しを混ぜ、彼女はそれにラベルを貼るように整理して片付ける。

少し危うい、もぐらたたきのような会話。


(今はそれでいいです。)


心の中で密かに願う。

電話を切ってからでいいから、と。


(俺のことをたくさん考えてください。そして……、その理由を考えてください。)


榊さんに「どうして?」と言ってほしい。

俺に理由を尋ねてほしい。


なぜなら……。


それが言えない榊さんは、きっと、心がいつかの時点で止まってしまっているから。

そして、今までどおり垣根を張りめぐらして、そこに閉じこもったままでいるつもりだから。







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ