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第二十三話


言葉を止めたまま、真剣な表情で俺を見つめる彼女。

薄暗い明かり。

誰も来ない地下倉庫。

重なった指。


いきなりやってきた沈黙の中で、「もしかしてチャンスなのか?」と心が踊る。

ドキドキし始めた鼓動を落ち着けようと、深く息を吸い込む。


(よし。)


「さか ――― 」

「しいっ。」


口元で人差し指を立てる彼女。

それにつられて俺も息をひそめると……。


「足音がする。」


彼女がこっそりと囁いた。


息をひそめて耳を澄ますと、確かにコツ…、コツ…、コツ……と、歩く音がする。

少しゆっくりと、そして静かに。


「こっちに来る……?」


俺の言葉に彼女がコクンとうなずいた。

それから俺が抱えているファイルを1冊づつ取って、素早く棚に戻す。

その間、ほとんど音を立てなかった。


コツ……。


足音が止まり、一瞬ののち、ガチャガチャッと、金属質の音がした。


(ドアを開けようとしてる……?)


方向と音の大きさ的には1番倉庫だと思う。

何が起きているのかよく分からないまま、榊さんと顔を見合わせる。


コツ…、コツ…、コツ…、コツ……。


再び足音。

明らかに近付いて来る。


通路側に移動し、棚越しに、荷物の隙間からドアの方を窺う。

薄暗い倉庫に聞こえてくる足音の急がないテンポに背筋がゾッとする。


コツ…、コツ…、コツ…、コツ……。


(止まった。)


ガチャ。

ガチャガチャ、ガタン!


乱暴な音に心臓が大きく飛び跳ねた。


音はさっきよりも近い。

2番倉庫だ。

ドアを開けようとしているのは間違いないらしい。


背広の袖と背中をギュッとつかまれた。

それだけじゃなく、背中がじんわりと温かい。

いつの間にか榊さんが背中にしがみついていた。


「ど、どろ、ぼう……?」


途切れがちな声で榊さんが俺に訊いた。


「まだ分かりません。」


ドキドキしているのは、彼女のせいか、それとも足音のためか。

もし危険人物だとしたら、俺は彼女を守れるだろうか?


(俺が相手を抑え込むことができれば、そのあいだに榊さんは逃げられるかも知れない……。)


笑顔か言葉で安心させてあげたいけれど、今の心境ではちょっと無理だ。

廊下には再び一定のリズムの足音が……。


コツ…、コツ…、コツ…、コツ……。


(来る。)


榊さんの手に力が入ったのが分かった。

俺は庇うように、左手を後ろにまわした。


コツ…、コツ…、コツ…、コツ……コツ。


(止まった。)


心臓が胸をたたく音が榊さんにも聞こえているのではないかという気がする。

それともこれは、榊さんの心臓の音……?


ガチャ。


すうっとドアが開いた。

その細い隙間に黒っぽい人影が ――― 。


(来た。)


「あれ?」


悪意の感じられない、不思議そうな声が。


「誰かいますかー?」


穏やかな問いかけ。

状況がよく分からないながらも、肩にこもっていた力が抜ける。


少し顔を出してドアの方を見ると、廊下の明るい光を背負って、黒っぽい制服と制帽の人影が立っている。


「寺下さん……?」

「え?」


後ろで榊さんの声がして、背中の横から彼女が顔を出した。


「あれ? 紺野さん…と、榊さん?」

「はい。」


倉庫に入って来た小柄な年配の制服姿は、間違いなく守衛の寺下さんだった。

庶務係は守衛さんとの連絡も多いので、俺も榊さんも顔馴染みだ。


「いやあ、びっくりさせちゃったかなあ、あはははは。」


俺たちが棚の陰から出て行くと、寺下さんは人の良さそうな顔で笑った。


「泥棒かと思って……。」


榊さんはまだ笑えないでいる。


「ああ、巡回ですよ。鍵がちゃんと掛かってるか確認しながら。」


言われてみると何でもないことだ。

それに、泥棒があんなに音を出して行動するはずがない。

でも、あの薄暗い中であんな音を聞いたら、誰だって怖い方に考えが進んでしまうと思う。


「まだここにいますか? だったら後でまた ――― 」

「い、いいえ、もう終わりました。すぐ出ます。一緒に出ます。」


寺下さんの言葉に榊さんが慌てて答えた。

2度も怖い思いをした榊さんは、もうここにはいたくないんだと思う。

大急ぎでさっきの棚をチェックして、電気を消しながら、3人一緒に廊下に出た。


「本当に怖かった……。」


鍵を掛けながら榊さんがつぶやく。


「すみませんでしたねぇ。」


寺下さんは謝りながらも可笑しそうだった。

それから、鍵が掛かっていることを確認するために、ドアノブを握ってガチャガチャやった。


「はい、OKですね。」


寺下さんの笑顔につられて、俺たちもほっとしてうなずく。

「じゃあ」とあいさつを交わしてエレベーターの方に歩き出した俺たちに、後ろからからかうような声が。


「こんな所で逢い引きなんかしない方がいいですよ。」

「え!?」

「逢い引き!?」


予想しなかった誤解に、榊さんも俺も、盛大に驚いて振り返る。

そんな俺たちを、寺下さんが豪快に笑った。


「あはははは! 冗談ですよ、冗談!」


言葉を失ったままの俺たちをまた笑い、寺下さんは4番倉庫へと向かって行く。

その背中がまだ笑っているような気がする。


榊さんと俺は、そうっと顔を見合わせて………いることができなくて、俺はすぐに視線をはずしてしまった。

かと言って、黙っているのも気詰まりだ。


「ええと、じゃ、戻りましょっか。」

「そうね。あ、鍵は…ちゃんと持ってるね、うん。」


歩き出してからも黙っていられなくて、思い付くままに口に出す。


「あ、俺、スペアキーを持って来たんだっけ。ええと……。」

「あ、じゃあ、あたしが一緒に片付けておくから、ちょうだい。」

「ああ、はい。」


ポケットから鍵を出している間に榊さんがエレベーターのボタンを押した。

すぐに扉が開いて、順番に乗り込む。


「これ、スペアキーです。」

「はい。」


手のひらを差し出されて、そこにスペアキーをぽとんと落とす。

彼女の指に触れないように。

触れたらどうなるんだろう、と思いながら。


倉庫で重なった彼女の指。

温かくて、優しくて……。


(でも、榊さんにとっては、あれは何でもなかったんだ……。)


手が触れたことよりも、廊下の音に反応した。

俺に心を乱されたりしなかったんだ。


(今だって……。)


狭いエレベーターの中に二人きり。

なのに、落ち着いて階数表示の光を追っている。

寺下さんの冗談も、もう忘れているみたいだ。


(ふぅ……。)


壁に寄り掛かって榊さんの背中に向かって、こっそりとため息をつく。


ポ――――ン。


榊さんに促されて、がっかりした気分を隠しながら先にエレベーターから出た。

そのまま行こうとすると、「あ、紺野さん。」と小さく呼ぶ声がした。


「はい?」


笑顔を作って振り向くと、彼女は閉まる扉の前で立ち止まった。

彼女が言いたいことは察しがついている。

心配して見に行ったお礼だ。


「あの、心配してくれてありがとう。」

「いいえ。」


(ほらね。)


「あと、あの……ごめんね。」


そんなに謝るほどのことではないと思う。

でも、今の榊さんの様子がなんだか気になる……。


「え……?」

「あの、しがみついちゃって。」


その言葉を聞いた途端、背中と腕に彼女につかまれたときの感覚がよみがえった。

背中に伝わってきた彼女の体温も。

そして。


(榊さんが……恥ずかしがってる……?)


もじもじと手の中の鍵を触りながら、困ったような表情で俺を見る彼女。

それはたぶん、間違いなく……。


「い、いいえ。あのくらいのこと。」


信じられない気分だ。

榊さんが!

俺に!


「服が皺になっちゃったかも…。あのときは怖くて……。」


もちろん、そうなのだろう。

あれが怖さのあまりの行動だったということは、俺も承知している。

でも、それを謝る今の榊さんには、今までと違うものを感じる。


(寺下さんの一言が効いたのか……?)


榊さんが考えていなかったこと。

俺を職場の後輩以上の存在に変化させる言葉。


「榊さんて、意外と怖がりなんですね。」


でも今は、何でもないように笑ってからかう。

榊さんが俺に遠慮をしたりしないように。

それはちゃんと効果を発揮して、榊さんから気後れした様子が消えた。


「いつもはあれほどじゃないんだよ。今日は2連続だったから。」


少しふくれた顔をして、榊さんが歩き出した。

その隣に並びながら、俺は幸福感に包まれる。


「ああ、そうでした。最初に驚かせたのは俺でしたね。すみませんでした。」

「まあいいけど、それは。心配して来てくれたんでしょう?」

「はい。」

「じゃあ、いいよ。」


少し怒ったような彼女の横顔が可愛い。


(もっと俺のことを考えてください。)


「はい。」


想いを込めて返事をした。


職場に戻ると、六田さんが「無事だった?」と笑顔で訊いた。

俺は「はい。」と言ったのに、榊さんは、「紺野さんは音がしないように入って来たんですよ! もうびっくりして。」と訴えた。


「紺野は自分も怖かったんじゃないのか?」

「え〜? 六田さんだって、『俺は行けない』って言ったじゃないですか。」

「そうだっけ? あははははは!」


明るく笑う六田さんの声を聞いて、やっと現実の世界に戻って来たような気がした。

榊さんはぐったりした表情で、疲れたからもう帰ると言った。

それを聞いた六田さんも上がると言い、そのまま3人でラーメン屋に寄って帰った。







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