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第二十一話


月曜日の朝になってから、俺は少し不安になった。

榊さんがどんな態度をとるのかと。


もしかしたら、一晩経った今日は、二人で会ったことを後悔しているかも知れない。

そして、後悔しているとしたら避けられるのかも知れない。

逆に、何とも思っていなくて、同僚に気軽に話してしまうかも知れない。

誰にでも話すわけじゃなくても、槙瀬さんには話すのかも、なんて。


俺自身も、どうしたらいいのかよく分からない。

学生時代はどうだったのか、あまり記憶にない。

まあ、学校では一緒に活動しているうちに付き合い始めたから……。


(とにかくお礼を言わなくちゃ。)


もちろん、きのうだって言ったけど、今日は今日で一番最初に言いたい。

俺の頼みを聞いて出てきてくれたわけだし。


……というのは口実で、ただ朝一番に榊さんに会いたいだけかも。

だから、同じ電車に乗れるように家を出た。




「おはようございます。」


改札口を出たところで榊さんをつかまえた。

今朝の彼女はベージュのトレンチコートにスカートにパンプス、黒いバッグ。仕事仕様の服装。


「ああ、紺野さん。おはようございます。」


俺を見上げた表情は……。


(オッケーかも〜〜〜!)


いつもと変わらぬ笑顔。

後悔はまったく感じられない。

そして、ちょっと首を傾げて俺の服をゆっくりと見て。


「やっぱりスーツも似合うよねぇ。」


納得したように、再びにっこり。


(スーツ「も」だって!)


まさに心臓を撃ち抜かれた気分!

朝からこんな攻撃をされたら、俺はいったいどうなっちゃうんだろう?


きのうのお礼を言うと、榊さんは何でもないことのように「こちらこそ。」と答えてくれた。

そのさっぱりした笑顔にほっとした反面、多少のがっかり感が入り込むのは仕方のないことだった。


「おはようございます。」


信号で止まったところで、後ろから女性の声がした。

振り向くと、庶務係で榊さんと背中合わせに座っている雲井さん。

去年入社した人で、俺も一年間一緒に仕事をした。

おとなしくて素直な性格で、榊さんにとてもなついている。

榊さんも俺も、気心が知れた同僚と言える……けど。


(どうするんだろう?)


榊さんと俺の間に雲井さんを入れてあげながら、朝の心配が頭をもたげる。

きのうのことを、話すのか、話さないのか。


(俺からは話さない。でも……?)


さり気ない表情を作りながら、女性二人の会話に適切な相槌と質問をはさむ。

話題は雲井さんが最近入会したフィットネスクラブのことだった。


「それが、土日に行くと、いつ行ってもいる人がいるんです。」


雲井さんが力を込めて説明している。


「何時に行っても、必ずいるっていう人が5人くらい。お互いに知り合いみたいで、きっと一日中、あそこにいるんだと思います。お風呂もあるし。」

「へえ。」


確かに暇つぶしにはいいかも知れない。

健康にも良さそうだし……と思ったところで小さな爆弾が。


「榊さんは、土日はお出かけしなかったんですか?」


ハッとして、思わず鋭く榊さんを見てしまった。

雲井さんには俺の顔は見えなかったはず。

でも、榊さんは……?


「出かけたよ。きのう。」


彼女の言葉に心臓がドキドキし始めた。

知らん顔をしようと思っても、すぐに彼女に視線が戻ってしまう。


榊さんは、俺の方はちらりとも見なかった。

笑顔をまっすぐ雲井さんに向けている。


「三浜が丘のデパートに。」


ドッキン!

ひと際大きく心臓が打つ。


「一日中見てまわったのに、結局、何も買わないで帰って来ちゃったけど。ふふ。」


(あ……。)


それが、俺へのメッセージでもあるのだと思った。

一緒に出かけたことは秘密。

それが榊さんの選択だ。


一瞬、弱気になって、俺と出かけたことを “なかったこと” にしたいのかと思った。

けれどすぐにさっきの彼女の様子を思い出し、単に他人に詮索されないための方便だと納得する。


(秘密……か。)


そう決まってみると残念だ。

オープンにしてくれたら、榊さんと俺の仲の良さを自慢できるのに。


でも、秘密も、それはそれで嬉しい。

みんなに堂々と言えないことを二人でやったのだという共犯者的な気分。

そして、楽しかった思い出を、二人で大切にしているような温かい満足感。


3人で歩きながら、榊さんは意味ありげな視線も態度も見せなかった。

俺はそれをさすがだと思いながらも、少しだけ残念で、淋しい気もした。




そのまま何事もなく、その週は過ぎて行った。


俺はなるべく榊さんと二人で話すチャンスを作りたくて、彼女の動きを気にしていた。

けれど、そうしながらも、あまりやり過ぎて警戒されたり、うるさがられたりしないように気を付けなくちゃとも思っていた。

それに、日曜日のデート ――― って俺は思ってる ――― は大きなイベントだったから、榊さんには少し落ち着く時間も必要な気もした。

だから結局は、じりじりしながら、彼女とは今までと変わらない距離を保つだけになってしまった。


水曜日の夜には、槙瀬さんを含む男ばかり何人かで飲みに行った。


店まで歩く途中で、槙瀬さんに「榊と仲直りできたか?」と訊かれて「はい。」と答えた。

その質問で、槙瀬さんが今週は榊さんとは個人的に話をしていないことを知った。

榊さんに関しては俺が槙瀬さんに一歩先んじていると思うと、すっきりした気分で槙瀬さんと話すことができた。

本当のことを言えば、“すっきりした気分” ではなく、 “得意な気分” という方が正しいかも知れない。


その間にも、榊さんの同窓会はどんどん近付いて来る。


俺はもう、同窓会の話題を出すのはやめていた。

いたずらに彼女を不安にさせる気にはなれなかったから。


その代わり、話せるときには楽しい話題を心がけた。

自分のドジ話や軽く頭に来たことなどを話すと、榊さんはにこにこして俺を慰めてくれた。

お菓子のおすそ分けをくれたり。

わずかな時間、わずかな会話だけど、俺にはいつでも幸せをもたらしてくれた。


でも、彼女はいつも先輩の態度。

俺を頼ってくれる様子は、相変わらず皆無だ。




そして金曜日。


(土日にまた呼び出すのはダメだよなあ……。)


同窓会まで10日を切ったことを考えると、もう一度くらい、インパクトのあることが欲しい。

ノート男の思い出に負けないくらいの出来事が。


でも、2週連続で誘ったりしたら、さすがに榊さんだって変だと思うだろう。

せっかくいい感じに継続してるのに、ここで引かれたらショックが大き過ぎる。


とは言っても、今週はずっと控え目にしてきたから、少し長めの二人の時間を作りたい。

そして、できれば少しだけロマンティックな雰囲気が出せれば……。


(とすると、夕飯かな。)


今日の帰りに。

お店はカジュアルでも、景色がいいとか。

まあ、お店に特徴がなくても、それらしいセリフを言ってみるとか?


(うん。ちょっとだけなら、それもいいかも♪)


少しだけ俺の気持ちをほのめかすようなことを言ったら、彼女はどんな顔をするだろう?


気付かないのか、気付かないふりをするのか。

あるいは戸惑いの表情?

ポッと頬を染めるとか。

もしかしたら、嫌な顔をされる可能性もあるのかな。

でも、ほんのちょっとだけならごまかせるし……。


昼休みに誘おうと決めて、一人で浮かれながら仕事に励んだ。


けれど。


昼休みになるとすぐ、榊さんを営業課の女性が誘いに来た。

タイミングを奪われてしまった俺は、二人の後ろをぼんやりと歩くしかなかった。

二人が社員食堂に行くという会話が聞こえたので、食事が終わって戻るときに榊さんをつかまえようと思って、俺も社員食堂に行くことにした。


社員食堂は2つ上の階。

俺たちのフロアからは階段を使う方が早い。

階段のスペースに入ると話し声が響いて、すぐ前にいる榊さんたちの声がよく聞こえた。


「ねえ、琴。今日、飲みに行かない?」


「琴」というのは、琴音(ことね)という名前の榊さんの愛称。

同期の女性には、たいていそう呼ばれている。


「うちの兄の大学時代の友達が来るんだけどさあ、かなり粒揃いなんだよね。」


(合コン!?)


もしくはそのようなもの。

しかも、相手は「かなり粒揃い」。


思わず二人の会話に神経が集中。

榊さんは申し訳なさそうな顔を隣の女性に向けた。


「ごめん。忙しくて残業なの。」

「え〜。急ぎなの?」

「うん、ちょっとね。休んでる人の代わりで。」

「そっか〜。残念〜。」

「ごめんね。来週、どんな様子だったか聞かせてね?」


二人はくすくす笑いながら話題を変えた。


(そうか。榊さんなら断って当然か……。)


ほっとしながら思い出した。

彼女は男が苦手なのだ。

わざわざ初対面の男と酒を飲みたいなんて思うはずがない。

紳士服売り場の店員でさえダメなんだから。


(でも、残業は本当?)


断る口実かも知れない。

あとでさり気なく確認してみよう。

そして、できたら帰りに食事に行けたらいいな。







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