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第二話


そんな榊さんの様子が変だと気付いたのは9月の終わりだった。

秋の彼岸が終わり、夕方になると涼しい風が吹き始めたころ。

地下の倉庫に探し物があって行くと、並んでいる倉庫の一つの扉の前で、榊さんがぼんやりしていた。

たぶん、鍵を掛けて抜いたところなのだろう。鍵穴の高さで右手に鍵を持ったまま動きが止まっている。


(珍しいな。)


俺が近付いて行くことにも気付かないらしい。

こんなこと、今までに一度もなかった。


「榊さん。どうかしました?」


声を掛けると、ビクッとしてこちらを向いた。

俺を認めてすぐにいつもの爽やかな笑顔になる。


「ああ、紺野さん。もしかして3番倉庫?」


そう言いながら、握った鍵を上げて見せた。


「いいえ、2番です。」


俺も自分の鍵を示す。


「そう。じゃあ良かった。なんだかぼんやりしちゃってた。用事が終わったら、鍵はさっさと返さなくちゃね。」

「そうですよ。」


顔を見合わせて、二人で笑い合う。


「用事が終わったら…」というのは、庶務係の誰もが口癖のように使う言葉。

倉庫に会議室、社用車、機械室、金庫……庶務係で管理している鍵は多い。

したがって、借りに来る人も多いわけだけど、返すのを忘れてしまう人がときどきいるのだ。

途中で別な仕事を思い出してポケットに入れてしまったり、たまたま会った人が使いたくて渡したりして、行方不明になってしまうこともある。

だから、「用事が終わったら、鍵はさっさと…」なのだ。


「荷物に押しつぶされないように気を付けてね。」

「はは、1時間たっても席に戻ってなかったら、探しに来てくださいね。」


これも庶務係でよく交わされる冗談。

倉庫には “とりあえず” 積み上げてあるものや、高い棚に無理矢理詰め込んだものがあるから。


最後ににこりと微笑んで、確かな足取りで去っていく榊さんの後ろ姿は、いつものように姿勢が良くて爽やかだった。

ぼんやりしていたのもきっとほんの数秒だったのだろう、と思った。




「うわっ、しまった!」


慌てた声が聞こえたのはその日の夕方。

見ていた書類から目を上げると、向こうの庶務係で榊さんが立ち上がっていた。


(あんなに慌ててる……。)


ものすごい勢いで、机の上の何かを探している。

メモか書類がなくなったんだろうか。

榊さんが慌てるという珍しい事態に、隣の席や係長から心配そうな視線が向けられる。


「あ、大丈夫です。たぶん……あ、あったあった。よかった〜。」


こちら向きに座っている榊さんの声は、普段から結構よく聞こえる。

電話でもはっきりと聞き取りやすい話し方は、発声や発音がほかの人と少し違うような気がする。


「すみません、お騒がせして。間に合いますから大丈夫です。ごめんなさい。」


隣の人にも小声で謝って、真剣な顔でパソコンに向かう。

身を乗り出して画面を見ている姿はかなり焦っている雰囲気。


(俺が隣にいたときにも、滅多になかったよな。)


3年間で、たぶん2回か3回程度。

しかも、さっきみたいに大きな声を出したことはなかったと思う。


完璧じゃない榊さんを見られたことで、少し楽しくなった。



でも、その翌日以降も、榊さんは少し変だった。

仕事で失敗、というのはさすがにないようだった。

ただ、ぼんやりしていたり、ため息をついたりしている姿を度々見かけるようになった。


お昼休みの社員食堂や廊下を歩いているとき、給湯室など、一人でいるのを見かけると、いつも元気がない。

帰りに駅前のコーヒーショップに一人でいるのを見かけたこともある。

「ゆっくりするなら家で」が信条だった榊さんは、今までそんなことをしたことがなかったのに。

まるで、家に帰るまで元気が持たないみたいだ。


(どうしたんだろう?)


いつも笑顔でキビキビ動いていた榊さんがそんな状態になるなんて信じられない。

しかも、何日もずっとなんて。


今までも、落ち込んだり不機嫌だったりしていたことはあった。

でも、そんなときでも、こっそり席で俺に言うとか、槙瀬さんたちと飲みに行って愚痴るとかして、すぐに解消していた。

ほかの人に見える場所で元気がないなんてことも、それが何日も続くなんてことも、一度もなかった。


なのに、俺が心配になって声を掛けると、「そう? なんでもないよ。」と、いつもの笑顔で返されてしまう。

じゃあもう平気なのかと思っていると、またぼんやりしている姿を見かける。その繰り返し。


(俺には言えないことなのか……?)


年下の俺には心配を掛けたくなくて言えないのかも知れない。

そう思って、さり気なく槙瀬さんと里沢さんに訊いてみた。

けれど、二人とも榊さんの変化に気付いていなかった。

二人とも職場の階が違うから、榊さんと顔を合わせる回数も少ないのだ。


(何か悩み事? それとも、どこか具合が悪いのか?)


病気かも知れないと思ったら、急に不安になってしまった。

誰も知らないということが、彼女の抱える問題が大きいことを物語っているようにも思えてしまう。


仕事中も、向こうの島に座っている榊さんが気になってしかたがない。

毎日、今はため息をついていないだろうか、笑顔でいるだろうか、と心配している。

なんだか自分の胃まで重たくなってきてしまった。

だって、心配の種は、常に視界に入る場所にいるんだから。


(こんなことじゃ、俺の方が参っちゃうよ……。)


ちゃんと話してもらおうと決心したのは10月に入って間もなく。

彼女ははぐらかそうとするかも知れない。

でも、俺が具合が悪くなりそうなほど心配していると分かれば、きちんと話してくれる気がする。

それくらいは信用されていると思いたい。








今回はちょっと短くてごめんなさい。

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