第十八話
(どんな顔をして来るんだろう?)
日曜日の朝9時45分。
三浜が丘の東口交番の前で、そわそわしながら榊さんを待っている。
きのう誘ったとき、榊さんがちゃんと納得していたわけじゃないということは十分に分かっている。
きっと今だって、心の中で首を傾げているだろう。
それに、もしかしたら、休日に男と出かけるのは初めてかも知れない。
学校の用事や仕事ではあったかも知れないけど、完璧なプライベートでは。
だから今日は、彼女の警戒を解くことが第一の目標。
あくまでも、<俺の興味を満足させるため>だけに誘ったと信じてもらう。
それが上手く行ったらランチに誘う。
そこでも微妙な話題は出さずに、とにかく楽しく。
俺と一緒にいることが当たり前のことのように感じてもらえたら、第二の目標達成だ。
できたらそのあとも、一緒に歩きまわりたい。
服や雑貨を見たり、甘いものを食べたり。
その間に何か俺を見直してもらえるようなことがあるといいけど……、今日のところは、それはあまり考えないことにしている。
(うん。焦らずに、無理をせずに、だからな。)
きのうの電話の途中で思い出したのは、榊さんの性格。
それをあの場で試してみて、これなら上手く行くかも知れないと気付いた。
しっかり者の榊さんは、他人に頼ることに慣れていない。
そもそも、頼ろうとは思っていない。
それは最初から分かっていたことだった。
だから、急に「頼ってほしい。」って言ったって無理なのだ。
俺に期待しないからと言って責めるのは、大きな間違いだった。
逆に、他人に頼られることは、彼女にとっては普通のこと。
そして、親切で優秀な彼女は、頼まれればたいていのことはできてしまう。
だから、余程のことがない限り、他人の頼みを断ることはない……というか、断る習慣がないから断れない。
それが彼女のいいところであり、同時に弱点でもある。
つまり、榊さんともっと仲良くなるには、彼女を頼ればいいってこと。
“頼る” ……というよりも、俺の場合は “甘える” に近い。
もちろん、どこまでなら大丈夫かを見極めながら、だけど。
幸いにして、俺は彼女よりも年下で、今までだって、彼女は先輩として俺に接していた。
この前の飲み過ぎ事件だって、彼女は俺の世話を焼いてくれた。
あんな状態だった俺に嫌な顔もせず、ずっと楽しそうだった。
しかも ――― 大切なのはここだ ――― <プライベートで>、だ。
仕事の付き合いの外でも、彼女は俺が甘えるのを許してくれてるってことだ。
俺は、榊さんの打ち明け話を聞いてから、自分が頼られる存在にならなくちゃと思ってきた。
でも、すでに3年半も付き合いがある俺と榊さんだから、俺の位置付けは決まっている。
それをいきなり変えようとしたって無理だ。
最初は甘えて仲良くなって、だんだんと俺が手を貸すことが当たり前のようにしていく。
それが新しい計画。
それに。
( “甘える” っていう響きがなあ……。)
なんとも魅力的だ。
そして、これは俺じゃなきゃできない、という自信がある!
槙瀬さんみたいな人が甘えても……。
(「意外に可愛い!」とか思われるのか……?)
いや。
一番は俺だ!
そのあたりを考えて、今日は少し学生みたいな服装を選んだ。
ストレートのジーンズに、赤に黒の混じったチェックのシャツ、黒のダウンベスト。
靴は茶色のバックスキンのスニーカー、暗い赤のリュックは片方の肩に、髪は前髪を少し下ろして。
適度にラフで、でも、だらしなく見えないように、姿勢は正しく。
(普段のスーツ姿とはだいぶ違うけど……。)
気に入ってもらえなかったら……と、少しだけ不安ではある。
(あ。)
左手の駅通路の出口に榊さんの姿が見えた。
腕時計を確認しながら、こちらに向かってくる。
(あれ? なんか……可愛くないか?)
服装がいつもと違う。
短めのキュロットスカートは予想外だった。
短めのキュロットと言っても、色は落ち着いたワインレッドだし、ヒラヒラしないすっきりしたデザインだ。
黒いタイツとブーツを合わせているから露出度が高いわけでもない。
紺のダッフルコート風のコンパクトな上着の中には黒のタートルネックのセーター、茶色の手提げバッグもシンプルなものだ。
だけど。
小さくまとまった感じとか。
袖に半分隠れている手とか。
キュロットのふんわり具合とか。
全体的にきちんとしているのに可愛い。
榊さんがいつも会社に着て来る服とは明らかに違って “お出かけ” 仕様だ。
「榊さん。」
嬉しくなって、声をかけながら、思わず手を振ってしまった。
顔を上げて一瞬迷ったあと、彼女が同じように笑顔で手を振り返し、小さく走って近付いて来る。
(なんだよ、この出だし!)
まるで恋人同士の待ち合わせそのものじゃないか!
嬉しくて、「やったぜ!」と叫びたい。
今日の目標とか計画なんて、もう必要ないような気がしてくる。
「おはようございます。」
軽く頭を下げて言う彼女。
片方だけ耳にかけた髪の裾が、くるんと首の周りで揺れる。
そして、俺を見上げた微笑みは……。
(え? ちょっと恥ずかしそう……だったりして?)
こんな顔をする榊さんは初めてだ。
もしかしたら、本当に大成功なんじゃないだろうか。
「おはようございます。休みの日に変なお願いをしたりしてすみません。」
セリフはちゃんと用意してきた。
どんな表情で言うかも考えてきた。
申し訳なさそうに。でも、ある程度は格好良く見えるように。
「ああ、いいえ、いいんだけど……。」
そう言いながら、榊さんはなんとなく落ち着かないらしい。
微笑み返しながらも視線が定まらないし、手元のバッグを持ちかえたりして。
そんな様子が初々しくて、ますますテンションが上がる。
(たまらない〜〜〜!)
「あ、あの。」
ここは最初にどうしても伝えておきたい。
少し自信を持ってもらうためにも。
「あの、そういう服装も、いいですね。」
「…え?」
榊さんが自分の服を確認する。
「……そうかな?」
上目づかいに見上げる様子がまた可愛い。
仕事中には絶対に見られない榊さんだ!
「はい。仕事のときとはまた違った雰囲気ですけど、似合ってます。」
「……そう? よかった。」
そう言って、榊さんは明らかにほっとした顔をした。
俺の方は、自分の言葉の効果にほっとした。
そこに彼女の声が。
「紺野さんも似合ってるよ。いつもと違いすぎて、最初は分からなかったけど。」
気が緩んでいたので驚いてしまった。
目の前には、いつもの笑顔に戻った榊さんが。
「あ、いや、あの、どうも。」
(どうしよう? すっげぇ嬉しい。)
笑顔が抑えられない。
じっとしていられない。
そんな俺に、にこにこしながら榊さんが続けた。
「そういう服を着てると、やっぱり若いんだなあ、って思っちゃう。一緒にいるのが申し訳ない気がする。」
「え? そんなこと言って、女性用の靴売り場で俺を一人にしないでくださいよ。変な目で見られたら困りますから。」
「あはは、そうね。分かりました。」
軽いやり取りは、お互いの位置付けと自分の気持ちの確認の意味も兼ねているのかも。
(うん、行けそうだ。)
自信が湧いてきた。
「ええと、行きましょうか。どこの店にしますか?」
榊さんはすぐ前にあるデパートを指差した。
「ここの靴売り場が一番大きいの。でも、男の店員さんが丁度良くいるかどうか分からないよ?」
「ええ、いいです。じゃあ、お願いします。」
少し冗談っぽく頷き合って歩き出す。
俺はうっかりすると浮かれてしまう気持ちを懸命に抑えながら、榊さんとの距離を慎重に測り、彼女がリラックスできるような話題と態度を絶やさないようにした。