第十五話
(寒い……。)
気が付くと、ベッドの上に寝ていた。
ぼんやりした頭で自分の姿を確認すると、パジャマはちゃんと着ている。
枕元の時計は4時30分。
(なんか、寝るときは暑いような気がして……。)
ベッドの足もとに蹴飛ばしてあった布団を引っ張り上げて、その中で丸くなる。
(きのうは楽しかった……。)
少しずつ温まってくる布団にほっとして、すうっと意識が遠のいた。
ピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピ…………。
(朝……だ。)
目覚ましを止めようと手を伸ばす。
頭の上のあたりで手を動かして、さわった時計をつかんだ。
(うるさい……。)
朝が弱い俺にとって、目覚ましの音がうるさくて不快なのは必要なことではあるけれど。
(………。)
止まった目覚ましを枕元に戻して、こんどは天井を見たままぼんやりする。
こうやって体と頭を “起きる” という方向に向ける時間も、俺には必要だ。
まばたきやあくびや伸びをするうちに、少しずつ体と頭が目覚めていく。
布団から手や肩を出して空気に触れて、カーテンの隙間から入る明るさに朝を感じ……。
(?)
床に散らかった自分の服が目に入った。
(あれ……?)
スーツやワイシャツ、ネクタイ、カバン、靴下……。
ベッド脇から廊下まで転々と。
(あんな状態だったっけ……?)
昨夜はいい気分だったという記憶はある。
ちゃんと風呂にも入ったし、パジャマを着てベッドにいる。
でも、気分が良かった分、片付けが面倒になっちゃったのかも知れない。
(片付けなくちゃ……。)
ぐっと身を起こす。
その途端。
「う……。」
思わず声が出て、ドサリとベッドに逆戻り。
(頭が痛い……?)
頭の芯がずーんと重いような、それでいて刺されているような痛み。
(うそだろ……?)
“二日酔い” という言葉が浮かんでくる。
そんなものは打ち消したいのに、頭の痛みがそれを許してくれない。
(そんなの嫌だ!)
二日酔いになったのは、たった2回だけ。
どちらも学生のときだ。
なのに、3回目が榊さんと一緒の日だなんて、絶対に信じたくない。
榊さんと出かけて、そんなになるまで飲んだなんて!
絶対に、絶対に、榊さんには知られたくない!
動くと痛い頭を無視しようと努力しながら起き上がる。
服を片付けて、ミネラルウォーターを注いだグラスを手にソファに腰掛けると少し落ち着いた。
(本当にそんなに飲んだのか……?)
ワインを2本頼んだのは覚えてる。
食前酒も一杯飲んだ。
あと、榊さんがデザートを頼んだときに、デザートワインとかいうものを一緒に頼んで。
(もしかしたら……。)
あの瓶のワインは、俺がほとんど飲んだのかも知れない。
榊さんはペースが遅かったのかも。
だから途中で、「大丈夫?」って言われたんだ。
(浮かれてたからな……。)
自分の言動をたどってみる。
夕方、誘われたときから、すでに浮かれていたのは間違いない。
仕事も頑張って片付けて、一緒に職場を出て、一駅電車に乗って、食べたのはパエリアと総菜がいくつか。
話題は、最近開拓したランチを食べる店や、里沢さんから聞いた係長の苦労話、その他。
(うん。ちゃんと覚えてる。)
記憶が欠けているところはなさそうだ。
そこまで深酒したわけじゃない。
(それから。)
店を出たのは10時半を過ぎていた。
で、夜の道を二人で歩いて。
(いい雰囲気だったよなあ。)
幸せな気分がよみがえる。
酔っ払った俺をからかっていた榊さん。
楽しそうにくすくす笑って、自分が酔っているからという理由をつけて、俺をタクシーに乗せた。
(ああいうところは、さすがだな……。)
機転が利くって言うか、優しいっていうか。
まあ、俺がみっともないけど。
(そうだ。)
タクシーに乗ってすぐ、キスしてくれるのかと思ったら、シートベルトでがっかりだった。
せっかくあんなに近かったんだから、「動かないで」って言われても、動いちゃえばよかったな。
(……あれ?)
榊さんに「さよなら」を言った記憶がない。
乗ったあと……寝ちゃったのか?
シートベルトで固定されたら気持ちが良かったのは確かだ……。
気付いたらアパートのすぐそばだった。
あのときは不思議に思わなかったけど、榊さんが運転手に伝えてくれたに違いない。
庶務係のときに、緊急時のために係員の住所や電話番号はお互いに控えておいたから。
(お金を払った記憶はあるな。)
そうだ。
確か「九百二十円です。」って言われて千円札を出して、「お釣りはいりません。」って ――― 。
(九百二十円……?)
安すぎる気がする。
あの店はうちの会社から一駅。
あの辺でタクシーに乗ったら、そんな金額では済まないはずだ。
(え? もっと払ってるのか?)
財布を確認しようと動いたら頭が痛い。
でも、それどころじゃない。
俺が本当に九百二十円しか払っていないとしたら……。
(一万円札が1、2、3枚。千円札が…6枚。)
食事の支払いのときは俺がまとめて払って、榊さんに千円札でもらった。
あのとき、 “千円札がいっぱいになったなあ” と思ったのが、確か……七千円。
(ってことは……。)
やっぱり、タクシーでは千円札1枚しか出してないってことだ。
つまり、残りは榊さんが……。
(そんなーーーーーー!!)
酔っ払ってタクシーに乗せてもらって、そのまま眠って、お金まで余分に出してもらうなんて!!
「ああ……。」
思わずその場に座り込んでしまった。
あまりにも格好悪くて、挽回のしようがない気がする……。
(こんなはずじゃなかったのに。)
俺のことを見直してほしかった。
俺のことを必要な存在だと思ってほしかった。
なのに。
(とにかく謝らなくちゃ。)
そもそも、榊さんが食事に誘ってくれたのだって、俺を元気付けるためだ。
そうやって気を遣ってもらったのに、飲み過ぎた上に、タクシー代まで出させるなんて!
(そうだ。シャワーを浴びよう。)
謝るにしても、アルコール臭かったらどうしようもない。
隣で仕事をしていたとき、二日酔いで顔を出した人に、顔をしかめているのを見たことがある。
(とにかく小奇麗にして、見た目だけでも清々しく ――― 。)
「うっ……。」
動くと頭が痛い。
歩くのが辛い。
一瞬、 “こんなみっともない状態で出勤するよりも、休んだ方がいいのか?” という思いが頭をよぎる。
でも、ほかの人たちはいいにしても、榊さんは、俺が二日酔いで休んだのだと気付くだろう。
(嫌だ。そんなの絶対に。)
榊さんには知られたくない。
みっともない。
男のプライドの問題だ。
(何がなんでも行く。そして謝って、お金を返さなくちゃ。)
立ち上がって確認すると、気分が悪いとか、酔いが残っている感じはなかった。
あるのは頭痛と喉の渇きだけ。
飲み終わりが早かったから、まだ良かったんだろう。
(よし。大丈夫だ。)
気合いを入れながら2リットル入りのペットボトルを冷蔵庫から出し、重い頭をかかえてバスルームに向かった。