第十三話
榊さんに好きなタイプを訊こうとして失敗したあと、俺は重要なことに気付いた。
それは、思っていたよりも時間が無い、ということだ。
俺は槙瀬さんのことばかり気にしていたけど、今月の終わりには同窓会がある。
そこで、榊さんは例のノート男に会うのだ!
彼女は、そいつのことを「好きかどうか分からなかった」と言っていた。
でも、「分からなかった」というのは、「好きな可能性がある」ということだ。
それに、もし、相手も本当は榊さんのことを想っていたとか、手紙をもらってから気になっていたとか、そんな状態だったら?
そうじゃなくても、再会したその場で、榊さんに惚れるってことだってある。
そして、今でもそいつのことを忘れていない榊さんに言い寄ったりしたら?
(俺には望みがなくなる!!)
もしかしたら、ノート男が出席しないとか、信じられないほど嫌なヤツになっているかも……っていう可能性もあるけど、そんな可能性に賭けるのは危険だ。
(どうすればいい?)
同窓会は今月の最後の日曜日。
あと3週間を切っている。
それまでに俺は、榊さんにとって特別な存在にならなくちゃならない。
(そうか……。 “特別な存在” だ。)
“榊さんの愛情を勝ち取る” というのは、そんな短期間では無理な気がする。
もちろん、それが一番いいんだけど。
でも、とりあえずは無理をしないで、俺が榊さんにとって “いなくちゃならない” 程度の存在になればいいんじゃないか?
そのくらいなら、可能性が高そうだ。
そこまで行ければノート男には勝てる気がするし、そうなれば次へ進める。
(榊さんにとって、いなくちゃならない存在って……。)
もしかしたら、あれかも。
俺しか知らない秘密。榊さんの弱点。
(そうだ。うん。)
俺だけが役に立てることと言えば、それしかない気がする。
同窓会のことで不安になっている榊さんを慰めたり、愚痴を聞いてあげたり。
しかも、彼女は俺のことを、年下だからという理由で安心しきっている。
これから同窓会は近付く一方で、榊さんは不安が増すはずだ。
それを利用するのは心苦しいけど、ちょっとだけ不安をあおるくらい……いいよな? ほんのちょっとだけなら。
(すみません、榊さん。)
信用して……本当は無理矢理だけど、話してもらったのに。
その秘密を利用させてもらいます。
でも、その代わり、俺が榊さんを絶対に幸せにしますから!
……というわけで、さっそく仕事に取り掛かる。
まずは、二人だけで話す機会を見付けること。
「おはようございます、榊さん。」
とりあえず、朝は重要ポイントだ。
「ああ、おはようございます。」
まずは俺に対する態度をチェック。
この笑顔、隣に並ぶ距離、いつもと変わりがない。
(よし!)
「同窓会、もうすぐですね。」
少し小声で、こっそりと話しかける。
彼女はパッと俺を見上げて、軽くしかめっ面をした。
「思い出したくなかったのに。」
「あはは、すみません。」
今朝は、彼女のしかめっ面さえも愛しい。
相手が俺だから、彼女がそんな顔をするのだと思うと、余計に。
「もう、着て行くものは決めたんですか?」
「んー、まあ、普通のスーツでいいかと思ってるけど。」
「目立たないように?」
「そう! よく分かったね。ふふふ。」
「もちろん。もう4年目ですから。」
さり気なく、俺は榊さんを理解しています、と表現してみる。
でも、これじゃあ伝わらないかな。
「あーあ……、思い出したらまた憂うつになっちゃった……。」
隣で榊さんがため息をついた。
(お、やった!)
これが目的だったのだ。
「ああ…、すみません。お詫びにお昼でもおごりますよ。」
「え、いいよ、おごってくれなくても。」
「でも、嫌な話を持ち出したのは俺ですから……。」
「やだ、気にしないでよ。そんなことくらいでおごってたら、お金がいくらあっても足りないよ?」
「あ、ああ……、そうですね……。」
(ダメか……。)
榊さんが相手では、そんなに簡単には行かないらしい。
話もそれほど広がらなかったし。
けれど……。
「紺野さん、紺野さん。」
夕方、給湯室の前を通りかかったとき、中にいた榊さんに呼び止められた。
「はい?」
彼女のこっそりした様子に、少しだけ期待。
そして、大部分は「期待するな」と戒め。
「ねえ、紺野さんは同窓会ってあった?」
(同窓会の話……。)
一気に気合いが入る。
「ええ、ありましたよ。2年くらいまえに、高校のときのが。」
でも、その気合いを外に出してはいけない。
落ち着いて、そして、余裕のある態度で!
「ねえ、そのときって、同級生の顔とか分かった? 特に女子。」
(ああ、なるほど。)
榊さんは、あのノート男のことを気にしてるんだ。
そいつと会っても、相手が自分のことが分からないんじゃないかって。
「そうですね……。」
(でも、どっちだ?)
分かってほしいのか、分かってほしくないのか。
「女子は……、だいたい分かりましたよ。みんなお化粧して綺麗になってましたけど、たぶん、知り合いは全員分かりました。」
「分かるんだ……。」
榊さんはあきらかにがっかりしている。
つまり、自分だって気付いてほしくないのだ。
「榊さん、高校のときと体型が変わったりしてますか?」
「え? ううん、ちょっと痩せただけ。」
「髪型は?」
「高校生のころは、パーマはかけてなかったけど……。」
パーマと言っても、彼女のは緩やかに裾にかけてあるだけだ。
「そのくらいの違いだったら、すぐに分かると思いますよ。」
「ああ、そう……。」
(ここからどういう展開になるんだ?)
自分できっかけを作ったとはいえ、それが自分に都合良く進むわけじゃないことは、朝の会話で分かった。
榊さんは、俺なんかが作った筋書き通りに行くような人ではないのだ。
「あの、ほとんどの女の子は綺麗になってましたから、」
がっかりしている榊さんに何かフォローしなくちゃと思って、少し焦りながら言ってみる。
彼女は疑わしそうに、上目づかいに俺を見上げた。
「榊さんもきっと『見違えた』って…」
そこで失敗に気付いた。
「ええと、男が寄って……来たりして……、すみません。」
榊さんの「言ってほしくなかった。」という顔を見ながら、ものすごく後悔した。
やっぱり、榊さんが嫌がることを言うのは嫌だ。
好きな人には、いつも楽しそうにしていてほしい。
「いいよ、気にしなくても。」
ふっとため息をつきながら彼女が言った。
「あたしが気にし過ぎなんだもの。ほんの2時間くらいのことなのにね。」
「ああ、いいえ……。」
(俺が慰められてどうするんだ?)
気分がどんどん落ち込んで行く。
秘密を打ち明けられたからって、得意になったりして。
しかも、それを利用しようとするなんて。
「や、やだ、ごめんね、紺野さん。紺野さんは何も悪くないのよ。ホントに。」
その上、逆に謝られてしまっている。
そんな自分が情けなくて、ますます落ち込む……。
「すみません……。」
「え、違うってば。紺野さんは悪くないって言ってるのに。」
(そんなこと言われても、俺は本当は卑怯者で……。)
「あ、ねえ、じゃあ、ご飯でも食べに行こうか?」
「え?」
パチン、と頭の中で電気が点いた。
「なんかさ、ほら、景気付けに美味しいものでも。」
「景気付け?」
「そう。」
「美味しいもの?」
「うん。」
「行きます。」
俺の即答に、彼女がにっこりと笑う。
ああ、幸せだ……。
「いつがいい?」
その問いに、仕事の都合を考えかけてハタと気付く。
明日以降にしたら、ほかの誰かを誘うことになってしまうかも知れない。
「今日がいいです。」
絶対、 “二人で” に決まってる。
「今日?」
「ダメですか?」
「うーん…、ちょっと仕事があるけど?」
「俺も少し残る予定がありますから、合わせます。」
きっぱり言い切ると、榊さんはにっこり微笑んだ。
「うん、わかりました。そうね、7時くらいかな。」
「はい。」
俺もにっこり微笑んだ。
最高に幸せだ!