第十二話
榊さんに自分を好きになってもらおうと決心したものの、具体的な方法を何も思い付かない。
“頼りにしてもらう” と思っても、榊さんは、基本的に他人に頼らない人だ。
俺が庶務係にいたころ、力仕事だって、本当にどうしようもないとき以外は手伝いを申し出ても断られていた。
それに、今となっては、俺は仕事ではほとんどつながりがない。
朝のラッシュの電車で守ってあげられるかも……と思ったけど、女性専用車両を利用していることを思い出した。
そのほかに頼りにされる場面と言ったら、大勢での飲み会で、男を遠ざけるとか。
いいところを見せるために、榊さんを酔っ払わせる、なんてことはしたくないし。
“男らしさをアピールする” というのも、やめた方がいい気がする。
なにしろ、榊さんは男が苦手なのだ。
今は俺のことは “年下” という理由で平気らしいけど、変に格好をつけて、避けられたりしたら困る。
だって、スポーツクラブのインストラクターや美容師だってダメなんだから。
“仕事ができる” っていうのは、榊さんの基準としては当然のこと。
今さら何言ってんの? だ。
“みんなに頼られるような男になる” は、有望だと思う。
だけど、対象が “みんな” では、それを実現するのにどれだけかかるのか。
その間に、槙瀬さんと結婚してしまうかも知れない。
まあ、とりあえず目指してみるけど。
……こんな調子なので、榊さんに直接リサーチすることに決めた。
俺と榊さんの関係だったら、こういうことを訊いても大丈夫じゃないかと思う。
「おはようございます。」
朝、電車を降りたところで榊さんをつかまえた。
といっても、あくまでも偶然を装って。
彼女の乗って来る駅は俺の通勤経路の途中。
今までも同じ電車になることはたびたびあったから、警戒されることはない。
「ああ、紺野さん。おはようございます。」
今日はベージュのトレンチコートに黒のパンツ。
ベーシックでおとなしい装いに、笑顔が華やかさを添える。
その笑顔を見て切ない気分になったことで、「やっぱり俺は彼女が好きなんだ。」と再確認した。
「だんだん朝が冷え込むようになってきましたね。」
駅から会社まで約10分。
誰にも邪魔されずに話せる時間はそれだけ。
さすがにいきなり「どんなタイプが好きですか?」とは言えなくて、しばらくは雑談でつなぐ。
そして、道のりの半分くらいまで来たあたりで話題が一段落したところで、何気ない調子で切り出した。
「そう言えば、榊さんって、好きな人はいなかったんですか?」
「好きな人?」
榊さんが面白そうな顔をして俺を見る。
「ええ。彼氏はいなかったって聞いてましたけど……。」
俺が首を傾げながら言うと、榊さんはニヤッと笑った。
その顔を見て、自分の予想がはずれていなかったと思った。
彼女は俺が相手なら、こういう話もしてくれるのだ。
「いたよ。全部、片想いだけど。」
「全部……?」
「そんなに大勢じゃないけどね。ふふ。」
「へえ……。」
(このまま行けそうか?)
思い切って、次へ進め! だ。
「どんなタイプの人なんですか?」
今度は榊さんが首を傾げる。
「タイプって……いろいろ?」
「いろいろ……?」
「うん。特に “こういう人” っていう決まりはないかな。好きになる理由もよく分からないし。」
「ああ……、そうなんですか……。」
(何も参考にならない……。)
仕方ない。
質問を変えてみよう。
「俳優とかタレントでは?」
そう尋ねると、榊さんはくすくす笑い出した。
「どうしたの? 急にそんなことを訊くなんて。」
「え? ああ、いや、その…。」
そりゃそうだ。
でも、笑ってるってことは、機嫌を悪くしているわけじゃない。
「ええと、だって、榊さんが男が苦手だなんて言うから……。」
「ああ、なるほど。不思議なのか。そうだよね。ふふ。」
そう言って、榊さんは少し考える様子。
そして。
「あのねえ、正統派の人はダメ。少しずれてる人がいいな。」
「 “正統派” って……?」
「顔が良くて、思いやりがあって、話上手で、スポーツ万能で……みたいな、何をやっても格好いい人。もし『好き』って言われても、『いえ、結構です。』って言っちゃう。」
「ふうん……。」
それが、榊さんの苦手な “男” なのかも。
でも、それなら俺は当てはまらないからOKだな。
「顔はそれほど問わないかな。性格が分かると印象が変わることがあるし。普通でいいな。」
「ああ、なるほど。」
“普通” の基準はいろいろあると思うけど。
「あ、あと、細かいことにこだわらない人ね。」
「ええ。」
「それと、他人の悪口を言わない人。」
「ああ。」
「あとね、やたらと女として扱われるのは嫌。面倒くさい。」
「はあ。」
「もちろん、話が合うっていうのも大事だよね。」
「ええ。」
(結構いろいろ出てくるじゃないか……。)
特にタイプはない、なんて言ってた割に。
「あ、あと、社会人として、やっぱり職場ではそれなりに評価されてる人じゃないとね。」
「ええ、そうですよね。」
仕事ができて、正統派のイケメンじゃなくて、おおらかな性格で、榊さんと気が合って……って。
「槙瀬さん……?」
思わず声に出てしまった。
「え?」
「あ、いえ。」
「槙瀬さんか……。」
(聞こえてたんだ……。)
俺ってなんて間抜けなんだろう?
わざわざ槙瀬さんがあてはまることを教えてあげるなんて……。
ハラハラしている俺の隣で、榊さんがちょっと考えてから言った。
「そうね。」
「え?」
榊さんの笑顔に、思わず顔が引きつった。
「槙瀬さんはいいよね。」
「そっ、そうですよね! あははは……。」
正統派じゃないモテ男ですもんねっ!!
「うーん、気が付かなかったなあ……。」
面白くもないのに笑顔を作っている俺の横で、榊さんがつぶやいている。
「意外に近くにいるものなのねえ。」
「え、あ、ええ……。」
俺って本当に間抜けだ……。
「でも、まあ、そういうのは無いかな。」
「え?」
槙瀬さんをそういう対象には考えられない?
ホントに?
「あたしが相手じゃ、向こうが嫌でしょ。あははは。」
「そんな…こと……。」
(そうじゃなくて!)
榊さんがどう思うか、ってことを知りたいのに!
だいたい、向こうはすでに “いい” って言っているのだ。
これじゃあ俺は、槙瀬さんが言っていた「俺が『結婚するか。』って言ったら…」を確認しただけじゃないか!
(この話題は、榊さんと槙瀬さんの前では絶対に出さないことにしよう。)
そう心に誓う。
「ねえねえ、それより紺野さんは、新しい恋とかないの?」
楽しげに身を寄せて尋ねられ、その近さにドキッとする。
もしかして、俺に興味があるんだろうか……なんて、ちょっと期待してしまう。
「え……?」
「ほら、若いんだから、楽しく過ごさないと。クリスマスまで2か月切ってるし。ね?」
(「若いんだから」って……他人事?)
「あ、はあ。」
「紺野さん、格好いいんだから、その気になれば彼女なんてすぐにできるでしょう?」
(俺、格好いいんですか!?)
思わず叫びたくなる。
全然嬉しくない!
(じゃあ、俺が告白したら、榊さんは「いえ、結構です。」って言うんですか!?)
「やだなあ、榊さん。そんなお世辞言わなくても。あはははは……。」
「え? お世辞じゃないよ。あたしがお世辞を言わないことは知ってるでしょう?」
「あ、ああ、そう言えば……。」
「そうだよ。紺野さんは格好いいよ。もっと自信を持って。ね?」
「は、はい…。ありがとうございます……。」
榊さんは、もしかして、俺がうっとうしいのか?
だから、早く彼女を作れと催促されているのか?
(ああ、もう!)
なんだか、もう思考が滅茶苦茶だ。
あんなことを訊いてる間に、もっと気の利いた話をすればよかった……。