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第十話


その日の午前中は、ずっといい気分で仕事に集中できた。

きっと、榊さんが打ち明け話をしてくれたからだと思う。


あれは、俺だけしか知らない秘密。

榊さんがあのことについて話せるのは、俺一人。


そう思うと、充実した気分になる。


今日は、槙瀬さんが言っていたことも気にならない。

たぶんあれは、槙瀬さんお得意の冗談だったのだろう。




ところが。


(あれ?)


その日の昼休み、社員食堂で、榊さんと槙瀬さんを見た。

俺は一人で行って、同期の茂田を見付けて隣に座っていた。

注文カウンターの方を向いて座っていたので、話しながらそちらに向かう二人の後ろ姿が目に入った。


榊さんは、朝見た辛子色のスカートにベージュのカーディガンを羽織っている。

隣の槙瀬さんは、暑いのか、話しながらワイシャツの袖をめくっている。

後ろに手を組んだ榊さんが、からかうように槙瀬さんに話しかける横顔が見えた。

それに答えて、槙瀬さんが笑っている。


ズキッ……と胸が痛くなった。


(仲がいいのは仕方ない。同期だし、俺よりも2年も付き合いが長いんだから。)


それに、あんな光景、しょっちゅう見てる。

前から同じだ。


気にしていないことを証明するために、もう一度二人の後ろ姿に目をやる。

“なんでもない” と思おうとしながら、そんなことをしている自分が変だと思う。

午前中の高揚感が引いて、気分がすーっと静かになった。

そしてまた、槙瀬さんの言葉が頭の中に浮かんでくる。


――― 俺が「結婚するか。」って言ったら……。


(やっぱり本気かも……。)


表面上は何もないように隣の茂田と会話を続けながら、視線がどうしても二人に吸い寄せられてしまう。


料理をお盆に乗せて振り向いた榊さんが、俺に気付いて小さく手を振った。

それに応えて会釈すると、槙瀬さんも笑顔で合図してくれた。


「あの二人、同期なんだっけ?」


隣から茂田の声がした。


「ああ、うん、そうだよ。」


二人は、窓とは反対側に席を見付けて歩いて行く。

まるで監視しているような気がしてきて、俺は自分の食事に視線を戻した。


けれど、茂田はそのまま二人を見ていた。

そして、向き直ると何気ない調子で言った。


「あの二人って、仲がいいよなあ。」

「うん、そうだな。」


またしても、ズキン、と胸が痛む。


茂田も何かの飲み会で、あの二人と同席したことが何度かある。

榊さんのところに用事で来ることもあるし、俺の友人だということで、榊さんも顔を覚えている。


「紺野も親しくしてるよなあ? あの人たちと、よく飲みに行ってるんだろ?」

「うん。あと、お前の職場の里沢さんと。」

「ああ、里沢係長ね。あの人もいい人だよなあ。旦那さん、隣の会社の人なんだって?」

「うん、そうなんだよ。」


2年前、俺たちが飲みに行っていた居酒屋で、隣のテーブルに座っていたことが縁の始まりだった。

酒豪の里沢さん(当時は基木さん)に驚いてこっそり見ていたというその人は、翌朝、駅で彼女に声を掛けた。

里沢さんは、ガンガンお酒を飲んでいても、その人がときどき自分を見ていることに気付いていたそうだ。

だから、声をかけられてもあまり驚かず、スムーズに話が進んだと聞いている。


「なあ?」


茂田が体を寄せてくる。


「あの二人って、どのくらい仲がいいんだ?」


お茶を飲んでいた俺は、むせそうになった。

辛うじて咳一つでこらえて、茂田に顔を向ける。


「 “どのくらい” って…?」

「あの二人が付き合ってるのかってことだよ。」


まるで、察しが悪い相手に言い聞かせるように言われた。


「いや、そういう関係じゃないよ。」

「そうなのか?」

「うん。間違いなく。」


知らず知らずのうちに、言葉の調子が強くなる。


「ふうん……。」


茂田が二人の方を見た。

それにつられるようにして、俺も。


槙瀬さんと榊さんは、やっぱり親しげだ。

今は、同じテーブルのほかの社員も一緒に談笑している。


「なんで急にそんなことを訊くんだよ?」

「え? ああ、責根がさ。」

「責根? 同期の責根美佐代?」

「そう。あいつ、槙瀬さんのことが好きなんだって。」

「へえ……。」


責根は明るくて素直で、話していると楽しい。

だけど……。


(榊さんと比べちゃうとなあ……。)


槙瀬さんのそばには、ずっと榊さんがいた。

“結婚してもいい” と思ったのは、榊さんなのだ。

それが槙瀬さんにとっての “標準” だとしたら、責根は……。


(っていうか、どんな女の人でもダメなんじゃないか?)


榊さんほどの女性は、ほかにはいないんだから。



食事が終わってから、俺と茂田は食堂の自販機でコーヒーを買って、窓際の席に移動した。

昼休みも半分を過ぎると、食堂は空いてきて、結構ゆっくり話ができる。

窓に背を向けた席を選んだのは偶然だと、自分に言い聞かせた。

べつに榊さんたちを監視しているわけじゃない、と。


食堂の反対側では、榊さんと槙瀬さんが話しこんでいる。

テーブルのほかの人がいなくなってからも、残って。


さっきと違って真面目な顔。

榊さんが何か言ったあと、槙瀬さんがしばらく黙って考えているようなのは、榊さんが何かの相談をしているからだろうか?


(いったい何を……?)


同窓会のことだろうか?

もしかしたら、あの秘密を打ち明けて、対策を考えてもらっているのかも。


キリッ…と、また胸が痛む。


少しして、二人が立ち上がった。

食器返却の棚にお盆を置き、真ん中の通路を通って出口に向かう。


歩きながら、榊さんは、やっぱり真面目な顔で槙瀬さんに向かって話している。

槙瀬さんは合間に少し笑ったりしながら、余裕の態度でそれに応じている。

二人とも、俺には気付かない。


(あんなに話すことがあるんだ……。)


話し込みながら並んで歩く姿を、こっそりと目で追ってしまう。

そんな自分に嫌気がさす。


そのとき。


(あ。)


すっ、と槙瀬さんが榊さんの肩に手を掛けた。

何の疑問もないように、自然に。


ドクン、と心臓が鳴った。


榊さんが振り向きかけて、前から人が来たことに気付いた。

すぐに榊さんが、槙瀬さんの前に移動する。

そのときにはもう、槙瀬さんの手は榊さんからは離れていた。


(人が来たって教えただけだ。)


自分に言い聞かせる言葉が呪文のように感じる。

自分を落ち着かせるための呪文。


槙瀬さんが肩に触れたのは、ほんの一瞬だけ。

移動するように促しただけ。


けれど、ドキドキがおさまらない。

そして……、そして……。


(どうしてこんなに……?)


悔しい。

ショックだ。

悔しい。


心が、「なんで!?」と叫んでいる。

「俺だって。」と。


(だって。)


男に触られるのは嫌だって言ったじゃないか。

なのに……、槙瀬さんはいいのか?



――― 嫉妬。



頭の中に現れた言葉に、びっくりした。


(嫉妬……なのか?)


俺が?

槙瀬さんに?

榊さんのことで?


自問しながら、すでにそれが正解であることを感じている。

この気持ちは、ほかの言葉では言い表せないと気付いている。


(俺は………?)


どうしてこんなことになったのか、分からない。








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