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心安らぐ私の居場所

(あ〜、なんか帰りたくないな〜)


そんなことを思いながら――。


私はいつもとは違う、帰り道を歩いていた。


坂を下って――。


商店街を抜け。


いつもの駅を、通り過ぎて。


また坂を登る。


向かった先は――。


あかりとゆみが話していた、結川神社。


嫌なことや心が落ち込んだ時、ここに来る。


石段を上り、古びた鳥居をくぐる。


境内は静かだった。


遠くで鳴く鳥の声だけが、はっきり聞こえる。


平日の夕方、いつもこの時間は人がいない。


本殿の前に立って、いつも通りお参り。


財布から五円玉を一枚取った。


賽銭箱に投げ入れる。


チャリン、と小さな音が響く。


二礼二拍手一礼。


手を合わせて、目を閉じる。


(……)


別に、何か願うわけじゃない。


ただ、いつもの流れで、なんとなくしている。


手を合わせたまま、数秒。


それから――。


静かに手を下ろして。


一礼して、本殿を離れる。


そして――。


本殿の脇へ。


ひっそりと佇む、お稲荷さんの祠。


朱色の鳥居が、いくつも並んでいる。


誰も来ないのか、苔むした石段。


落ち葉が積もっている。


ここが――私の、本当の目的地。


小さな鳥居をくぐると――。


祠の前には、白い狐の石像が二体。


右の狐は宝珠を、左の狐は鍵を咥えている。


穏やかな表情で、こちらを見つめている。


いつもの場所。


静かで――。


あまり人が立ち寄らない。


でも――私にとっては、大切な場所。


膝を抱えて、祠の前に座り込む。


「……お稲荷さん、こんにちは」


小さく呟く。


誰に言ってるわけでもない。


ただの、独り言。


でも、なぜか話してしまう。


少しだけ、間を置いて。


「……来月、引っ越すことになったんだ」


返事のないお稲荷さんに、話しかける。


「お母さんと、お父さんが離婚するんだって」


「いつか、こうなるとは思ってたけど......」


「夏休み入ったら、おばあちゃんの家に行くんだ」


静かな境内が、心の声を際立たせる。


「……はぁ〜、これからどうなっちゃうんだろう」

「どうせ、友達もいないし、別にいいんだけどさ」


白い狐の石像が、じっと私を見ている。


でも――なぜか、聞いてくれてる気がする。


「……本当は」


喉の奥が、熱くなる。


「本当は、すごく怖い…」


知らない土地。知らない人。


恐怖が心に広がっていく。


視界が滲み、ぽろぽろと、涙が落ちる。


ここは唯一、私が安心して泣ける場所。


震える声で、呟く。


「友達、欲しいな――期待してないけど…」


その瞬間、私を吹き抜ける風が、通り過ぎた。


周りの木が揺れ、葉がさらさらと音を奏でる。


その風で、なぜか心が軽くなった気がした。


(……お稲荷さん、いつも話を聞いてくれて、ありがとう)


心の中で、そっと呟く。


ここに来ると、


いつも――こんな風に、少しだけ楽になれる。


涙を拭いて、私は祠を見る。


お稲荷さんの石像が、じっと私を見ている。


「......もう来れなくなっちゃうね」

「お稲荷さん――」

「今まで話聞いてくれて、ありがとう」


私は小さく手を振った。


立ち上がった瞬間――。


今度は、強く吹く風が通り過ぎた。


なんだか、お稲荷さんに励まされた気がする。


少し軽くなった心と足で――。


私は鳥居をくぐって、家に帰った。




* * *




一ヶ月後。


引っ越し当日。


七月の終わり。


夏休みに入って、一週間。


部屋は、もうほとんど空っぽ。


段ボール箱が積まれた、リビング。


引っ越し業者の人たちが――。


てきぱきと荷物を運んでいく。


「こちらの段ボール、お願いします」


「はい、了解です」


男性の声が、廊下に響く。


家が、どんどん空っぽになっていく。


私は――。


自分の部屋で。


最後の荷物をカバンに詰めていた。


教科書、筆記用具、それに――。


制服のポケットに手を入れる。


指先に、小さな感触。


いつも持ち歩いてる、大切なお守り。


青と白を基調とした、滝が描かれたお守り。


お守りの上には白い結び目と、金色の鈴。


そっと取り出して――。


カバンの内ポケットに移そうとした。


その時――。


手が滑って、お守りが、床に落ちた。


チリン、と鈴が鳴る。


澄んだ音が、空っぽの部屋に響く。


(あ――)


「琉々、準備できた?」


タイミングが、悪い。


振り返ると、お母さんが部屋の前にいる。


そして


――私の足元に落ちているお守りに、


目が行く。


お母さんの視線が、一瞬そこで止まった。


「……」


少し、眉をひそめる。


そして――。


「そんなのいつまで持ってるの? 汚いから捨てなさい」


(……え)


私は、言葉を失った。


心臓が、ぎゅっと締め付けられる。


お母さんは、これが何なのか、忘れている。


私がどれだけ大切にしているかも、知らない。


いつも持ち歩いていることも、知らない。


知ろうともしない。


そもそも――私に興味なんて、ないんだ。


引っ越しも、離婚も、全部お母さんの都合。


私の気持ちなんて、どうでもいい。


慌てて、お守りを拾い上げる。


両手で、ぎゅっと握りしめる。


お母さんは、それ以上何も言わなかった。


「準備ができたら、玄関に来なさい」


そう言って、部屋を出ていった。


廊下の向こうで、人の気配が遠ざかっていく。


一人になった部屋。


私は、お守りを抱きしめたまま、座り込んだ。


空っぽの部屋。


荷物は、ほとんど運び出された。


カーテンも外された窓から、


光が差し込んでいる。


(……お母さんは本当に、私のことどうでもいいんだ)


お母さんは――。


自分のことでいっぱいいっぱい。


余裕がない。


だから――。


私のことなんて。


見てないし、興味もない。


(……捨てない)


何を言われても。


このお守りだけは――絶対に、捨てない。


私は、お守りをそっとカバンの内ポケットにしまった。


今度は、落とさないように。


しっかりと、奥まで。


ファスナーを、閉める。


引っ越しのトラックが、


家の前に停まっている。


これから、新しい場所に行く。


知らない場所。


知らない学校。


知らない人たち。


カバンを肩にかけて、部屋を出る。


最後に、もう一度部屋を振り返る。


空っぽの部屋。


もう戻らない場所。



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