1-2 いつもとは違うこと
騎士団には併設の食堂がある。首都セントラルディアの中心にある王城に隣接した東側が騎士団の一角だ。騎士団本部、第一から第三までの隊舎、演習場などの施設と住居区画からなる。騎士隊は第四まであるが、警邏組織である第四隊は首都の各ブロックに隊舎を構えているため、本部に隊長室があるだけだ。また、王城の西側は対照的に魔術師団の一角になっていて、アズール隊に所属する私も普段はそちらにいるのだが、今日は合同演習だったため、騎士団の友人と食事を共にする約束だ。
カウンターで体力勝負の騎士向けなボリュームのある食事を断って少し量を減らしてもらい、トレーを受け取る。
重厚なオーク材のテーブルが並ぶ室内は昼の混雑時間を少し過ぎたためか、いつもの喧騒は和らいでいる。
「リナリア! こっち!」
窓際の奥の席に赤みかかったフワフワの金髪を揺らめかせたいつもの顔が見える。
彼女はスザンナ・カース。王立学院の同期で、現在は騎士団本部で事務をしている、騎士団の中では数少ない友人だ。薄化粧なのにぱっちりとした目、頬は健康的な薄紅色、ぽってりと艶のある唇をしている。顔だけならば10代と言われても十分通用しそうだ。(実際は私と同じ22歳なのだが。)そして、首から下は出るところは出て引っ込むところはキュっとくびれているという(何ともうらやましい)、男性が夢想する女性を再現したらこうなるだろう見本のような体型をしている。むしろ、童顔でソレなら鬼に金棒、モテないわけがない人物である。魔術師の私とは進む道は違ったが、学院からの腐れ縁で時々一緒に食事をする仲なのだ。
立ち上がって私に手をふるスザンナに、騎士団の若い騎士が
「スザンナ、今度飲みにいこうよ」
と誘っているのが聞こえる。
「あら、嬉しい。機会があったらね。」
スザンナは騎士にニッコリ笑いかけながら、受けたんだか断ったんだかわからない返答をしつつヒラヒラと手を振りかえす。
お呼びでないということなんだろうが、彼には伝わったんだろうか。彼女の好みは騎士団長そのもので、「死神カースガチ勢」である。彼女によると、
「鈍色の髪、真紅の瞳の鋭い眼光、渋い声、綺麗な雄っぱいと切れ上がったお尻に支えられた未だに衰えない剣術、そして極め付けに愛妻家! イケおじ最高! 推せる! 横にいるとなんかいい匂いする。最高!」
ということらしいが(最後の方は理解の範疇外である)、要するにガタイのいいおじ様が好きだという解釈で間違ってないはずだ。
「待たせてごめん。スザンナ。」
彼女の向かい側の席を陣取りトレーを置く。
「ううん。私もさっき来たところだから大丈夫。」
実際、彼女のトレーを見ると殆ど手がついてない。
「休憩遅くなるなんて珍しいわね。どうしたの? 会議?」
「そんなことより、リナリア。また彼とやりあったんだって?」
予想外だが『知っている』セリフに、食べ始めようとした手が止まる。
「え? ついさっきの話よ。ていうか、なんであなたが知ってるのよ。」
「えっへっへー。知りたい?」
行儀悪くフォークをくるくる回しながら悪ぶった顔をしてみせるスザンナに、降参のポーズをする。
「実はね。さっき、団長室でヴァルター様の資料整理のお手伝いをしていたんだけど。」
団長の名前が出るだけで嬉しそうである。それを見ながらこちらも食事を始める。
「三隊のレイヴン隊長が報告書を出しにいらして、その時にね。『あ・・・・・あー・・・・これはあかんやつやー』って。」
それを聞いて私も納得する。レイヴン隊長は「地獄耳のサイラス」の二つ名がある。団長室と演習場はそれほど離れているわけではないから、レイヴン隊長には何があったのか手にとるように分かったというわけだ。訓練終了前に「第一隊隊長と副隊長は現場待機」の指示が来ていたということは、犯人も何もかも団長に筒抜けだったのだろう。
「なるほどね。でも、私とアシュフォード副隊長がやりあったのまで何で知ってるの?」
「そりゃぁ、そんな事あったんだったら、あなたが黙ってないでしょ。」
「まさか、カマかけたの?」
「違ってなかったでしょ?」
スザンナはテヘペロという擬音が出てきそうな顔をする。童顔でそれやられるのはズルすぎる。
その時、感じるか感じないか微妙な揺れが起きた。
「———————————!」
持っていたフォークを落としてしまい、床に乾いた音を響かせて転がり落ちる。
「地震かな? 珍しいわね。」
スザンナは辺りを見回して不思議そうな顔をしているが、私にはそれどころではない。
「リナリア、大丈夫? 顔色悪いわよ?」
「え・・・・? そう・・・・そうかな? 演習で疲れたのかも。ちょっと食欲ないから、先戻るね。」
落ちたフォークを拾い、トレーを持って立ち上がる。
「いいけど、医務室行った方がいいんじゃない? ついていくわよ?」
「大丈夫。少し休めばなんとかなると思うから。ごめんね。また埋め合わせする。」
心配そうなスザンナを後に私は急いで食堂を飛び出した。
中庭の手近な木陰に走り込み、人気がないことを確認してから急いで手袋を外す。さっきの地震の時、手の甲に鈍い痛みが走ったからだ。
(刻印が・・・光っている・・・・。)
不穏な血の色に淡く光っていた刻印は徐々に光が薄くなると端のところだけ鉄錆色に染まった。
この刻印と地震は繋がっている。ということは、もうこの時点で事態は動いていたのだ。
(こんなに早くから動いていたなんて・・・・!)
思っていたより猶予は少ないのかもしれない。
(今度こそ・・・今度こそ、あの人を助けなければ・・・・。)
ポケットから夜色のカフリンクスを取り出す。
あの人に渡したカフリンクスは「今」はまだ私の手にある。
(そうね・・・。『忘れない』って約束だものね・・・。)
カフリンクスを握りしめて、あの人との日々を思い出す。どれも大切な思い出だ。ここでは無くなってしまっても、私の心の中にはそれはずっと生き続ける。
私にとってはそれほど長くない時間しかたっていないけれど、久しぶりにあの人の優しい面影を思い出した気がして涙が滲む。
(きっとこの宝物があれば私は大丈夫よ。)
魔装具手袋にはこのカフリンクスを使おう。そう決めて、私は隊舎に向かう道を歩き出した。
かすかな地震などなかったかのように、セントラルディアの都は日常が続いている。
第一騎士隊副隊長フェリクス・アシュフォードは同じく第一騎士隊の精鋭数名とともに第一王女であるエレーナの公務に同行していた。王族の護衛は近衛騎士隊の任務だが、フェリクスがガーランド侯爵家の次男であり、エレーナが幼少の頃から面識があることから、たびたび公務への同行を指名されることがある。エレーナは今年17歳、隣国ノルドヴァルト王国との平和協定によって来年には隣国王太子ヴィクトルへの輿入れが決まっているのだが、民草の間では銀髪の貴公子フェリクスと、国のために輿入れしなくてはならない白金の王女の悲恋の噂でもちきりだ。
「エレーナ王女殿下!」
「王女殿下万歳!」
市街を進む馬車には市民の歓声が響く。カラカラと軽快な音を立てながら進む馬車からは、王女がにこやかに手を振る。若いながらも国民の福祉や医療に関心が高く、公務にも熱心な王女は国民からの人気も高い。王子ではなく王女が立太子なさってくれればいいのに、という声もあるくらいだ。
今日の公務先である王立医療院に到着すると、近衛騎士の白い騎士服と、騎士団の濃紺の騎士服が並ぶ。その中をフェリクスのエスコートで王女が降り立つと、また歓声が大きくなる。
「あんなにお似合いのお二人なのになぁ。」
「王女殿下、かわいそう。」
「エレーナ様!」
出迎えた医療院の院長と王女が挨拶を交わし、建物の中に入るまでそれは続いた。
帰りの馬車には王女の求めでフェリクスが同乗することになった。いつも「一緒に乗って欲しい」とお願いする王女に、「護衛にならない」と固辞するのだが、なら帰りだけでもと着地するのもいつものことである。
「フェリクス・・・・。上の空ね・・・・。」
目線は外に、市民に笑顔で手を振りながらエレーナがつぶやいた。
「いえ。」
フェリクスの返答は短い。
そして、多くを語らない。どんな女性であっても。そう、どんな女性であっても、だ。この王女である自分も。
(あの噂の魔術師を除いて、ね。)
フェリクスは窓の外に視線を移した。
上の空か? いや、馬車の中であっても周囲への警戒は怠っていない。いつでも王女を守る態勢でいる。ただ、少し気になる事はある。
(あれからガーランドと一度も話をしていない。)
あれだけ、顔を付き合わせれば喧嘩ばかりと有名だったのに、だ。
会っていないことはない。共同演習もあれば、少ないながらも任務で同行することもある。ただ、会う機会がめっきり減った。そして、会ったとしてもふと目線を外される。
(避けられているのか? いや、そもそも避ける理由がないはずだ。)
あの日、中庭でガーランドを見た。その時、「さっきは言いすぎた」と謝ろうと思ったのだ。
ただ、両手を握りしめて祈るように目を閉じたガーランドの目の端に光るものが見えた気がした。
いつだってまっすぐに自分を見つめ返し、どうやり込めてやろうかと意気込んで見上げてくる彼女が、何を、そして誰を思っているのか。そんな姿を見て、ついに声をかけられなかった。
気がついたらふっと風のように去っていった後だったのだ。
(引き止めたかった? どうして・・・・?)
引き止めて、自分は彼女をどうしたかったのだろう?
「ほら、やっぱり上の空よ・・・・。」
王女のつぶやきだけが馬車の中に響いた。
夕刻の騎士団の第一隊の隊舎は書類仕事をこなす騎士数名と暇を持て余す騎士とで閑散としている。
もう訓練を終えた騎士は大体住居区画か市街の自宅に帰っている時間だ。
「なぁ、アズールの女史。最近、綺麗になった気がしねぇ?」
隊舎で報告書を書いていたフェリクスの手がふ、と止まる。
「あー! わかる! なんか、こう色気が出てきたっていうか。」
「お前もそう思う? 元々黙ってりゃキレイだもんな。ガーランドだっけ?」
若い騎士のはしゃぐ声が加わる。
「名前なんだったっけ・・・・あーそうそう、リナリア・ガーランド!」
「リナリアちゃんかー。『なぁ、リナリア。俺と付き合わないか?』」
「『ちゃん』て年かぁ? お前みたいなの毒舌でけちょんけちょんにされるぜ。」
いつもは止めるだろう中堅の騎士まで珍しく話題に入っていく。
「そういや、あの子。男もののカフスつけてたな。」
そうだ。右手の魔装具に暗い色の余剰魔力吸収の魔石がついている。
「なんだよー。男いんのかよー。」
「ちょっと期待したのになー。」
「いやー。いつもはツンツンしてるのに、自分だけにはデレってする女史見たかったのによぉ! 俺の夢を返せよぉ!」
一様にがっくりしているが、あれが誰かからの贈与品だと決まったわけではない。
「でも、自分の装飾品つけさせる男とかどんな独占欲の塊だよって気はするなぁ。」
だから、贈与品だと決まったわけでは・・・
———————————バキッ
隊舎の室内にフェリクスのペンが折れる音が響き渡った。
「「「し・・・・失礼しましたぁっっっっ!!!!!!」」」
無駄話に興じていた騎士たちは静かに怒れる副隊長を前に高速で散っていく。
首のところで真っ二つになったペンと書き損じになってしまった報告書をそそくさと屑籠に放り込み、引き出しから新しい用紙を用意する。
と、出て行った騎士たちと入れ替わりに第一隊隊長レオンハルト・シュヴァルツが入ってきた。愛妻家で娘を溺愛しているこの男がこんな時間まで残業とは珍しい。
「レオ、急ぎの仕事か?」
他の騎士がいなければ長年の相棒として愛称で呼ぶ間柄である。
「いや・・・お前、これ知ってたか?」
レオンハルトから差し出された一枚の紙に、フェリクスは目を見張った。
そこには見知った名前があった。
「アズール隊 中級魔道士 リナリア・ガーランド ノクス隊への異動を命ず」