3-6 伝わらない思い
オークリッジで遭遇した地震はシルヴァンティア各所で被害が出た。
ただ、大きな被害にならなかったのは、ひとえに地震対策として騎士団、魔術師団が都市の防御結界に尽力してきたからだと言える。オークリッジも到着当日の作業のおかげで間一髪、全壊などの大きな被害は免れた。落下した建材にあたって怪我人は出たものの、死者は出ていない。
任務を終え王都セントラルディアに戻る馬車の中に私はいた、
(副隊長に刻印を見られてしまった……)
副隊長も騎士だが魔術師でもある。一目でこれが私たちが現代使っている魔術とは違うものだと分かっただろう。
しかし、レイや先生には言えたことも副隊長には打ち明けられなかった。
同じ顔、同じ声色、同じ瞳……、そして名前も同じ、違う人。
ただただ、私が前と同じように、フェリクスに向けたのと同じ気持ちを抱いてしまったら、最後の時に辛いから……。
『ボーモントはソレを知っているのか?』
そう聞かれた時、答えられなかった。
副隊長はレイの名前を出した時、とても辛そうな顔をしてた。
あんな顔をさせたいわけではない。
ただ、ここの貴方には私に関わらずに幸せでいて欲しい。
エレーナ様とだって。ノルヴァルトのヴィクトル王太子との婚約は解消されたから、王女が降嫁することも王女が立太子してゆくゆくは王配になることだってアシュフォード侯爵家なら問題ないはずだ。
前の私はカフリンクスを渡した時、名前で呼び合うようになって、ゆっくりと距離を縮めて絆を育んだけれど、
(私はカフリンクスを渡さなかった……)
だから、大丈夫だと思っていた。
またフェリクスとアシュフォード副隊長が同じ気持ちになってくれたことが、嬉しくて哀しい。
副隊長がなぞっていた感触を思い出して右手の甲をなぞる。
刻印はこないだの地震でもう殆ど鉄錆色に変色してしまった。
(災厄を忘れるべからず……)
あの本はもう手元にはない。
ここで私がもう一度あの魔法を発動することはない。
でもこれを止めなければ、最後には大陸に『災厄』はやってくる。
ここの貴方と、光の向こうのフェリクスのために、私はこの謎を解いてみせる。
————————ノルドヴァルト王国レニオン街道
シルバーと呼ばれる仮面の男は銀髪をきらめかせ馬上にあった。
ボーモント辺境伯領に送った先遣隊と自治領から潜入させていた部隊の報告を聞く。
あわよくば国境砦の部隊を壊滅させてボーモント側の戦力をいくらかでも削ぐ予定だったが、
(ボーモント辺境伯のレイナルドか……)
いけすかない優男の顔を思い浮かべる。放蕩息子を装っているが、騎士隊の隊長をまかされるだけのことはあるということだろう。
しかし、国境砦を放棄させ前線を押し下げたのだから、最低限の収穫はあったと思っていい。
ボーモントは森林地帯の鎮火に成功し、ほど近い街に辺境騎士団が合流して陣をはって駐屯している。指揮はボーモント辺境伯アルフレッドが自ら取っているという。ここから辺境騎士団は動けないだろう。潜入していたこちらの部隊を全部駆逐できたとは考えないはずだ。こちらも残部隊でゲリラ戦をしかけるように指示を出す。
先日起こった大地震はノルドヴァルトでもそれなりの被害が出た。
地震は自分にとってはゴールに近いことを知らせる吉兆だが、めったに起きないはずの大地の鳴動とマレウス王時代を彷彿とさせる戦時動員とで国民には動揺が広がっている。
『これを好機としてシルヴァンティアへの戦勝をもって即位なさるべきです』
王太子ヴィクトルは自分の甘い誘いに簡単に乗った。
間もなく王太子は自分の信じる『最終兵器』を持って、ノルヴァルト騎士団の大軍勢に合流する。
この本隊がレニオン街道を南下中であることはあちらの諜報部隊ももう情報を掴んでいるだろう。シルヴァンティアの先行して前進していた騎士団も北上を始めるに違いない。
死神カークを完膚なきまでに叩きのめす幻想に王太子は酔っている。
あの神経質な高笑いが聞こえてきそうだ。
(最高の舞台をお膳立てしてやったのだから、道化には存分に踊ってもらわなければ)
シルバーは仮面の下でほくそ笑んだ。
馬上にある銀髪の黒騎士を遠くから見つめる視線があることに、誰も気づいていないだろう。
物陰で全身に擬装用の装備を身につけ伏せる男の顔はいつもはへらへらと笑っているように見える。「地獄耳のサイラス」ことシルヴァンティア王国騎士団第三隊隊長サイラス・レイヴンがそこにいた。
(あれが『シルバー』か……)
階級章はないが熟練の騎士のように隙がない。
部隊の指揮も手慣れているようだ。
簡潔に指示を出し、出自不明というのに階級社会の騎士団にあって統率もしっかり取れている。
『自分の目で確認したい』
と、騎士団長ヴァルターに申し出た時、案の定ヴァルターは渋い顔をした。だが、最終的には送り出してくれた懐の広い上司に感謝しかない。
目的は二つ。「シルバー」を自分の目で見て確かめること。それから、「マレウス王の遺産」について調べること。しかし、二つ目の目的は早々に諦めることになりそうだ。
馬上の黒騎士の、ふとした所作にレイヴンは目を見開いた。
『似たような背格好の騎士風の男がシルヴァンティアの国境をノルヴァルトに向かった』
(まさか……な)
これは急いでシルヴァンティアに戻り報告しなければならない。
黒い騎士服の大軍勢が通り過ぎるのを見届けると、レイヴンは国境方面に急いだ。
———————シルヴァンティア王国セントラルディア王城
王女エレーナは自身の私室でお茶を楽しんでいた時、はっと目が覚めた気がした。
手の中にはさっきまで手の中で弄んでいた薄青色だったはずの魔石がついたペンダントが、黒ずんでヒビが入ったかと思うとからりと割れて落ちた。
(兄様からもらったペンダント……)
そう、これは兄様から貰ったペンダント……。
兄様が私を守ってくれますようにっていつも身につけていろって……。
渡してくれた時を思い出そうとして、はたと顔を思い出せないことに気づく。
銀色の髪、いつもの優しい笑顔、そこまでは思い出せるのに、顔はもやがかかったように思い出せない。
それに、兄様は兄様だわ。
なんで自分はあんなにどす黒い気持ちを抱えてまで彼に結婚を迫ったのだろう?
自分はこの国の王女で、民の平安のために生かされている。
その責任を忘れたことなど、一度もないはずなのに……。
あぁ、なんてあさましい真似を自分はしてしまったのだろう?
兄様だってこんな子供相手に困った顔をしていらした。
周りに囃し立てられるまま、兄様と結婚するのだと。
そんなことできるわけがない。
男子相続のこの王国にあって、自分が立太子することは弟がいる限りありえない。
アシュフォード家が侯爵家だからと言って、次男で、しかもいつ何があるともしれない騎士であるフェリクスに降嫁することもありえないのだ。
なんでこんな簡単なことに今まで気づかなかったのだろう?
その部分だけもやがかかったように思考がまとまらない。
(このペンダントをくれた人は本当に兄様だった……?)
王女は一人途方にくれた。
シルヴァンティア王国騎士団は第一隊から第三隊の主戦力を持ってレニオン街道を北上中である。
第一隊副隊長フェリクス・アシュフォードも隊長のレオンハルト・シュヴァルツとともに馬上にある。
前を向いたままレオンハルトが隣のフェリクスに声をかける。
「良かったのか?」
「……?」
「オークリッジで話したんだろ?」
「あぁ……」
そういえば、衆目の最中に彼女を抱き抱えて医務室に連れて行ったことを思い出す。
「で?」
「で? ……とは?」
「あのなぁ、じれったいんだよ、お前ら
いい加減なんとかしとけよ、お前。結婚はいいぞぅ
嫁も娘も可愛いしなぁ」
首都に残した可愛らしい奥方と溺愛する娘を思い出したのか、レオの顔がやんわりと笑む。
「気持ちは伝えた
だから……、多分それでいいんだ……」
「……そうか、……お前なりに気持ちに整理がついているならいいさ」
レオはそれ以上何も言わなかった。
自分の気持ちは自分なりに伝えたつもりだ。
届きはしなかったが。
レイナルドは彼女の心に手が届くのだろうか?
彼女の孤独に寄り添い、心に安らぎを与えて慈しむのだろうか?
(まだ・・・まだ、諦めたくない————!)
だから自分はこの戦争を生き延びなければならない。
セントラルディアに戻った私は先発した騎士団・魔術師団への合流を命じられ、明日には出発する。
その私の元に、先生から急ぎの手紙が来たのは午後のことである。
『リナリア 急いで王城に来られたし 現地で合流する エマーソン』
(研究室ではなく、王城?)
取るものとりあえず王城に向かう。
先生は王城に入ったところで待っていた。いつもの車椅子ではない、今日は杖をついている。従者がついていたが私が駆け寄るとすっと下がった。
「おお、リナリア
呼び出してすまないが、一緒にきておくれ」
挨拶もそこそこに先生は歩き始める。
杖をつく先生の手を引いてゆっくりと歩く。
「実はな、王より宝物庫に入る許可を得てある
見せたいものがあるんじゃ」
「宝物庫、ですか?」
宝物庫は王家の人間しか立ち入りを許されない場所のはずだ。存在は知っているが、入ったことなどない。
宝物庫の入り口に立哨する騎士に先生が手で軽く挨拶をすると、騎士が厳かに扉を開けた。
「先生、ここに何があるのですか?」
「この奥だ
先日、ボーモントのタペストリの写しを送ってくれただろう?」
「はい」
「あの絵を見てな、思い出した」
「神聖文字の書かれたタペストリですか? あれはまだ全ての解読はできていなくて……」
「これを見よ」
先生は壁際のカーテンの影になっている壁を指差した。
そこにはボーモントの絵とは違うタペストリがかけられていた。
「———————-!! これは!」
かつては金糸だったろう鈍色の紋様。地の色は藍ではなく朱だろうか。全面に細かい刺繍が施されて不思議な色合いを出している。
中央に塔があるが天井から逆さまだ。塔の先端から天井に向かって数多の線が引かれている。先端は星の形。
そして塔の真下には装飾された本が一冊。本の右に背に翼のない人の形、本の左に翼のある人の形。両方本に向かって手を差し伸べている。
右端と左端にはそれぞれ3行ずつ古代神聖文字の連なり。ボーモントのタペストリと同じ神聖文字だが、ボーモントの内容とは違う文章のようだ。
「王家の記録を当たってみた
古すぎて出所はわからんかったが、元々これはボーモントのタペストリと対になっていたそうでな
しかも、これはレプリカだというんじゃ」
「ちょっと……、ちょっと待ってください
ボーモントのタペストリとこれは対のものだというのは、絵と神聖文字からわかります
ですが、これがレプリカだというなら本物は?」
「その神聖文字の右端を見なさい
<1>と<2>がみえるじゃろう?
その次にある神聖文字の形を考えると、意味は『一つを二つに』じゃろう」
「一つを二つに……分けた?」
「おそらくな、ただ、何をどう分けたかはこれを読み解かねばならん」
新しい発見に震えがくる。
しかもこの絵の逆さまの塔に私は見た覚えがある。
(あの遺跡の天井には逆さまの塔があった!)
そしてもっと重要なのはこの『本』だ。
逆さまの塔、遺跡、私の持っていた本・・・。
そして本に手を伸ばしている二人の人形。
背に翼がある人、ない人、この違いはなんなのだろうか。
魔法を使う人、使わない人?
何かもっと違うものな気がする。この対比にはきっと何か意味があるのだ。
(あぁ、もどかしい! 今すぐこの神聖文字が読めたらいいのに!)
「先生、これを写しても?
明日には私は王都を立たねばなりません
道中でできるだけ解読したいと思います」
「許可は得ておる、わしもこれの解読を進めておこう」
急いで詳細な写しを取る。
本の装飾をよく見ると、そこにはもう一枚のタペストリと同じ蛇の紋様が描かれていた。




