3-5 手袋の下に
セントラルディアからレニオン街道を半日ほど移動したところにある中核都市オークリッジ。
騎士団の増援と一緒に移動した私たちは、さっそく防御結界の構築に取り掛かった。ここは元々簡易な設置型の防御陣があるが、日を追うごとに強さを増す地震を軽減するための結界を改めて城壁から内側を包み込むように設置していくことになる。セントラルディアほど大きい都市ではないが、手分けしても丸一日はかかる。
オークリッジに到着した後、セントラルディアから来た四隊は現地に駐屯する四隊・建築業者を交えて地震で崩れた城壁や街路の復旧にあたっている。一隊は騎士団用の営舎に入った。アシュフォード副隊長もそちらに行ったのだろう。
私たちクリューソスの結界構築部隊も今日はオークリッジに滞在することになる。
城壁の外側の要石に陣を刻みつけ、次の地点へという作業を繰り返す。街を上から俯瞰した時、街全体が大きな陣にすっぽりと入る格好だ。
なんとか今日出来る分だけの作業を終え、宿泊に割り当てられた隊舎に戻ろうとした時、それは起こった。
「——————————!」
ごーっという地鳴りがしたかと思うと、突き上げるような大きな揺れが襲う。
今までのものよりずっと大きい。
あたりがガタガタと揺れ、振動を吸収する防御結界陣が発動するマナの燐光が悲鳴のようにきらめく。
人々の叫び声と、子どもの泣き声……
「伏せろ-----------!」
「頭を守れ-------------!」
揺れる地面に慌てて伏せる人々の中で、私は右手の焼けつく痛みに声にならない悲鳴を上げた。
(-------------------------------!!)
しばらく続いた揺れがだんだんと収まっても、私は右手を押さえたまま蹲って奥歯を噛み殺す。
(痛い------------! 焼かれているようだわ----------!)
「ガーランド!!!!」
アシュフォード副隊長が駆け寄ってくる声が聞こえる。
いや……起き上がらなくては……。
「どうした? ガーランド?! 怪我をしているのか?」
右手を押さえている私を副隊長が息せき切って覗き込む。
あまりの痛みに右手を押さえた左手を外すことができない。
「いえ……大丈夫……ですから…………」
なんとか絞り出したのに、副隊長は無視すると私を抱え上げた。
「な!」
子供にするような横抱きにされて声が出る。
「言い訳は聞かん」
副隊長はそれだけ呟くと、そばにいた騎士に
「ガーランドを医務室へ運ぶ
一隊に私は医務室にいると伝えてくれ」
と言い置いて、私を抱えて歩き出した。
「あの……降ろしてください
自分で、自分で歩けますから……」
何度お願いしても副隊長はまっすぐ前を見てずんずんと歩いていく。
医務室につくと、私をベッドにそっと降ろし、上から見下ろされた。
「君は強情が過ぎる
いくら私のことが嫌いでも、このくらい頼ってくれてもいいのではないか?」
「本当に、怪我はしていません
もう大丈夫ですから、隊舎に戻れます」
すっと黙った副隊長の顔を見ないよう視線をずらし、やっと収まってきた痛みにそろそろと左手を外したのがよくなかった。
「この手か?」
ぱっと取られた右手に、さきほどの痛みが鈍くぶりかえす。
(------------------!)
私が一瞬顔を顰めたのを見てとると、副隊長は私のカフリンクスを外した。
「や……やめてください! 何するんです!」
慌てて手を引こうとするが手首をつかまれたまま離してもらえない。
「手が痛むのだろう? 手袋を外さないと治療ができない」
「お願いです! 手を離して!」
必死で手を取り返そうと暴れる私を制して、副隊長は私の手袋を外した-------------!
「な………………」
(あぁ………………)
私のカフリンクスがころりと音を立てて床に落ちた。
「なんだ……これは……? 魔術刻印……? いや、違う。なんだこれは?」
あぁ……………………。
「ガーランド、これはなんだ?」
「……………………」
右手を取られたまま私は項垂れた。
「これは……これは私の罪業です
貴方には……貴方には、関係のないものです」
「罪業だと……?
君にこんな刻印はついていなかったはずだ
いつからだ? いつからこんな……?」
「貴方には関係ありません……」
そう貴方には、私のフェリクスじゃない『アシュフォード副隊長』にはこれは関係のないことなんです。
「関係なら……関係ならある、君には無くても」
視線がさまよって銀色の髪の間から光る夜色の瞳と交錯する。
「私は……私は君に惹かれている、ガーランド……」
『君に惹かれている……、ガーランド……
いや、リナリアと呼んでも……?』
いつかの声と重なる。
涙が溢れて止まらない。
『えぇ、副隊長……
はい、フェリクス……』
あの時答えた言葉は飲み込んだ。
今もそう答えられたらどんなにいいか。
でも貴方のリナリアは私ではないの。
私のフェリクスが貴方ではないように。
「副隊長……、私は副隊長のお気持ちには応えられません」
「それでも構わない、君が目の前で苦しんでいるのを見ていられない」
あぁ、優しい人……貴方はそういう人だわ。
責任感が強くて、いつでも見守っていてくれた。
その貴方に応えたかったの。
頬の涙をそっと拭って
「私は君を泣かせてばかりだな……」
副隊長はつぶやいた。
「これは痛むのか?」
刻印をなぞりながら副隊長は言う。
さっきの地震でまた刻印が広がった。もうほとんど蛇は鉄錆色に染まっている。
「いえ、もう収まりました」
真偽を問うように副隊長が私を見やる。
「本当です」
「なら、いいが
殆ど寝てないのではないか?
酷い隈だ……、朝も……体調が良くなさそうだった」
「朝は……ご心配をおかけして申し訳ありません」
「謝ってほしいわけじゃない、君が心配なんだ」
二人の間に沈黙が流れる。
「君が、何か問題を抱えているなら……力になりたい
……そのくらいは駄目か?」
貴方の優しさが痛いほど心にしみる。
「ありがとうございます
その、お気持ちだけ……頂きます……」
私の返答に、副隊長は大きなため息をついた。
「一つだけ聞かせてくれ
これをボーモントは知っているのか?」
そう、レイには打ち明けた。
私は答えなかった。
「気が変わったらいつでも言うといい
今日はこのまま少し休め、クリューソス隊には私から伝える」
そう言い置いて副隊長は静かに医務室を出て行った。
(ガーランドが手袋を外さなくなったのは、半年前レオと防護柵を吹き飛ばしてからだ。)
そうだ。カフスの件が気になった時によくよく思い返してみたのだ。
隊ではカフスの話題ばかり持ち上がっていたが、カフスだけじゃない。彼女は人前であの手袋を外さなくなった。
あの時からずっと『罪業』だという刻印を抱えて彼女は生きてきたのか……。
なんという試練、そして、なんという孤独だろう。
だが、力になりたいという自分のささやかな願いさえ、
『ありがとうございます
その、お気持ちだけ……頂きます……』
彼女には届かない。
でも彼女はあの|ボーモントには打ち明けた《・・・・・・・・・・・・》のだ。
自分ではなく……。
フォルティナで磨き上げられた彼女を見た時以上の衝撃が襲う。
最初に彼女の違和感に気づいた時、声をかけていればその役は自分に回ってきただろうか?
ノクスに異動すると知って問い詰めた時、もっと違うやり方で聞いていれば良かったのだろうか?
自分と彼女はどこからすれ違ってしまったのだろう……?
答えはどこにも見当たらない。
——————————ボーモント領森林地帯国境砦
レイナルドが国境砦の配備について程なく、大陸は秋から冬に変わろうとしていた。
この時期からだんだんと風はおだやかな西風から北風に変わっていくのがこの地方の常だ。
晴天の続いていたその日、国境の向こう側から突然火の手が上がった。
物見櫓から国境を監視していた見張りがすぐに警報を鳴らす。
カンカンカンカンカン---------------------!!!
乾燥していた森林は、枯れた下草を飲み込んで勢いよく燃え上がる。
高い針葉樹の頂点を舐めた炎は、折からの北風に煽られこちらに向かっていた。
「レイ!」
副長のグレン・ベックの緊迫した声が飛ぶ。
物見櫓に登ったレイモンドは急いで周囲の状況を把握する。
(畜生……、なんてことをしてくれやがるんだ……)
「グレン、ありったけの斧を持って木を切れ
向こう側に、だ。魔術で火と風を増幅されている
防御結界でも限りがある、この風だ、最悪川まで燃え広がるぞ!」
レイナルドの指示を受けて副長のグレン・ベックが走り出そうとしたのを
「いや、待て!」
慌てて止める。
森林そのものがこの地方にとっては資源である。自治領にこれほど大きな建築用の資材は少ないから、自治領を抱き込むにしても正攻法で来るだろうと思っていたのが甘かった。交易用の道は切り拓いて整地してあるが、森の中は馬での進軍には不向きだ。。そして、森の中には罠や逆茂木を各所にしかけている。
(|まさか森ごと全て焼き払うとは《・・・・・・・・・・・・・・》……、砦ごと焼いて国境線を押し下げる気か?)
いや、待て。考えろ。自分があちら側ならどうする?
道から押し込めないからこそ丸ごと焼いているんだ。炎と一緒に進軍するわけはない。火をつけたら自分たちが巻き込まれないように風上側の延焼を止めるだけでいい。風上の人手は魔術師を中心に少ないはずだ。なら、本隊はどこだ?
自分なら、道ぞいに後退してくる敵を狙い撃ちにする。そうすれば、北からくる炎と森林の中を通る狭い道で少人数で叩くことができるだろう。以前、自治領からの入国が増えていたのが、それを見越した潜入だったとしたら十分ありえるのではないか?
「グレン、砦を放棄して森を抜けるぞ
敵はそこで待ち伏せしている可能性がある、速さが勝負だ、一気にしかけろ」
「砦を放棄だと?!」
「どのみちこれだけ燃やされたらこちらの魔術師では制御できん
敵を排除するのが先だ」
「よし、全隊に伝令! 砦を放棄する!」
カンカン------------カンカンカン---------------------!!!
砦放棄の警報を鳴らすと、物見櫓にいた騎士たちは一斉に走り出した。
実際、レイナルドの予想は的中した。
森を抜けたボーモント領側で敵の待ち伏せに遭遇し交戦状態に入ったのだ。
ただ、浮き足立っていたわけではない、「敵がいる」と想定して後退した辺境騎士団の国境警備部隊は程なく敵を殲滅した。
(人的損害は少ないが、「負け」だな……)
砦は放棄させられ、森は未だに勢いよく炎が渦巻いている。
鎮火に向けて慌ただしく駆け回る辺境騎士団の中で、レイナルドはほぞを噛んだ。




