3-4 辺境伯領からの手紙
『親愛なる友 リナリア
元気にしているかい? こちらはいつも通り元気にしているよ
国境線はあちらも臨戦体制だが今の所は衝突するまでにはなっていない
僕もしばらく辺境騎士団で国境砦に詰めることになる
僕だってボーモントの一員だから、ちゃんと責任を果たさなくちゃね
今日、国境へ向かう途中カークス川を通ったんだ
リナも見たことがあると思うんだけど、一定間隔に道標が立っているだろう?
今日もその道標のあるところを通ったんだけど、その石碑にね、あのタペストリにある神聖文字と同じものが書かれていたんだよ!
これはきっと君の助けになるんじゃないかと思ってスケッチしてある
——— 君ほど上手くはないけど!
僕も任務中だったから、他の道標まで確認できたわけじゃない
比較検討できるのが一番だろうけど、とにかくこのスケッチを送るよ
君の研究の役に立てて貰えると嬉しい
君とフォルティナで過ごした日々はついこないだのことなのに、もうずっと離れてしまったように感じて寂しいんだ
リナ、ボーモントからいつでも君を思っている
愛を込めて 君のレイナルド』
任務を終え、隊舎に戻った夜、私の机の上にはレイナルドから手紙が届いていた。
慌てて封を切る。
(何かわかったの?!)
急いで手紙を読んだ。
手紙と、それから道標の全体を描いたスケッチと碑文を大きく書き写したスケッチ、そして小さなアイリスの押し花が入っている。
ほんのりとしたアイリスの香り……。レイナルドのキザな笑顔が思い出されて、フォルティナの短くて濃密な日々を思う。
(この碑文の形……タペストリの神聖文字だわ……)
早速タペストリのスケッチを取り出す。
碑文は、タペストリの左側に3行に渡って描かれた文字と一致する。
そして、レイナルドの手紙には古代神聖文字で描かれた碑文と、その下に古い宗教文献に用いられる古語があった。
(こっちなら私でも意味が読み取れる!)
『創造と再生 二つで一つ 卵は生まれてまた卵に 一つでは意味を成さず』
先生の指摘した<2>と<1>が当てはまる。古代神聖文字が刻まれた後に後世に内容を伝えるため書き足された?
カークス川沿いに定点で置かれている道標には私も見覚えがある。ただの道標だと、私も思っていた。
(碑文が刻まれていたなんて知らなかった……)
カークス川沿いということは、エマーソン先生から聞いた王家の伝承の、『北の地から民を連れ川に降り新都を築いた』のは「死の山脈からカークス川沿いにセントラルディアに下ってきた」という仮説が正しいことになる。
レイナルドの言うとおり、道標全てに同じものが刻んであるかどうかは調べている余裕がない。明日にでもセントラルディア市中にある道標だけでも確認しなくては。
(そして、王家の祖は北の山脈の文明にあるということなのね……)
王家の興りについては、学院では「古代よりこの地に魔術を用いた文明があった」としか教えていない。セントラルディアを中心とした文明より前の歴史は存在しないことになっているからだ。これも大きな発見といっていい。
<2>と<1>。
これも重要なヒントになっているはずだ。
タペストリの2匹の蛇、そして私の手の甲の1匹の蛇。
重ねるとタペストリと同じ紋様になる。
(蛇は2匹で一つ、両方揃って初めて何かの意味を持つんだわ……)
一つになって初めて術が完成するなら、この手の刻印はなんなのだろう?
術が未完成だった? いや、そんなことはない。自分はちゃんとここに『戻って』きた。
(二つで一つ、揃った時どうなるっていうの……?)
これで、タペストリの左側に書かれている内容おおまかには把握できた。
タペストリの右側は……2行目が<過去>、<戻る>。これは今はないあの本にあった記述だ。
私の術の発動前に魔法陣が広がってあの遺跡に出た。すると、右側の1行目はあの魔法陣の魔法を指している?
そうすると、3行目はなんなのだろうか……。
(今すぐに先生の意見を聞いてみたいのに……)
時間はもう深夜になりかけている。明日はまた防御結界構築の任務で近郊の都市に出なければならない。
先生宛に自分の考察と、レイナルドからのスケッチの写しをとって封をした。
そして、新しい発見をくれたレイナルドにお礼の手紙も。
————————ノルヴァルト王国首都アイゼンブルク城
城外の仮の駐屯地にはシルヴァンティアとの戦争に備えて黒い騎士服の騎士たちが集結していた。
その中にはヴィクトルの側近、シルバーの姿もある。笑っているとも泣いているともとれる白い仮面は騎士の中にあって異彩を放っていた。王太子ヴィクトルの姿はここにはない。
きっとあの王太子は王城で一人震えているのだろう。
(殿下の出番はまだ先だからな……)
シルバーは仮面の下で酷薄な笑みを漏らすが、仮面の下とあっては誰も見咎めるものはいない。
先に編成されrたノルヴァルトの先発隊は、すでにボーモントの森林地帯に向けて進発した後である。この情報はシルヴァンティア側も掴んでいるはずだ。行き先も。
だが、あちらは二正面では来ないだろうと踏んでいるはずだ。
相手は騎士団長『死神』アーク・ヴァルター、そして知略に長けた副長ジュリアス・スターリングである。
死神アークの名前はノルヴァルトにも轟いている。悪鬼のごとき勇姿は古い騎士ならば自分の目で見たものも多い。年を経たとは言え、恐ろしいのは変わりないだろう。実際、年齢とはなんなのかと思えるほどの剣筋である。
そして、ヴァルターに隠れがちではあるが、あの副長もくわせものだ。
(味方なら頼もしいが、相手にするとなると手強い……)
シルバーは天幕の中で地図に置かれた駒を見ながら黙考する。
シルヴァンティアとの国境はレニオン街道ぞいに南下し国境都市ヴェイルガードへ向かうのが最短で、それより西側はカークス川の大河が流れ渡河は至難である。そこから自治領を経て死の山脈に繋がる。
ボーモントの先発隊は策を授けて自治領に向かわせた。
豊かなボーモントは牧畜で細々と生活している自治領の奴らにはまるまると太った豚に見えているだろう。
油の滴った肉を切り分けてやると言えば、どちらに天秤が傾くかは自明である。
(くれてやる気は最初からないんだがな……)
ゴールは見えている。
チェックするために、これから自分はこの駒を手筋通りに進めていけばいい。
「シルバー様」
副官が静かに後ろから声をかける。
「進撃準備整いました」
「よし、出発だ」
シルバーは立ち上がると、天幕を出た。
次の日早朝、2通の手紙を言付けた後、任務の前に市中のカークス川の橋のたもとにある道標を見に行った。
年月による風化で読み取りにくいが、レイナルドの送ってくれたスケッチと同じ紋様が刻まれている。
同じ内容の道標だと見ていい。
ただ、地面とのすれすれにレイナルドのスケッチにはなかった一文がかすかに見て取れた。
神聖文字ではない。古語で書かれている。
(……かすれて……読み取りにくいけど……
これは……「災厄 忘れるべからず」……?)
災厄……
荒れ狂うマナ……
鳴動する大地……
崩れる遺跡……!
(あの、魔法が発動した時! あれのことを言っているの?)
忘れるなということは、一度はあったということではないの? ちょっと待って。
先生の伝承を思い出して。
『北の地から民を連れ川に降り新都を築いた』の後はなんだった?
——————————『星が落ち、帝都は崩れ、大いなる技を失った』!!!
星が落ちる、災厄、そして帝都は崩れる、崩れ落ちる遺跡……災厄は過去にもあったんだ!
呆然とした。
あの魔法は災厄につながるものなの?
それなら私はこの魔法を発動してはいけなかったのではないの?
でも、これがなきゃあの人は……あの人を助けられる希望はこれしか思いつかなかったのに……
今起きているこの地震を自分が引き起こしたのかもしれないという疑念に震えが止まらない。
(どうしよう……どうすればいいの……?)
ふらふらと立ち上がり、セントラルディア城への道を戻る。
すると、
「ガーランド—————!!!!」
聞き覚えのある懐かしい声が私を呼び止めた。
「ガーランド! 大丈夫か? 顔色が悪い……何があった?」
ふらふらと顔を上げるとそこにいたのは懐かしい……いや、この人は『アシュフォード副隊長』だ。
「いえ……、なんでも……」
顔を……目を合わせることが出来ない。
今、この時には会いたくなかった。
「なんでもっていう顔か、真っ青だぞ」
手を伸ばしてくる副隊長の手を制して言う。
「本当に……なんでもないんです
ご心配をおかけして申し訳ありません」
「ならいいが……、君も結界構築で出るのだろう?」
そう言われてようやく集合時間になっていることに気付く。
「あ……」
「あ、ではない
今日は四隊と結界構築のクリューソスに合流して一隊も移動する
体調が悪いならそう報告するが?」
「いえ、問題ありません」
アシュフォード副隊長は物言いたげな視線を寄こしたが、あの逃げた日のこともフォルティナの夜のことも関係ない、事務的な会話は私をほっとさせた。
「四隊に合流して移動?」
フェリクスが騎士隊第一隊長レオンハルト・シュヴァルツに命じられたのは朝のことだった。
「おう、俺は後から合流するが、今日の四隊は街道沿いだったろう
第一隊と第二隊の先遣隊は先に出ているが、こちらも増援をいつでも出せるように前進しろって話だな」
「国境に直行しなくていいのか?」
「そこはスターリング副長の作戦次第だな
前進はしろ、ただしまだ行きすぎるな、だそうだ」
地図を思い描いて思案する。
「副長にしては煮え切らないな」
「レイヴンの情報だ、相手が一筋縄ではいかんそうだ」
「レイヴン隊長でも、か……」
そう聞いて納得した。あの諜報のスペシャリストをして、『一筋縄ではいかない』と評させるとは、相手はよほどの策略家なのだろう。ノルヴァルトにそんな人間がいるとは初耳である。自分は一隊になる前は三隊にいた。あの人のニヤニヤと人のいい笑顔が実は恐ろしいことを身をもって知っている。
「それに……、ずっと会ってないんだろう?」
そう聞かれて一瞬止まる。
「今日のクリューソス隊の結界構築にガーランドも入ってた
お前、フォルティナで女史と少しでも話せたのか?」
『フォルティナ』の単語にあの夜のことが蘇る。
(何も……自分はまだ何も出来ていない……)
あの時、庭園の木陰で抱き合うあのいけすかない優男と彼女を見て頭が真っ白になった。
あんなぽっと出の優男に彼女を渡したくない。
あの綺麗なアーモンド色の髪に触れ、彼女の腰を抱き、切なそうに涙を流す頬に口付けて……
どす黒い感情で焼き切れそうだ。
(そうだ……、彼女に惹かれている
彼女を誰にも渡したくない)
あのきらきら輝く髪も、知的にきらめく瞳も、自分だけのものにしてしまいたい。
自分の様子にあらかたを察したレオは、はぁっと大きくため息をついた。
「お前なぁ……これからのこともある
ちゃんと話せる時に話せ」
「分かっている……すまない……」
気を回してくれた相棒に感謝し、隊長室を出た。
集合場所に向かうと、ガーランドはまだ来ていなかった。
早朝から川の方に向かって歩いて行ったと聞いて、城から急いで橋のある通りを目指す。ほどなく、ふらふらと歩く彼女を見つけた。
「ガーランド—————!!!!」
いつものような覇気がない。それに顔色が真っ青だ。
「ガーランド! 大丈夫か? 顔色が悪い……何があった?」
自分の顔を見たと思った紫色の瞳がいつものようにふいとそらされる。
(またか……)
ノクスに転属する前と同じ、でもそれでは駄目なのだ。
「いえ……、なんでも……」
「なんでもっていう顔か。真っ青だぞ。」
手を伸ばすが遮られる。
「本当に……、なんでもないんです
ご心配をおかけして申し訳ありません」
「ならいいが……、君も結界構築で出るのだろう?」
頑なな彼女に一旦引く。
「あ……」
「あ、ではない
今日は四隊と結界構築のクリューソスに合流して一隊も移動する
体調が悪いならそう報告するが?」
今思い出したとばかりに呆然とする彼女に事務的に尋ねる。
「いえ、問題ありません」
今日は……今日こそは、ちゃんと気持ちを伝えなければ。
騎士として、憂いを残さないために……。




