3-3 銀髪の黒騎士
————————ノルヴァルト王国首都アイゼンブルク城
王の執務室、本来であれば王が座るはずの椅子には王太子ヴィクトルが座り、神経質げに親指の爪を噛んでいる。
目の前には銀髪の男。笑っているとも泣いているともとれる白の仮面をつけ、階級章のないノルヴァルト騎士団の騎士服を身につけた男が静かに佇んでいる。
「シルバー、貴様の言ったとおりだったな」
「城下の密偵はあらかた捕縛いたしました」
「父上の様子は?」
「陛下は離宮にて『療養』頂いております、侍医団には『昏睡状態にある』と発表させました」
王太子の問いに抑揚のない返答が返る。
「本は……お祖父様の本の解読はどれほど進んだのだ?」
「研究所の報告では8割方、と」
ヴィクトルは机を叩くと声を荒げた。
「この戦争にはあれが不可欠なんだ! 急がせろ!」
「御意」
シルバーと呼ばれた男は静かに答えた。
「やってやるさ……見てろよ……お祖父様の後継者はこの僕だ……
みんな僕を馬鹿にしやがって……、あの本があれば、あの本があれば、僕はこの大陸だって統一できるぞ……
そうさ、大陸を統一して僕が新しい皇帝になるんだ……、僕が……あんなシルヴァンティアの浮気女なんか必要ない
大陸の統一はお祖父様だって出来なかったんだ……お祖父様の悲願を僕が……
そうだ、僕のことをお祖父様の残り滓だって、ボンクラだって、馬鹿にしたやつらの鼻をあかしてやる……」
自分の世界に入ってぶつぶつと呟いているヴィクトルを置いて、シルバーは部屋を出た。
(たわいもない……)
城下にシルヴァンティアの密偵が多く入り込んでいることは先刻承知だ。「あらかた」とは言ったが「全て」とは言っていない。確認もしないし続けて捜索の指示もしないところがあの王太子の器量というものである。
元々神経質かつ繊細な性質で他人の評価を必要以上に気にするヴィクトルを、うまく情報を遮断し疑心暗鬼をあおって孤立させるのにはそう大して時間はかからなかった。ヴィクトル本人はそう思っていないだろうが、今ではシルバーたる自分の言いなりである。
マレウス王はかつて国の優秀な魔術師・魔術史学の研究者を集めて、ある本とタペストリの解読を指示した。どちらも王家の祖から伝わる遺産である。マレウス王はこれが大いなる魔術兵器のありかと使い方を示すものだと踏んでいたという話だが、マレウス王の予想は一部合っていて一部間違っていることを自分は知っている。
「シルバー様」
騎士団から自分の補佐につけられた騎士から声をかけられる。
「ヴィクトル様は?」
「少し休憩される
また後ほど報告に上がるから、それまでは誰も近づけるな」
「は」
「研究所に行く
貴官は下がっていろ、同行は不要だ」
「かしこまりました、執務室におります」
右手をふって下がらせる。
シルバーは一人城内を進むと城の北側、尖塔の根本にあたる扉を開けた。中はローブを着た魔術師がそろそろと行き交っている。
ここは機密保持のため、城内に設置されたマレウス王の研究所である。出入り口はさっき通った扉しかない。
(用済みになったら一網打尽にする予定だったということか)
マレウスの思惑など知る由もないだろう魔術師たちを見る。
そして、塔の内周に沿った階段を4階分上がり最上階の扉を開けた。
このタペストリ、そしてノルドヴァルトに伝わる本。
神聖文字の解読が出来ていなかったマレウス王は、絵を見ただけで、「光の矢で都を破壊する魔術兵器」だと思ったのだろう。だからこそ、その使い方を求めて魔術師どもにこの本の解読をさせた。魔術兵器による恫喝によって大陸全てを統一する、それが老王の野望だったという。父親の狂気に恐れをなしたアルヴァードによって暗殺されたのも頷ける。そのアルヴァードもヴィクトルによって幽閉状態にあるのだから、この王家の血族は呪われているのかもしれない。
老王は死すべきだった。
なぜなら、これは「都は破壊する」かもしれないが、使い方によってはもっと恐ろしいものだ。
あの狂気の御仁に渡っていたとしたら、と考えただけでもぞっとする。
自分が有効に使ってやるから安心して眠るといい。
(このままいけば、全ての条件が揃う日も近い)
シルバーは壁のタペストリに目をやった。
「2枚」のタペストリに。
————————セントラルディア魔術師団隊舎
日付の変わる頃、私はエマーソン先生からの手紙、自分のまとめた資料を広げてタペストリの神聖文字の解読作業をしていた。
任務をこなしながらだと、どうしても睡眠時間を削る他ないがやむを得ない。
こうしている間にもタイムリミットは迫っているのかもしれないのだ。
分かっていることは、<時>と<戻る>、それから先生に教えてもらった<2>と<1>、タペストリにはその後にもう一度<1>がある。そして、天と地に描かれた人形。
手の紋様も詳細に書き写し、タペストリの蛇の紋様と縮尺を合わせてランプの光で透かしてみる。
(2匹いる蛇の片方と完全に一致するわ……
元々2匹の紋様だということ……?)
<時>と<戻る>はタペストリの神聖文字の中にもある。同じ内容がここにも書かれているということだ。記憶にある以前解読した文字群はタペストリの右端から2行目に集中している。なら、私のこの手に刻印をつけた魔法はここに書かれている。
<2>と<1>、その後にもう一度<1>はタペストリの左側の3行目。
多分、このタペストリとあの本は合わせて考えないといけないのだろう。
それから、先生の言う伝承、『北の地から民を連れ川に降り新都を築いた』のは王家の祖先ということになる。
ただ、『星が落ち、帝都は崩れ、大いなる技を失った』の部分が問題だ。
北の地から降りた、山から川に降りた、北の山脈からカークス川に、ならば『帝都』は北の山脈にあったということだろうか? でも、そこは『崩れた』……。『星が落ち』の部分はこの塔から出ている光を指している? では、塔は『帝都』の象徴なのか、それとも塔はそのまま単純に塔があったのか……わからない……。
『大いなる技』と天と地に描かれた人形は何を意味するのだろう?
今、魔術は存在するが魔法はない。以前、先生とも話した、かつては魔法と呼べるものが存在していた可能性。
『大いなる技を失った』、魔法はあったけれども今はない。この人形は魔法を使えた人間だということだろうか。
帝都を失って、川を降り、魔法を失った……?
マナが荒れ狂っていたあの遺跡は地下だった。
あの時外がどうなっていたのかは分からないから、実際『星が落ち』ていたのかは分からない。ただ、あのマナの暴走と大地の鳴動は尋常ではないことは確かだ。
自分はあの時、本の術を発動して『戻って』しまったから、あの後どうなったのかは分からないままだけれど……。
とりあえず、今日の考察をまとめて先生宛の手紙にしたためた。
騎士団第三隊は兵站・騎士団の備品管理が表向きの任務である。
今は緊張状態にあることもあり、表向きの任務で大忙しだが、本来の業務である諜報活動も重要さを増している。国民はおろか同じ騎士団でも上層部しか知らないが、各地を巡る貿易商・現地の露店商・旅芸人一座・吟遊詩人・果ては布教活動をする聖職者まで、ありとあらゆるところに「耳」を潜ませているのが第三隊の本来の姿である。
騎士団第三隊隊長サイラス・レイヴンの元には、各地に潜入している諜報員からの情報が集まってくる。
が、この日のレイヴンは報告書を前に思案していた。
(・・・・・これは泳がされているのか・・・・?)
アイゼンブルクで拘禁された諜報員の一部がさしたる尋問もなく一斉に釈放された。
マレウス王の時代ならば、スパイなど疑惑時点で処刑することもありえたのに、だ。
そして、一時は遮断されていた情報のやりとりにもほぼ制限がなくなった。ただ、制限がなくなったからといって、伝達には最新の注意を払わせている。そして、泳がされているのならば、情報を敢えて掴まされている可能性も考えるべきだ。
街道は閉鎖されているが、情報遮断の障壁はアイゼンブルクの城内に限られているようだ。アルヴァード王は『療養』と公式発表されているが、こちらも諜報機関でなくても額面通りに受け取るやつはいない。体よく離宮に幽閉されていると見るべきだ。
(最初から父親を暗殺しなかっただけ父親よりマシだな)
王室領から進発した騎士の一隊はレニオン街道をそのまま南下するかに思われていたが、西へ転進ボーモント方面へ先行している。アイゼンブルクの騎士団本体はアイゼンブルク市街に集結中とある。これが本隊だろうが、問題は例の『シルバー』だ。白い仮面にノルヴァルトの黒い騎士服、階級章はなかったそうだが、常にヴィクトルの側に控えていて、具体的な指示は全てそこから出ているという。そして、本人を見た諜報員によると歩き方などは騎士のそれだったという。
出自は相変わらず出てはきていないのだが、似たような背格好の銀髪に覆面をした男がシルヴァンティア側から国境を超えた目撃情報が上がっている。やつはシルヴァンティア人なのか? そうだとするならばシルヴァンティア国内を含めて情報の収集が必要だ。
団長の言う『ヴィクトルの頭』はこいつで間違いないのだろう。
ヴィクトルはマレウスの後継者を標榜し、大陸統一などと大言壮語を吐いていたから、シルヴァンティアは避けて通れない邪魔な壁だ。互いの国力にはそう大差ないから、全面戦争ともなればどちらが根を上げるかの消耗線になることは必至だ。
何か落とし穴がありそうな気がしてならない。
ヴァリエール魔術師団長の『マレウス王の遺産』について突っ込めればいいのだがな……。
相変わらずアイゼンブルクの城はガードが固い上に、マレウス王の研究所の情報管理はさらに厳重だ。何人の研究者が従事していて何が行われているのか? 全くといって掴めない。シルバーが頻繁に出入りしていることだけは分かっているから、なんとしても情報を手に入れなければならない。
(自分で行きたいって言ったら……あかんのやろうなぁ……)
思考の海に沈みかけた時、騎士団副長ジュリアス・スターリングが三隊長室の扉を開けた。
「副長?」
「レイヴン、何か問題か?」
「いやぁ、例の『シルバー』なんですがね
なーんにも出なくてどうしたもんかな、と
ここまでくると気持ち悪いですわ」
「弱音か?」
「いや、仕事はちゃんとしますって」
むぅと考え込んでしまうレイヴンにスターリングはやれやれとため息をついた。
「過程はいいから、今あるものを真偽は置いておいて団長にまるっと吐き出してこい
後はヴァルターが判断する」
まるで考えるなというような言い草ではあるが、スピード重視だといい方向に解釈することにしよう。
レイヴンは団長室へ向かうため自分の部屋を出た。
レイナルドは隊を率いてノルドヴァルトとの国境線に向かう途上にあった。
国境砦は森林地帯を抜けた先、未だ馬で2時間ほどかかることもあって手前のカークス川のほとりで小休止を命じた。
ここはまだ川の源流に近いため、馬でも渡河することができる。氷河地帯を源流に持つ川は1年を通してひんやりと冷たい。
馬に水を飲ませ、携帯食料に齧り付きながら辺りを見回した時、レイナルドはそれに気づいた。
川のほとりに一定間隔で置かれている道標は見慣れたものである。
ただの道標だと今までは思っていた。
だが、そこにレイナルドはいつか彼女と見た「タペストリと同じ神聖文字」を見た。
(なんでこんなところに---------------!)
ちょっと……ちょっと待て。この道標はカークス川沿いにセントラルディアまでずっと一定間隔で続いているんだぞ?
そのすべてがあのタペストリと同じ古代のものだというのか?
突然道標の前にしゃがみ込んだレイナルドを見て副長のグレン・ベックが声をかける。
「レイ? どうした?」
「いや、少し時間をくれ」
(きっとこれはリナの刻印に繋がっている!)
レイナルドは胸ポケットから手帳を取り出すと、道標のスケッチを始めた。




