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3-1 平和協定の破棄

 ———————————ボーモント辺境伯領 領都フォルティナ

 戦没者慰霊式典の夜、ノルドヴァルト王国との平和協定破棄の第一報はレイナルドの放った密偵によってもたらされた。

 穏健派だったはずのアルヴァード王の消息は未だ情報が錯綜している。ノルドヴァルトの首都アイゼンブルクでは王太子ヴィクトルが指揮を取り、戦時に向けた動員がすでに始まっているという。

 協定破棄の使者はシルヴァンティアへ向けレニオン街道を進んでおり、使者の到着とほぼ同時に国境線は封鎖されるだろう。

 ノルドヴァルトへの警戒は十分していたが、王太子ヴィクトルの動きは電光石火といっていい。

 動きをこちらのノルドヴァルトとの戦争戦没者慰霊式典に合わせてきたところにも悪意を感じる。双方、長い戦争の歴史があるが、こういった慰霊行事はお互い様で戦闘行動などは避けるのが暗黙の了解だった。


(動くにしてももう少し後だと思っていたんだがな)


 レイナルドは苦虫を噛み潰した。

 穀倉地帯は人手の必要な収穫時期が始まったばかりで、これから大陸は冬に向かう。エレーナ王女の婚礼は暖かくなった春の予定だった。王太子ヴィクトルの不審な動きはこちらでも把握していたが、まさかいきなり協定破棄とは……。

 深夜になりかけたところだが、セントラルディアからこちらにきていた騎士団・魔術師団は早々に首都に向けて出発した。馬車では1週間の距離だが、身体強化・高速移動に長けた騎士や魔術師なら1日で走破する。情報だけは先に送っているから、居残りの面々で対応はとってくれるだろうが……。

 パーティーの礼装から急いで普段の騎士服に着替え、父アルフレッドの執務室へ急ぐ。

 途中、副隊長のグレン・ベックが合流した。


「レイ、あちらに送った密偵の一部と連絡が取れなくなった

 押さえられたかもしれない」


 報告に眉間に皺がよる。

 王太子ヴィクトルはこちらの情報では可もなく不可もなく、威勢のいい割には特に秀でたようなところもない人物だという情報だったが。あまりにも行き渡りすぎている(・・・・・・・・・)

 レイナルドがアルフレッドの執務室に入ると、ボーモントの首脳はすでに揃っていた。


「遅いぞ、レイナルド」


 アルフレッドの檄が飛ぶ。


「申し訳ありません、報告を

 セントラルディアにはクリューソス隊分室から一報を入れました

 辺境騎士団は全員に緊急招集、東の国境には城内に待機していた部隊で編成し応援を進発させました

 夜明け前には到着の予定です」


「よし、街道も封鎖することになる

 避難民への供出の準備は?」


「できております」


 行政府長官がさっと答える。


「誘導に人手が必要な時は騎士団から応援を出せ」


「はっ」


 レイナルドが目配せすると、グレンはすっと部屋を出た。


「以降は辺境騎士団に司令部をおいてそちらで情報を一元管理する

 私もそこに詰める、以上だ」


 アルフレッドの言葉に足早に首脳は執務室を出る。

 ふぅと大きなため息をつくと、アルフレッドは椅子に沈み込んだ。


「レイナルド、お前はどう思う?」


 一人残ったレイナルドに重々しく問う。


「……ヴィクトルではないと思います」


「やはりそうか……、マレウスの亡霊ではないといいがな……」


 呟く父を置いて、レイナルドも執務室を出た。




 レイナルドと分かれたあと、私はドレスを着替えるためにフォルティナ城の私邸区画に戻った。

 急報を受けて騎士団・魔術師団は首都セントラルディアに向けて発ったという。アシュフォード副隊長も一緒に向かったのだろう。

 ドレスを脱いで、元の私服に着替えようとしたところで侍女に部屋着を勧められた。レイナルドからこちらに泊まっていくように、と指示があったのだという。私も待機命令が出るだろうから、と断ったのだが、城の中の方が情報が早いし深夜に女性を街区に戻らせるのは危ないから、と言われては断れない。

 昼間写したタペストリの絵を見ながら窓際の椅子に腰掛ける。

 さっき、体に感じるほどの揺れがあった。

 手の甲が焼け付くように痛み、刻印はさらに広がっている。

「あの」日はエレーナ王女の婚姻の日だった。だから、まだ半年は猶予があると思っていたのだ。

 だが、平和協定は破棄された。したがって、王女との婚約も自動的に解消されるだろう。


(「あの」日はなくなったの……?)


 マナが荒れ狂い暴走する遺跡を思い出す。地震があの惨事につながるなら、『終わり』の日はなくなったわけではない。

 自分が『知って』いたことは何も役に立たなくなってしまった。手がかりはこのタペストリ。

 藍の地に金糸の紋様、中央の高い塔、塔の先端から地上に向かって走る光、地面の人形、雲上の人形。そして、塔の中にいる2匹の蛇。


(……そういえば、あの遺跡、天井に逆さまの塔があったわ……)


 この塔はあの遺跡の塔を表しているのだろうか?

 せめてこの神聖文字だけでも解読できればいいのに……、今までの研究をまとめた資料は全て研究室だ。

 わからないことだらけでため息が出る。

 その時、控えめに部屋の扉をノックする音が聞こえた。


「……はい?」


「ちょっといいかしら?」


 そう言って入ってきたのは真っ直ぐな金糸の髪に新緑の目をした妙齢の女性だった。


「—————! ボーモント辺境伯夫人!」


 慌てて立ち上がって部屋着だが学院で習った淑女の礼をする。


「本日は滞在をお許し頂き、ありがとうございます

 ノクス隊リナリア・ガーランドと申します」


「こんばんは、ガーランドさん

 セシリアと呼んでちょうだい、貴方のこともリナリアと呼んでも?」


 優しく微笑むセシリア様は顔立ちがレイナルドにそっくりだ。


「はい、セシリア様」


「リナリア、少しお話しをしたいと思って、座って」


 私はさっきまで座っていた椅子に、セシリア様は文机を挟んで対面に腰掛ける。


「レイナルドったらせっかく可愛いお嬢さんを連れてくるって言うから楽しみにしていたのに、家でもパーティーでも紹介してくれないんだから……」


(—————————!)


「そ……それは、私もご挨拶が遅れまして、大変失礼を致しました」


 王都からきた面々以外はパートナー同伴のパーティーなのだから、ボーモント辺境伯がいるなら伯夫人もいるはずである。

 あまりの失礼に冷や汗が出た。

 しかし、アルフレッド様には挨拶をした記憶があるのにセシリア様とは会場で会っていない。レイにお母様から結婚をせっつかれているという話だったから、意図的にセシリア様を避けたのかもしれない。


「パーティーで踊る貴方たちを見たわ」


 セシリア様はそう言って、少し思い出すように思案するとふふっと可愛く笑う。


「あの子、とっても楽しそうで、あんな笑顔を見たのは久しぶりよ

 これはパートナーのお嬢さんにお礼も兼ねて、直接話をしてみたいって思ったの」


「いえ、私もレイナルド様には色々手を尽くしていただいていて、お礼を言わなければならないのは私の方です」


「貴方、魔術史学の研究をしているそうね?」


「はい、こちらにある史料が参考になるのでは、と思いまして」


「あぁ、これ、うちのタペストリね

 すごいわ。こんなにそっくりに書けるのね」


「こういった史料は持ち帰れないことがほとんどですから……文字も少しでも形が違うと意味をなさなくなってしまいますし……」


 私はタペストリのスケッチに視線を落とす。

 今あるのはこの右手の紋様と、このスケッチだけ……。

 左右の神聖文字は以前解読し今はなくなってしまったあの本と同じものだ。思い出すだけ思い出して書き殴った資料と、魔術史学研究所で漁った数少ない資料を突き合わせればなんとか意味くらいは読み取れるだろう。あと、この人形は背に翼がある。エマーソン先生に写しを送れば何かアイデアをもらえるかもしれない。塔と光……は分からないな……。あと、蛇の紋様はどこがどう違うのか、詳細に見比べてみた方がいいかもしれない。

 手で線をなぞり、ふと沈黙が続いていることに目を上げる。

 セシリア様の新緑の瞳がまっすぐこちらを見ていた。


「……貴方は強いわ

 ちゃんと、貴方自身の役目を追いかけている。そういう目だわ」


 本当にそうだろうか? 私はまだ不確実な道を彷徨ってばかりだ。


「ねぇ、リナリア、騎士の妻はね

 ただ夫の帰りを待っているお姫様じゃ務まらないの、特に領主の妻はね

 夫の不在の間、領民を守り、領地を守らなければならない。夫にただ守られているだけじゃない、夫と並んで歩んでいける女性じゃなきゃいけないのよ

 貴方にもそんな強さがある気がする

 でも、そうね、貴方はうちのレイナルドなんて構わず飛び立っていってしまいそうね」


 セシリア様はそういうと困ったように笑った。

 そうして、セシリア様は帰っていった。

 あと、帰り際に


「いつでもボーモントに嫁いでいらっしゃいな、私は大歓迎よ」


 と言い置いて。




 レイナルドに会えたのは翌々日になってからだった。


「リナ!」


 辺境騎士団本部に入ったところで声をかけられる。


「レイ、状況はどうなっているの?」


「街道は封鎖されたが、それ以降はまだ動きがないよ

 それより、聞きたいことがあるんだ」


「何?」


 レイは私をそっと促すと、そばにあった会議室に入らせて扉を閉めた。


「君の右手の刻印、地震と関係していると言っていたね

 あと『終わり』が婚姻の日だったとも」


「えぇ」


「刻印を見せてくれないか?」


(それで人がいないところに入らせたの)


 私は手袋を外してレイに刻印を見せた。


「前より広がってる……こないだの地震のせいだね……」


 レイはまた痛ましそうに顔を歪める。


「あれから考えたんだ

 地震の頻度とこの刻印の変色スピードを考えると、君のいう『終わり』がセレーナ様の婚姻の日だと言うには変色が速すぎる気がしないか?」


「もっと前だっていうの……?」


「違う、君が違う選択をしていることで、早まっているんじゃないか?」


「————————!」


 呆然として言葉が出ない。

 もっと余裕があると思っていた。変色のスピードなんて考えもしなかった!


「あと、君に辞令が出ている

 クリューソス隊に転属せよ、と」


「えぇ、わかってるわ

 有事の際には転属させる、とハルト隊長との約束よ」


「リナ、僕はここを離れられないけど、あのタペストリや他のなんでも君の参考になりそうなことがあればすぐに知らせる」


「辺境騎士団の、ちゃんと仕事『も』してる騎士隊長だものね」


 なけなしの冗談にレイも笑ってくれる。


「リナ…………」


 名前を呼ぶとレイナルドは私を抱きしめた。

 暖かいシトラスとシナモンの香りに包まれる。


「私は大丈夫、王都できっと答えに辿り着くわ

 私も何かわかったらすぐに知らせるから」


 レイナルドの胸に額を押し当てた。


「何もかもが終わったら、その時はこないだの答えを聞かせて」


「えぇ…………」


 私は目を閉じ、最後に嘘をついた。



 

 ———————————セントラルディア王城

 ノルドヴァルトの平和協定破棄の通告から、王城はにわかに近づいた暗雲に不安とざわめきが広がっている。

 ただ、この王女の私室にはそんな喧騒は届いていないようだ。

 騎士団本部と隊舎をひっきりなしに往復しているフェリクスが、エレーナに呼び出されたのはそんな時である。


「第一隊フェリクス・アシュフォード参りました」


 騎士の礼をしたまま声がかかるのを待つ。


「ごきげんよう、フェリクス」


 この事態にあって市民の不安などないもののように王女の声は明るい。


「ねぇ、フェリクス、私、お嫁に行かなくてよくなったの」


 平和協定に伴って両国の婚姻をという話だったのだから、協定が破棄されれば自然婚約も解消されている。


「ねぇ、聞いていて? 私、この国にいられるのよ」


 うふふと笑いながらエレーナは踊り出しそうである。

 そんなことは分かっている。分かっているが、この結婚は両国が末長く友好を築くためにと取り決められたものだ。それがなくなったからといってこの喜びようはなんなのだろう。

 昔から知っていた少女がまるで知らない何かに思えた。


「ここまで言ってもダメなのかしら」


「分かりかねます、殿下」


 エレーナは「ん〜」と思案するように人差し指を顎に当てると小首をかしげた。


「だって、今から戦争になるかもしれないのでしょう?

 弟はまだ小さいし、私を支えてくれる人が必要だと思わない?

 ねぇ、だからフェリクス、私をお嫁さんにして?」


(—————————!)


 エレーナ王女が幼少の時から自分は知っている。「お兄様」と呼ばれたことも、「将来結婚して」とも言われたことがある、でもそれは子供の夢のようなものだ。王女も成長するに従って、王族としての誇りと責任を自覚し成長していると思っていた。周りが誤解することもあったが、自分は臣下としての立場を崩したことはない。

 いつかの夜にいけすかない優男に言い放たれた言葉が蘇る。


(エレーナ殿下のような小娘にいいように振り回されて、噂を否定するわけでも、殿下を諭して突き放すこともしない

 不実なのはお前の方じゃないのか!)


 違う—--------------!


「殿下……、私は臣下として殿下をお支えすることはできますが、お心をお支えすることは出来ません

 殿下が私をかつて兄と呼んでくださったように、私は僭越ながら殿下を妹のように思っておりました

 ですから……」


「私はもう子供じゃないわ!」


 殿下は突然癇癪を起こした幼児のように扇子を床に叩きつけた。


「いつもいつもそう! フェリクス!

 国民だってみんな知っているのに、あなただけが知らないなんてことあるわけないわ!

 あなたは私の気持ちをずっと知っていた癖にずっと知らんぷりして!

 自分はあくまで臣下だから関係ないですって?

 そんな大人ぶったことを言い訳にして私から逃げるのつもりなの?」


「殿下—————————!」


「知っているのよ

 えぇ、貴方は気づいていないかもしれないけど、本当は好きな女がいるのでしょう?

 どんな女にだってなびかなかった癖に、その女だけはいつも特別だったわ」


「……えぇ、惹かれている女性がいるのは事実です」


「王女である私よりその女が大事だっていうのね」


「……心を偽ることは……出来かねます」


「ふふ……ふふふ……あはははは!

 あなたは酷い人ね

 婚約も解消されたのに、国民みんなが恋仲だと持て囃していたのに、今更その私を捨てるのね……あはははは!

 こんな惨めなことってあるかしら?」


 ひとしきり笑い終えると殿下は疲れたように椅子にかけた。


「もういいわ、フェリクス

 顔も見たくない、下がって」


 一礼して退室する。

 それ以来、殿下から呼び出されることは無くなった。

 

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