村の争い
村の広場は、まだ刃が振り上げられる前から、すでに戦場のようだった。
片方には白狼族。もう片方には黒狼族。
声は雷鳴のように響き渡り、一言ごとに毒が吐き出される。
「俺たちは兄弟を殺した者たちと共に生きられない!」
白狼の男が牙をむき出しにして吠える。
「お前たちだって俺たちの血を散々奪ってきただろう!」
黒狼の男が拳を握りしめて返す。
空気は重く、古い憎しみで満ちていた。
雪に覆われた地面は、荒々しい足音で震えていた。
私は群衆の後ろで身をすくめ、心臓が早鐘を打つのを感じていた。
怖い。――死にたくない。
愚かだ…こんな部族を無理に結びつければ、遅かれ早かれ憎悪が噴き出すのは当然。
広場を見渡すと、子供たちも混じっていた。
争いが本格的に始まれば、真っ先に犠牲になるのは彼らだ。
そして、誰かが最初の一撃を放った。
地獄が開いた。
拳と爪が空を裂き、怒りに歪んだ顔がぶつかり合う。
遠吠えと叫びが入り乱れ、広場全体を飲み込んでいく。
私はあまりに小さく、無力だった。
この声を上げても、子供の言葉に耳を貸す者などいない。
その時、見てしまった。
小さな子供が、母親に向かって群衆の中を駆け抜けていた。
「だめ!」思わず叫んだが、声は喧騒に消えた。
次の瞬間――。
飛んできた拳が、その子の顔を直撃した。
乾いた音が胸を貫き、か細い体が雪の上に倒れ込む。
白い雪が赤に染まった。
「私の子がっ!!!」
母親が悲鳴をあげ、必死に駆け寄ろうとする。
気づけば、私の足は勝手に動いていた。
倒れた子のもとへ駆け寄り、膝をつく。
熱い血が額から流れ出し、私の指を濡らした。
「動かさないで!」
近づこうとする者を両腕で制しながら叫んだ。
「血が止まらない!揺らせばもっと悪化する!」
驚いた目が私に向けられた。
子供の私が命令している――けれど、その声には震えがなかった。
「布を!清潔な布を、早く!」
震える手で、ある女が自分の服を裂いて差し出す。
それを受け取り、私は傷口に押し当てた。
「強く押さえて…こうすれば出血は少しは止まるはず。」
母親を見上げ、必死に告げる。
「手を握って!話しかけて!眠らせないで!」
布はすぐに赤く染まり、指の隙間から血が溢れてくる。
くそっ…これじゃ足りない。
その時、フレイヤの声が広場を切り裂いた。
「やめなさいっ!!!」
彼女は人々の間に進み出て、狼のような瞳で睨みつけた。
「見なさい!子供が死にかけているのに、まだ憎しみに囚われるつもりか!」
何人かが息を呑み、目を逸らした。
だが、黒狼の一人が吠える。
「なぜ止める?!俺たちの子供も、奴らに奪われてきたんだ!」
別の男も叫ぶ。
「今さら一人の子が血を流したくらいで、何を止めろと言う!復讐こそ正義だ!」
黒狼たちの怒声に呼応し、白狼たちも牙をむいた。
再び戦いが始まろうとした、その時――。
「やめてぇ…」
私は絞り出すように呟いた。
「これ以上やれば…また子供が死ぬ…」
涙が頬を伝い落ちた。
もう子供の姿ではなかった。そこにいたのは、真実を知る者の声だった。
フレイヤが両腕を広げ、天に向かって咆哮した。
「次に手を上げる者は、この私が相手になる!」
その言葉に、広場全体が沈黙した。
怒りは消えていないが、彼女の威圧と、族長の妻という立場が皆を押しとどめた。
その時――重い足音が雪を踏みしめて響いた。
狩りを終えた父、スレインが仲間たちと共に現れたのだ。
肩には巨大な猪を担いでいたが、広場の光景を見た瞬間、誇らしげな笑みは凍りついた。
「何があった?!」
低い咆哮のような声が響く。
事情を知った彼の瞳は炎に包まれ、周囲を押しのけて私のもとへ駆け寄った。
私の腕の中には血まみれの子供。
フレイヤは首を横に振り、母親は泣き崩れていた。
――もう助からない。誰もがそう思った。
だが、私は違った。
いや…まだ諦めない。
脳裏に浮かぶ言葉。
それはディレイが私の足を癒したときの呪文だった。
目を閉じ、両手で子供の頭を包む。
腕を冷たい流れが走り、白い光が掌から溢れた。
傷が閉じていく。
出血が止まり、浅い呼吸が戻る。
「……生きてる…!」
母親が泣きながら子を抱きしめた。
そして私は、力が抜け落ちるのを感じた。
世界がぐるりと回り、意識が闇に沈んでいった。
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目を覚ますと、家の中だった。
母、フレイヤが涙を浮かべて私を見守っていた。
「エヴリン、丸一日眠っていたのよ。」
私はかすれた声で尋ねた。
「子供は…?」
「助かったわ。あなたのおかげで。」
胸の奥がようやく軽くなった。
その日のうちに、争いを始めた二人の戦士は処刑された。
吊るされた彼らの姿は残酷だったが、誰も逆らわなかった。
しかし、村人の目は変わっていた。
母は私を強く抱きしめ、囁いた。
「誇りに思うわ、娘よ。命を救ったのだから。」
父もまた、無骨な手を私の肩に置いた。
「今日、お前は多くの戦士よりも勇敢だった。」
子の母親は涙ながらに頭を下げた。
「あなたは私の子を救ってくれた…決して忘れない。」
私はもう、“スレインの娘”ではなかった。
あの日から、人々の見る目は確かに変わったのだ。
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一週間後、村の評議会は重大な決断を下した。
「二つの部族の若者を婚姻で結ぶ。血が分けるなら、血で結び直すのだ。」
大きな祭りが開かれ、焚き火が夜空を焦がした。
太鼓が鳴り響き、白狼と黒狼の若者たちが並んで立たされた。
強制された結婚。だが、意外にも涙はなく、微かな笑みすら浮かんでいた。
犠牲の上に平和を築けると信じていたのだ。
「無理やりなのに…なぜ笑えるの?」
私は母に尋ねた。
フレイヤは優しく微笑み、答えた。
「自分たちの選択が未来を救うと知っているからよ。愛は小さな火種…時と共に燃え広がるもの。」
私は目を逸らした。
愛を強制されるなんて、愛じゃない。
心に誓った。
大人になったら、この村を出て世界を旅しよう。
伝統という鎖には縛られたくない。
十五歳になれば成人と見なされる。
そして、この村では夫婦の年の差は五年以内と決まっている。
前世で恋を知らなかった私だけど、この世界で本物を見つけられるのだろうか。
宴は拍手と遠吠えに包まれ、夜の闇に消えていった。
多くにとってそれは新しい時代の始まりだった。
だが私にとっては――この世界が前世の国々と何も変わらない証のように思えた。




