旅人の日記
視点:エヴリン
夕食のあと、私はできるだけ早く部屋へ走った。
フェランティス卿が渡してくれた本は、まるで脈打つように手の中で熱を持ち、
——誰にも見せてはいけないと、本能が告げていた。
これは私だけの秘密。
扉を閉め、ベッドに腰を下ろし、本を膝の上に置く。
表紙には題名も記されていない。
黒く、滑らかで、どこか上質な手触り。
長い年月が経っているはずなのに、丁寧に扱われてきた跡がある。
触れただけで、禁忌に触れているような感覚がした。
もう我慢できなかった。
私は本を開いた。
細く整った文字が並び、筆跡ひとつ乱れていない。
印刷ではない。
すべて手書きだった。
最後のページまで一度めくり、再び最初に戻る。
最初のページには、ただ一行だけ。
> 1. — 旅人の日記
目を見開いた。
すべてが繋がった。
文字、秘密性、誰にも読めなかった理由。
「英語だ……」
思わず呟く。
母国語ではなかったけど、学校と自分で独学していた。
この世界で英語を読む者はいない。
学者でさえも。
——でも私は読める。
つまり私は ここにいる唯一ではない。
深く息を吸い、ページをゆっくりと読み進めた。
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「私の名はアーサー・キングスウェル。
これを読んでいるということは、君も別の世界の者か、
あるいはその子孫なのだろう。」
「2073年、イングランド・マンチェスターに生まれた。
幼い頃から不可能に惹かれ——時空移動、並行世界、量子理論。
工学を学び、発明家となり、私は人生の半分を——
『時間旅行は不可能』と笑った者たちに背を向け、
夢に捧げた。」
喉が鳴った。
——彼は成功したのか。
「私は人生のすべてをその機械に注いだ。
妻も子もいない。
同僚たちは私を捨て、夢想家と罵った。
それでも私は諦めなかった。」
「46歳のとき、機械は完成した。
私は100年先へ飛び、人類の未来を見ようとした。
だが、誤差は悲劇的だった。
私は——数百万年先へ進んでしまった。」
本がわずかに震えているのが分かる。
…いや、震えているのは私の手かもしれない。
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「そこは、もはや ‘地球’ とは呼べなかった。
月は割れ、植物も動物も違う。
人間に似た種族が都市を築き、魔法と共に生きていた。」
息が止まりそうになった。
彼もこの世界へ来た。
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「時間を越えたとき機械は大破し、私は片足を失った。
死の淵をさまよった私は、貴族に救われた。
名は『アリスター・スターク卿』。
仁ある人だった。
私は彼の庇護下で、再び生きる術を見つけた。」
——スターク?
「言語習得には一年を要した。
彼らはその言葉を『アルセリア語』と呼ぶ。
英語とは違う。だが美しく、生きている響きだ。」
私はページをめくった。
全身の血が騒ぐのがわかる。
この世界は何?
地球との関係は?
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「ここでは文明が異なる進化を遂げている。
技術の代わりに魔術が栄え、
戦争は鉄と魔力で行われる。
この世界は未来ではない。
——新しい始まりなのだ。」
思わず本を閉じ、息を吐く。
未来じゃない。
続きじゃない。
別の世界?
「私は……時間を巻き戻した? でも違う…死んでないのかもしれない」
情報が多すぎて頭が崩れそうだった。
アーサーは2073年。
私は2023年に死んだ。
時間軸が違う。
世界も違う。
なのにここにいる。
——私たちは偶然ではないのかもしれない。
本を握りしめ、震える声で呟いた。
「脳が焼けそう……」
理解が追いつかない。
でも一つだけ確かなことがある。
私は、ここに来た意味を知らなければならない。




