禁じられた本
私たちがヴァルドーレ寄宿舎に来てから、もう二年が過ぎた。
時間は瞬く間に流れ… 夢までも薄れていった。
オリセルの姿を見かけることは、今ではほとんどない。
ときどき中庭で、銀のトレイを運んでいたり、客人に付き添っていたりするのを遠くから見るくらい。
けれど、もう言葉を交わすことはなかった。
――たぶん、彼は逃げることを諦めたのだろう。
もしかしたら、希望を隠すのが上手くなっただけかもしれない。
私はというと… 少し変わった。
アルセリア語の読み書きができるようになったのだ。
最初は不可能に思えたけど、今では大抵の本を読める。
それでも、難しい単語ではまだつまずく。
不思議なことに、この場所の見え方も少し変わっていた。
教師たちは以前ほど冷たく感じなくなり、子どもたちの笑い声も増えた。
みんな、いつか売られていく運命を忘れたふりをして遊んでいる。
……もしかして、私もこの檻に慣れてしまったのだろうか?
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ある日、ゴールデン卿の屋敷の図書室を掃除していると、見覚えのある茶色い表紙の本を見つけた。
胸がどくんと鳴る。
――あれは、ディレイがくれた魔法の基礎理論書とまったく同じだ。
だが、それは鍵付きのガラス棚の奥にあった。
「禁書」。
触れることを許されているのは、教師たちとゴールデン卿だけ。
それ以来、胸の奥で危険な考えが芽生えた。
どうしても、あの本を手に入れたい――。
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その日の夕方、私は厨房でスープをかき混ぜているエレインを見つけた。
彼女は背が伸び、顔立ちも少し大人びていた。
十三歳になった彼女は、落ち着いていて、どこか母親のような優しさを持っている。
一方、私は… たぶん、何も変わっていない。
「ねぇ、エレイン……」
両手を背中に回し、できるだけ“無邪気”な笑みを浮かべた。
「……ダメ」
彼女は私の顔も見ずに答えた。
「え? まだ何も言ってないじゃん!」
「言わなくても分かるの。ダメ」
「ちょっとだけ、話だけでも聞いてよ!」
「……分かった、話して」
私は声を潜めて言った。
「ゴールデン卿の図書室にね、禁書があるの。魔法の本。あれを取りに行きたいの」
エレインの目がまん丸になった。
「取る!? 正気じゃないの? 見つかったら殺されるよ!」
「大丈夫、見つからないから」
「エヴリン、あなたは火を点けるだけで台所を爆破する人でしょ?」
「それは一回だけ!」
「三回よ」
「……でも、今回はちゃんとした計画があるの!」
「どんな?」
「布とハシゴと、ちょっとの運があれば十分!」
エレインは深いため息をついた。
「……なんでそこまでして本が欲しいの?」
「だって、あの本はこの場所から出る鍵なんだ。私、一度だけ魔法を使ったことがある。仕組みが分かれば……逃げられるかもしれない」
しばらく沈黙が流れた。
彼女は私を見つめ、そして小さくうなずいた。
「……どうせ、私が止めても行くんでしょ」
「うん! やっぱり頼りになるね、エレイン!」
「はぁ……もう、子どもみたい」
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その夜。
屋敷の灯りがすべて消えたころ、私たちは動いた。
廊下は月明かりで淡く照らされ、古い窓の影が床に揺れている。
鍵はエレナ先生の机の上に置かれていた――運良く。
扉を開けると、静かな埃の匂いが鼻をくすぐった。
本棚は天井まで届き、蝋燭の煤が壁を黒く染めている。
そこに――あった。
茶色い革の装丁、見覚えのある文字。
「これよね?」とエレインが囁く。
「間違いない」
その瞬間――足音。
重く、一定のリズム。
「……まずい」
あの歩き方。
ゴールデン卿だ。
私はエレインの手を掴み、厚いカーテンの裏に隠れた。
心臓の音が耳の奥で爆発しそうだった。
扉が開き、靴音がゆっくりと近づいてくる。
金の指輪が本棚に当たる、金属音が響いた。
「……蝋燭の匂いがするな」
エレインが震え、息を殺す。
私は祈るように目を閉じた。
永遠のような沈黙のあと、足音が遠ざかる。
扉が閉まった瞬間、私たちは同時に息を吐いた。
「……ほら、言ったでしょ。うまくいくって!」
「死ぬかと思った……」
私はすぐに本をすり替え、図書室を飛び出した。
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翌朝。
エレナ先生が厨房に入ってきた。
顔がこわばっている。
「全員、出なさい」
子どもたちは一斉に外へ逃げた。
残ったのは、私とエレインだけ。
「……エヴリン。あなたでしょ。本を盗んだのは」
「え? わ、私? 本なんて興味ないですけど?」
「ふーん。じゃあ、なぜ図書室の埃の匂いがそのエプロンからするのかしら?」
――しまった。犬族だった。嗅覚が鋭いに決まってる。
私が固まると、エレインが震える声で言った。
「せ、先生… ごめんなさい! 悪気はなかったんです!」
「エレイン!」私は叫んだ。
エレナ先生はため息をつき、腕を組んだ。
「……よく生きていられたわね。ゴールデン卿に知られたら首が飛んでた」
少し沈黙のあと、彼女は眉をひそめた。
「でも、あんたたちはいい子よ。――エヴリン以外は」
「えっ、なんで私!?」
「魔法はね、あんたたちには理解できないものよ。特にあなた、エヴリン。獣人には魔力が流れない。無駄な努力ね」
「それでも……私は試したいんです」
エレナはしばらく私を見つめ、そしてため息をついた。
「……いいわ。だけど罰は受けてもらう」
「ど、どんな罰ですか……?」エレインが尋ねた。
エレナの口元がゆっくりと歪んだ。
「二ヶ月間、屋敷の屋根を掃除してもらうわ。落ちないようにね」
「屋根ぇ!? 高いところ無理です!」
「私もですー!!」
「いい機会じゃない。恐怖を克服できるかも」
そう言い残して、彼女は出ていった。
残された私たちは顔を見合わせ、沈黙。
「……だから言ったでしょ、やめとけって」
「でも、本は手に入れたじゃん」
「信用は失ったけどね」
エレインは腕を組み、わざとらしく顔を背けた。
けれど、その口元には笑みが浮かんでいた。
私もつられて笑ってしまった。




