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月虹花  作者: 霜月ニ條
3/6


 幹尚の部屋である。二人向かい合って、煙草に手を出していた。貝谷は、茶を飲みながら、

「いつもはそんなしかめっ面ばかりしてるのか、お前の祖父さんは」

と訊いた。

「ああ」

「お前のせいじゃないのか?」

「かもしれんな」

幹尚が苦笑した。

「正直言って、びっくりした。兄貴が神隠しに遭っていたって事も初耳なら、祖父さんのそのまた祖父さんまで神隠しに遭ってたなんてな」

「そう言っていたな。神隠しに遭いやすい家系なんじゃないか?」

貝谷の問いかけに、幹尚は苦い表情を崩さず、

「俺の家は、祖父さんの祖父さんの代で飛躍的に発展した家なんだ。そして今、兄貴が家を継げる年齢になって、うちの地所で良質の温泉が湧いた。あれは、それほど手を入れなくても、十分湯治場として利用できるようになる。そうなれば、うちはさらに金持ちになる。嫌なものさ。結局自分も、迷信深い田舎者だって気持ちになってくる」

と独白的な事を言った。

「どういう意味だ?」

「“マヨイガ”伝説を思い出しちまうんだよ」

「マヨイガ?」

「ああ……」

やけ気味に幹尚が煙草を灰皿に押し付ける。

「柳田国男の“遠野物語”って知ってるか?」

「受験の時に覚えたような気がする」

「あの中に二話程入ってるんだけどな」

と言って、彼はその一部を語り出した。

 昔、遠野のある家の嫁が山菜を取りに山へ入った時の事だ。随分と山奥に、見慣れぬ大きな屋敷を見つけた。そこには、馬や牛が多く飼われており、大変裕福そうなのに、人のいる気配がしない。恐る恐る嫁が家に入ってみても、誰もいない。ただ、茶碗があるだけだ。嫁は怖くなって逃げ出した。それからしばらくして、川で洗濯していると、上流から茶碗が流れてきた。それは、山の中にあった屋敷で見たのと同じものだった。そこで嫁は、それを家に持ち帰った所、その茶碗の中身は減る事がなく、家は大層栄えたという。

「ここは遠野よりも随分北だし、この話の嫁も、別に神隠しに遭ったわけじゃない。俺の家の場合とは違う。だが、“マヨイガ”を神の家と解釈すれば、あながち外れとも言い難い。そんな気がしてな」

「ふむ……」

こうした民俗学的な事は、守備範囲外だ。貝谷は、ふうっと煙りを吐き出した。

「おまけに、証拠の品まであるときた」

「何だ?」

「ついて来いよ」

幹尚が顎をしゃくった。

 貝谷は、表にあった倉の内、一番大きなものの前で幹尚を待っていた。幹尚が中へ入ってからもはや十五分経過している。手足が痺れ始めていた。

「おい。まだか」

「やっと見つけた」

そう言って出て来た幹尚の手には、何の変哲もない木でできた茶碗があった。

「何だよ、それ」

「祖父さんによると、神隠しにあった爺さんが持ち帰ってきたものだそうだ。良く見てみろ」

言われて貝谷は、茶碗を受け取った。幹尚の懐中電灯が、手元を照らし出す。からからに乾いた米粒が一つ、こびりついていた。

「ちゃんと洗ってあるのか?」

眉を潜め、汚そうに茶碗を突き返した貝谷に

「いくら洗っても、取れないんだ。正確には、取れてもいつのまにか、ついてる」

と幹尚が言う。貝谷は、茶碗を凝視した。闇の中に立ちのぼる自分の白い吐息を当てぬよう注意しながら、そっと米粒に触れてみた。簡単に取れてしまう。

「取れたぞ」

「見てろ」

言われて茶碗をじっと見つめた。

「何も起こらないぜ」

振り返って文句を言う。

「もう一度見てみろ」

重ねて言われ、貝谷は渋々茶碗を見た。

「嘘だろ……」

茶碗には、いつのまにか、一粒の米粒がこびりついていた。

 雪を含んだ冷たい風が、貝谷達の頬を撫でて行く。貝谷は、しばらく呆然と茶碗を見つめていた。足元に穿たれた小さな穴には、彼がいまさっき落としたばかりの、米粒があるはずだ。

「何のトリックだ……?」

かすれた声で訊いた貝谷に、幹尚はそっと首を振った。

「トリックじゃない。俺も何度も試してみたけど、結果は一緒だ。人が目を離した一瞬の隙を突くようにして、米粒が張り付いてる」

貝谷は、不気味な物を見る目で、手にした茶碗を見た。膝が笑いそうになる。寒さのせいではない。恐怖だ。ぱっと見た感じでは、何の変哲もないただの木茶碗なのだ。それだけに一層、得体の知れないものが強調される。

 脅えた表情の貝谷の前に、すっと無言で幹尚の手が伸びてきた。貝谷も無言で茶碗を返す。ガタガタと再び物を引っ繰り返しているような音をさせ、幹尚は倉を閉めた。

「冷えただろう。部屋へ戻ろう」

 幹尚の部屋へ戻ったものの、貝谷は何を話したら良いのか解らず、途方に暮れた。うっかり口を開けば、茶碗の事を訊いてしまう。訊いた所で、幹尚にしても正確な事は解らないのだから、何の解決にもならない。不要な苛立ちが募るだけだ。

 貝谷が部屋へ戻ってから三本目の煙草に火を灯けた時だ。

「本気で探しに行くのか?」

ぼそっと幹尚が言った。

「ああ」

貝谷は即答した。途端、幹尚の頬がさっと赤くなった。

「解ってるのか?お前が探すと言っている花は、あの茶碗の主の所にあると言われている花なんだぞ?ただの高山植物なわけがない。雪解け間近の冬山は危険だ。あんな得体の知れない物のある所に咲くと言われているだけの、実在するかどうか解らない花のために命を懸けるなんて、馬鹿のする事だぞ」

幹尚が、猛然と反対する。

「それでも俺は、行きたいんだ」

「カイっ」

「人という生き物は、基本的に移り気な生き物だ。だが、お前の祖父さんは、どう少なく見積もっても六十年、月虹花に執着し続けている。自分の祖父が見て、自分の孫も見た。“自分”という基準から丁度三世代。なぜ自分がその間隔に当てはまらなかったのか。その無念さもあるだろう。でも何より、花自体がある種の魔力を持っているんだ。その魔力が、祖父さんを惹き付けている。そして、俺も多分、その魔力に捕まった」

淡々を貝谷は語った。

「それならせめて、雪解けを待て。ゴールデンウィークにでもまた連れてきてやる。だから、この時期は止せ。表層雪崩が一番起き易いんだ」

「今でなければ、咲いた花は見られない」

「馬鹿か、お前はっ」

「馬鹿なんだろうな」

あっさりと言った貝谷に、幹尚は呆れ半分、諦め半分の溜息をついた。

「俺は……」

幹尚が何か言いかけた時、部屋の電話が鳴った。

「はい。……ああ、今降りる」

「何だ?」

「飯の支度が出来たって。祖父さんが早く呼べってうるさいんだってよ。貝谷君と話をするんだってさ。お前、えらく気に入られたな」

「同病相い憐れむって奴さ。祖父さんにも解ったんだろう。俺が月虹花に魅せられたって事が、な」

「まさしく、“同病”だな」

軽蔑したように、幹尚が鼻を鳴らした。

「えらく不機嫌だな」

つい貝谷は苦笑した。幹尚は、それをジロリと睨みつけ、

「人が心底心配してやってるのに、それに気づかない馬鹿が約一名いるんでね」

と言ってさっさと自室を出て行った。

(どうやら、あの茶碗を見せて諦めさせるつもりだったらしいな……)

一人部屋に取り残されてから、貝谷は再び苦笑した。根負けしたように見せかけ、ここまで貝谷を連れて来たのも、あの“茶碗”という、不気味な説得材料があったからだろう。

「おい、早く来いよ」

バタンと乱雑にドアを閉めて出て行ったはずの幹尚が、顔を覗かせる。

「ああ、すまない」

貝谷は、吸いかけの煙草を灰皿に押し付け、幹尚の後に続いた。



 食事の後、貝谷は、爺さんの誘いで彼の部屋へ再び入った。今度は、二人きりである。

「実はな。これを見せたかったんじゃよ」

爺さんは、嬉しそうに縦長の箱を出して来た。

「実影は嫌そうな顔をしよるし、幹尚は見ようともせん。お前さんだけじゃよ、これを見て、一緒に楽しんでくれるのは」

そう言って、老人は、箱から一巻きの軸を取り出した。用心深く、広げていく。

 そこに描かれていたのは、一輪の花だった。お世辞にも上手いとは、言えない。が、拙い手法の中にも、その美しさを伝えようとする姿勢が見えた。

「これは?」

「月虹花じゃよ。わしが五歳の時、祖父にねだって描いてもろうた。いかんせん絵心のない人だったもんでな。今一つの出来じゃが、こっちを見てくれ」

もう一つ、別の軸を広げる。こちらは、先程のものとは打って変わって、写実的な絵だ。が、形の美しさだけの絵であって、心に訴えてくるものがない。

「これは、祖父の話を元にわしが描いたものじゃ。どうだね、違いがわかるかね?」

「はい」

「どう違う?」

「先に見せて頂いた絵は、下手でも下手なりに、現物の美しさを伝えようとする意志が見えます。ですが、こちらは、形は正確かもしれませんが、心に迫るものがありません」

「それが、実物を見た見ないの違いじゃよ」

貝谷の言葉に、老人が寂しそうに笑った。

「儂は、本物の絵を描きたい」

「はい」

同じ物に憑かれた者同士なのだろう。それだけで、貝谷には、老人の熱い程の思いが理解できた。

「実影は儂の言う事はちゃんと聞く。だが、“マヨイガ”となっては、別じゃ。もしかしたら、途中で君を放り出すかもしれん。そうなっても、諦めてはいかん。食料を十日分、用意して行きなさい。八日経っても君が戻らなければ、儂が警察へ行って捜索願を出す。神の家に留め置かれるのは、一週間じゃからな」

やけに自信ありげな老人に、貝谷は、

「なぜ一週間と解るんです?」

と問いかけた。

「人は一度死んで“マヨイガ”に入る。人が死んでも無事甦る事ができるのは、七日以内じゃ。初七日を過ぎれば、死者が完全に死者になるようにの」

「初七日って、そういう意味なんですか?」

「さあてな。しかし、実影も一週間してから戻って来おった。満更、外れでもあるまい」

そう言うと、老人は、ファッファと朗らかな笑い声を上げた。

「明日からは体力勝負じゃ。今晩は早めに休んだ方がよかろう。付き合わせて、済まなかったな」

「いえ。結構な物を拝見させて頂きました。これで、探す時の目印が判りました」

「そうか。では、頼むぞ」

「はい」

二人は同志だけに通じるような、熱い握手を交わした。




「祖父さんとは、何の話をしてたんだ?」

部屋へ戻ると、待ち兼ねたかのように、幹尚が訊いてきた。

「別に、大した話じゃない。絵を二枚見せて頂いて、明日の登山に関する忠告をして頂いただけさ」

「忠告ねえ……」

歯の奥に物でも挟まったかのような、言葉の濁し方だ。

「何だ?」

「本気で忠告するぐらいなら、止めて欲しいものだな」

「どうして?」

「兄貴は“マヨイガ”に関しては、異常なぐらい神経質になるんだ。その兄貴に案内させるなんて、祖父さんの言う事は、正気とは思えない。まして、禊ヵ池と言えば、普通の登山道から離れた場所にあるんだぞ?放り出されたら、おしまいだ」

「自分の兄貴を勝手に殺人犯にするなよ」

敢えて笑った貝谷の声が、部屋の中に寒々と響く。どうやら幹尚は、本当に兄が何かすると信じているらしい。貝谷は苦笑を隠し切れなかった。

「何だってそんなに心配するんだ?」

「山の神は、恵むだけの神じゃない。縊る神でもあるんだ。気象状態も、この時期は不安定で、登山には一番向いていない。心配するなと言う方が無理だぜ」

「一体、どうしてそこまで言うんだ?」

「一つ、思い出した事があるんだ」

そう言って、幹尚は、いらいらした仕草で煙草を取り出した。

「あれは今から思えば、多分、兄貴が神隠しに遭った直後だったんだろう。夜中に便所へ行きたくなって、廊下に出た時だ。電気一つ灯っていない真っ暗闇の廊下で、兄貴がポツン、と庭を見てた。で、兄貴も便所かな、と思って、お兄ちゃん、って声を掛けた時だ。その途端、兄貴の奴、この世の最後を見ちまった人間みたいな、もの凄い悲鳴を上げて、しゃがみこんじまったんだ。後は、こっちもつられて大声で泣いてたんだけどよ。その時、兄貴はこう言ってたんだ。白い鬼が、僕を見てる」

「白い鬼?」

「ああ。確かにそう言っていた。何もない、ただ暗いだけの庭を指さして、白い鬼が僕を見てるって、ただそれだけを繰り返し繰り返し、叫んでた」

「そんなに強烈な事、どうして今まで思い出さなかったんだ?」

「それが、最初の寝小便だったからだよ」

ようするに、その騒動のはずみで漏らしてしまったのだ。それが、幹尚の中で、最も嫌悪すべき思い出として封印されてきたらしい。貝谷は笑いたかったが、肝心の話の中身が不気味すぎて、笑うに笑えなかった。

「白い鬼の巣、か。伝説にふさわしいお膳立ては整った、っていう感じだな」

「まだそんな事言ってやがる」

幹尚が、心底呆れたような顔をした。

「何を言われようと、俺は月虹花を探しに行く。お前の祖父さんには、念のために十日分の食料を持って行くように言われた。あの人も、実影さんが俺を置いて行く可能性に気づいてる。八日経っても帰らなければ、捜索願を出してくれると約束もしてくれた。あの人にとっても、俺にとっても、明日が最初で最後のチャンスなんだ」

貝谷は、はっきりとそう言った。幹尚の口から、諦めに似た吐息が零れる。

「何を言っても、無駄か」

「ああ」

「やれやれ。それじゃ、最後の杯でも交わすか?」

そう言って、幹尚は立ち上がり、オーディオセットの開き戸の中から、ウイスキーの角瓶を取り出した。

「これがお前と飲む最後の酒にならないよう、祈ってるよ」

「本当に物騒な事を言うな、お前」

今度は貝谷が呆れる番だ。

「山を見れば、解るさ」

「冬山は初めてじゃないぜ」

「あの山は、特別さ。富士山並に綺麗な三角錐の形をしてて、雪那賀富士って呼ばれているんだけどよ。実はもう一つ、呼び名があるんだ」

「何だ?」

「人泣き山」

「何だ、それ」

「夜中になると、どこからともなく、澄んだ笛の音色が聞こえて来るんだ。だけどそれは、じっと聞いている内に、人の啜り泣きのように聞こえて来る。神が、人の骨で作った笛を吹くからだそうだ。何でも百年程前、村のある若者が、白骨の山を見つけたとかって話だぜ」

「楢山節考に、こけし。東北には、口減らしの伝説が絶えない。あの山も、そう言った悲劇的な伝承を背負った山なんだろう」

「そんな一般論で片が付く程度の話で済めばいいがな」

そう言って、幹尚はヤケ気味にグラスを傾けた。それを見て、ふっと呆れ半分の吐息をつき、貝谷もグラスを取り上げる。

 琥珀色の液体を、電灯で透かしてみた。淀んだ光の渦が、瑪瑙細工のようだ。グラス越しに見た直管の蛍光灯が、なぜか骨笛に見えて、貝谷は再び大きく息を吐き出した。




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