使ひ魔・菜津川暑子
〈まだまだゞ夜は涼しと一人ごつ 涙次〉
【ⅰ】
じろさんは、「魔界壊滅プロジェクト」の若手に、「古式拳法」の稽古を付けてゐた。ほんのアルバイトである。見る限り、物になりさうな奴はゐない。警視庁では、柔道・剣道を習ふらしいが、さう云つた下地があつても、閃きが必要な古武術には、向き不向きと云ふものがあり、容易に身に付くものではないのである。
取り敢へず一番の成績を収めてゐるのは、菜津川暑子と云ふ婦人警官。制服組の、「プロジェクト」では下つ端だつたが、これは武道の才能は立身出世とは関係ない、と云ふ証左であらう。武道に賭ける熱意と云ふものが、他とは違つてゐた。また、「豪」の武術ではない「古式拳法」は、女性に向いてゐるとも云へた。
【ⅱ】
だが一つ問題點があつた。彼女は【魔】の血を引いてゐたのである。じろさんのやうに【魔】との付き合ひが長ければ、それぐらゐは一目で分かるのだ。彼女は【魔】の世界を離れやうとして、必死にもがいてゐた。「プロジェクト」に志願して採用されたのも、彼女のその思ひがあつたからだ。【魔】卒業を一途に思ふ彼女は、見上げたものだつたけれども、さう簡單に行くのなら、この世は魔界の出身者だらけになつてしまふ。【魔】は、やつてゐて、さう樂しい稼業ではない。これにも向き不向きがあり、彼女は後者だつた。さう、菜津川は【魔】に染まらぬ、正義感の持ち主だつたのだ。
【ⅲ】
哀れに思つたじろさん、菜津川に聲を掛けた。「だうだい菜津川くん、魔界は脱出出來さうかい?」‐じろさんが何故その事を知つてゐるのかと面喰らつた彼女だつたが、カンテラ一味には不可能はないのだと思ひ改め、正直に答へた。「それが... だうやら無駄足のやうで。だうしても魔道に導かれる儘、の每日なんです」‐「きみは生真面目過ぎる。もつとざつくばらんにやつてみたらだうだ?」‐「ざつくばらん、とは?」‐「惡が呼ぶなら、それに從へばよい。一度カンさんに斬られゝば、見方が變はるかもよ」
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〈うんうんと唸つて朝を迎へたり何故明後日の方を向くのか 平手みき〉
【ⅳ】
「一旦死に、そして蘇るのだ。きみが【魔】の血筋に繋がつてゐるのなら、それは容易な筈。生き返り、それでも考へが變はらぬやうだつたら、私が使ひ魔にしてあげるよ」‐菜津川の顔が輝いた。「本当ですか!?」‐「私に二言はないよ。もし蘇つて、新たに【魔】として生きる心積もりとなつたんなら、それ迄だ」
【ⅴ】
と云ふ顛末で、菜津川はカンテラに首を差し出した。カンテラ、「しええええええいつ!!」と、その首を斬り落とした‐
【ⅵ】
菜津川は、死した。
それからどれぐらゐの日々が経つたらう。蘇生した菜津川は、再びじろさんに相まみえた。「此井先生! 菜津川暑子、たゞ今帰りました!」‐「だうやらその聲からすると、きみは魔道を脱ける決心を付けたやうだね」‐「此井先生の使ひ魔として、採つて頂けるでせうか?」‐「勿論だ」
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〈カレーとは容赦せぬ事夏暑し 涙次〉
本來、魔導士ではないじろさんが、使ひ魔を持つのは掟破りだつたが、これは特例として許されて然るべき事だらう。また、正統派の體育會系の登場人物と云ふのも、初めての試み(じろさんははぐれ者だから、その内には入らない)。‐と云ふ譯で、カンテラ一味のメンバーが、「プロジェクト」内に一人、出來た。これからだうなるのか、樂しみにお待ちあれ!! ぢやまた。