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第8話 セス

 自宅にたどり着いたサイラスは、人の気配に気付き体を強張らせた。

 こういったことは前にもあった。長年にわたり慎重に培った悪評のおかげで、何度か命を狙われていることがあるのだ。

 毎月かかる天文学的値段のセキュリティも、プロにかかってはなんの役にも立たないと彼は知っていた。彼自身がどんなセキュリティをも潜り抜け、確実に人を殺す人間を育ててきたからだ。

 サイラスはあたりを伺いながら、そっとコートを脱ぎ捨てた。


「――おかえりなさい」


 低く囁くような女の声に彼は眉を寄せた。


「お前か」


 暗がりから白い腕が伸びてコートを受け取る。


 サイラスはコートを抱きしめるように抱えた女を見下ろして口を開いた。


「セス」


「なんでしょう」


 女が顔を上げる。

 整った彫刻をそのまま貼り付けたような顔からは表情が読めない。

 薄いブロンドの髪は顎の辺りでそろえ、流行おくれのシャツとジーンズを無造作に着ていても、女からは薄気味悪い美しさが感じられる。


「勝手に入るな」


 返事は熱意の欠片もこもっていない微かな頷きだった。


「ローガン邸に車の出入りがありました」


「私の家に不法侵入するほどの大事件だな。セキュリティは?」


「元通りにしてあります」


 セスは眉一つ動かさなかった。

 まったく、恥じ入って頬を染めるくらいの分別があればいいのに。

 サイラスはセスを無視してリビングに移動すると、ソファに腰を下ろした。几帳面にサイラスの返事を待っているセスに合図をする。


「続けろ」


「ダージン所有の車が一台が十九時に裏口から出ています。目的地はノーザン区域のレストランです。地下の個人用駐車場に入っていきました」


「ダージンか?」


「いいえ、彼ではありません。彼は在宅中でした。と、いうより、あの屋敷にはダージンしか住んでません。最近彼が飼い始めた、猫は別ですが。車は先ほどローガン邸に戻り、いまだ出ていません」


「ふむ」


「どうぞ」


 セスが差し出したグラスを彼は手を振って退けた。

 サイラスはとぼとぼとキッチンへ行くセスの後姿をぼんやりと眺めながら、タイを弛めた。

 彼女はいつになったら、俺が他人の用意した食事に手をつけないと理解するのだろうか。

 以前、彼は毒を盛られたことがある。それからサイラスは、他人から特に自分の子供たちからの食べ物は絶対に受け取らなくなっていた。

 彼女は理解しているはずだった。

 彼女の記憶力は通常の成人男性の一・五倍、に設定されている。

 彼女は彼が担当した強化人間計画の被験者――彼の子供たちの一人だ。

 子供たちは、プロジェクトが凍結されて十年経った今でもサイラスを悪の化身がなにかのように毛嫌いしているが、彼女だけは別だ。


「これがお前なりの復讐方法か?」


「は?」


 サイラスは嘆息して、頭をふった。

 どうも彼女がいると、頭が鈍る。パラノイアは着実に俺の脳みそに芽吹いているらしい。

 じっと見られているのに気付いたのか、セスの動きが止まりじっと彼を見つめ返した。

 その瞳からは感情が読み取れない。

 彼が完璧に施した遺伝子操作によって、いくつかの感情は鈍くなっているはずだ。

 サイラスはもう一度セスをまじまじと見つめた。

 いつものように無表情。だが、かすかに瞳の色が濃くなっているような気がする。まるで俺に――――。

 そしてようやくサイラスは気付いた。

 十年前の寒い夜、少女が今のように家に侵入した時からの疑問がやっと解けた。

 どうして、この少女だけが自分のそばにい続けるかを。



 サイラスに見つめられているのに気付いて、セスの心臓が動き出した。とはいっても、彼はいつだってまわりの人間を冷たい瞳で見ている。いや、睨み続けている。

 それでも、あの青い瞳になれることはないだろう。

 戦術研究所の国立保育園にセスがいた頃からサイラスは冷たい男だった。正気を保っているにも関わらず子供に遺伝子操作をするくらいなのだから、冷たい男の称号を受け賜るには十分だ。

 セスはサイラスの担当したプロジェクトによって作られた強化人間だった。

 生後遺伝子操作をされた第三世代で、受精卵の状態で遺伝子操作された第四世代より基礎能力は劣るものの、大抵の人間よりストレスに強く設定されている。

 サイラスは珍しく驚いた表情で口をかすかに開け、じっとセスを見ていた。

 彼の顔で唯一の欠点である、鮮やか過ぎる青い瞳におぼれそうだ。

 セスは何か間抜けな事を言わないうちに口を開いた。

 大丈夫、表情は完璧に消せる。

 元々表情筋がうまく発達しなかったのではないかと彼女は考えていた。


「なにか?」


「どうした?」


「なんでしょうか?」


「どうした、と聞いている」

 セスは慎重に息をはいた。


「どうかしましたか?」


「お前、今いくつだ?」


 セスは眉を上げそうになるのをこらえた。

 もう長い付き合いなのに、自分の年も覚えていないことに傷ついたのではない。サイラスらしくない話題の移り方だったのだ。彼はいつも完璧に理論付けて会話する。


「この冬で十九のはずです。資料を取り寄せますか?」


「いや、いい。ローガン邸の幽霊が入った店は?」


「『ドゥナアンドル』です。『食堂』と呼ばれています。表向きはレストランですが、一番の売りは、奥にある個室です。電波を全て遮断した密室を会食用に貸し出しています。車の人物と接触した可能性のある人物が一人」


 サイラスの眉を上げた。


「郊外のホテルに女と宿泊しています」


「調査しろ」


 サイラスは簡潔に言って、手を振った。もういい、という意味だ。

 セスが勝手に自分の部屋としている客室に行くのを見てもサイラスは何も言わない。

 彼女は部屋の入ると、ふっと息をはいた。口元が微かに緩む。

 彼の自宅に泊まるのは、セスの唯一の楽しみだった。

 そのまま目を閉じて、ホテルに忍び込む計画を立て始めた。サイラスが調査しろというのは、文字通り徹底的な調査だ。

 そのために、私がいる。

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