第36話 決着
一発目は額に、それから正中線上に五発打ち続ける。
遠くから、キンキンと甲高い音が聞こえた。
グエンは、やっとそれがサイレンの音だと気付いた。
「グエン!」
サギリが駆け寄って、グエンの肩に身を寄せた。瞳が潤み、いまにも泣き出しそうだ。
グエンはにやりと笑ってみせ、一歩ひいた。
「ちくしょう。痛い」
「あの時、お金につられたら良かったんじゃないの?」
グエンは肩を竦めることに成功した。
「私の記憶データをずいぶん安く見積もってくれたわね」
「それを先に聞かなくてよかったよ」
グエンはサギリアの両手を縛っているロープを切った。細い手首から、朱色の体液が漏れている。きっと跡に残るだろう。
グエンは舌打ちをして、ハンカチをサギリアに手渡した。
「足は?」
サギリアが心配そうにグエンの血まみれの足を見つめている。
「出血は止まったから大丈夫。俺の脚はサイボーグなんだよ。ちくしょう。一本いくらすると思ってるんだ」
「必ず払うわ」
「辞めろって。自分のケツくらい自分でふくよ」
グエンは自分の上着をサギリアに差し出した。
「ありがとう」
サギリの潤んだ瞳がグエンを見上げた。途端に居心地が悪くなり、グエンの脳細胞が逃げ出せる口実のモノを探し出す。
「これで終わりだからだよ」
グエンはぼそりと呟いた。
「グエンドリンか?」
サイラスが遠くから、駆けつけてくる。後には、黒い武装した一団が付いていた。
グエンは軽く手を振って答えた。
「サギリアは無事か?」
グエンはサギリを前に押し出した。
グエンのジャケットに包まれているが、まだ顔が青白く、頬に血の跡が残っている。
「わたしは大丈夫。でも、グエンが」
「なんでもない」
サイラスはサギリを一瞥すると、救急隊員に向って手を振った。
すぐに担架が運ばれ、サギリアが運ばれていく。グエンとサイラスはその様子をじっと見守っていた。
「あんたじきじきに来るとは思わなかった」
サイラスの不機嫌そうな眉間の皺が深まった。
「ところで、私のセスを見なかったかね」
「見たよ。復讐の天使の如く銃を振り回してた」
ふぎゃあという悲鳴と共に、セスのうめき声がかすかに聞こえた。
サイラスは口元を強張らせると、ゆっくりと振り向いた。
セスが活発に動き回る麻袋を、なるべく体から放そうと奮闘していた。残念ながら、麻布を通して、ピートの可愛らしい爪が彼女のシャツをがっちりと掴んでいる。
セスはオロオロと麻袋を突付いたり、声をかけたりしてなんとか引き抜こうとするが、そうするほど、爪は深く食い込んでいるようだった。
「あれは?」
「ダージンの愛猫ピート君だ。でも、ずいぶん彼女に懐いたようだね」
セスがサイラスに気付いて、口をひらき、閉じて、また開いた。
「何も言うな」
セスは暴れまわる麻袋を抱えたまま凍りついた。
「お前はこの一ヶ月自宅療養だ」
セスは真っ青な顔をして、頷いている。体の具合が悪いというより、サイラスに怒られているのが恐ろしいのだろう。
サイラスは悲鳴を上げて動き回る麻袋を一瞥に、にやりとした。
「猫が好きなのか?」
セスは驚いたようにサイラスを見上げる。
「今度、買ってやろう」
セスの表情がかすかに緩み、次に強張った。
「あ、のありがとうございます」
「ピート君は頂いていくよ。悪いな、セス。新しい猫と仲良くな」
グエンはセスから麻袋を引っ張り上げた。セスの嫌そうな視線を無視して、肩をバンバンと叩く。
そろそろ、退散しなければ。
「それで君のお友達のリュガン・イズリントンだが――――」
サイラスが振り返り、思い出したように口を開いた。グエンの背中がぞわりと震え、嫌な予感に身構える。
「高等科学研局の上級研究員に応募しているらしいな」
「らしいね。あんたによろしくって言ってた」
「彼女は臨床も優秀だ。考えてみよう」
グエンは体中に暖かさが広がっていくのを感じた。生まれて初めて、サイラスはクズではなく、ただのムカツク男に感じられた。
「あんたをクソ野郎って言って悪かったよ」
サイラスは鼻を鳴らすと、セスを引っ張り警察車両に向っていった。
緊急隊員に囲まれたサギリアは、グエンに気付くとすぐに身を乗り出した。グエンはその様子を見て、少しだけ誇らしくなった。子供に好かれるというのはいいものだ。
「大丈夫なの?」
「血は止まった」
「よかった」
「リュガンは大丈夫? 面倒かけなきゃよかったけど」
「心配ないよ」
サギリはホッと息をついた。
「よかった。わたしの事に巻き込まれてキャリアをふいにしたなんて知ったら、申し訳ないもの」
「あいつは自分の美徳で自分を救ったんだ」
「あなたが彼女を好きなのも分かる」
グエンは眉を上げて否定しようとしたが、曖昧に頷くだけにとどめた。
「グエン。ありがとう。あなたと会えてよかったと思う」
サギリは血と泥で汚れた手を差し出した。
グエンはそわそわと周りとを見渡した。こんな場面を人に見られたくない。感傷的な言葉は苦手なのだ。
「君が無事でよかったと思うよ」
グエンはぼそぼそと呟いて、握手の代わりに麻袋を差し出した。
「ピートまで助けてくれたのね」
「当たり前だろ。猫なんだから」
サギリとにっこりと微笑んだ。
「そうやって、自分はえらくないんだぜって表情をするのは、軍仕込みなの?」
「これは、俺の遺伝的欠陥」
「やるせないわね」
「まったくだ」
グエンは微笑んだ。
「ピートが無事でよかったよ。ダージンによろしく」
「うん」
「ゾラックによろしく」
グエンはたまらずに噴出した。
「なんでどいつもこいつもゾラックが好きなんだ?」
サギリアは答えずに麻袋をぽんっと叩いて笑った。
「それと、その髪は切らないほうがいいと思うわよ。けっこう似合っているもの」