第19話 ピート
病院の夜間緊急出口はレポーターとカメラを担いだ人間がうろうろとしている。
数時間前に起こった交通事故の影響だろう、深夜にも関わらず廊下にまで患者がみっしりとひしめいていた。
ダージンのスタッフのふりをして、ダージンの個室を探り当てると、さっさと病室にもぐりこんだ。
病室のベッドには、ダージンがぐったりと目を閉じて横になっていた。目じりが赤く腫れ、煤で汚れた手術着が痛々しい。だが、胸はしっかりと上下していた。
外傷はなし。
グエンはベッドの横に滑り込むと静かな声で声をかけた。
「よう、ダージンさん。調子はどうだ?」
目を見開き、起き上がろうとするダージンをグエンは慌てて押し戻した。
「無理するなって」
「お嬢様のご様子は?」
わずかにかすれた声でダージンは言った。
「問題ない。お嬢さんはうちの助手が迎えにいった。あの場所にいるのはちょっと都合が悪い」
「勿論です。しばらくは屋敷を離れたほうがいいでしょう。パークスホテルの最上階の部屋を予約してください」
グエンはすばやくパークスホテルのスイートルームの宿泊費をはじき出した。そして、ホテルが契約しているセキュリティ会社の名前も。満足できるようなものではなかった。
なんといっても、コワルスキセキュリティが管理しているのだ。グエンは昔、コワルスキセキュリティ社が管理している収容所に極秘で進入した事があった。
改善点を五万とレポートできるご立派なセキュリティだ。
「悪いけど、その案は今世紀最高発想とはいえない」
「ローガン家が外泊するのにはいつだってパークスホテルを……」
「お嬢さんはしばらくうちに泊まっていただく。一番安全だと思われる選択肢を選べって大学で教わっただろう?」
「私は大学には通っておりません」
「そうか。俺もだ」
「お嬢様にもしものことがあったら……」
「お嬢さんの身の安全は保障するよ。少なくとも、ホテルに滞在するよりは俺と一緒にいたほうが安全だ。四星ではないけどね」
ダージンが上品に鼻を鳴らした。ラバのように頑固なじいさんだ。
「少々不便はあるかもしれないが、彼女が最上階のスイートで死ぬよりましだと思う。俺は誰から報酬をもらっているか、片時も忘れたりしない。オーケー? ではお嬢さんの話は終わりだ。なにがあった?」
「ローガンの屋敷が燃やされました」
ダージンは苦々しげにうなった。グエンはぎょっとしたが、それは苦しいのではなく不満を表しているのだ気付いてホッとした。
「私は人影を見ました」
「防災システムが作動しなかったと聞いたけど?」
「あのクソ――――失礼。あの忌々しい機械どもは、自分が何のために設置されているのか忘れていたようですね。屋敷の外観を醜くするだけで、これっぽっちも役には立たないことが証明されました。退院したら全て叩き割ってやります」
ダージンは一気に喋ると、息をついた。
「一人の男です。夜中の温室から影が小走りで出ていきました。それから、ガス臭さと、煙に気付きました。絶対にあいつが犯人です」
「どんな男だ?」
「身長は高く、痩せ気味。男です。髪の色はわかりません」
「上出来だ」
グエンは頷いて、ダージンの肩を叩いた。
「屋敷はどうなりましたか?」
「スプリンクラーは動作したようだよ。それによって延焼は食い止められた」
ダージンはまたうめき声を上げた。
「私に言わせれば最低限度ですね。私もあなた様に依頼してよろしいでしょうか。放火犯を捕まえて生きたまま私の前に連れてくれば、それなりの報酬をお約束いたしましょう」
「そんなことしたら、お嬢様の大好きな執事が殺人罪で逮捕されちまうだろうが」
「証拠は出しません」
執事の薄い空色の瞳がきらりと光った。
やれやれ、あの屋敷にいると、凶悪な精神が生まれるのかも知れない。
「まあ、考えとくよ」
「ローガンの屋敷を私の代で灰にしたとなっては、ダージン家代々の亡霊に呪い殺されるでしょう」
「見上げた忠誠心だな」
ダージンはまた上品に鼻を鳴らした。
「私を誰だとお思いですか? ローガン家を三代にわたってお世話し続けた、ダージン家の人間ですぞ」
「案外解決は早いかもしれないぜ。放火犯がお嬢さんの例の事件に関わっているとしたら、警察が見つけるのも時間の問題だ。あんたも警察に圧力をかけるんだろう? うまくやってくれ。じゃ、俺はもう帰るぜ。お嬢さんにあんたの事を見てくるように言われたんだ」
「お嬢様をどこに連れて行くか聞いていませんよ。私は明日退院します。絶対にお嬢様のそばを離れません」
やれやれ、この男はゾラックなみのママだ。
「分かった。あんたも連れて行くよ。警察の事情聴取は終わったか? だったら、明日だ」
ダージンは頷いてから、そわそわとシーツを撫で始めた。
「それと……、これは私の個人的な用件になりますが……」
ダージンは言いかけてから口をつぐむ。
「なんなりとって訳にはいかないけど、誰か連絡して欲しい人間がいるならやっとくけど?」
ダージンのすすけた頬に赤みが差した。
「いえ、そこまでお願いすることはありません……。あの――――実はお嬢様亡き後、猫を飼い始めまして……その、彼も救い出していただけると助かるのですが……」
ダージンはもごもごと言った後に真剣な表情で頷いた。
「灰色の美しい子猫です。人懐っこくはありませんが、私の息子のようなものです。ピートといいます。まだ屋敷にいるかもしれません。報酬はお支払いします。なんならここで――――」
グエンは慌てて続きを遮った。
「わかった。勿論だ。猫もできるだけ探し出すよ。俺が焼け出された猫を見捨てる人でなしだなんて言わないでくれ。ピート君もお嬢さんとご一緒させよう」




