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前途多難

誓断輪廻せいだんりんね 転生した異世界で課せられたルール。最後の一人が決まるまでにしていけないこと。『人殺し、死、自殺』



カニス 正式名称 カニス・アミークス この世界での犬の獣人種の名称

カーネ「は〜い!シアンも抱っこしてあげて!」


カーネから手渡されたのは新しい家族。名前はソラ。 性別は女の子で、ちょっとだけ生えている髪の毛がカーネと同じ白い髪だから、カーネは自分に似た特徴を持っている子で大喜びしている。


白い髪ということは…いや、今は考えるのはやめよう。


生まれて初めて赤ちゃんを抱っこするため、どう抱きあげるのが正解なのかわからない。ただ首が座っていないことだけはなんとなくわかるから、二の腕で頭を支え、包むように抱っこする。


シアン「ぉぉ…」 あったかい。赤ちゃんってこんなにあったかいものなのか?そしていい匂いがする。


カーネ「かわいいでしょ〜?」 シアン「うん…」 女性に対して思う「かわいい」とは違う意味の『かわいい』。なんていうんだろう?庇護欲というやつだろうか?今まで感じたことのない感情に自分でも戸惑っている。


まだ目も開いていない妹が小さな手を使い、俺の指を掴む。 なんて可愛らしい存在なんだろう。自分の子供ではないが、親バカになる人の気持ちが今ならよくわかる。


そして同時になんて可哀想なんだろうとも思う。 もっと安全で快適な環境で産まれていれば… なんて、それは俺みたいなやつが考えることじゃないな。きっとマットとカーネが一番そう思っている。俺が心で思っても、口に出すべきことではないだろう。


カーネ「ほら〜アンナちゃんも抱っこしてみて?すっごくかわいいから」 アンナ「え?で、でも…私なんか…怖がらせちゃうかもしれないし…」 カーネ「大丈夫!まだ目も見えてないし!匂いで安心させちゃおう!」


アンナが怖がらせてしまうかも…と気にしているのは、おそらく仮面のことだろう。 確かに今は目が見えていないわけだし、そんなに気にすることはない。だが、いずれソラが大きくなっていった時に、「この人だけなんで顔にへんなものを付けてるんだろう?」と思ったとする。その時ソラが「けどこの人は子供の頃から優しくしてくれた人だし、まあいいか」と思えるように、匂いで安心させておくのはいい方法かもしれない。


俺たち犬の獣人(カニス)は犬と同程度の嗅覚を持っているため、匂いでそのものが危険か、安全かを識別しているところがある。


ならソラの目が見えない今のうちに、アンナが安全なのを教えておくのはとてもいい案だと思う。人間もそうだが、匂いというのは五感で最も記憶に残りやすいらしい。これに犬の鋭い嗅覚が合わされば、ソラの目が見えるようになった時でも、アンナが不審な存在ではないと理解してくれるだろう。


犬の嗅覚とはすごいものだ。誤解していたが、臭いという感覚は人間とそんなに大差ない。なぜなら人間よりも1億倍近く嗅覚が鋭いはずの犬が、人間と同じ生活空間で暮らしていることがいい証拠だ。


ゴミの匂い、下水の匂い、車の排気ガス。 人間社会にある悪臭がするものをあげればキリがないが、そんな匂いの中でも犬は鼻を摘んだりしていない。


多分、味覚が大きく関係しているからだろうか? 犬より人間の方が味覚が鋭いから、悪臭に対する嫌悪感がすごいのだと思う。


だから警察犬などは、周りに下水などの悪臭を放つものが身近にあっても犯人の匂いを嗅ぎ分けられる。つまり、何か特徴的な匂いがわかれば、周りの匂いに惑わされずにその匂いに集中できるほど、犬の嗅覚は匂いの仕分けができるというわけだ。 これを使えば…


って、話がそれてしまった。


アンナが俺からソラを受け取りやすいように、体を寄せてくる。 ソラを受け取ったアンナは、俺と同じようにどういう風に抱っこしていいのかわからず四苦八苦している。 そんな姿を見て、この正体不明の女の子に対して一つだけわかったことがある。


ソラを抱くのにちょうどいい体勢を見つけたアンナの尻尾は小さく揺れ、耳はぴくぴくとまるで小さく驚いているように動いている。 微かに聞こえる声で「わぁ…」と感嘆の声を漏らすその姿は、どう見ても普通の優しい女の子。アンナの正体はわからないことが多いが、この子が悪い子ではないとわかれば今はそれで十分だと思った。


それに俺だってマットとカーネの子供として産まれたけど、魂は別の世界から来た孤独で無個性なただの男。アンナ以上に過去を隠しているのは他でもない俺自身だ。


女神主催の異世界生き残りゲームというよくわからない娯楽に俺は巻き込まれているわけだから、本当ならアンナのような正体不明の女の子は疑ってかかるべきなのだが…


どんな過去か不明だが可哀想なことがあったと言われ、男に極端に怯えている孤独な女の子が俺には心開いてくれているのだ。そんな子を疑い続けるなんて俺にはできそうにない。そんなのは無駄に疲れるし、アンナを傷つけてしまいそうで嫌だ。


それに俺にはそれよりも気にかけないといけないことがたくさんある。


今、このソラが産まれた祝福が広がるこの空間に、父であるマットの姿はない。 ソラが無事産まれて、マットは大喜びしていたのも束の間、ネス叔父さんからの報告を受け、マットは他の大人たちと共に魔獣の痕跡を確かめに洞穴をでた。


自分の父がいろんな仲間に頼られているのは誇らしくて嬉しいのだが、娘が産まれた今くらいは家族とゆっくりして欲しかった。


それは父や父に頼っている仲間に対しての愚痴ではなく、まるで試練のように立て続けに起きる問題に対して、俺は「少しくらい家族の時間をゆっくり取らせ上げてくれ」と意味のわからない愚痴をこぼしていた。


ネス叔父さんが見た痕跡の通り、本当にここに残ってる大人たちでも対応できないとなると、ここを離れるしかない。本来ならそれで済む話なのにそれができない。 今産まれたばかりの儚い命が、その決断を許してくれない。


魔獣が生態系を荒らしてしまったら、ここに留っていても食料になる小型の魔物がいなくなってしまう。 魔獣を避けるためにここを離れるとしたら、産まれたばかりのソラには負担が大きく危険が伴う。


もう俺にはこの状況を打開できるような案は思いつかない。どうするかは現場を確認した大人たちが決めるしかないだろう。


マットが帰ってきたのはそれから三日経った日のこと。


マットたちの脚力をもってしても三日かかる距離だと考えると、かなりの遠方だとわかる。 なぜなら俺たち犬の獣人(カニス)は、二足歩行と四足歩行を使い分けができるからだ。 三日三晩、常にトップスピードを維持できるわけではないが、人間よりも早くそして長く走ることができる。 この世界にはないため比較できないが、おそらく大人の脚力ならちょっと速い自転車くらいなら並走できると思う。


その脚力で行って帰ってくるまで三日かかる距離。 ネス叔父さんが一度いった場所とはいえ、その場所までの順路の確認や休憩などを考慮したら、山を二つ三つは離れた距離にありそうだ。それにしても、あの叔父さんはそんな離れた場所まで食べ物を探しにフラフラと歩き回っていたのか。どおりで全く見ない日が数日あるわけだ。


いや、それよりも… それだけ離れているならその魔獣とは遭遇しないんじゃないか?とも思う。 この森と山は広いんだ。わざわざピンポイントで遭遇する可能性なんてそうそうないはずだと思いたい。


マット「すぐにここを動かなくても大丈夫だと思う」 緊急の会議ということで生き残りのみんなを集めてマットが痕跡調査の報告をしている。


マット「魔獣の狙いが俺たちならここを離れるしかなかったけど、どうやらそうじゃないみたいだった。しばらくはあの山近辺を縄張りにして魔獣は動かないと思う。それにこれからここにも冬が来る。少なくとも冬眠の時期はあの魔獣も動かないだろうし、しばらくは安心できると思う…だけど冬を開けた後はどうなるかはわからない」


その魔獣は冬眠をするのか。相手が動かなくなるならこっちも慌てて動く必要もないし、それに冬の到来がわかっているのならまず優先すべきは…


マット「まず優先すべきは俺たちもこの洞穴で冬を越えるための食料の確保しよう。そしてあの魔獣がどういう動きをするかの偵察。魔熊の動き次第でその先を考えよう」


まずは優先すべきことを決めて、そして経過観察か。 うん、やっぱりこの人は俺たちの頼りになるリーダーなんだ。 いろんな人に頼られる理由がよくわかる。 ここまで冷静になれなければリーダーは務まらないんだろうな…


カーネ「ねえ、その魔獣ってのは一体なんだったの?」 マット「特徴を見るからに魔熊(まゆう)だね」 カーネ「よりによってそれとか…最悪じゃない…」


魔熊(まゆう)。漢字で書くと「魔熊」、つまり…熊か…。


マット「ネスが見つけた痕跡とは別の場所も見て回ってきたけど、あたりの木に大量の爪痕があった。あの特徴的な縄張りの痕跡は魔熊で間違いないと思う」 ネス「あれは…今の俺たちじゃ無理だね…」


トラ「しかも痕跡のデカさ的に、今まで見た魔熊とは比較にならねえわ。とてもじゃないけど今の俺たちに相手できるやつじゃねえ」


この生き残りの中で一番勇敢であるシュウの父親のトラさん(秋田犬の犬の獣人(カニス))が無理だというなら、もう誰も相手できるような魔獣じゃない。


こっちの世界で目にした魔獣は俺が知っている猪や鹿よりも大きかった。 そして角や牙も太く頑丈で殺傷能力が高い。まさしく魔獣という姿になっていたが、俺たち犬の獣人(カニス)だって体力と膂力が人間よりもあるから狩ることは可能であった。


魔獣が強くなってる分、犬の獣人(カニス)も強くなっていたが。 熊なんて銃を持った人間がなんとか狩ることができる相手。 それがこちらではさらに強化されていて、しかも普通ではない大きさとなったら…


想像するだけで恐ろしい。しかもこっちの装備は村にいた時のように万全ではない。


まだ目にしていないが、その魔熊には勝ち目がないのがわかる。 遭遇したら逃げる以外の選択肢がないということだ。


いや待て、そもそも…いつまで俺たちはここにいるつもりだ? この洞穴はあくまで仮の拠点。 カーネは無事出産を終えた。そして生まれたてのソラがこれから大きくなればここに留まっている理由はなくなる。


マットは魔熊の動き次第でどうするか考えるようにと言っていたが、多分それだけでは足りない。 経過を見ての後出しではなく、先に進むための一歩。それを考え始めなければいけないのだが、その一歩進むために必要な何かが、俺にはまだ見えていない…

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