出産
あけましておめでとうございます
今年もよろしくお願いします
「いたああああああああああああああい!!!!!!」
叫び声が洞穴の奥から響き渡っている。
「ううううううううううううううううう!!!!!!」
その叫び声は別に誰かに酷いことをされて叫んでいるわけではない。
その叫び声の主は今、一つの命を産むために必死に痛みに耐えている。
そう、出産の時が来たのだ。
カーネは一度は俺を産んでいるからもう出産は慣れているものなのかと思ったが、むしろ逆で一度経験しているからこそ、またあの痛みを耐えるのが怖いと言っていた。
しかも俺を産んだ時とは違い、ここは洞穴。以前とは違いちゃんとしたベッドなどの家具はなく、出産に適した環境とは言い難い。
洞穴の奥では俺たちと共に村から逃げきった女の人達が総出でカーネの出産の手伝いをしている。男で立ち会っているのは夫であるマットだけ。
アンナと俺は洞穴の外で待機している。
子供には刺激が強いから外にいなさい、と大人たちから言われた。
この外まで響き渡るカーネの呻き声を聞いているだけで臆している俺には、とても出産の立ち会いなんてできないだろう…
……まあ俺に子供ができることがまず想像できないが
それにしても…
命を産むというのはすごいことだ。
体の中に小さいとはいえ、一人もしくは二人以上の命をお腹の中に抱えることになる。体は重くなり、身動きはどんどんできなくなるのに、その状態で半年以上の歳月を過ごし、そしてその命を産むために最後には激痛に耐えながら出産する。
時には歯や何処かの骨が折れたりすることもあると聞いたことがある。
男の自分には想像できないような痛みを耐え抜く女の人はすごいなって本気で尊敬する。
それと同時に…
『その白い髪の女は繁殖に使える。殺さずに生け取りにしろ!』と
あの夜に聞いた言葉を思い出す。
襲ってきた奴らの目的を想像するならば俺たち犬の獣人を拉致し、望んでもいない子供を産ませようとしていたのだろう。
前の世界でたまにテレビやネットニュースになっていたパピーミルという言葉。
その言葉の意味は子犬工場
犬を、子供を、命を…工場のように生産しては売りに出している悪徳ブリーダーの繁殖所の名称。
そこにいる犬たちは外に出ることも叶わず、ずっと檻の中に幽閉され、ただ子供を産ませるために生かされている。
とても酷い話だ。
全てのブリーダーがそんな酷いことをしていたわけではないが、そういうことを平然とやっている人たちが実在する。金になるなら倫理観なんて全く気にしないような人たち…
それと同じことをこっちの異世界の人たちは人間の姿に近い俺たちカニス相手にも行おうとしていたのか…?とてもじゃないが理解できない。
グランじいちゃんから聞いていた話だと、カニスと人間の関係は良好で、プリムスの村より遠く離れた場所にあるこの周辺一帯を統治している王国。
その名はアルビオン。
その国の城下ではカニスと人間が結婚とは違う形ではあるが家族のように一緒に住んでいると言っていた。
プリムスの村ではそういった家族形態はなく、カニスの家庭、人間の家庭と分かれていたが、もしかしたら前の世界での人間と犬のような、家族同然のような家族形態があったのかもしれない。
だからか…?
だからカニスを捕まえ繁殖し、産ませた子供を新しい家族として売買している…?
犬の生体販売は犬と人間が出会う機会を増やす一種の手段だと思うから悪質なものもあったが全部が悪だと思わなかったが、もし俺が想像しているような新しい家族を提供するための人身販売のようなものだとしたら…悪質すぎないか…?
だめだ…考え始めると嫌な方向にばっかり考えてしまう。
俺の嫌な癖だ…このままだと気が滅入ってしまう。
隣で座っているアンナを横目で見る。被っている仮面のせいで口元しかわからないが、耳は少し垂れ、尻尾を丸く巻いている。
おそらくカーネの声を聞いて不安なんだろう。
アンナに何か話しかけようかとも思ったが、かけようと思いついた言葉が
『アンナも女の子だからいつか経験するかもね』
なんてデリカシーのかけらもない失礼な言葉だったから言わずに飲み込んだ。
アンナが男の人が苦手なのもあるし、これから克服かもしれない。
どうなるかはわからないが、セクハラじみている言葉を思いついた自分に嫌気がさした。
ダメだな…今日はろくなことを考えつかない日だ。
だから今はもうカーネが出産が無事終わることを祈ることにする。
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どれくらい時が経ったろうか?カーネの出産はまだ続いている。
出産にどれくらいの時間がかかるものなのか、過去に経験したことがない俺にはわからない。だからただ待ちぼうけていると、遠くから
「お〜〜いシアン〜!!」と声が聞こえた。
声の方をみるとそこには、俺と同じ白と黒の髪の毛、耳に少し茶色が混じった雑種のネス叔父さんがいた。
ネス叔父さんはグランじいちゃんの子供でマットの弟にあたる人物。
冷静沈着なマットと違い、落ち着きがないときもあれば、何考えてるのかわからないくらいぼーっとしてる時もある。マイペースで自由奔放。
普段は洞穴の中で燻ってるのが嫌なのか、周辺のパトロールしたり、安全な場所を探して走り回っていると本人は言ってるが、実際は何か食べれる物が落ちてないか探してるだけなのはみんな知ってる。
ネス「シアン…!兄貴って今どこにいる!?」
シアン「お父さん?今お母さんの出産の立ち会いで中にいるけど…」
ネス「ああ〜!今日が出産日かよ!?じゃあ流石に今はそれどころじゃないよな?」
マットが今すぐ会える状況じゃないことを理解して後頭部を手でガリガリ掻いてる。
シアン「何かあったの?」
普段からテンパると落ち着きがない人だとは思っていたが今日の落ち着きのなさは異様だったので、何かあったのか聞いてみると…
ネス「…ああシアンなら言っていいか?いや、でもシアンだってまだ子供だし…イヤイヤ、シアンはそこらへんの子供とは違うから…う〜ん」
おっしゃる通り、俺はそこら辺の子供とは違う。だから話してほしい。ここまで言われたら聞かずにはいられない。
ネス「実はな…」
一難去ってまた一難というやつだろうか?
今、新しい家族が産まれるという時にネス叔父さんが持ってきたのは凶報。
いつものように、パトロールというなの拾い食いに出かけたが、そこで見つけたのはここらへんでは見られないような巨大な魔獣の痕跡。
しかもその魔獣の痕跡から推察すると今持っている装備ではとてもじゃないが歯が立たないレベルらしい。
ここからかなり離れた場所に痕跡はあったから、遭遇さえしなければ問題ない、と思いたいがそうも言っていられないらしい。
なぜならその魔獣が現れたことで少なからずここらへんの生態系に影響が出るからだ。
俺たちが普段食事として狩っているのはいうならば小型の魔獣。
俺がいた世界で例えるなら猪や鹿を少しばかり大きくした程度の動物くらいだが、
大型の魔獣の出現により、小型の魔獣が逃げたり、もしくは大型の魔獣の食物になり姿を消せば、俺たちがここに住むための食料がなくなってしまう。
食料になる獲物が姿を消えてしまったら、この場所に留まっていられなくなる。
しかもその大型の魔獣と遭遇する可能性もあるのならば一刻も早く離れるべき…
なのだが今この瞬間にも赤ちゃんが産まれそうなのだ。
産まれたての赤ちゃんを連れて森を歩くなんてとてもじゃないができない。
なんでこの種族にはいつも何かしらの困難があるのだろうか?
村を焼かれ、仲間を殺され、追い詰められ、逃げた先ではまた新たな問題が発生する。
それに比べたら前の世界での俺なんて虚無ではあったが平和そのものだ…
一体いつ、みんなは安心して暮らすことができるんだろう?
俺は一体、みんなのために何ができるんだろう?
とにかくまずはマットに話さなきゃ…あの人なら何か、解決策を見つけてくれると思う。だってマットはこの生き残りの中で一番頼りになるリーダーだから…