退路なき天秤
誓断輪廻 転生した異世界で課せられたルール。最後の一人が決まるまでにしていけないこと。『人殺し、死、自殺』
カニス 正式名称 カニス・アミークス この世界での犬の獣人種の名称
玩狗 転生者、転移者たちの総称
影の命令を聞いた子供たちは、疑うこともなく動き始める。
ここで彼らを止めなければ、村が襲われる。
だがどうすればいい? 操られている可能性がある少年たちを、どうすれば傷つけずに止めることができる?
圧倒的に、考える時間と余裕が足りない。
マット「シアン! あの子たちは俺がなんとかするから、アンナちゃんはシアンが助けて!」
俺が考えつくよりも先に、またしてもマットが動き出していた。
この状況でマットに任せて大丈夫なのだろうか?
いや、これまでのマットの一連の動きを見ればわかる。
俺なんかよりも断然、経験値も判断力も高い。
下手に俺が口を出すよりも、マットに任せたほうがいい結果を生むはずだ。
シアン「……わ、わかった!」
何か解決の糸口を見つけたわけでもないのに。
俺はその時、そう返事することしかできなかった。
「マットならなんとかしてくれる」と、彼にすべてを任せることしか。
「はあ〜本当めんどくさ〜い。ていうかお前さ〜? こんな森の中にいて、世界情勢わかってないからこいつを庇うような真似しちゃうんだろうね〜?」
マットの動きに視線を奪われている間に、影はアンナの後ろに回り込み、刃物をその首筋に突き立てている。
俺は変わらず、動くことすらできない。
世界情勢を知っていたら、俺がアンナを助けないとでもいうのか? そんなわけないだろう。
「この女が持ってる愛縛の魔眼を使って、あの男を自殺させれば〜世界に平和が訪れるって聞いたら、渡す気になる?」
シアン「あいばく……? あの男……?」
マコト「……何言ってるか、わからない」
聞いたこともない言葉を耳にし、思考がわずかに揺らぐ。
「魔眼」は、アンナが必死に隠してきた目を指しているのだろう。
そして先ほどあの影が言っていた『どんな男だっていうことを聞かせられる』という言葉。
やはり、アンナが持つのは一種の魅了を司る力なのか……。
それを使い、「あの男」と呼ばれる存在を自殺に追い込めば、世界平和が訪れる……。
そんなことがあるのか?
そもそも、なぜアンナの能力の詳細を、俺すら知らない呼び名とともにこの影は知っている?
「その反応からして、お前らは何も知らなそうだし、玩狗ではなさそうだね。そりゃそっか〜? あんな仮面をつけた怪しい女をそばに置いておくなんて、特大のバカか、関係ないただのモブぐらいだもんね?」
またしても聞いたことがない言葉、『がんぐ』。
それは「おもちゃ」を意味する玩具のことだろうか?
俺の知らない言葉を並べるこの影は、何らかの方法でこの世界のルールや、能力の情報を得ているということか……?
俺は女神から、ほんの一部の情報しか与えられていなかった。
だから影の言葉を理解するのに時間がかかり、その思考の空白が、結果として俺を転生者だと悟らせないための回避術になっていた。
アンナは、どこまで知っていたのだろう。
仮面で顔を隠していたあたり、自分の能力については自覚していたはずだ。
ならば、誓断輪廻のことも、知っているのか……?
いや、知っているからこそ、俺たちと共にこんな森の奥深くに隠れ住んでいたのか。
もしここで自分が転生者だと白状したら、あの影はアンナを諦めるだろうか。
いや、奴の目的は転生者の炙り出しそのものではなく、アンナの能力を利用した「ある男」の抹殺だ。
俺がここで白状したところで、何の効力もない。
それどころか、アンナに「身近な者が転生者であった」という事実を突きつけることになる。
もしアンナが誓断輪廻のルールを熟知していたら。
俺たちは、決して平穏に暮らすことのできない「ゲームの駒」同士だ。隣にいる相手がいつ牙を剥くか、常に猜疑心で心をすり減らし続けなければならなくなる。
俺がアンナに手を出すこともないし、アンナが俺に危害を加えるような真似をするなんてありえない。
ただ……。
ただ、好きな人に……疑われ続けるのが、怖い。
シアン「平和のため? ……それに、『あの男』ってのは誰のことだ」
この影の様子からして、おそらく俺とマコトを脅威だとは思っていない。
まだ隠してある能力を使い、俺たちを煙に巻くことなど容易いと考えているのかもしれない。
「森の中を逃げてた山犬は知らないよね〜? お前らが住んでいたどこかの村、あそこを襲い、お前らワンコを繁殖させ、あの子供たちのように商品、もしくは失敗作の兵隊にするか。その全ての指示を裏でしている男だよ。悪いやつでしょ〜? そんな悪いやつをやっつける方がいいよね〜? それができるのが、この女しかいないんだ〜。もう一人いるけど、そっちはあんまり勝ち目なさそうなんだよね〜? だから確実性を取るの。ね? お前もそんな悪いやつを成敗したほうがいいと思うだろ? だからこの女を連れていかせてよ〜? そうすりゃお前らの村からは手を引いてやるよ」
この世界に来てから降りかかってきた、数々の悲劇の元凶。
それが、その男の指示によって引き起こされたものだったと影は言う。
あの少年たちも「商品」、いや、ここにいるということは「失敗作」か。
その元凶を倒すことができるのはアンナだけだ、と奴は言う。
もし、アンナが魔眼を使い、その男を魅了して自殺させたら。
誓断輪廻の中で、それはどういう扱いになる?
自分の意志による自殺は「負け」だと女神は言っていた。
では、能力による強制的なコントロールは? 「殺人」として成立するのか?
アンナ「もう、こんな力……使いたくない!」
顔を伏せていたアンナが、残り少ない力を振り絞り抵抗する。
「黙れよ、お前」
だが、首を掴まれ、刃物を喉元に突きつけられ、また身動きが取れなくなる。
誓断輪廻というルールがある以上、影がアンナを殺すことは恐らくない。
だが、俺が近づいて万が一何か起きたら困る。だから距離を詰められずにいる。
アンナ「この力はそんな使い勝手のいいものじゃない! その男を魅了したところで、下手したらたくさんの人が死ぬ! あの時みたいに! みんなおかしくなって殺しあう……! この力は……神の与えた加護なんかじゃない! 呪いなんだから!」
アンナが強めに抵抗した勢いで、刃物が少しだけ掠ったのか。
彼女の白い首筋から、鮮やかな赤が伝い落ちる。
アンナ「もう……嫌だ……こんな世界、来たくなかった! もうあんな思い二度としたくない! 殺すなら、殺してよ!」
顔を覆い隠すように、アンナは泣き崩れる。
俺が知らないところで溜め込んでいたものが、堰を切ったのだろうか。
今まで恐怖以外で感情を露わにしなかった彼女が、悲痛な叫びを上げている。
アンナ「シアン……マコト……ごめんね……私のせいで村に危険が迫って……私みたいなやつは、地獄に堕ちるべきなんだ。もっと早くみんなから離れて……野垂れ死ぬべきだったんだ……。だからお願い。もう、見捨てて……村を優先して……!」
見捨てて、と彼女は涙混じりに訴えかけてくる。
だが、そんなことはできない。
アンナが悪いわけじゃないんだ。
彼女の力を利用できると勝手に決めつけ、村を襲いに来たこいつらと、カニスをただの道具のように扱っている「男」が悪いんだ。
その責任を負うためにアンナが死ぬなんて、絶対に間違っている。
だから、見捨てるなんて……それだけはできない……!
「チッ! めんどくさいな〜! 悲劇のヒロインぶってんじゃねえよ。たくさんの人が死んでも別に構わないんだよ? あの皇帝が負ければね。ただお前が死んだら、誰があの皇帝を蹴落とすんだよ。それがお前が愛と美の女神に選ばれた理由だろ? お前が皇帝を蹴落とし地獄への片道切符を渡すまで、お前を死なせるわけないじゃん。……あっ、そうだ。じゃあお前が大人しく言うこと聞かないなら、この二人を殺そう」
アンナ「……っ!?」
アンナの必死の訴えすらただのノイズのように聞き流し、変わらず利用することしか考えていない。
そして思いついたように口にした、俺たち二人を殺すという案。
だが、お前も転生者である以上、誓断輪廻の縛りがあるはず。それは単なる脅しのはずだ。
「あ、あたしが殺すんじゃないよ? 殺すのはこのバンちゃんが食い殺す。カガチは殺しは嫌いだから〜。お願いバンちゃん、あいつら食べちゃって?」
影が伸ばす手は、男、女、はたまた違う生物のような形へと不気味に変容し、飛竜の喉元を優しく撫でる。
あの気味の悪い不確定な手で撫でられた飛竜は、まるで愛しき主人に甘えるように喉を鳴らした後、俺たちにずしり、ずしりと近寄ってくる。
アンナ「お願い! やめて! 言うこと聞くから! ついて行くから関係ない二人に手を出さないで!!」
アンナの叫びを聞いても、影はケラケラと笑っている。
「じゃあこうする。二人いるから、一人は殺す。二人とも殺されたくなかったら、大人しく言うこと聞けよ」
取引ではなく、ただの一方的な脅迫。
マコト「……ッ!?」
後ずさるマコト。その動きを見て、またしても影は最悪な条件を提示してくる。
「逃げたら……こいつの片目をくり抜く。目は片方あればいい。二つもいらないからね〜。この美人の顔を台無しにしたくなければ、逃げんなよ?」
こいつを初めて見つけた時に言っていた。
「勝つのに手段を選ばないのが強者」だと。
俺はこの瞬間、何ができる? 逃げることも、進むこともできない、今この瞬間に……一体、何を。




