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任け犬の遠吠え  作者: ノライヌ
第三章 嘘
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仮面の下の素顔と影

誓断輪廻せいだんりんね 転生した異世界で課せられたルール。最後の一人が決まるまでにしていけないこと。『人殺し、死、自殺』


カニス 正式名称 カニス・アミークス この世界での犬の獣人種の名称


玩狗がんぐ 転生者、転移者たちの総称 

疑ったことがないと言ったら嘘になる。

彼女との出会いには、あまりにも不可解な部分が多かったから。


でもあの日、リオンが彼女を俺たちに託す時に一瞬だけ見せたあの表情。


『それはね〜僕も知りません。ただ言えることは……可哀想な子やってことですかね』


森の中で彼女を拾ったと彼は言っていたが、明らかに何か訳ありのような、あの飄々とした男には似つかわしくない哀れみの表情を見た気がする。


その後、目が覚めた彼女はしばらく怯え、塞ぎ込んでいた。

何があったのかは今も知らない。なぜ仮面を外そうとしないのかもわからなかった。

傷や火傷があると勝手に補完し、あえて深くは聞かなかった。


聞きたくならなかったのか? と問われれば、否定はできない。


だが、知的好奇心で人の記憶をほじくり返すことは、人の心を踏み荒らすようなものだ。

だから今まで、彼女がどこから来て、何者だったのかを問い詰めることはしなかった。

顔を隠す仮面の下を知らないように、俺は彼女の素顔(ほんしつ)を見たことがなかったのだ。


その下に隠されていたのは、俺と同じ「転生者」という事実。

仮面で隠していたのは、見られたくない傷などではなく、その本性だった。


彼女に対して、怒りは湧いてこない。自分もまた本性を隠し、カニスの仲間として輪に入っていた転生者の一人なのだから。


「お前らに言ってもわからないか〜? この女はね〜? 男相手には超やばい魔性の女なんだよ〜?」

アンナ「違う! そんなんじゃない!」


必死に否定し、抵抗する彼女の表情は苦悶に満ちている。


「違わないよ〜? お前のその目があれば、どんな男だって言うことを聞かせられるじゃない〜? それを魔性って言わなきゃなんなのさ〜?」


ケラケラと笑いながら、アンナの瞳を凝視する影。


アンナ「お願い……。シアンもマットさんも、こっち見ないで……」


必死に俺たちから顔を逸らし、目を瞑ろうとするアンナ。その拒絶の行動そのものが、皮肉にも影のセリフを裏付けてしまっている。


目があっただけでどんな男も言うことを聞かせられる?

なぜ男限定と決めつけているのだろうか。

考えられるのは「魔性」というよりも魅了の魔眼のようなものなのか。

ならば彼女が仮面で必死に隠そうとしていたのは、その「目」か。


だがそうなると「男が苦手」だという彼女の性質が、どうしても辻褄が合わなくなる。

どんな男も意のままに操れるなら男なんて怖くないはずだ。

だが彼女と出会ってから今まで見せてきた怯えは本物だったし、俺たちの仲間の中に、アンナに操られているような行動をしている者も確認していない。


なら、考えられる答えは一つ。

アンナはそんな力を望んで手に入れたわけではなく、女神に押し付けられるように付与された、いわば『呪い』のようなものであり、それを仮面で押さえつけていたのではないのか。


マット「シアン。まずい。さっきの追っ手がもうそこまで来てる」


俺がバカみたいに過去の分析をしている最中でも、マットは周囲に警戒を張り巡らせてくれている。

早くこの場をなんとかしなければならないのに、打開案が全く出てこない。


アンナが転生者だからといって、助けない理由はない。


その思いは決して変わらない。

ただ、どうやって助ければいいかがわからない。

俺がこの世界に来て、乗り越えてきた困難はすべて囮による誘導だ。

魔熊もネズミも、俺を追いかけさせ罠に嵌めて危機を潜り抜けてきた。

でも今回の相手はおそらく人間かカニス。

俺が背を向けて、都合よく追いかけてくるわけがない。


唯一方法があるとしたら、俺もこの場で……。


そう思った時、飛竜の翼が少し動いた。

今まで翼の影に隠れていて見えなかったアンナを捕まえている奴の姿が、ようやく露わになる。

その姿を視界に入れた瞬間、俺は声を失った。


シアン「……っ!?」


顔なんてない。いや、姿形すら不安定だ。

影のような輪郭はあるが、その場所にはノイズがかかっているかのような、歪な存在がそこにはあった。


マコト「何あいつ……なんかいやだ……」


マコトも同じような姿が見えているのか、後退りしながら牙を剥いている。

声から判断するに、アンナを攫った奴は女性だと思った。だが今はそれすら怪しい。


マット「カーネ……? いや、違う。白い髪の……女のカニス……!?」


だが、マットの反応だけが決定的に違った。

あの黒い影を、一瞬とはいえ最愛の人と見間違えるような言葉を漏らす。


それだけはありえない。

この人が、最愛の伴侶であるカーネを見間違えるなんて。

この場にカーネがいるわけもないし、アンナを攫おうとするはずもない。


つまりそれは、見るものによって姿が変わっているということになる。

俺とマコトだけが不快なノイズに見えている理由はわからないが、この森で最も鼻が利き、警戒心が強いはずのアンナを連れ去ることができたのも、そういった能力によるものか。


「さっきも言ったけどね、この女はとても危険で悪い女なの〜。この女があんたたちの村にいたら、おそらくとても不幸な目に遭うわ。そうなる前に私がその芽を摘んであげる。だから、この女のことは私に任せてくれない?」


その言葉を聞いて、「はい、そうですか」と頷くと思っているのか。


マット「アンナちゃんが危険……そんなわけない……。でも、さっき確かに何か……」


ダメだ。マットが敵の言葉に完全に混乱している。

それは敵の弁舌だけじゃない。

アンナと目があった時、一瞬おかしな反応を示してしまった。

それがマットの中で不可解な違和感となり、疑いの余地を生んでいる。


シアン「ちょっと! お父さん! しっかりして!」


先ほど同様に肩を掴み、正気に戻そうとする。

だが今回は、そう簡単にいつものマットには戻ってくれない。

今まで不可解だったアンナの正体と、影が告げた「恐ろしさ」の片鱗を体感してしまったからか。

マットの中で『疑い』という芽が、毒々しく芽吹き始めているのを感じた。


「人の言葉に耳を貸さない、邪魔くさい奴がいるな〜? どうしよっかな〜?」


顔のない影は、おそらく俺を「邪魔者」だと認識している。

誰がお前のような不気味な存在の詭弁に、耳を貸すものか。


「ママ!」「大丈夫!?」


即座に行動に移せなかった隙を突かれ、ついに追っ手に追いつかれた。

だが、現れたのはカニスの少年少女たちだけだ。人間の姿はまだない。

マットと同様に、この子たちもまた俺が見ているものとは違い、影のことを自分たちの「母親」だと呼び、慕っているものを助けにきたような顔をしている。


他者の理想の姿を幻視させる能力……。

認識を阻害し、母親のふりをして操っているのか? この年端もいかない子供たちを。

アンナに魅了の能力があるように、この影には変装の能力があり、転生者には何かしらの能力があるというのか。

俺には何もないという嘆きは一旦おいておき、まずはこの子たちを振り払い、一刻も早くアンナを救出しなければ。


「ああ〜、みんなやっと来てくれたの〜? ママ怖かった〜。けど、みんなじゃこの悪いカニスたちには敵わないよね〜」


それはそうだろう。

人間でいう十歳程度の子供が数人束になったところで、力で俺たちに敵うはずがない。

むしろ、俺は子供たちを傷つけたくなんてない。そのまま何もさせず、下がらせてくれるのが一番いい。


「だから〜。ママのことはいいから、人間のおじさんたちを連れて『村』を襲ってきてね」

「っ!?」


その場にいた全員が、驚愕に息を呑んだ。


「この女を諦めないなら〜、この女よりも大切なもの……お前らの住処を狙うまで。ほら、みんな行ってらっしゃい。悪いカニスやドワーフたちをいっぱい殺すためのお手伝いをしてきてね」


俺たちにとって、この上なく最悪の指示。

その言葉を聞いた子供たちは、一瞬戸惑ったが、すぐに踵を返し村の方に向かう。


村と外を繋ぐ坑道には、侵入者を退治するためのたくさんの対策を打ってある。

だがそれは、プリムス村を襲ってきたような『卑劣な人間』を想定したもの。

同胞の、ましてや操られている子供に向けていい罠ではない。


先回りして止めなくちゃいけない。

だけど、そうするとアンナを……。


アンナ「シアン……! 私のことはもういいから……村の方に行って! 私は私でなんとかするから……! お願い……」


昔、出会ったばかりの頃に聞いた、悲しみと恐怖で押し潰されてしまいそうになっている悲痛な声。彼女は、自分を見捨てろと言う。


そんなことできるわけない。

だが、この場をどうするべきなのかも判断できない。

選択肢一つ間違えただけで、とんでもない地獄が待っているような気がする。


「あはっ! 右往左往して情けな〜い。けど、そうなるように仕向けてるからしょうがないよね〜? お前らが一番嫌がることをし続ける。勝つために手段を選ばないのが強者だから〜。早くお前もあっちいけよ」


憎たらしいセリフを前にし、俺はとんでもない『間違え』をしてしまう。

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