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任け犬の遠吠え  作者: ノライヌ
第三章 嘘
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未知なる痕跡と、不愉快な臭い

誓断輪廻せいだんりんね 転生した異世界で課せられたルール。最後の一人が決まるまでにしていけないこと。『人殺し、死、自殺』


カニス 正式名称 カニス・アミークス この世界での犬の獣人種の名称


玩狗がんぐ 転生者、転移者たちの総称 

何が起きているのか、まだ正確には分からない。

もしかしたらすべては俺の考えすぎなのかもしれない。


だが、散らばった一つ一つの点と点が、最悪の結末へ向けて勝手に線を繋げようとしている。

その得体の知れない感覚が肌を粟立たせる。


咄嗟の判断で俺は人選を間違えたのではないか。

一番頼りになる父を自分のそばに置いてしまったのは、無意識の防衛本能だったのだろうか。

もしこの地で、かつてのプリムス村と同じ悲劇が繰り返されようとしていたら……。


そうなれば、また狙われるのは白い髪を持つカーネとソラだ。

二人を守るために、父さんを村へ戻すべきではなかったのか。


だが、アンナはどうする。

忽然と消えた彼女を見捨てて、村に引きこもるというのか。

……それは、絶対にできない。


依然として、アンナの匂いだけがどこにも見つからない。

彼女は村の中でもひときわ清潔で、その身には常に石鹸の香りが纏わりついている。

見失うはずのない、特徴的な匂いだ。


村の入り口である大穴付近に彼女の匂いが残っていないこと、そして何かが座り込んでいたような痕跡があることから、穴に落ちたとは考えにくい。


……もしや、その「見つけやすさ」が仇になったのか?

ここを訪れた何者かが、アンナの匂いを道標にしてカニキュラまで辿り着いた可能性はある。

かつて俺たちが、リオンの残香を頼りにこの村へ辿り着いたあの日と同じように。


ならばなぜアンナの匂いは消え、この匂いの主は穴の入り口で踵を返した。


この森に他の集落などないことは、仲間たちが数年かけて確認済みだ。

彷徨える者がこの大森林を抜け、ようやく辿り着いたのだとしたら……。


アンナの匂いだけじゃない。

狩猟組の汗の匂い、獲った獲物の血の匂い。

人間には気づけなくとも、カニスなら気づく残り香がこの場所には溢れている。


ならば普通は救いを求め、真っ先に村を訪れるはずだ。

カニスがこの森で遭難しているなど想定外ではあったが、もし友好的な同族であれば、俺たちがかつてしてもらったように歓迎するつもりだった。


だがこの匂いの主は村へ寄ることなく進路を変え、あろうことか「リオンと同じ香水」を纏う者と共に行動している。


どうする……。

右往左往している余裕なんてない。

父さんを帰すべきか? それとも共に進むべきか?


「シアン」


俺の不安を察したのか、父さんが落ち着かせるように頭を撫でてくれた。


マット「俺には何が起こっているか分からないけど、村のことはトラやロドに任せて、アンナちゃんを探そう」


正直もう頭を撫でられるような歳ではないが、相変わらず力加減が下手な不器用な撫で方のおかげで、少しだけ冷静さを取り戻すことができた。

ここで焦っても、何も解決しない。


俺とマコトだけが残された匂いを嗅ぎ分けられるのであれば、マットには周囲を警戒してもらい、俺たちは匂いに集中すればいい。


追うべきは匂い、そして足跡だ。

見つけた足跡はそれほど大きくない。

手と足の双方を使っていることから、カニスであることだけは判別できた。


だが足跡は一人分しかない。

匂いに敏感なはずのカニスが、自らの鼻を狂わせるような強い香水をつけて動いているのか?


その疑問が解けぬ間に、新たな痕跡を発見する。


木々が途切れた開けた場所に、突然現れたその足跡。

それは四方向に分かれた枝のような、異様な形状をしていた。

人間の顔なら丸ごと掴めそうなほど大きな爪跡。


その形状を見て、ある動物の姿を思い浮かべる。


シアン「鳥……?」


もしそうなら、アンナの匂いが忽然と消えたのも納得がいく。

だが同時に、悠長に考えている余裕は消し飛んだ。


シアン「マコト! 俺の背中に乗って!」

マコト「え?」

シアン「いいから早く!」


戸惑うマコトを背負うと、俺は大急ぎで近くの大木を猿のように駆け上がった。


シアン「ごめん、お父さんも上に来て欲しい!」

マット「わかった」


マットも俺の後に続き、大木を登ってくる。

匂いの痕跡を追えるのは俺とマコトだけだが、マットには狩りの現場で培ってきた経験と「目」と「耳」がある。

匂いに頼らずとも、異変に気づいてくれるはずだ。


マコトは元々、樹上の猿を追うために改良されたという柴犬の一族。

そのマコトに「風の匂い」を辿る高鼻を使ってもらい、俺と父さんで二方向の視界をカバーする。


シアン「お父さん。この辺りにカニスを掴んで空を飛べるような動物はいるの?」

マット「……そんなものはいないはずだけど。俺もあの形の痕跡は見たことがないし……」


もしあの痕跡が、俺の想像通りの生物だとして、アンナを連れ去った理由が分からない。


餌としてか、それとも誰かの命令でアンナを連れ去り、カニキュラの情報を引き出すためなのか。

様々な疑問がよぎるが、答えは出ない。なんにしても、まずは見つけなければ。


「あった! あったよアンナの匂い! あと、変な臭い匂いも!」


マコトが指差す方向。

遠くの空に、豆粒ほどではあるが何かが羽ばたく姿が見えた。

俺が次の一手を考えるより先に、父さんが下へと駆け降りる。


マット「行くよ、シアン!」


行動が早い。流石はカニキュラの現リーダーだ。

俺も遅れじと、父さんの後を追った。


走りながら、思考を巡らせる。

相手は空。俺たちは所詮、犬の獣人。

空飛ぶものを撃ち落とす術など持たない。

手先が不器用な俺たちは、弓を扱うことすら難しいのだ。


だが先ほど見た影は、俺たちの想像よりもずっと低空を飛んでいた。

空を飛べるのなら、障害物の多い木々スレスレなど飛ばず、遥か高空へ逃げればいいはずだ。

そうすれば俺たちの手は絶対に届かない。


見つかっても追いつけないのなら、警戒する必要すらないはずだ。

それなのに、なぜあんな高さを飛んでいる?


もしかして――重すぎて、高く飛べないのか?


ファンタジーの世界なら、大型の鳥が人を背に乗せて飛ぶのは定番だ。

だが、現実の猛禽類は獲物の重さをシビアに考える。

運べないほど重い獲物は、その場で喰らうのが常石だ。


ならば、あの低空飛行は相当に無理をして飛んでいる証拠。

先ほどの足跡から推測しても、規格外ではあるが人を軽々運べるサイズではない。


――追いつける。奴は全力では飛べていない。


シアン「ごめんマコト。背中から降りて、自分の足で走ってくれ!」


俺にはルカのように誰かを背負いながら走り続ける体力も器用さもない。

今モタモタすれば、取り返しのつかないことになる。


一刻も早く、アンナの元へ。


数十分の全力疾走。 風に乗って、ようやくアンナの匂いが輪郭を取り戻した。

このままいけば、数分で捉えられる。


そう確信した瞬間、鼻腔にまとわりつく吐き気を催すほどに不愉快な臭い。


それは生前の記憶からも呼び起こされる、俺が最も嫌悪する類のものだった。


「おお〜おお〜! 本当にこんな森の奥底にカニスがいやがったぁ。だがオスかぁ。オスはもういらねえんだよなぁ」


汚濁に満ちた吐息。体にこびりついた汗と皮脂。

一度も洗濯したことがなさそうな衣服からは、長年蓄積された体臭が混ざり合い、血の気が引くほどの悪臭を放っている。


「おい、そこのカニス。お前がもしかして、あの村から森に逃げたカニスの生き残りかぁ?」


喋るたびに、不衛生な口内から腐敗臭が漂い、必死に追ってきたアンナの匂いを塗り潰そうとする。


「何黙りこくってんだぁ? お前らの村には、まだメスがいんのかぁ?」


脂ぎった髪。不摂生に弛んだ巨体。

姿、匂い、声。

そのすべてが唾棄すべき不快感に満ちた「人間」が、深い森の静寂を汚すように、そこに立っていた。

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