無茶
誓断輪廻 転生した異世界で課せられた転生者たちのルール『人殺し、死、自殺』
カニス 正式名称 カニス・アミークス この世界での犬の獣人種の名称
坑道の入り口を抜けた瞬間、肌にざらつくような違和感が伝わってきた。
硬い岩盤に覆われているはずの坑道の裏側に、ヘドロのようなものが流れ込んでいるような――そんな気持ち悪さ。
人間だった頃には感じられなかった感覚を、犬耳の先がピクピクと危険信号のように受け取っている。
グレーター「なあ、なんかおかしいよな?」
ここに長く住むグレーターさんでさえこの違和感に覚えがない。
それなら、これはただの異変じゃない。これから起きる“何か”の前兆だ。
だが、ある瞬間から「シン」と蠢く音が消えた。
岩盤の奥で流れが止まり、圧力が溜まっていくような気配。
――と思ったその時。
ゾロゾロ……と蠢く音が、やがて――ガリ、ガリガリガリと、岩を削る音へと変わった。
グレーター「この音って……まさかよぉ……」
この地で何度か聞いた音。しかし今回はまるで違う。
カニスやドワーフが掘る軽快なリズムではない。
一刻も早く、この坑道に飛び出そうと、狂ったように削っている音だ。
もうわかる。
もうすぐ、奴らはここに出てくる。
俺はそれを追い払うために情報を集め、整理し、対策を練ってきた。
だが相手は、そんな準備の猶予すら与えてくれない。
この世界に来てからは、いつもそうだ。
村を襲った連中の時も、魔熊の時も――いつも不意打ちだ。
ゲームならイベント前に準備の時間が与えられるはずなのに、俺にはそんなものはない。
だから今、瞬時に状況を整理するしかない。
俺たちがいるのは、大穴と坑道を繋ぐ入り口を入ってすぐの場所。
ここにいるのは俺とグレーターさんだけ。
坑道の奥にいるドワーフやテリアの皆は、この異変に気づいているだろうか?
だが確認に行く余裕は――岩盤を削る音の近さからして、おそらくない。
奥へ進んで、ドルゴさんの雷礫でここを崩して塞ぐ手もある。
だがここは坑道と地上を繋ぐ入り口の目の前。
塞げば上に上がれなくなるし、掘り返せばまたネズミが出てくる。
その選択肢はない。
ならば、取るべき道は一つ。
俺が背を向けた瞬間、岩盤にバキバキッと亀裂が走った。
次の瞬間、ヘドロのような塊が勢いよく吹き出す。
現れたのは――やはりネズミ。それも数えきれないほどの数。
先頭にいた一匹の前歯は折れ、口の中を血まみれにしながら這い出てきた。
痛みを避けるはずの動物がそんな真似をするなんて、常軌を逸している。
ギィギィと、悲鳴のような声を上げながら突進してくる群れ。
「チュウチュウ」なんて可愛らしい鳴き声じゃない。
明確な殺意を帯びていた。
シアン「グレーターさん、逃げますよ!」
グレーター「は?シアンどっちにだいっった!?」
説明している暇もない。
俺は咄嗟にグレーターさんのお尻を馬のように叩き、狭い通路を駆け上がる。
あれは正気のネズミじゃない。
理性を持たない動物が前歯をへし折りながら岩盤を砕くなんて、あり得ない。
そんなもの、もう“狂っている”としか言いようがない。
あの魔熊のように――。
後方から轟く足音と威嚇の声。
一匹なら小さな音でも、群れとなれば重機の唸りに変わる。
あれはヘドロなんかじゃない。堰を切った激流だ。
しかも重力に逆らい、上へと駆け上がってくる悪質な激流。
飲まれれば、死ぬ。
逃げるしかない。魔熊の時と同じように――。
シアン「グレーターさん!もっと速く!」
グレーター「うぎゃあ!!走るから!尻を叩くな!!」
叩きたくて叩いてるわけじゃない。
少しでも遅れれば、骨の髄まで齧られる。
だから今は怒られてもいい。生き延びることのほうが大事だ。
あのネズミ、ドワーフたちの方にも向かっただろうか?
……いや、なぜかそれはないと感じた。
奴らの目――焦点を失い狂っているのに、確実に“俺”を見ていた。
あの魔熊と同じだ。
やはり奴らは、転生者である俺を狙っている。
不可解な点はあるが、今は考えるな。
まずは逃げ切る。全力で、この螺旋路を駆け上がるんだ。
……だけど、上に着いたあとどうする?
もし奴らが追ってきたら?
昨日から狩りに出ている大人たちはまだ戻っていない。
上に残っているのは女性と子供たちだけ。
上に導けば、彼らを巻き込む。
森に逃げても木々が邪魔で走れない。
ネズミに有利な地形だ。魔熊の時と逆転している。
どうする……?
「お兄ちゃーん!!」
「え、シアン!?どういう状況!?」
シアン「!?」
最悪だ。
よりによって穴の入り口あたりに、ソラとアンナが降りてきている――!
このまま駆け上がれば、二人とも巻き込む。
アンナはともかく、ソラは走るのが遅い。
俺が背負っても逃げ切れる保証はない。
「ああ、もうどうしたらいいんだ……!」
「――――ッッッ!」
……誰かに、呼ばれてる?
「シアーーーーーン!!」
今度は下からだ。俺を呼ぶ声。
ドルゴ「こっちこーーーーい!!!」
シアン「ドルゴさん!?」
坑道に繋がる細い入り口から、ドルゴさんが手を振っている。
ということは――奴らは完全に俺たちを狙っている。
ドルゴ「考えがある!こっちこーーーーい!!」
考えがあると言われても、後ろからは黒い波。
踵を返す余裕なんてない。
飛び越えるには多すぎるし、避けても壁と大穴しかない。
大穴と壁……螺旋状の道……。
――ああ、くそ。最悪だけど、もうそれしかない。
上に行けばアンナとソラが危険。
後ろに戻ることもできない。
なら、選択肢はひとつだけだ。
シアン「アンナ!!ソラを連れて穴から離れて!!」
アンナ「!?わ、わかった!ソラちゃん行くよ!」
ソラ「え!?お兄ちゃんは!?大丈夫なの!?」
大丈夫かなんてわからない。
今いるのは穴の中腹あたり。
これからやることが成功する保証なんてない。
怖い……こっちの世界に来てから、ずっと怖いことばかりだ。
でもしょうがない。これしか思いつかない。
カーネには「もう無茶はしない」って約束したのに。
破ることになる。ごめんなさい。
シアン「ハァ……ハァ……グレーターさん、先に謝っておきます。ごめんなさい。」
グレーター「はぁ!?なんでこのタイミングで謝るんだよ!!」
説明している暇もない。
多分、後で死ぬほど怒られるだろう。
嫌われるかもしれない。
でも――あのネズミたちが本当に俺だけを狙っているなら、やるしかない。
シアン「ごめんなさい。行きます。」
四足から二足に切り替え、急ブレーキ。
その勢いのままグレーターさんの首の裏を掴む。
グレーター「おい、待て!なんで止まる!?なんで掴む!?」
黒い波はすぐそこまで迫っていた。
飲まれれば死ぬ。なら――渦に飛び込むしかない。
グレーター「まって!本当に何考えてんだおまっ……!!」
お母さん、ソラ、それに巻き込まれるグレーター。
……ごめん。
無事に帰ったら、また怒っていいから。
今だけは、この無茶を許してほしい。
悲しませたくはない。
でも今ここで死んで、怒られることすらできなくなるほうが――
きっと、もっとあなたたちを傷つける。
だから、この選択を許してほしい。
上に行くほど開け、下に行くほど狭まる縦穴の螺旋路。
黒い波を避けるには、この渦に飛び込むしかない。
落ちるんじゃない。
ドルゴさんのいる入り口は対角線上。
まっすぐ飛び越えるのは不可能。
だから一段一段、飛び降りてショートカットする。
足が無事かどうかは知らない。
でも死ぬよりマシだ。命あっての物種。
最近の言葉で言うなら――
シアン「死ななきゃ安い!」
グレーター「おまっ……!!なんで少し笑ってんだ~~~~~!!」




