ルール
眼前のトラック。
自分の人生はここで終わるという確信。
こういう時、人間は焦ったり、恐怖したりするものなのかと思ったが、案外冷静なものだ。
頭の中に走馬灯が流れているが、俺の人生に特別な出来事は何もなかった…ということを思い返すだけのただのつまらない回想。
だけどそれはしょうがないことだと思う。だって俺は勝負事からずっと逃げてきた負け犬なんだから…
キラキラした世界に憧れたことはなかった。
だってその世界は生き残りを賭けてみんなが努力を続けている闘いの世界。
争いごとは苦手な俺は、人との衝突をできるだけ避け、当たり障りのない生き方をしてきた。敵を作らない、信用する人も作らない。
そうしていつの間にか周りからついた評価が「優しい」。
その評価が無なんだってことには気づいていた。
競争から常に逃げ続ける男が優しいわけがない。それはただの臆病で、特に褒めるところがないから気を遣ってつけてくれた無の評価。
その負け犬の最後がこれか…
雨の中フラフラ歩いている少女がいたから、危ないぞって体を張って助けようとした。だけど普段から人と触れ合わない人間がいきなりそんな場面に出くわしたら、どうなると思う?
人間の体はそんなに軽くない。
人の体を引き寄せるなら勢いよくやらなきゃただその場で体勢を崩すだけ。
ここでも勢いよく引き寄せたりしたら傷つけてしまうかも…という中途半端な思いやりと、相手を怪我させたくない臆病さが仇となり、その少女と共にトラックに…
どうせつまらない人生だったんだから最後くらい体を張って少女だけでも救えたなら気持ちよく死ねたのに…それすらできないなんて…
本当にどうしようもない男だな俺は…
俺の最後の意識に残ったのは自己嫌悪と罪悪感。
人生最後の後味が最悪のまま俺の意識は遠のいていく。
あれ?ここはどこだろう?まるで眠りから覚めたような感覚を覚えるが、体の感覚がない。手も首も、普段なら意識しなくても動く部分が今の俺にはない。
ただ一つだけあるのはずっと闇の中を見せられているような感覚。
ただ闇を見せられてるだけなら退屈なだけでそこまで苦しくないのに、視界の真ん中にさっき助けられなかった少女が血まみれのまま横たわっていて消えない。
その姿が痛々しくて目を背けたかった。
だけど目を動かすことも、瞼を閉じることもできない。
ずっとその少女の遺体を見せつけられている。
いつまでこんな酷い姿を見せられるんだ…と思っていたら後ろから
「初めまして」といきなり話しかけられた。
さっきまで映し出されていた少女の遺体は血も残さず消え去っていて、ふと気づくと椅子に座った女の人が座っていた。
その人の姿は神秘的で、とても人間とは思えない。だからこそお約束すぎてこの人がどういう存在なのかがすぐにわかった。
「初めまして女神様」
「あら。どうして女神だと思ったの?」
「この展開は、日本ではあまりにもお約束な展開ですから…なんとなくわかります」
「そう。じゃあ、このあとどうなるかもわかるわね?」
まあこの後の展開も大体同じだろう。
「俺は異世界に飛ばされるんですか?」
女神「正解。説明が省けて助かるわ」
それは第二の人生が始まるということ…本来なら嬉しいことのはずなのにあまり喜べない。それはさっき味わっていた、最悪の後味がまだ頭の中に残っているから…
俺だけ選ばれた?さっきの少女はどうなった?色んなことが知りたいけど、
まずはこの女神が俺を選んだのかが気になる。
なんの理由もなく、俺なんかを異世界に飛ばすわけない。
「それで…俺はその異世界で何をすればいいんですか?」
女神「…?何をすればいいって?何かしてみたいことがあるの?」
ん?どういうことだ?
お約束でいえばこのあと異世界を救うための使命とかを授けるんじゃないのか?
「え?世界を救うとかそんな話じゃないんですか?」
女神「何それ?世界を救うためにたった一人の男に使命を授けるの?それって非効率的じゃない?そんなことをするためにわざわざあなたを選んだりしないわ」
ますますわからなくなってきた?
「じゃあ俺をここに呼んだ理由はなんですか?」
女神「理由は特にないわ。たまたま、あなたがちょうどよく死んでいただけ」
ちょうどよく死んでいた…?
女神「これから私が連れていく異世界で何をするのか説明をするとね。これは私を含めた六人の女神がそれぞれ選出した人間の魂を同じ異世界に飛ばすわ。その異世界で生き残りをかけて競い合わせるゲームをして欲しいの。私たちは世界を救うところが見たいんじゃないの信念や魂がぶつかり合う魂の輝きそれを見せてちょうだい」
なんだ…それ…?俺が知っている異世界転生ものと違う。
異世界転生ものに詳しいわけじゃないが、異世界に行ってその世界を救う勇者になるんじゃないのか?この女神の望みはただ俺たちが異世界で競い合う姿が見たいだけ…?
女神「あなたと同じように不慮の事故で亡くなった人があと五人、私以外の女神に選ばれすでに異世界に飛ばせれているわ。あなたは最後の一人、最後の転生者」
女神「あ、けどあなたには特に期待してないわ。ただの数合わせ。他の人でも良かったんだけど…あなたの特技がちょうど良かったの。ただそれだけだから気にしないで」
期待されてないのはいつものことだ。だからあまり気にしてない。
だけど俺の特技がちょうど良かったってどういうことだ…?俺に特技なんてないのに…
女神「これはサバイバルゲームだから最後まで生き残ったものには当然、優勝商品も用意してあるわ。なんとその異世界とはまた違う世界で、なんの不自由もなく裕福に暮らす。あなたの世界でいうところの親ガチャ大成功!約束された来世をプレゼントするわ」
俺は女神というものを誤解していたのかもしれない。
いや、そもそも目の前にいる人物は女神ではないのかもしれない。
節々に感じる命を軽んじてる発言。こんなことを言うのは女神じゃない。邪神か悪魔だ。
「生き残りをかけて…って言ってますが、そのゲームに刻限とかあるんですか?」
女神「ううん、ないわ。生き残れるのであれば寿命まで生きていても大丈夫」
なんだそれ…あまりにも気の長い話ではないのか?
最後の一人が決まらず、二人の人間が寿命まで生きたら八十年とかかかるゲームだぞ?
女神「あなたたちからしたら気の長いゲームって思うわよね?けど私たちからしたら大した時間じゃないから気にしないで。それにそんな寿命で競い合うみたいな最後まで決まらないってことは絶対にないから」
絶対に…?ということはつまり、何かしらの落とし穴があるってことか…?
「何かルールがあるってことですか?」
女神「そう。異世界に行ってやってはいけないことが三つあるの。そんなむずかしいことではないわ。あなたたちの世界でもそれをやることはダメなことだって教わってるから」
女神から説明されたやってはいけない三つのこと。
それは確かに俺の世界でも倫理としてやってはダメなことではあるけど、俺の倫理観と女神の倫理観はかなりズレていた。
ルール其の一 『自殺してはダメ。折角ゲームのプレイヤーとして選んだのに、異世界生活が辛いからと自殺されては興醒め。女神たちは転生者の魂のぶつかり合いが見たい。逃げ回り、機を伺うのはいいが自分からのリタイアは許さない』
このルールを聞いて、俺とこの女神の倫理観は完全にズレていると確信した。
自殺するのはダメなことだ。俺にはうまく説明ができないがダメなことはわかる。
だけど女神の言っているダメはゲームのコマとして、途中退場は許さないということ。人間の命をビデオゲームのキャラクター程度にしか思っていない。
ルール其の二 『殺されてもダメ。生き残りをかけたゲームなのだから死んでしまったらゲームが終わってしまう。死なないように頑張る姿を見たいから死なないようにがんばってね』
これは異世界サバイバルという名目があるからわかっていた。
勝負に負けたらダメだからゲームなんだろう。
問題は最後のルール。
ルール其の三 『殺してもダメ』
確かに俺の世界でも人を殺したらダメだ。それはわかる。
ただ『生き残りを賭ける』とか『魂のぶつかり合い』とか言っていたのにそのルールが前提にあったら、転生者は一体異世界で何をして競えばいい?
このゲームの主旨が全くわからない。ただ最後まで生き残ればいいだけ…?
女神「自分が何をすればいいかわからないって顔ね?あなたは争わず、逃げ回っていればいいんじゃない?あなたはそういうの得意でしょ?」
異世界でどういうふうに立ち回るのが正解なのか頭を働かせていたがその女神の一言に、思考が一時停止してしまう。
女神「あら、図星ついちゃったかしら?」
図星なんてものじゃない。自分が負け犬なのは自覚している。
自己嫌悪してる部分を触れられたんだ。
少しだけ言い返したくなり、このゲームにある穴を突いてみたくなった。
「もし、異世界に飛ばされたもの同士が、談合し争わなくなったら俺たちが寿命を迎えるまで退屈な姿を見続けるんですか?」
相手を殺しても殺されてもダメなら話し合いで争わなければいい。そしたら魂のぶつかり合いとかそんなものみたくても見れないだろう?
女神「そんなふうになることはないから安心して?過去に5回、あなたと同じように異世界に何人かの人間を送ったわ。だけどみんな話し合いはしても平和に終わったことなんて一度もなかったから」
過去に5回…それで一度も平和に終わってない…
死んでもダメ、殺してもダメなメチャクチャなルールなのに?
いったいなぜ?
女神「なぜ話し合いをして平和に終わらないかわかる?ルールがあれば罰則がある。問題はその罰則…ルールを破ったものは来世地獄行きだからよ。わかりやすいでしょ?自殺しても、ゲームに負けても、人を殺しても…この選択をしたものは地獄に行く。来世何不自由なく暮らせるか、それとも地獄で永遠に苦しむか。その両天秤の上にいたら話し合いで平和に終わるなんてことはない。早く誰かに脱落してほしい。だから争いは避けられない」
ああ、こいつは女神なんて崇高なものじゃない。
そんな二つの結末しか用意されないゲームに強制参加させるような存在が、女神なんて崇高な存在なわけがない。
女神「はい。もう説明は終わり。あとは現地で考えなさい?じゃあね」
「え、待て!まだ聞きたいことはたくさんある!」
あまりにも唐突に話を打ち切るから聞かなきゃいけないことも整理できていなかった。さっきまですぐそばにいた女神の姿はまるで照明を消したかのように消え、目の前はまた暗闇に包まれる。
今度は正真正銘の闇。さっきの血まみれの少女の姿も見ることはなかった。
どれぐらいの時間が経ったのだろう?何かに包まれているような感覚が出てくる。
そして自分が息をしていて、うまく動かせないが体がある感覚も出てきた。
闇だった目の前は段々と霞がかった光が見え、段々と何か聞こえるような気もしてきた。
段々とその声は聞こえるようになり、その声の持ち主が男の人二人と女の人が一人であることがわかった。声で性別の識別はできたが、その人たちが何を話しているかは理解できなかった。
それからまたしばらく時間が経ち、ようやく瞼が開くような感覚が出てきた。まだ薄目ではあるものの俺は女性に抱き上げられているのがわかった。つまりこの人が俺の母親で近くから顔を覗かせている人が父親だろうか?もう一人の男の人は今はいない。あの人は誰だったんだろう?おじいちゃんだろうか?
体のサイズ的に俺は異世界に転生し、赤子からやり直すことになったのはわかる。
あの女神が言っていた異世界サバイバルゲームのことが頭にあるから、赤子からやり直すのは不安しかなかった。今何もできないこの状態を狙われたらどうする?とか色々考えてしまうからだ。
だけどよく思い返せば、どうやって俺のことを転生者だと識別するんだ?
転生者である証が体のどこかに現れているのか?そうでもないと転生者が誰なのかわからない。
自分の体を確認したかったが、まだ赤ちゃんのこの体は自由に動かすことができないので大きくなってから確認しようと思った。
視力がはっきりし始め、母親と父親の姿をしっかり見えるようになった時、自分が普通の人間に転生したわけではないことに気づいた。
頭頂部に耳があり、そして背中か尻尾のようなものがチラチラ見える…
それは今この部屋に男女二人だけではなく、後から入ってきた初老の男性にも同じものが生えていた。
つまり俺は…獣人の子供として異世界転生をしたというわけだ…。