スラローム
誓断輪廻 転生した異世界で課せられた転生者たちのルール『人殺し、死、自殺』
カニス 正式名称 カニス・アミークス この世界での犬の獣人種の名称
トラ「シアン!お前が子供の中で一番賢いしマットの息子だから信頼はしてるけど本当に大丈夫なんだよな!?」
トラさんがそういうのも無理はない。
まだ子供の俺にこの絶体絶命の状況を預けて不安にならない人なんていないだろう。
だけどこのまま考えなしに逃げても誰かが追いつかれ食い殺される…
なら何か策を講じなければこの状況を打開することはできない。
ここで俺が頑張らなきゃ…この二人はここでみんなの為に犠牲になる。
なら自信がなくても頭をフル回転させ、絶対に攻略してみせる。
マット「大丈夫…俺の息子はすごいから」
トラ「お前…冷や汗かきながらいうことか!?それ!」
ああ…もう…今は集中したいのに…頭を金槌で叩かれたみたいだ…
けどそのおかげで余計な不安は頭の中から抜け落ちた気がする…
シアン「お父さん!トラさん!みんなが逃げ切るためにまずはあっちに惹きつけよう!」
俺が指差したのはみんなが逃げた南方とは九十度逸れた西方。
みんなからこいつを引き離すのが一番の目的だがそれだけが理由ではない。
二人に作戦をちゃんと伝えたいが、あいつはみるみる近づいて来ており走りながら説明するしかない。
幸い、この鉄竹が逃げる仲間たちの姿を隠してくれ、あいつの目には俺たちしか映っていない。
俺たちも竹の中を隠れながら走って撒くという手もあるが、執念をも感じさせるほどこの魔熊との遭遇率が高いのには何か理由があるはずだ。
一度姿を見失ってもまた匂いを辿って俺たちのことを追いかけて来かねないし、食料がない中後ろを気にしながら走っていたら俺たちの体力がもたない。
ならここであいつを止めるしか助かる道はない。
竹林から離れるように走りながらトラさんに確認する。
シアン「トラさん!秋一族って熊にも勇敢に立ち向かう一族なんだよね!?」
トラ「そうだけどあいつと戦うのはいくらなんでも無理だぞ!」
シアン「そんな無茶させるつもりはないです!」
そう。そんな危険なことをさせるつもりはない。
秋田犬が熊相手にも引かずに威嚇できるくらい勇敢なのは知っている。
だけど熊を取っ組み合って勝つことができるほど強いわけではない。
マット「じゃあ俺たちに何して欲しいの?」
してほしいことは二つ。
あいつを分析できる冷静さと、あいつに臆さず引きつけ続ける胆力。
要するに…
シアン「あいつの気を引きながら、あいつがどういうやつか教えてほしい!」
俺はこの魔熊がどういうやつなのかほとんど知らない。
策を立てても相手の情報が欠落していたら空振りに終わる可能性の方が高い
だからまずは分析。こいつがどういうやつかわかれば、策を臨機応変に対応できる。
これは俺一人ではとてもじゃないができない。
危険な状況でも冷静に判断できるのはおそらく大人組でもこの二人くらいだろう。
俺には後ろを観察しながら走り続けるような器用な真似も、あんなデカくて怖いやつが後ろに走っている中、冷静に分析することもできない。
だからこの二人に頼りきるしかない。
マット「そのあとは?」
シアン「ちゃんと考えてる!」
そう、俺が頑張るのはそのあと!今はとにかく二人にこいつのことを分析してもらわないと!
二人が走りながら横目で魔熊のことを観察してくれている。
まだまだ距離はあるがそれでも狩りのプロである二人は魔熊がどういうやつかわかったみたいだ。
トラ「あいつ…普通じゃねえな」
マット「そうだね。今まで見たことないくらい大きいけどそういうのじゃなくてなんというか…走り方がおかしい」
トラ「俺たちも獲物は追うし、追われることもあるから走り方でどういうことを考えているかだいたいわかる。腹が減ってるときに獲物を見つけたから追いかけてるって感じじゃねえ…なんて言えばいいか…とにかく変だ」
マット「…あいつ」
マットが走る速度を緩め少しだけ魔熊との距離を詰め、魔熊のことを観察し何かわかったのかまた速度を上げ俺たちに追いつく。
マット「おいつがおかしい理由わかったよ。さっきから妙な走り方をするなと思ったけどあいつの左目、潰れてる。何かを目に突き刺されたような傷だったから魔獣との縄張り争いってのはあいつの大きさ的に考えにくいかな。あいつと張り合えるやつなんてこの森には多分いないと思う」
何か突き刺されたような傷?狩りにでるマットが言うんだから縄張り争いではないんだろう。なら転落した時に木に刺さったか…?それともあの大きさの魔熊に攻撃できるようなものが…
その時、脳裏に思い出されるあの男との会話…
『いつだか忘れたがそういやでっかい熊おったな』
『弓矢ピュンって射ったら逃げてったから知らへん』
まさかリオンが射った矢が当たったのか…?
シアンの予想は当たっていた。
魔熊はある満月の夜に、とある男と出会っていた。
そいつは魔熊よりも遥かに小さくそして弱そうな人間なのに魔熊を震わせるほど圧倒的な存在感と森の中では普段嗅ぐことがない異臭を放っていた。
この森の頂点に君臨するはずの魔熊はその男を恐れていた。
だが、今まで相手が逃げることがあっても、魔熊が逃げた経験はない。
だから排除しようとした。いつものように威嚇しその大きな手で薙ぎ払えば小さい男なんて一撃で肉片にできる。もし避けたとしてもびびって逃げるだろうと…
だが手を振り抜く前に魔熊の顔半分に激痛が走っていた。
何が起きたか魔熊は理解できてなかった。
ただ頭の中にあるのは
『痛い痛い痛い痛い怖い怖い怖い怖い』
ふと気づくと魔熊は自分よりも小さく弱い存在に背を向けて逃げていた。
どんな相手だって逃げていくのに…逆に自分が逃げている。
しかも振り向いた時あの人間はため息をついているだけで追ってくる気配すら見せない。
完全に森の生態系の頂点である魔熊をなんとも思っていない。
その日から魔熊はだんだん様子がおかしくなっていた。
日が経てば癒えるはずの傷も月が出るたびに疼き、どんどん正気を失っていく。
そして目にみえる獲物を追いかけまわし殺していた。
腹が減ってようが減ってなかろうが関係なく恐怖を拭い去りたくて殺していた。
しばらくすると正気はなくなり冬眠のことすら頭から消え、残っているのは魔熊の習性の縄張りを表す木を削るとこだけ。
そして今、魔熊の頭の中にあるのは縄張りの中に入ったくせ自分の追跡をうまく回避するこの小さい生き物たちを殺したいということだけ。
しかもこの小さい生き物が進む先にはなぜかあの人間の匂いが微弱だが残っている。本能でこの小さい生き物たちはあの人間の仲間だと理解してしまい、それがシアンたちを執着する理由となった。
シアン「ああ、今は余計なことを考えててもしょうがない!お父さん左目が潰れてるって言ったよね!?」
マット「うん」
シアン「じゃあ右!右にゆっくり逸れながら走って元の鉄竹が生えていた場所に戻ろう!」
鉄竹の竹林からは少し距離ができた。
それに魔熊がどういう状態なのかも少しわかった。
うまくいけばこいつを止めることができる…
トラ「左じゃなくて右でいいのかよ!」
シアン「うん!左目の死角に隠れたら魔熊が探すために速度を下げちゃうから!常に見える位置で走って速度を緩めさせないで!」
ほぼ人間とサイズが変わらないカニスがトラックのような大きさのこの魔熊を止める術なんて通常はない。
ならどうやってトラックを止める?
それは事故を起こさせるしかない。
残念なことにこの森に生えている普通の木ではこの魔熊は止まらない。
しかも体当たりでへし折れなそうな大木はちゃんと避ける始末。
なら太さはないが、その辺の木より遥かに頑丈だったあの鉄竹に突っ込ませるしかない。問題はちゃんと突っ込ませることができるか。
普通に竹林を俺たちが突っ切るだけだと魔熊はスピードを緩め旋回してくる。
だから挑発させるような動きをするしかない。
ここから先は本当にできるか賭け。
魔熊にその動きが通用するのかすらわからない。
マットにもトラさんにも頼めない俺自身が頑張るところ…
あともう一つの問題は…今からやることをマットが止めないか、だなぁ…
マットは優しい。
俺みたいな誰も傷つけず当たり障りのない受け答えをしていた『無』の優しさではなく、ちゃんと行動力と責任感が伴った優しさを持っている。
そんな人がこれから息子が危険な行動をしようとしているのに止めないとは思えない。それは本来ならとても喜ばしいことなんだけど、今止められたら全て台無しになってしまう。
だから俺はその責任感を利用する。嫌な子供になるしかない。
シアン「お父さん…俺のこと“すごい息子”だって言ってくれたよね?だったら信じてくれる?今から俺がやることを止めずに…任せてくれる?」
まるで言質を取って脅迫するような最低なやり口だと自分でも理解してる。
それでもこれからやることは自分でやりたい。
もしかしたらマットとトラさんに伝えれば二人の方がうまくできるかもしれない。
だけどそれはとても危険でうまくいく保証なんてない。
思いついたのは俺だ。
なら最後まで自分でやり遂げる…
ここまでこの二人を巻き込んだのも俺…
なら俺にはこの二人を絶対にみんなの元に返さなきゃいけない責任がある…
だって俺が一番知っているから…
親がいない寂しさを…
ソラやシュウからこの二人の父を奪うような真似は絶対にしたくない。
マット「………」
マットは俺の問いかけに答えてくれない。
俺が今からどんなことをするのか、マットは鋭いから気づいているのだろう。
だけどそれを止めないでいてくれる。黙っているということはそういうことだ…
シアン「今から全力でさっきの鉄竹の手前まで走るから…直前になったら左に避けてね?お父さん」
トラ「おい…シアン…お前何考えて…マット!おめえも止めねえのか!?」
もう時間がない…魔熊との距離も、鉄竹との距離も残りわずか…
でも俺は信じてる…どんな時でもいつも俺を信じてくれるこの人を…
シアン「トラさん、お父さん…いくよ…」
トラ「ああ…もう!絶対死ぬなよシアン!」
マット「ッ…」
走る速度を上げる。鉄竹まで残り数十メートル。
走りがらマットの顔を横目で見る。
苦虫を潰したような顔だけどそれでも決して俺の覚悟に水を刺さないでいてくれる。
そのおかげで俺は、今回はうまくやれるんじゃないかと思えた…
トラックに少女と共に轢かれたあの時のように、中途半端ではなく。
確固たる決意のもとで…
鉄竹の手前マットとトラさんは俺の指示通り、魔熊の死角である左に飛び避ける。
正気であれば魔熊も突然視界から消えた二匹のカニスが気になり速度を緩めたかもしれない。
だけどもう正気を失った魔熊には視界から消えたカニスよりも、その少し先に見える視界に映ったり消えたりする俺の方にしか意識が向かなくなっていた。
そうだ…こっち来いこっち来い…
正気はなくても本能はあるはず…
ならこの動きは動物なら反応してしまうはずだ。
俺が行っているのはスラロームという動き。
何本も立てた障害物を交互に避けながら進むことによりハンドル捌きを磨くバイクのテクニック。
また、犬の世界でもアジリティという障害物レースの中に盛り込まれている競技の一つ。
狩る側の動物は逃げるものを追う習性がある。
それに加えて竹を目隠しにし、姿を見え隠れすることによりさらに熊の興味を引く。
猫の前で猫じゃらしをブンブン振り回しても飽きてしまってあまり興味がなさそうな時、猫じゃらしを見えたり隠したりしながら振ると興味を引けることがある。
その本能を誘う。
誘う先は鉄と同等の硬さを誇り、それでいてその辺に生えている木よりも細い鉄竹。
普通なら誘いに乗らないかもしれない。
だけどこの魔熊は理性を失い、ほぼ本能で動いている。
ならその辺の木を薙ぎ倒すのと同じようにこの鉄竹の竹林に突っ込むはず!
怖い…この先起こることは想像はできる。
だけど想像はできても経験したことがないから本当にその想像通りの結果になるのかがわからない。
今そんな不安を持ってもしょうがないのに…
自分の想像を裏付ける自信がないのが、怖い…
俺の狙いは見事決まった。
だけど想像通りの結果とは言えなかった。
俺が想像から外れていたこと、それは…
竹の生え方を知らなかったこと…




