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すべてを奪われた令嬢は、しあわせよりも復讐を選ぶ~それなりに身代わり婚を満喫しています~

「ぜったいにイヤよ。お父様、お父様はわたしが『氷の将軍』にひどい目にあわされてもいいというの?」「そのようなわけはなかろう? しかし、今回のことはおまえにも非がある。殿下をほったらかしにし、よりにもよって第二王子とねんごろにしていたのだから。殿下だけでなく、陛下の怒りを買ったのも仕方のないことだ」

「そこは、あなたがうまく取り繕ってくれなくては」

「無茶を言うな、セリーヌ。そもそも、クリスティーナが殿下をマイから寝取ったのだから、自重すべきだったのだ」

「お父様、寝取っただなんてひどいわ。彼から誘ってきたのよ。今回のことだって、第二王子が誘ってきたの。わたしは、悪くない。そうだわ。マイ、よ。彼女に行かせればいい。だって、王命の宛先は『ブライトウエル伯爵家令嬢』になっているんでしょう? 使用人以下の存在とはいえ、マイは伯爵令嬢。王命に背いているわけじゃない。そうよ。マイよ」

「そうね。クリスティーナの言う通りよ。どうせここにいたってどうでもいい存在。悪名高い将軍のところにいったところで代り映えはしないはず」

「待て待て、ふたりとも。王命は、あきらかにクリスティーナに向けられたもの」

「だったら、わたしはしばらく別荘ですごすことにする。王都にいなければ、わたしがいったと思うでしょう? どうせわからない。やっかんでいやがらせをしてくるような人たちなんですもの。ごまかすのは簡単よ。それとも、いっそ第二王子と国外に長期旅行にでも行こうかしら? 彼なら、うまく言いくるめばイチコロでしょうから」

「仕方がない。クリスティーナ、おまえの言う通りにしよう。しばらくおとなしくしていろ。その間にどうにかしよう」


 居間での話は終わった。


 わたしのあずかり知らぬところで、わたしの命運がきまった。


 どうやらわたしは、悪名高い『氷の将軍』に嫁がされるらしい。


 義姉の代りに。彼女の身代わりとして。


 どうやらわたしは、家まで失ったらしい。


 これでもうすべてを失った。


 自分自身の命以外は……。


 その自分の命もどうなるかはわからない。



 義姉が嫁ぐことになっているため、馬車賃だけは与えてくれた。


 荷物はトランクひとつ。そこには、着古したシャツとスカートが一枚ずつとお母様の形見の本が三冊入っている。


 それ以外はなにもない。


 わたしからすべて奪った名ばかりの家族は、カビのはえたパンひとつでさえ持たせてくれなかった。


 馬車賃のみ。道中の飲食代もない。


 さらにありがたいことに、乗合馬車で乗り合った乗客や馭者たちが同情や憐れんでくれ、食べ物を分けてもらったり奢ってくれた。


 情けないかぎりだけれど、皮肉にもまともな食べ物にありつけた。


 みっともないほど、あるいはみんながひくほど、ガツガツと食べた。


 というわけで、目的地まで快適な旅だった。


 馬車の座席は痛く、腰も臀部もひりひりしていたけれど、それでも楽しく開放的だった。


 正直、このままずっと旅を続けたかった。目的地で途中下車せず、終点である隣国の王都まで乗り続けたかった。


 とはいえ、そんなことが許されるわけはない。


 目的地で降りた。


 名残惜しいけれど、みんなにお礼を言い、手を振って別れた。



「寂しすぎるわ」


 目的に到着した。


 そこは、よくいえばアンティーク調の大きな屋敷だった。


 鉄製の門には蔦や雑草がからまり、敷地を囲む煉瓦製の塀はところどころ崩れている。


 勝手に敷地内に入った。


 ここから叫んだところで聞こえるわけはない。だったら、屋敷まで行って叫ぶしかない。


 というわけで、テクテク歩いた。


 前庭は、以前はきれいだったに違いない。噴水や花壇が配置されている。木々や芝生もきれいだったのだろう。


 いまでは、その名残があるだけである。


「もしかして、尋ねるところを間違えた?」


 と疑いたくなるほど廃墟感満載である。


 馬車道も石ころだらけだし、雑草が生い茂っている。


 しかし、轍がついている。それは、最近のものに間違いない。ということは、すくなくとも最近だれかが馬車でここを通ったのだ。


 屋敷のだれかに違いない。


「とにかく、ここが目的地だろうとそうでなかろうと、ここの人に尋ねてみるしかないわね」


 自分にいい聞かせ、ついに屋敷の前にやってきた。


 間近に見る建物は、よりいっそうアンティークを感じさせる。


 というか、めちゃめちゃ古くて汚い。


「まさしくなにかがいそう」


 怯んでしまったのも、ほんの一瞬のことだった。


 大きな扉を叩いていた。



 だれもいないのかと思った。


 しかし、夜が迫りつつある夕暮れ時、灯りが灯っているのが、蔦の這う窓からうかがえる。


 これだけ大きな屋敷なのだ。多少扉を叩いても聞こえないのかもしれない。あるいは、出て来るまでに時間がかかるのかもしれない。


 もう一度叩こうと拳を握りしめた瞬間、おおきな扉がきしみつつ開いた。


「あの……」


 扉の向こうに黒色のスーツに身を包んだいかにも執事っぽい男性が立っている。


 彼は、無言のままわたしをジッと見つめている。


 赤色の髪に同じく赤色の瞳。


 灯火の光を吸収して燃え立つようなその髪と瞳の美しさに、しばし見惚れてしまった。


「す、すみません。わたしは、マイ・ブライトウエルと申します。王都から参りました。アラン・エルズバーグ侯爵閣下、いえ、将軍閣下はご在宅でしょうか?」


 見惚れている場合ではない。気を引き締め、尋ねてみた。「氷の将軍」と言いそうになってしまったけれど、気おくれすることなく言いきることができた。


 家族や使用人たち以外の人と話をすることはほとんどなかった。あったとしても、屋敷を訪れる借金取りや洋服や装飾品の店の店主である。


 だから、だれかと話をするのに慣れていない。だから、苦手である。


 とはいえ、そうも言ってはいられない。とにかく、目的をはたさなければならないのだから。


 が、目の前の執事っぽい人は、まだわたしを見つめたまま口を開こうとしない。


(もしかして、声が小さすぎたのかしら?)


 勇気を振り絞り、全力で声を出したつもりだった。


 心の中で深呼吸をした。リアルにすれば、なめられるかもしれないから。あるいは、「変な奴」と思われるかもしれない。


 心の中での深呼吸が功を奏し、あらためて目の前の執事っぽい人を観察することができた。


 とにかく、背が高い。一般的なレディと比較しても小柄なわたしは、見上げなければならない。体格がいいのは、贅肉ではなく筋肉質なのかもしれない。


 顔は超無表情で、突き放された感じというよりかはすべてを否定されているかのような錯覚を抱いてしまう。


 だけど、わたしにはそれがかえっていい気もする。


 明確には「こうだから」とは言えないけれど、とにかく、それで傷つくとかうちのめされるとかは思わない。


 自分でも不可思議な感覚である。


 と、観察している間でも、彼は無言を貫いている。


「どうしても将軍閣下にお会いしたいのです。わたしは、将軍閣下に嫁ぎに参りました。なにがなんでも将軍閣下のお側にいさせてもらわねばなりません。いえ、お仕えし、尽くさねばなりません」


 いきなり懇願していた。


 無言に焦ったわけではなく、苛立ったわけでもない。


 理由はわからないけれど、懇願していた。いや、訴えていた。


 しかし、彼はまだ無言のままだ。


 それどころか表情ひとつ変わることはない。


「会わせていただけないでしょうか? お会いして、せめて事情だけでも聞いていただきたいのです。できれば、願いも聞いていただきたいと……」


 またしても訴えていた。


 とにかく、屋敷に入れてもらいたい。門前払いだけはされたくない。


「お客人とは、めずらしい。どうかしましたか?」


 そのとき、背中に声があたった。


 振り向くと、中肉中背の作業服姿の男性が立っていた。


 

「そうでしたか。王都からわざわざ……」


 二人目の作業服姿の男性は、わたしを居間に通してくれた。それだけでなく、お茶とクッキーを出してくれた。さらには、わたしの話を聞いてくれた。


「はい。あの、将軍閣下はいらっしゃるのでしょうか? もしかして、エントランスにいた執事みたいな人が将軍閣下ですか?」


 お茶はローズティーで、クッキーはチョコチップが入りとレーズン入りとプレーンの三種類。どれも美味しい。お腹がすいていることもあり、ついついつまんでしまう。


 いまも切羽詰まっているにもかかわらず、頬張ってしまった。


「レディ。これは気がつかず、申し訳ないことをしました。腹が減っているでしょう。ディナーの準備をしますので、クッキーをつまみながらしばらくここで待っていてください」


 作業服姿の男性は、わたしの質問に答えることなく席を立って居間から出て行ってしまった。


 仕方がない。


 はぐらかされた感が否めないけれど、なるようにしかならない。


 それに、お腹が減っている。


 クッキーは美味しいけれど、わざわざ準備してくれるという夕食も魅力的。


 しかもわたしのために……。


 いままでずっと家族や使用人たちのために準備してきた。そして、わたしの分はなかった。余りものでさえ、わたしは口にすることができなかった。


 わたしにはもったいないらしい。


 そんなわたしに準備をしてくれるという。


 が、クッキーをひとつふたつ頬張ったところで落ち着かなくなってきた。


 長年のこき使われ気質がすっかり身についてしまっている。


「手伝ってもいいわよね?」


 じっと待っているくらいなら、手伝わせてもらった方が気がラクである。


 というわけで、居間を出てほの明るい廊下を奥へと進んだ。


 一般的な屋敷なら、厨房の場所は屋敷の奥にあるはずだから。


 扉のないその部屋が厨房だった。


 先程の作業服姿の男性がひとり、忙しく動きまわっている。


(そういえば、彼の名前を聞いていなかったわね)


 わたしは名乗ったけれど、彼は名乗らなかった。


「あの、すみません。よろしければ、お手伝いさせていただけませんか? 実家で料理をしていましたから、多少出来ると思います」


 声をかけると、彼は鍋をかきまわす手を止めこちらを振り向いた。


「助かります。お客人にさせて申し訳ないですがね」


 そう言って笑った彼は、厨房内の灯りの中キラキラ輝いている。


 そんな彼に癒された気がする。


 前掛けを借りた。それは、バラの刺繡の前掛けできれいに洗濯されている。


 彼も前掛けをしているが、それにもバラの刺繡がされている。


 ふたりであれやこれやと話をしながらだったので、あっという間に時間がすぎ、料理が出来上がった。


 家事の中では料理が一番好きだけど、こんなに楽しい料理は初めてだった。


 やはり、だれかと一緒というのは違うのだ。話をしたり笑い合ったりすることは楽しいことなのだと、つくづく感じた。


 出来上がった料理は、三人分だった。


(彼とわたしと、それから『氷の将軍』の分ね)


 推理、ではなくそれしか考えられない。


 やはり、あの執事っぽくて不愛想な人が「氷の将軍」なのだ。


 わがままを言い、食堂ではなく厨房で彼と一緒に食べさせてもらうことにした。


「将軍閣下の分は、わたしが食堂に運ばせてもらえますか?」


 それもわがままである。


「いえ、いいのです。それよりも、冷めないうちに食べましょう」


 彼は、さっさと三人分を厨房内のテーブルに準備した。


 支度が整ったタイミングで、厨房内に「氷の将軍」が入ってきた。


「さあ、どうぞ」


 さっさと「氷の将軍」が席につくと、作業服姿の彼が椅子をひいてくれた。


(って、『氷の将軍』もここで食べるわけ?)


 まだ自己紹介、というよりか嫁いできた報告もしないうちから、『氷の将軍』と食事をするのはどうかと思った。だから、厨房で食べたいとわがままを言ったのだ。


(だけど、彼がいるからいいわよね? どうせ『氷の将軍』は、わたしのこと眼中にないみたいだし)


 すでに「氷の将軍」は食べ始めている。


 この屋敷には自分しかおらず、わたしたちなど存在していないかのような孤独っぷり。


 ここまでマイペースだとかえって清々しい。


 席につくと、感謝をこめて「いただきます」をしてから食べ始めた。


 ほんとうにいつぶりだろう。


 まともな食事は、テンションをあげてくれる。


 実家では、わざと鍋にこげつかせたりこびりつかせ、それをこそげとって食べていた。あるいは、パンの欠片を集めたり、わざとカビさせたり発酵させたりしてそれをこっそりかじっていた。


 つまり、人らしい食事をしたことがなかった。


 この屋敷までの道中、ともに旅をしている人たちの施しで食べることができた。そして、いまである。


 ちゃんとしたテーブルの席でちゃんとした料理を食べている。


 うれし涙が浮かぶのをごまかさねばならなかった。その涙がこぼれ落ちそうになるのを必死に防がねばならなかった。


 それをすぎると、どうしても笑顔になってしまう。


 うれしさと楽しさの大爆発といったところか。


 作業服の彼は、ひとりベラベラと話をしている。それを聞くのがとても楽しい。それもあって、よりいっそう笑顔になってしまう。


 ついつい食べすぎてしまった。


 男性たちほどではないものの、それこそ逆流してしまいそうなほど食べすぎてしまい、自分でも驚いてしまった。


 しあわせに浸っている場合ではないのだけれど、しばししあわせ感に身を委ねた。


 そうして、ここでの最初の食事が終わった。



 大満足すぎる。


 しかし、余韻に浸っている場合ではない。


 後片付けをし、居間に戻って食後のお茶を楽しむことになった。


 お腹がいっぱいになり、お茶とマドレーヌをいただいた。


 お腹がいっぱいなのにマドレーヌが入るとは、自分でも驚いた。


義姉がよく「スイーツ用の胃袋があるのよ」とバカみたいなことを言っていたけれど、たしかにそうだった。


 お茶とマドレーヌがなくなると、眠くなってきた。


「客間で眠るといいですよ」


 ローテーブルの向こう側の長椅子に座っている作業服姿の男性が言ってくれた。その隣では、「氷の将軍」と確信している彼が、やはり不愛想な態度でお茶を飲み、マドレーヌを頬張っていた。


「ありがとうございます。ですが、やはり将軍閣下に直接事情を話し、お願いしたいのです。というか、勝手に夕食をいただいてよかったのでしょうか? その上勝手に客間で休ませてもらうなんて……」

「律儀なのですね。それでしたら、おれたちから伝えましょう。事情は、夕食前に聞きました。将軍へお願いしたいこととは?」


 言うべきかどうか迷った。


 彼に語った事情というのは、あくまでも表向きのことだけ。つまり、王子の命によって「氷の将軍」に嫁ぐことになり、こうしてやって来たのだということだけ。


 しかし、目の前に「氷の将軍」がいる。おそらく、わたしを試しているか様子を見るために名乗らないでいる。執事のふりをしている。


 だったら、すべてを話せば「氷の将軍」に話しだけでも聞いてもらえる。


 もっとも、聞いてもらえるだけだけど。


 しかし、聞いてもらえるだけでいい。結果はどうあれ、いまはとりあえず話を聞いてくれるだけでいい。


「氷の将軍」に話すことだけでも、いまのわたしには勇気のいること。以前のわたしなら、とうてい考えられなかった行動である。


 この勇気や行動力さえあれば、たとえこのあとすぐこの屋敷を放り出されてもなんとかなるかもしれない。


 そう前向きに考え、決意した。


 すべてを話すことを。


 そして、決意が揺るがない内に口を開いた。すべてのことを話した。


「なるほど。きみは、母上が亡くなってから父上が長年に渡って付き合っていたレディとその娘によってすべてを奪われたばかりか虐げられ続けた、というのですね」


 語り終えると、作業服姿の彼がまとめてくれた。


「はい。物理的なことはもちろんのこと、精神的なものまで。今回、わたしが身代わりになったそもそもの理由である王子は、わたしの婚約者でした。もっとも、地味でシャイなわたしには興味はなく、わたしもそんな彼に気おくれして婚約者らしいことはなにひとつできませんでしたが。それはともかく、母との思い出はもちろん、母の存在そのものが奪われました」


 無意識の内に、作業服姿の彼ではなく「氷の将軍」の方ばかり向いて喋っていた。


 いいえ。訴えていた。


「それで、願いというのは? 将軍になにを求めているのです? あるいは、将軍になにをさせたいのですか?」

「わたしは、すごく嫌なレディです。自分でも呆れ返っています。これまでは、自分ひとりではなにもできないのですべてを諦めていていました。しかし、今回この身代わり婚でチャンスを得ました。わたしにはできないことを、将軍閣下ならできるかもしれない。嫌なレディというだけではありません。厚顔でもあります。しかし、このチャンスをいかしたい。どう思われようとかまいません。せめて話だけでも聞いてもらいたい。そう強く願ってここにまいりました」


 執事服姿の「氷の将軍」へ視線を移した。


 当の「氷の将軍」は、関心や興味がなさそうにボーっとこちらを見ている。


 すくなくとも、わたしにはそう感じられた。


「奪われたものを奪い返したいのです。そして、復讐をしたいのです」


 そう告げ、口を閉じた。


 それだけでいい。


 みなまで語らずとも、作業服姿の彼も「氷の将軍」も察してくれるだろうから。


 だから、これだけで充分なのだ。


「あ、そうですね。こんなわたしのくだらない願いなど、将軍閣下はかなえる筋合いなどありませんよね。それどころか、聞く筋合いだってありません。それはわかっています。ですが、もしも、もしもです。将軍閣下がお手伝いして下さるのなら、あるいは願いをかなえる助言でもして下さるのなら、わたしは生涯将軍閣下にお仕えします。メイドとして、です。寝るところとわずかな食事さえいただければ、それで充分ですから」


 かんじんなことを伝えておかなければならない。


 伝えたからといって、「氷の将軍」の心を溶かすことはできないだろうけれど。しかし、できるだけのことはしたかった。みっともないと思われてもいい。


 あがいてみたかった。


「きみの決意と覚悟のほどはわかりました」


 作業服姿の彼が頷いた。


「というわけだが、どう思う? いや、どうする?」


 それから彼は、隣に座る「氷の将軍」に問いかけた。


「氷の将軍」は、あいかわらず無表情。どうやらわたしの必死のあがきも、彼には響かなかったらしい。


 が、違った。


 なんと、「氷の将軍」が頷いたのである。


 無表情のままではあったけれど、たしかに頷いたのだ。


「そうか。きみもそう思うか? だったらきまりだな」


 作業服姿の彼は、うれしそうに手を叩いた。


 それから、こちらへ向いた。満面の笑顔で。


「マイ、協力するよ。きみの願いがかなうよう、できるかぎりのことをするつもりだ」

「ほんとうですか?」


 って、彼は「氷の将軍」ではないけれど、「氷の将軍」も頷いていたし、代弁してくれたのだろう。


「というか、彼女といい仲になることの方が先決だろう?」


 そのとき、「氷の将軍」がはじめて言葉を発した。


 その声は、無機質で冷たかった。


「彼女は、身代わりだ。自分の意思で来たわけではない。全レディから倦厭されている『氷の将軍』といい仲になろうというわけではなく、あくまでも『氷の将軍』に願いをかなえる手助けをしてもらいたいだけのこと。だから、彼女は興味がない。いい仲だなんてなれるわけはない」


 作業服姿の彼は、笑い飛ばした。


 なぜか悲しげな表情で。それから、すねたような声で。


 それはまるで、小さな子供のようだった。


 その彼の子どもっぽい表情や仕種に、胸が痛んだ。というか、心臓がムダにドキドキした。


「いえ、そういうわけでは。わたしの方ではなく、将軍閣下の方がわたしなどに興味を抱くわけはありません。ですから、その点は最初から諦めているのです」

「ほらみろ。きみ同様、彼女もまんざらでもなさそうだ。もしかして、おたがい一目惚れかも。だったら、彼女の願いをなにがなんでもかなえ、いいところを見せるべきだな。その過程でいい仲になればいい」


「氷の将軍」は、無機質で冷たい笑い声をあげた。


 しかし、心から楽しんでいるような感じがする。


「もしかして、ちょっとは期待していいのかな? おれにしては初めてのことだ。きみのお墨付きなら、張り切ってぶっ潰そうじゃないか。マイを悲しませたり、苦しめた連中を」


 作業服姿の彼は、そう言ってから右手をこちらに差し出してきた。


「あらためて、おれはアラン・エルズバーグ。なぜか『氷の将軍』と呼ばれ、全レディの嫌われ者になっている。それから彼は、公私ともにおれの片腕のマイケル・オコーナー。不愛想に見えて、じつは熱くて暑苦しい男だ」

「な、なんですって? あなたが? あなたが将軍閣下? 彼、ではなく?」


 差し出された手を握るどころか、驚きのあまり立ち上がって叫んでいた。


「だろう? 外見だけだ。だから、軍以外ではよく勘違いされる」

「ふんっ! きみは、それを楽しんでいるだろう? いまもそうだ」

「うるさい、マイク。マイ。どうやらおれは、きみに一目惚れしてしまったようだ。身代わりとして来てくれてよかったと、つくづく思うよ。心配するな。きみの願いは、おれがかならずかなえる。奪われたものすべて奪い返す。その上で、奪った者たちを懲らしめる。社会的にも個人的にも抹殺する。だから、よければおれに仕えてくれないか? いや、いっしょにいてくれないか? もちろん、無理強いするつもりはない。いまは、チャンスをくれるだけでいい。決めるのは、ずっとあとでいい。どんな返事でも、願いをかなえるから。というか、返事は願いがかなったあとでいい。かなったからといって、いい返事でなくてもいいのだから。だが、前向きな返事がいいな」


 アランは、快活に笑った。


『氷の将軍』と呼ばれる意味がわからないほど、あたたかくてやさしい笑い方である。


 その笑い声を聞き、彼の顔を見ながら、わたしに迷いはないことを悟った。


 そう。迷う必要などない。


「よろしくお願いします。わたしにもチャンスをくださるのなら、ですが。わたしにもあなたに気にいっていただけるチャンスをください」


 それがわたしの答えだった。


 わたしもまた、アランに一目惚れしていた。


 だから、迷う必要などない。


 彼ならぜったいに願いをかなえてくれる。


 奪われたものを取り返し、奪ったすべての者にざまぁしてくれる。


 なにより、わたしをだれよりもしあわせにしてくれる。大切にしてくれる。


 会ったばかりなのに、確信している。


 これは、わたしたちの運命なのだとも……。



                          (了)


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