「Twitterで自作小説を宣伝するのは無意味か?」について
無意味です。
はい、どうも熊ノ翁です。
折角書いた小説、読まれたいですよねー。
「よーし、俺の持ってるTwitterアカウントで書いた小説宣伝しちゃうぞー! みんな読んでくれるかな?」と、いそいそと紹介文をTwitterに書き、投稿小説サイトのユーザーフォーム画面をジーーーーーッと眺めること数時間。
ピコン、と死ぬ間際の病人の心電図みたいに一瞬わずかに微弱なPV数が伸びただけで、後はご臨終さながらに0が並ぶ時間別PV数のグラフ。
「もしかしたら、読んでもらえるかも」
そんな希望はズタズタに打ち砕かれ、哀しい現実を前に一人嘆く。
「なんだよ。『自作小説は宣伝が大事』とか言ってた奴、どいつだよ。Twitterのインプレッションと作品のPVとの、この凄まじいまでの差は何なんだよ! 責任取って俺の書いた小説1万回位読みやがれチクショウ!」
と、血の涙を流しながら嘆いたのは熊だけでは無いはずです。
そう。
ぶっちゃけTwitterで宣伝なんていくらした所で、よほどの例外でない限りまず読まれません。
いや、あのね。
これ、ほんっとーに読まれんのよ。
熊がそもそもTwitterアカウント作った理由が「フォロワーさん増えれば自作小説読んでくれる人も増えるかも!?」って物だったわけで、そりゃあ宣伝も色々やりましたわ。
で、どんだけ効果があったかって、まあ無いよね。
カエルの死体に電気流した時に、一瞬だけ痙攣すんのと同じようなもんよ。
わずかに数時間PVが増えて、それでおしまい。
後は何日待っても何か月待っても何年待っても反応無し。
エッセイはまたちょっと別だけど、小説はそんな感じだよ。
もちろん、世の中「なんでこんなもんが売れたの?」ってのはそりゃあるさ。
「どーせ宣伝だけで、中身全然大したもんじゃないだろ」ってのも、まあある。
わけのわからない流行りものとかね。
昔流行った「ハンドスピナー」とかさ。
あれが流行ったのはかなり奇跡的な確率だと思う。
ただ、そんなん例外すぎて「じゃあ同じようにヒット狙えるか」つっても無理でしょ。
そんな神に選ばれたような品物、参考にならんわけだし。
天に愛される事や神に選ばれる事を願ってTwitterで「僕こんな物を書いてまーす! みんな読んでね!」なんて宣伝をいくらやり続けても、まあ結果なんて出ないんですわ。
てか出なかったんですわ。
Twitterの宣伝がPVに大きく貢献した例ってさ。
そもそもがタイトルや概要で読者の興味を引くインパクトある物だったり、あとは感動した読者の紹介がバズったりって事例が主なわけでしょ。
作者が「こー--んな面白い小説があるんですわ! 読んで読んで―!」つっても、そんなツイート基本的に需要無いんで宣伝にはならないんですよ。
てかならなかったんですわ。
大体、なんでTwitterで宣伝しても誰も作品を読んでくれないのかってさ。
まず、自分のTwitterを読んでくれる人が何を目当てに、何を読みに来てるのかを考えて見りゃ一目瞭然なんすよね。
たとえばですけど、日頃自分の作った料理の画像を上げてるTwitterアカウントがあったとして。
そのアカウントに来てコメント書いたりいいねを押したりする人やフォロワーさんって、ツイ主の作る料理やそれに対するコメントを見に来てるわけじゃないですか。
そこで「ボクちん実は小説書いてるんですわ。読んで読んで―!」なんてツイートしても、いつものフォロワーさん達は一ミリも興味無いわけで。
読むわきゃないですよな。
同じように、例えば熊ですわ。
熊は日頃から創作界隈の炎上ネタやら、ネットで見つけた醜い争いについて、おちょくったりコケにしたり、ツッコミ入れたりするツイートを多くしてます。
うわ、こうして可視化するとロクなツイートしてねーな。
まあそれはさておき。
熊のTwitterを見に来る人達が何を目的に来てるかって、そういった炎上ニュースやコメントを読みに来てるのであって、別に熊の書く小説に興味あって来てるわけじゃ無いんですよね。
車のパーツ売ってる店でお惣菜作って売った所で、買いに来る奴なんてまずいないでしょ?
同じ理由で、熊のアカウントで冷やし中華ばりに「小説、始めました!」なんつっても、立ち寄ってくれてる人にはカケラも響かないんすわ。
「いや知らねーし。いつもみてーに醜い炎上ネタでも紹介してろや」
てな所が正直な感想でしょう。
熊が逆の立場でもそう思いますし。
そんな中で小説の「宣伝」をいくらしても、そりゃあ読まれません。
もし読まれたとしたら、そっちの方が異常事態です。
どっかで晒されてるに違いありません。
んで、反論としてはこういう声もあるかもしれません。
「いやいや、でも創作論とか語ってるアカウントに来る人達なら小説に興味もあるでしょ! だったらそういうアカウントで宣伝したら効果があってもいいんじゃね?」と。
うん。
これ、熊も当初はそう思ってたんですわ。
でもね、違うの。
確かにさ、小説書く上で物書きあるあるなお悩みネタを呟いてるアカウントさんとかさ。
そのアカウントに来る人達は、小説を日頃から読んでるって人も少なくないでしょうよ。
でもね、やっぱ同じなのよ。
その人たちは、あなたの小説を読みにTwitterアカウントに来てるわけじゃ無くて、あなたの語る「物書きあるあるネタのツイート」を読みに来てるの。
熊やあなたの作品に、興味なんて基本的に無いの。
いや、中にはいらっしゃるよ?
「小説書いたって事なんで、読みに来ました。これからは小説の方も見させてもらいますねー」なんていう、神様みたいな人。
でも、そんな人まず居ないから。
というか、まず居ないからこそ、もしそういった有難い方と出会えたなら大切にしたが良いです。
それ、超絶レアな出会いなので。
話を続けますと、物書きの悩みや思う事を見に来られてる方は、小説を読みに来ているわけではないって事です。
そんな中で宣伝しても、効果は「まったく無い」とは言わないにせよ、労力に見合うだけの物は無いでしょう。
では「Twitterで宣伝するのは果たして本当に無駄なのか」というと、そうとも言えません。
「は? じゃあお前が今までDIO様ばりに無駄無駄無駄ァ!と言い続けてきた事は何なんだよ」と思うかもしれませんが、ちょっと待ってください。
まず、宣伝に効果が無いのは「Twitterを読みに来る人の興味関心と紹介する物も関連性が無いから」です。
逆に、関連する作品であるなら一定の効果はあるわけですね。
だからこそ、熊はTwitterとほぼ同じ話題を取り扱っている「エッセイ」だったら多少は読んで貰えてるわけで。
これがたとえば、自炊メシ作ってそれについて画像乗っけて解説してるTwitterアカウントの人が「俺の自炊メシまとめ」って記事なりエッセイなりを画像付きで書いて紹介していたら、普通にフォロワーさん食いつく事でしょう。
なぜかというと、それは普段フォロワーさんがTwitterアカウントに見に来ている物と同じ物を用意しているからです。
だからこそ、それをTwitterで宣伝したらフォロワーさんは「お、こっちにもあんのか。じゃあ読むわ」と寄っていってくれるのです。
この場合の宣伝は、効果があります。
やっといて損は無いでしょう。
はてさて。
ある種ここからが本題。
「熊みたいな物書きアカウントが、Twitterで自作の宣伝をするのは本当に無意味な行為でやる価値は無いのか?」についてです。
熊、さんっざん「無意味」だ何だとここまでに言ってきましたよね?
「何をいまさら言ってやがるんだ。お前は無意味にベットしてる無意味派信者なんだろ?」と思う事でしょう。
わかります。
ですがこれ、何というかニュアンス的に結構微妙なんすよ。
ぶっちゃけ「宣伝」は無意味もしくは労力に見合った効果は無いと思います。
思いますが、既に作品の読者である方々に向けての「告知」は効果あると熊思うんすよね。
んで「宣伝」と「告知」の違いについて。
これ似てるようで違うんすよ。
まあ同じものとして扱われる場合もありますし、それもそれで間違いじゃ無いわけですが。
ひとまずこのエッセイ内ではこんな感じに分類します。
「宣伝」は、まだ対象作品を読んだ事の無い人に向けて自作品を紹介し、読者となってもらうよう促す事。
「告知」は、すでに対象作品を読んだ事のある人に向けて自作品の更新情報を伝達する事。
で、この既に小説を読んでくれている方に対して「新しい作品出来ましたよ」とか「こんな作品も実は書いてるんです」と伝達する事は、無意味ではないと熊は思っています。
0人の顧客を1に増やす「宣伝」は難しくても10人の読者を0人に減らさない「告知」は効果あると思うんですよね。
Twitterは、いろんな人が読みに来ます。
もちろん、あなたの日々の創作とは関係の無い呟きを見に来ている方も多いでしょう。
ですが、その中にはあなたの作品を読みに来てくれている方もいらっしゃるはずです。
その、既に読者となってくれている方に向けて「告知」をするのは効果があるはずです。
なんでかって、その人は「既にあなたの小説に読む価値を見出しているから」です。
あなたの小説を読みたいと思っている人に、作者のあなたがTwitterアカウントで「告知」をするのは効果あるでしょう。
その人の求めている物の情報を提供してるわけですから。
ただそれは、フォロワーさんの全体数からすると、どうしても割合的には低くなりがちです。
Twitterで精力的に活動をなされている方ほど、その傾向は強いでしょう。
熊とかひっでえもんです。
ちくしょう。
それはさておき、だから既に読者となって頂けている有難い方に向けての「告知」は無駄にはなりません。
それは労力に確実に見合いますし、やった方が良いでしょう。
逆に、熊みたいにバズったツイートで自作小説を「宣伝」した所でマジに読まれません。
そんな宣伝する為に「どうやったらTwitterでバズらせる事が出来るか」を考えてTwitterのトレンド漁ってバズ狙いの文章考えるのは、労力の無駄遣いも良い所です。
費用対効果本気で見合いません。
最悪、熊みたいにヘイト集めて殺害予告とかされますし。
あとバズった日から数日間にわたって、100人以上から人格否定されたり罵倒されたりするしね。
心のどっか麻痺してないと、まあまあクるよ。
だから「Twitterで宣伝して自作品をバズらせる」は、あんま考えない方がいいんじゃねーかなって熊なんかは思うわけですわ。
そんな事しなくとも、作品をしっかり更新してちゃんと「告知」をする方が確実に効果あるでしょうし。
iPhoneの製造に深くかかわった、スティーブジョブズも若かりし頃はこんな事を言っていました。
ジョブズへのインタビューより引用
面白い事にマーケティングを重要視していない人達がいる。日本企業だ。
日本企業がマーケティングを上手く活用しているのを見た事が無い。
そんな事をするのはアメリカ企業だけだ。
だが消費者に聞いてみればわかるが、どちらの品質に定評があるか。
誰に聞いても日本製だと言う。
何故そうなるのか?
その答えは、消費者はマーケティング力で企業を評価するわけでは無いからだ。
顧客はどの企業が製品の品質アワードを獲得したかに左右されない。
彼らは自分たちがその製品やサービスから得た体験から、その企業の品質に対して自分たちで評価を下すんだ。
だから膨大な予算をマーケティングに費やし、どれだけ素晴らしいアワードを獲得した所で、製品がそのレベルに達していなかったら消費者はそのイメージをすぐに忘れてしまうだろう。
だから、我々は製品やサービスの品質にこだわる事から始めなければならない。
以上、引用終了。
まあド正論ですね。
これ、ジョブズは「だからマーケティングは無意味」つってるわけでは無いんですよ。
てかジョブズ自身、そのマーケティングには超絶こだわる人で、だからこそ「プレゼンの神様」なんて呼ばれていたわけで。
どうすればこの商品の魅力を伝えることが出来るか、といった物事には人一倍、ぶっちゃけ気の触れたレベルで考え抜いていた人でしょう。
で、この場合の「製品やサービスの品質」というのは、何も「面白い物語を作る」って事に限った話ではありません。
てか、どこぞのラーメンハゲの発言にあるように「良い物を作れば売れる」なんてナイーブな考えは捨てるべきです。
良い物を作る。
小説で言うと「面白い物語を作る」のもそら当然大事ですが、もう一つ。
サービスの品質、にあたる「更新速度」も重要です。
そしてこの部分こそが「告知」に結び付くわけです。
折角読者さんがいてくれた所で、作品の更新が遅すぎたらそれは「サービスの品質が低い」わけです。
告知をしないのも同じくです。
新しい話が更新されていたり、新作小説が出来ていたとして、それが分かるように告知や案内がされていないなら読まれようが無いわけです。
だから「告知」に関しては効果があるし、むしろやった方が良い。
そのためにTwitterを使うのは全然無駄にはならない。
熊はそんな具合に考えるわけですわ。
なので物書きの皆様。
作品の更新や執筆はサボらずにちゃんとやった方が良いぞ。
熊という反面教師の背中を見て、学ぶがよい。
まずはフォロワーさん登録から!
「Twitterで自作小説を宣伝するのは無意味か?」について……END
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