59.けじめ
屋敷に戻るとジールが出迎えた。
「グレン様、来客がありました」
「誰だ?」
「それがグレン様に聞けばわかると言って……。まずは一室でお待ちいただいております」
言い淀むジールを不思議に思い、首を傾げた。
その時、一室の扉が開き、私たちの前に飛び出してきた人物がいた。それに続いてシルビアも追いかけてきた。
「約束通り、俺は来たぞ!!」
そこにいたのは、しわくちゃで泥だらけのシャツに、ボサボサの髪。お世辞にもきれいとは言えない格好をした子供。
「あなたは――」
間違いない、カリフ港で出会ったあの子、ユリウスだった。
「ちゃんと来たんだな」
グレンは苦笑する。
「仕事をくれるって言う言葉を信じて来たんだ!! さぁ、約束どおり、俺を雇ってくれよ!!」
胸を張るユリウスは、グレンの言葉を信じて訪ねてきたんだ。
そっと腰を折り、視線を合わせる。彼の瞳から強い意志を感じる。
「まず、汚れを落としましょうか。ほら、足も痛いでしょう?」
かかとのすり減った靴に、膝のすりむいたパンツ。ここに来るまで容易ではなかったはずだ。彼の苦労をねぎらってあげたい。
「シルビア、お湯を用意してあげて」
最初は困惑した表情を浮かべていたシルビアだったが、グレンも小さくうなずいた。それを見たシルビアもうなずくと、腕まくりをして張り切りだす。
「わかりました、今から準備いたします」
準備に向かおうとすると同時に、ユリウスの首根っこをガッシとつかむ。
「ほら、おいで」
「なっ、俺はまだ話が終わってないぞ!!」
ユリウスは抵抗し、腕をブンブンと振り上げた。
「だから話を聞いてもらう前に、その汚い格好をどうにかしなさい!!」
シルビアにたしなめられ、引きずられるように連れられていった。その様子を見てクスッと笑いながら、隣に立つグレンを見上げる。
「あの子、来ちゃいましたね」
良かった、きっとグレンはユリウスを見捨てたりはしないはずだ。そんな気がした。
「屋敷が騒がしくなるな」
グレンはジールに視線を投げた。
「部屋を用意してやってくれ。それから服も」
「このお屋敷で働かせるつもりですか?」
ジールの目は驚きに見開かれている。
「カリフ港から、自力でここまでたどり着いたんだ。根性だけはあるだろう。なにか仕事をやってくれ」
「かしこまりました」
ジールはスッと腰を折る。
まずはあの子の話を聞き、なにが得意か適性を見極める必要がある。すべてはこれからの彼次第だ。
その時、洗い場から大きな声が聞こえた。
「うっわぁ~!! すっげぇーー! こんな贅沢にお湯を使ったのは、俺初めてだよ!! 金持ちってすげぇ!!」
「こら、大人しくしなさい!! ほら、髪もちゃんと洗うの!! お湯につけただけじゃダメよ!!」
感動する声と、それをたしなめるシルビアの声が響く。
私とグレンは顔を見合わせて微笑んだ。
ジールはゴホンと咳払いした。
「まずは、基本的な礼儀を教えることからですな」
「ああ、任せた」
ジールはスッと腰を折り『お任せください』と告げた。
******
部屋でグレンと紅茶を飲んで一息つく。
「で、君の妹、マリアンヌのことなのだが――」
グレンが真剣な顔つきで切り出してきた。彼の口からその名が出ると、体に緊張が走った。
「俺としては到底許せない。いくら君の妹だとしても、だ」
私としても今回のことは許せるものではない。もう完全に見切りをつけた。心のどこかでは『姉妹だから』と切り捨てられない部分もあったが、これ以上、関わるべきではないと判断した。
その時、馬車の蹄の音が聞こえ、顔を上げる。グレンは立ち上がると、窓に視線を投げた。
「来たな」
グレンはぽつりとつぶやくと、ゆっくりと私に視線を投げた。
「君の父と妹が到着したようだ」
「えっ」
まさか呼んでいたとは思わず動揺からか、心拍数が早くなった。
「あんなことがあった後だ。会いたくないのなら、俺一人でケリをつけてくるが。――どうする?」
気遣ってくれるグレン。これ以上、私が傷つかないように配慮してくれるのだろう。
でも私は――。
「行きます」
あの人達と会うのは、これが最後になるかもしれない。だったら直接会ってけじめをつけよう。
大丈夫、グレンが隣にいてくれるのなら、もう怖いものはない。
自分自身に言い聞かせ、呼吸を整える。
グレンが私に差し出した手を、そっと握りしめた。