*グレン視点 死を前にして
数日後、ついに出航することになった。
陸を離れ、海原に繰り出す。長い航海になりそうだ。
「おい、てめぇ、ボサッとしているんじゃねえよ!!」
クソ男ジョージが偉そうにふんぞり返って命令する。
「いいか? おまえみたいな無能な小僧でも見張りぐらいできんだろ? 怪しい船を見つけたら、真っ先に教えろよ」
「――わかった」
隣国を目指すには、ハルバン海峡を渡ると近道だ。だが、時折海賊が出没するという話だった。今回の航路は安全よりも利益をとったのだ。
このジョージという男は内心、海賊の出現を恐れているのだろう。
俺に割り当てられた仕事はマストの上部の見張り台で、海賊が出没しないかの監視役だ。目がいいことで船長から割り当てられた仕事だった。
ジョージは俺がこの仕事を割り当てられたことが、不服そうだ。大方、船長から抜擢されたのが気に入らないのだろう。
一人になりたかった俺には、ちょうどいい仕事だった。
「まったくよ。俺に任せればいいのに。なんでこんな小僧に……」
ブツブツと文句を言いながら、マストから降りるジョージ。下で雑用をこなすのが面倒なのだろう。
ジョージと接することが少ないので、この役目はとてもありがたかった。
******
広い海原を注意深く見つめる日々。何事もなく数日が過ぎた。
「おい、どけ」
マストを上がってきたのはジョージだった。
「お前は下に行き、調理場に水を運べ。今すぐにだ」
偉そうに指示をだすジョージだが、なんの権限があって口にしているのだ。
「でも見張りは?」
「そんなの俺がやっておいてやるよ」
ジョージが手から望遠鏡をひったくる。
「まったくよ、冗談じゃねぇ。水なんて重いものを運ぶなんざ、腰を痛めてしまう」
ぶつくさと文句を言っているが、要は嫌な仕事を押し付けようとしているのだ、俺に。
「早く行けよ」
ジロリと俺をにらむジョージに言い返す。
「でも俺は船長に――」
任せられたと口にしようとした矢先、頭に火花が散った。
頬を抑えて床に倒れ込み、痛みにもがく。
「口答えしてるんじゃねぇよ」
倒れ込む俺に足が飛んできて、さらなる追い打ちをかける。
「うっ……」
痛みにのたうつ俺を一瞥したジョージは、手でシッシッと追い払った。
「邪魔だ。俺は昼寝がしたいんだ」
この野郎……!!
睡眠不足のいらだちを俺にぶつけてきたのだ。
「もう少しで海峡の一番危険な場所を抜けるんだ。どうせ、海賊だって出やしないだろ」
ジョージに追いやられ、苦々しい気持ちでマストを降りる。
いつかあいつに復讐してやる。
殴られた頬に手をやる。口の中が切れたようで、血の味がした。
「クソッ」
なんて無力なんだ。一度、反抗したら倍になって痛めつけらた。あんなクソ野郎にさえ、逆らう力のない自分を呪う。悔しさで固く拳を握りしめた。
切れた口の中を水で洗っていた時、甲板から慌ただしい音が聞こえた。
ふと外に出ると、船員たちが必死の形相で叫んでいた。
「か、海賊だーーーー!!」
「に、逃げろ!!」
漆黒のマストをはばたかせ、どでかい船体はすぐ近くまで迫ってきていた。
狙いはもちろん、この船だ。
すぐにこの船に追いつくだろう。そして荷物を根こそぎ持っていくはずだ。
下手すれば、俺たちの命までも。
背筋がゾッとした。
だがこんなつまらない底辺みたいな人生の幕が下りる――。
それもまた人生かもしれないな。
フッと自虐的に笑う。
俺が幼い頃、流行り病で相次いでなくなったという両親。顔すら覚えていない。その後は親戚の家を転々とたらい回しにされ、最後は着の身着のまま、外に放り出された。
生きていくのに必死で、大人に混じって働くこともいとわなかった。
ああ、俺の人生、本当にろくでもなかったな。いいことなんてなかった。
この人生から解放されるのか――。
だがその時、脳裏に浮かんだのは、ルシナ・アルベールの姿。
『無事に帰ってこれますように』
そうだ、あの子はこんな俺に優しく祈りをささげてくれたじゃないか。地べたに這う泥ネズミみたいな存在に施しをくれた。
生きて――。生きて帰るんだ、俺は。
不意に体が熱くなってきた。口では死んでもいいと言っておきながら、やはりまだ生に執着があるらしい。
プライドもなにもかもなぐり捨て、俺は生を選ぶ。
そして残りの人生、俺はここで一度死んだ気になってやり直すんだ。
船員たちが騒ぎ、恐怖におののく中、冷静に前を見つめていた。