51.救出
背筋がゾワゾワして吐き気がする。
違う、私の運命の相手は間違ってもあなたじゃない。
はっきりと自覚した。
「遠回りしたけれど、僕のこの気持ちは本物だ」
勝手に言っててちょうだい。自分に酔いしれているベン。
「君も望まぬ結婚をさせられ、さぞ苦しかっただろう」
手に胸を当て、悲痛な面持ちを見せるが、すべてが彼の一人よがりだ。
「でも、もう大丈夫だ。二人で逃げよう」
私の手をガシッと掴み、真剣な表情で見つめる。
嫌よ、私が取りたいのは、この手じゃないの。
嫌悪感で涙が出そうになる。
薬で自由を奪い、相手の同意を得ない行為は愛情なんかじゃない。執着だ。
グレンなら、決してこんなことをしない。
いつだって私の気持ちを優先してくれた。好きだと告白してからも、私の嫌がることなど一切せず、尊重してくれた。
今はただグレンに会いたい。顔を想い浮かべると涙が出てきた――。
グレンが好き。
ただ、会いたいの、助けにきてよ。
涙がポロッとこぼれ落ちた。
「ああ、ルシナ。可哀そうに」
ベンは指で涙を拭う。
「よほど辛かったんだね。だが、僕が来たからもう大丈夫だ」
無理やり私の両肩をガシッとつかむ。
「僕たちが愛し合っていると宣言しよう。遠い地でなんの心配もせずに、二人で生きよう」
ベンはさらに熱弁を続ける。
「春には花を愛で、夏には陽ざしを浴び、冬の暖炉で二人で温まるんだ。季節を感じながら永遠に笑って過ごそう」
仮にベンの言った通り、誰も知らない土地に逃げたとしてどうするの?
資金も住む場所もなければ、あっという間に途方に暮れる。夢を語るばかりで、現実的なことなど、なにもわかっていないじゃない。
彼には想像できないに違いない。お金に困ったことがないのだから。
それにグレンがそんなこと、許すはずがない。私のことを死ぬ物狂いで探すに決まっている。
マリアンヌにはめられて船で出航してしまった時でさえ、あんなに心配させてしまったのに。もう、あんな思いをさせるわけにはいかない。
「離してよ……」
抱きしめられたまま、声をしぼりだした。
「ああ、力が入りすぎた、ごめん」
ベンはパッと手を離す。
サイドテーブルに置かれたグラスに視線を向けた。
「そういえば、水を飲みたいって言っていたね」
グラスを手に取るベンは微笑んだ。
「僕が飲ませてあげるよ」
彼はグラスを傾け、一口あおった。
嫌な予感がする。
私の両肩を掴み、ゆっくりと顔を近づけてくる。
嫌だ、やめて!! 近寄らないで!!
彼の血走った目に狂気を感じ、必死に顔を背ける。
肩に食い込む力が痛い。
「なにをしているんだ!!」
突如、響いた怒声。
ハッとして目を開ける。
肩で息をするグレンが視界に入った途端、涙が流れた。
嘘、本当に? 助けにきてくれたの?
「手を離せ!!」
グレンはベンがひるんだ隙に突き飛ばした。
「ゴホッ!! ゴホッ!!」
床に這いつくばったベンは吐いた水でむせた。
「大丈夫か!?」
グレンが私の肩を掴み、揺さぶる。
必死な形相を見ていると涙がポロポロと流れた。
ああ、彼が好きだ。
こんな時だというのに想いがあふれて止まらない。
「どこか痛いのか!?」
真剣な表情で問い詰めるグレンに首をふった。すると彼はホッとしたように微笑んだ。
だがすぐに鬼のような形相に変わる。
そっと私をベッドに横たえると、スッと立ち上がる。
呆然としているベンに向き合った。
「お前はなにをしたのか、わかっているのか――?」
淡々とした物言いだったが憤怒の空気を身にまとっている。必死に怒りを抑えている印象だ。
「だ、黙れ!! 僕とルシナは結婚する間柄だった。いきなり横から出てきたお前みたいな下賤な男に邪魔されてたまるか!!」
ベンは声を荒げた。
「ルシナは僕のものだ!!」
グレンはゆっくりとベンに近づく。
「僕のもの、だと?」
その声からは底冷えするような冷たさを感じる。
「勘違いするな、彼女はものではない。それに気安く名前を呼ぶな」
はっきりと言い放つ。
「お、お前こそ、いきなり現れて邪魔するな。貴族の仲間入りをしたいのなら、マリアンヌだっているだろう!!」
「黙れ。ルシナの代わりは誰もいない。俺は彼女だけを欲している」
真っすぐな視線は私を射抜いた。
「黙れ、平民!! お前は彼女の父親の貿易事業で、あの船に乗っていた奴だろう!? 小汚い格好をした下働きめ!!」
ベンは指を差し、糾弾する。
「平民? ああ、そうさ。俺は確かに高貴な血が流れるあんたたちとは違う」
ベンに一歩、一歩近づくと、すっと腰を折った。