50.卑怯者たちの愚策
「グレン様には私から報告しておいてあげる。お姉さまは、ベンが忘れられないみたいだって」
人目のある所なら、下手なことはしないだろうと甘く見ていた私がバカだった。第三者を連れてくるべきだったのだ。
「ほら、ルシナ。立って」
ベンは無理やり私を立たせ、肩を抱く。
「さ、触らな……いで」
口にするのが精いっぱいだった。腰に回された腕に嫌悪を感じる。
「大丈夫。僕に寄りかかって」
優しい声を出すベンだけど、見損なったわ、あなたのこと。
幼い頃楽しく遊んだ思い出だって、なかったわけじゃない。だが、こうまでされたら、あなたのことを憎んでしまいそう。
店の給仕が心配そうに私たちを見ている。
「ちょっと彼女の体調が悪くてね。心配かけてすまない」
ベンの柔らかな物腰を信用し、給仕たちは上手く騙されている。遠巻きに見ているだけでそれ以上、近寄っては来なかった。
「ほら、お姉さま行きましょう」
マリアンヌも隣に立ち、腕を絡めた。一見、私の体を支えている風に見える。だが本音は、逃がさないようにしたつもりだろう。
マリアンヌは私のドレスをスッと指でなぞる。
「ふふ、このマダム・マドランのドレスも、もうすぐ私のものになるのね。他にもなにをねだろうかしら」
冗談じゃないわ。
せめて体が自由を取り戻したら、逃げ出せるのに――。
だが心とは裏腹に体が重く感じ、自由にはならなかった。
そこからベンの乗ってきた馬車に運ばれた。
「じゃあね、お姉さま。二人で末永く仲良くやってね」
上機嫌のマリアンヌはニコッと笑い、扉を閉めた。ベンは座席に倒れ込む私の髪を、ひと房手にした。
「綺麗なルシナの髪は変わらないね――」
気安く触らないで。
「や、やめて」
拒絶の声を出すとベンの表情が強張った。
「君だって本当は後悔しているのだろう? マリアンヌから聞いているよ。船に忍びこんで、逃げ出そうともしたって」
なにを言っているのだろう。
「あのグレンとかいう男はならず者だ。僕は君のために調べたんだ。あの男は昔、君の父親の貿易事業の船に乗っていた奴じゃないか」
――お父さまの船?
それは父が失敗した貿易事業のことで、間違いない。最後は海賊に襲われて、船員の命は助かったけれど、荷物は全部奪われて大損して、手を引いた件よね……?
それならば、グレンは私と出会っていてもおかしくはない。どうして彼は言ってくれなかったのだろう。
「ルシナ、なにを考えているんだ」
クイッと顎をつかむベンは私の顔をのぞき込む。
「あんな男と結婚することになった君を救いたい。君の本当の気持ちを聞きたい」
キリッとした顔で私を見つめるが、冗談はやめて。自分に酔っているだけでしょう、私の救世主にでもなったつもり?
ああ、そうだった。真面目でこうと思ったら一直線。いつも相手の意見を聞かず『こうしなきゃダメだ』の決めつけがすごかった。
彼に言いたいことはたくさんある。勘違いしないで、って。
だが体に力が入らず、声を出すのもやっとだ。今は無駄に騒ぐより、早く回復するように努めよう。
そして隙を見て逃げてやる、絶対に。
私はあきらめないし、ベンの好きにもさせない。今は来るべき時に備え、体が早く回復するように努めよう。
焦りと不安を隠したまま、ギュッと瞼を閉じた。
******
「ルシナ、少し休んで行こう」
ベンが向かった先は街の外れに位置する、こじまりとした建物だった。ここはベンの家の別荘だ。幼い頃に来たことがある。
馬車が停車するとベンは私を抱きかかえた。
拒否したくて体が強張る。
「ルシナ」
頭に頬ずりする彼の行為に、ゾワッと全身に鳥肌が立った。
「さあ、着いたよ」
ゆっくりとベッドに下ろされた。
気づかれないよう、ゆっくりと手を握ったり開いたりしてみる。うん、店にいた時よりも動くようになっている。薬の効力がきれかかっているのだろうか。
だったら時間を稼がないと――。
「喉が……」
お水が欲しいと訴えた。
「ああ、気づかなくてごめんよ。今、飲み物を用意するよ」
ベンは部屋から出ていった。
この隙に部屋の中を見回す。なにか使えそうなものを探さないと。
だが残念なことに見当たらなかった。
そうこうしているうちに水を手にしたベンが戻ってきた。
「はい、どうぞ」
グラスを差し出すベンだが、手が自由に動かず震えてしまう。
「ああ、ちょっと薬が効きすぎたかな」
彼は悪びれもせず口にする。
「私に、なにを、飲ま、せたの……?」
やっとの思いで口にする。
「ああ、痺れ薬をちょっと……ね。だが心配がいらない。時間がたつと効果が切れるはずだから」
得体の知れない薬を飲まされ、心配いらないわけがない。だが、時間を稼がないといけない。
「ルシナ。僕はようやく目が覚めたんだ」
突如、ベンは床に片膝をつき、跪く。キリッと引き締めた顔を近づけた。
「運命の相手は君しかいないんだって――」
右手を取り、そっと口づけを受けた。