47.帰宅
「なんだよ、どうせ警備隊に突き出すんだろ」
男の子は逃げられないと察したのか、あきらめてやさぐれている。
「どうしてこんなことをしたの?」
見たところ、十歳ぐらいだ。こんな小さな子がスリをしているだなんて、衝撃をうけた。
「金だよ、金が必要に決まっているだろう!!」
男の子は悪態をついた。
「この街は貧富の差が激しい。裏通りを歩けば浮浪者や薬中毒がゴロゴロいる。華やかな裏では密売などの犯罪に手を染めている奴がいる」
「そうなの……」
グレンの言い方は慣れ切っている様子だった。でも私はマルコと同じ年頃の子が、昼間から堂々と犯罪行為に手を染めていることに衝撃をうけた。本来なら家族に守られて暮らしている年齢だろうに。なにか事情があるのだろう。
彼の口端が切れて血が出ていることに気づいた。ハンカチを手にしゃがみ込み、傷口にそっと触れようとした。
「やめろよ」
だがその手はパシッと弾かれてしまう。
「お前……!!」
グレンの声に憤怒が混じる。だが大丈夫だと首を振り、視線で告げる。
「あなた、ご両親は?」
「……死んだよ、どっちも」
プイッとそっぽを向く彼はよく見ると痩せこけていて、服もボロボロだった。
「グレン……」
顔を上げて見つめる。彼は私がなにを言おうとしたのか、気づいたみたいだ。
深く大きなため息をつく。
「お前、名前は?」
「……ユリウス」
「働く気はあるのか?」
予想もしなかったことを聞かれたのだろう、ユリウスは瞬きをした。だがすぐに何度もうなずいた。
「お前がきちんと働くというのなら、衣食住を約束してやろう」
グレンは胸ポケットに手を入れ、銀貨を数枚と名刺を取り出す。
「この屋敷を訪ねてこい」
ユリウスは呆けた顔でそれらを受けとる。
「お前にその気があればな」
「やる!! やるよ、俺!!」
ユリウスは目を輝かせ、いきなり立ち上がった。
「このゴミダメみたいな暮らしから逃げ出せるなら、なんだってやってやる!!」
「その意気だ」
グレンはフッと笑うと背を向けた。
「あ、ありがとう!!」
ユリウスの元気な声を聞き、私も嬉しくなった。
******
馬車を手配し、ここから四日かけて屋敷へ戻ることになった。
「グレン、さきほどはありがとう」
改めて礼を言うとグレンは足を組む。
「本当にくるかはあいつ次第だ。銀貨を使ってしまったのなら、それでいい」
「あの子の目の輝きを見ていると、きっと来る気がするわ」
そう、このチャンスを無駄にして欲しくない。目先の銀貨で数日は生き延びたとしても、なくなればまた同じ生活に逆戻りすることになる。
それならばきちんと旅費として使い、グレンの元へ来て欲しい。
「困っている子に親切なのは……変わらないんだな」
「えっ……」
グレンの言葉が引っかかった。同時に、先ほどのユリウスの姿が脳裏に浮かぶ。
意志が強く、私を見つめる眼差し、グッと引き締められた唇。
私は同じような光景を思い出しそうで、思い出せない。
「……グレン、私たち、前にも会ったことある?」
クロード船長はグレンも昔、船に乗っていたと言っていた。私は幼い頃は船を見るのが好きで、お父さまについて、よく港に来ていた。もしかしたらその頃に、出会っていたのかもしれない。
グレンは小さく笑うと、
「さぁな」
ポツリとつぶやいた。
同時に強烈に思った。
知りたい、この人のこと――。
彼はなにを見て、どう感じているのだろう。
それを知ればこれから先、少しは彼に近づけるのだろうか。
******
やっと、やっと戻ってきた……!!
馬車の窓から屋敷が見えると涙が出そうになった。
ソワソワしている私を見て、グレンが嬉しそうにクスリと笑った。
「帰ってきたな、俺たちの場所に」
いつの間にか隣にきて、そっと頬に触れる。
私は恥ずかしくていたたまれなくなり、貝のように口を閉ざすのみだ。
この移動中もスキンシップがかなり多くて、ドキドキした。
けれど彼は紳士だった。部屋は当然のごとく別々だし、触れてはくるが、私の嫌がることはしなかった。
もっと強引にきてくれても嫌じゃないのに――。
そこでハッとして、頭をかきむしりたくなった。
私、今、なにを思った!?
首まで真っ赤になり、グレンの顔が見れない。
「どうした、真っ赤だぞ」
だが彼は目ざとく気づく。
「だ、だって……」
グレンは私の両頬をつかむ。ほら、こうやってすぐに触れてくるじゃない。だから私は戸惑うのだ。心が追い付かなくて。
「どうしてこんなに触れてくる、と思っているな?」
胸がドクンと高鳴る。私の心が読まれたみたいだ。
「夫婦だからな、当然だろう」
フッと笑うグレン。そうだけど慣れていないんだってば。
「俺はこの先のこともしたいと思っている」
キリッとした顔で宣言されるけど、それってどういう意味……。
動揺している間も馬車は門をくぐり、ゆっくりと止まる。ついに屋敷へ到着した。
「ルシナ……」
熱っぽい視線が向けられて、グイグイくる。
引けそうになる腰をグッと押さえこまれる。
艶っぽい唇、そして色気がだだもれのグレンが近づいてくる――。
「お、お、お、お嬢さま~~!!」
私を呼ぶシルビアの涙声が外から聞こえ、クワッと目を見開いた。
すかさずグレンの唇を両手で押さえた。
「と、とりあえず、出ましょう!! 皆が待っているはずです!!」
不貞腐れた態度を隠そうともしないグレンと共に、馬車を下りた。